【レンズの曇ったアンティーク眼鏡】2

 店の看板を『close』に戻し店の一日を終える。

結局のところ、今日の来客は一人で物は一つも売れなかった。まあ、問題はない。

ここにある物たちの新しい持ち主の都合が合わなかっただけなのだから。

祖父はそんな風に話していた。


私は店のバックヤードに行き、長方形型の木箱を取り出す。中にはクッション材が敷き詰められており型に沈み込むようにしてイヤリングが入っている。翅の意匠が施された銀色のイヤリング。

魔法のイヤリングと私は呼んでいる。これをつけると意志あるモノの声を聞くことができるのだ。

 私はそれを身に着け、昼間に預かった眼鏡を何も置かれていない机の上に置き話しかける。

「こんにちは。」

返事はなかった。こちらが声をかけたとしても、それに答えるかはモノ次第だ。当たり前のことだが物は普段言葉は発しないし、人が物に対して尋ね事をすることはない。すなわち、モノがこちらの声に返すか、気づくかはモノ、いや魔具次第ということになる。

ちなみに、物か魔具かを判別することはできないため魔具だと思っていたものが普通の物だった時は非常に恥ずかしいことになる。

「こんにちは。」

これは根気勝負である。再度返事はなかったが私は続ける。

「こんにちは、眼鏡さん。」

「え、儂?」

三回目の挨拶に反応を返した。確かに『わし』と聞こえた。これは魔具で間違いない。

この段階で気づいてくれるのは運がいい。

「はい、あなたです。眼鏡さん。」

より自分だと自覚してもらうためにすぐさま声をかける。ここで返答が遅くなってしまっては恐らく口をきいてもらえなくなるだろう。

「おー、おー、人と話すのは初めてじゃ、話せるなんて思いもしなかったわい。」

すごくのんびりとした話し方の魔具だった。気さくで話しやすそうだ。

「はい、私は聞こえるんですよ。それでお聞きしたいことがあるのですがいいですか?」

「ああ、いいよ。でもその前にお前さんのことを聞かせてもらってもよいかの?人と話すのは初めてじゃからお前さんを知りたくての。」

魔具は一方的にこちらの質問に答えてくれるわけではない。物がモノとなり感情を得て魔具となるのだ。当然に向こう側にも意志がある。

「はい、いいですよ。私はこの店【古美術堂ミズキ】の店主、【瑞樹鼓乃美みずきこのみ】といいます。初めまして。」

「ご丁寧にありがとう、私は……。すまない、儂には名前がなかったわ。製造番号ならばどこかに刻まれていたように思うが、どうじゃ?」


テンプルの端の方にそれっぽいものがあるような気はするが埋まっているのか掠れているのか読みにくくなっていた。それに、いちいち長ったらしい番号なんて言っていられない。ならば

「でしたら、主人のお名前を借りるのはいかがでしょうか?」

「それはいいな。儂の主人は『童明 時継どうみょうときつぐ』という、その眼鏡じゃから。『トキメ』なんかいいんじゃないか?」

「『トキメさん』ですか、いいお名前ですね。それでいきましょう。」

「ありがとう。では改めて挨拶といこうかの。儂はトキメという。主人『童明 時継』の眼鏡じゃ、長く大切に扱われてきたからの、世には詳しいぞ。」


 彼からどことなく満足そうな雰囲気を感じる。変哲のない眼鏡からそんな風に感じるのだから不思議なものだ。この感覚には慣れない。私はトキメにばれないようにクスリと笑った。

「ところでここはどこかの?見たことのない景色じゃが」

さすが、眼鏡の魔具と言ったところだろうか、景色の変化には敏感らしく目ざとい。

「ここは私のお店です。店の奥になりますからあまり店っぽくはありませんがね。」

「おお、先程言っておった店じゃの【古美術堂ミズキ】覚えたぞ。ところでなぜ儂はここに?」

「その辺りはこちらから質問しながら答えていきたいと思います。それではトキメさん、意識をもったのはいつからでしょうか?」

私はノートを開き、羽ペンを使って情報を書き込む準備をする。


持ち主     童明 時継

魔具名称    眼鏡(トキメ)この場で名付けたもの。


「いつから……か、時間の感覚というのはよくわからんが、ふと、最近使われなくなったと感じたな。」

つまり、彼女の言ったことは正しいのだろう。トキメさんが意識を持ったのは時継さんが亡くなってからのことだ。

トキメが言うようにあるとき『使われなくなったと思った。』これがきっかけだろう。

魔具には二種類ある【先天的な魔具】と【後天的な魔具】だ。

その名の通り前者は魔力を注がれてそうなったもの。後者は魔力を得てそうなったものだ。これは大きな違いである。

 今回は言うように最近なったのだろう。


魔具となった日 最近


「でも、別の方があなたを使うようになりましたよね?」

「ああ、奥方のことか、確かに儂をかけてくれておるな。」

「時継は、あやつのことをよく見ておったよ。儂の目に映った時間が一番長い人と言っても過言ではない。」と続けた。


その口調から夫婦仲は悪くなかったような印象を受ける。しかし、ここで疑問が生まれた。

なぜ童明さんの奥さんは豹変したのだろうか。昼間の彼女はそのことに困りこの店へやってきたのだ。

私は、これが魔具だとわかったときに、使う魔法が豹変の理由だと考えていた。がそれは間違いのような気がしてならない。魔具は基本的に持ち主の性格に寄りがちだ。魔法は突発的に発現するものではあるがその要素がない状態で特定の魔法を生み出すとは考えづらい。

悪意がないと悪影響を及ぼす魔法は発現しないというのが私の見解であった。

でも、私は彼の持つ魔法を知らなければならない。答えはそこにあるはずで、それが私の使命でもある。

しかし、直接聞くわけにもいかないというところが難しいところだ。なぜなら魔具自身が魔法に気づいていない可能性もあるのだから。


「奥さまはあなたを必要とするくらいに目がよろしくなかったのでしょうか?」

「いや、そんなことはない。儂は時継に常にかけられておったが奥方が眼鏡をかけているところなど見たことがないからの。」


断定の言い方だった。いつも側で見てきたからこそ言えることでもある。


「ところで、そろそろ儂の質問にも答えてくれんかの?若い美人の話を聞くのもいいが、どうにも気がかりがあっての。」

「質問とは?」

「儂がここにいる理由じゃ。」

「……。」


 答えると言っておきながら、こちらとしては答える気などなかった。

魔具の感情を揺さぶるような発言は避けた方がいいのだ。それは、祖父の手記に書かれていたことだった。

『芽生えたばかりの魔具の心は感情に飲まれやすく不安定だ。発言には細心の注意が必要である。』

とのことだった。つまり後天的な魔具であるトキメはこれに当てはまる。

私はリスクがあるとわかっていながら彼が求める答えを口にする。


「童明時継さんは……先日亡くなられたそうです。」

「そうか。やはり……そうか。」


トキメは冷静だった。いや、冷静であろうとしているのだ。それは口調でわかった。

人が悲しみを堪えるときの声色と同じように彼はそう言ったのだ。

自分をごまかすように話はじめる。


「わかっていたとも。儂のレンズも人の死を映したことがあるからな。時継の親、親族、友達、時間を重ねるごとに頻度は増し、涙は枯れ、景色として見えるようになった。時継は知っておったのかもな。自分の順が周ってくることを……。」


私にはかける言葉も資格もなかった。

突然に主を失い、その死にさえ、わかっていると言い聞かせる。心では泣いていても物であるトキメは涙を滲ませることすらできない。


ただ、「少し、あなたをかけさせてもらってもいいでしょうか。」

 寄り添いたいという情が沸いた。言葉を出す資格はなくても、その心に対して何かをしてあげたい気持ちはある。

「なぜじゃ?」彼は聞いた。

「景色が見たいんです。貴方を大切に使い続けた主が見た景色を。」

「ああ、わかった。」


私は自分の眼鏡をはずし、彼をかけた。

普段使いには向かない重さがずっしりと私の鼻の頭と耳にのしかかる。

私は好んでこの眼鏡を選ぶことはないだろう。ただ、昼間と違ったことがひとつあった。

「……私には度数が合いませんね。」

「かーっ、せっかく傷心の眼鏡がかけさせてやってるのに酷いやつじゃのお。」


度数が合わず視界はぼやけていた。しかし、レンズは曇っていない。

間違いない。トキメは主人を選ぶことができるのだ。

正確に言うとレンズを曇らせることが、この魔具が使うことのできる魔法である。


「でも、まあレンズを替えれば使えるじゃろう?それが儂の利点でもあると理解はしておる。どうじゃ?そやつではなく儂に乗り換えんか?」

「私の趣味ではないですね。」

「……本当に冷たいの。でも、まあそれもよかろう。」

冷たくあしらったが、トキメはそれほど残念そうでもなかった。

「儂はずっと時継の物じゃった。あやつは若いときから儂を使い続けたよ。この風貌を馬鹿にされても手放すことはなかった。仕事をするときも本を読むときも、若い頃におなごとしたデートまで儂は見ておる。いつも儂らは一緒じゃった。最後まで時継の物であることが儂の最良の人生じゃろうて。」


 トキメが、思い出を振り返ったとき。

レンズは景色を映さずにぼんやりとした映像を映し出す。手元が狂いそうな細かい作業、……私が絶対に読むことのない内容の本、繋がれた手と夕日に照らされた若い女性の顔。

トキメが使える魔法はもう一つある。

それは童明時継の奥さんにとって、今もっとも大切に見えるものだろう。


「眼鏡ですけどね。」無粋な返し方をし眼鏡を外す。


『人は見たい物を見るために眼鏡をかけるのだ。』


そのとき私はそう思った。

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