【レンズの曇ったアンティーク眼鏡】3

翌日、私は表の看板も返さずに店の鍵だけ開けてコーヒーを飲んでいた。

「ねむ。」

芳醇な渋みが朝の体に染みわたる。「苦い。」と顔をしかめ依頼人が来るのを待っていた。


 昨日は随分と話し込んでしまった。あれほどまでにおしゃべりな魔具も珍しい。


時刻は八時、この時間に来ることはさすがにないだろうが時間を指定しようとしなかったので、非はこちらにある。


「まぁ、決めたところでこのサイクルは変わらないけど。」


小説を読んでいると時間の進みが早く感じるのは私だけの特権のような気がする。静かな空間に時計の針の音だけが響いているのをたまに思い出す。自分が本にのめりこまないように、そんな時間を繰り返す。


 それほど時間は経っていないだろう。店の扉をノックする音が聞こえた。きっと依頼人だと扉を開けると、昨日と同じように不安そうな顔をした女性がいた。


「お待ちしてました。中へどうぞ。」


店の片隅にある。アンティーク調の席を勧め、机を挟んで向かいあった。これから私は提案を始める。


「お預かりした眼鏡ですが、とりあえず曇りはとれましたよ。」


そう話すと、彼女は目を丸くし言葉を失った。

当然だろう。拭いても洗っても、取れることのない曇りだ。意志を持った眼鏡の固い決意の表れだった。

あの後、トキメに身内にだけでもいいから、この後も使われてくれないか?と話すと快く承諾してくれた。

彼の意志で今依頼人は眼鏡の向こう側を見ることができている。


彼女は眼鏡をかけ「あ、見えます。」と、なんともおかしな光景だ。しかし、それほどまでに彼女の心は諦めに傾いていた。それの裏付けともとれるかもしれない。


「これで、祖母は助かるのでしょうか?やはりこの眼鏡は呪われていて、あなたがそれを解いてくれたんですね?」


興奮気味にそう詰め寄られるが真実は違う。

私は首を横に振り否定する。


「すみませんが、その可能性は低いです。」

「そんな。」俯き、手で顔を覆い悲観する。上げて落としたみたいであまり気分はよくないが仕方がない。


「私がその眼鏡と向き合い、わかったことはとても丁寧に扱われていたということだけです。でも、だからこそですね。お祖母様は、懐かしくなったんじゃないかと思うんです。」


この魔具、トキメの使えるもう一つの魔法は自分の見た景色を共有することだ。

 昔見た景色、印象深い思い出、そして、『人』。

それはまるで自分が目撃したかのように写真よりも鮮明に伝えられる。

台所に立つ、あの若い女性はきっと昔の祖母なのだ。

 思い出はよく美しく表現される。あの頃はよかった、昔はこうだったのに。

 そんな嘆きにも似た考えが浮かんでしまうのなら、レンズが見せる素敵な思い出のほうがよっぽどリアルだ。


「ずっと近くで見てきた。夫の姿。その近くにはその眼鏡がずっとあった。何も知らない私がこう話すのは無責任かもしれませんが、思い出を超える今を見せることが最善の治療だと私は思います。」


依頼人はゆっくりと顔をあげる。

「お役にたてず申し訳ありません。」

私は深く頭を下げた。

「いえ、ありがとうございました。……失礼します。」

そうして彼女は渡し去っていった。


―――――――


ひと月後、郵便受けをチェックすると珍しく一通の手紙が入っていた。

そこには一枚の写真と便せんが入っている。

写っているのは、依頼人、子供が二人、おばあさん。それとあの眼鏡だった。

場所は……遊園地だろうか?いい笑顔の写真だと思った。

手紙にはいろいろ書いてあったが、要約するとあらためてお礼がしたとのことであった。


あの魔具は今、ちゃんと景色いまを映せているだろうか?

そんなことを思いながら私は店の中へと戻った。

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