第44話

 シンヤはデッドキャニオンの崖の上で、夜空を見上げていた。

 谷底にはユージやレイカたちがいたが、そこからだと見晴らしが悪いため、シンヤは崖の上で周囲を見張ることにしたのだ。声を上げればある程度は会話できたし、メッセージで連絡を取りあうこともできそうだ。


 シンヤの両手はツルハシの柄に載っていた。逆さになったツルハシの先端は、足元の岩場に置かれている。

 それにシンヤの周囲には、砕かれた岩のかけらが無数に落ちていた。――先ほどまで、シンヤは懸命にツルハシを地面に打ち下ろし、岩の欠片を作りだしていたところだ。そのせいで、一帯はでこぼこになり、大小さまざまな岩の欠片が大量に散乱している状況だった。


 また、シンヤの傍らにはロープがフックに固定されており、ロープの先は谷底に垂れていた。いつでも谷底に降りられるようにするためのものだ。


 月明かりがわずかにあった。そのほかには、地面に置かれたランタンが光を放っていた。

 光源はたかがそれだけだったから、見張りをするには薄暗く、不安はあった。

 だからこそ、シンヤはできるかぎりの準備をし、油断なく周囲を見回していた。

 それに、特に空を注視していた。

 今回のエンジェルどもは、どうやら空からくるようだ。それに十体からの集団らしい。


 今夜エンジェルがくるかはわからないが、砂のエンジェルのことを考えると、やはり彼らは夜にやってくる気がした。

 ――砂のエンジェル。

 白暁の森では、あの一体のエンジェルに散々な目にあわされた。それが十体もとなると、今度はいったいどうなるのか。

「とんでもねえな、こいつは」

 そう言って、シンヤは腰の剣を確かめる。

 しかしながら、剣の腕は心もとない。というか、自分で言うとおり、剣は飾りだ。

 シンヤはため息をついてから、再びつぶやいた。

「おれの魔法スクリプトが通じればいいけどよー、まったく。とんでもねえ役回りだぜ」


 そんなふうにぼやきながら、ふと、白暁の森のテントのことを思い出した。

 レイカと狩りに出かけたあの森で、便利そうなテントがあった。そこを根城にしようとしたら、あのユキナやユージと出会った。

 ゴーストの妹を守るユージ。変わった男だ。

 それで考えると、と、シンヤは少し笑えてくる。

 おれだって、ちょっと似てるかもな、などと。







 レイカの弟のヒロキとは、小学校五年生からの仲だ。

 東京の小学校に転校してきたシンヤは、人付き合いがヘタで、頑固な性格だったから、周りから浮いてしまっていた。

 現実での通学による授業にも、バーチャルでの授業にもなじめず、友達ができなかった。

 そんななかで、ヘヴン・クラウドだけがシンヤが心から楽しめる空間だった。だからシンヤは、ヘヴン・クラウドの中で、魔法剣士のアバターを用意して、さまざまな冒険に出かけた。


 もっとも、まともな魔法は高くて買えなかったから、無料で手に入る魔法しか使っていなかった。

 一瞬だけ光をはなつ魔法だとか、見せかけの小さな火を作りだす魔法だとか。


 そんなある日に声をかけてくれたのが、ヒロキだった。ヒロキとシンヤは、二人ともヘヴン・クラウドをやっていて、会話がはずんだ。

「うちにきなよ、アバターを見せあおうよ」

 とヒロキがさそってくれたから、シンヤは放課後に遊びにいった。


 シンヤがインターフォンを押すと、鋭い目つきが印象的な、中学生と思われる少女が現れた。

 シンヤはおずおずと、「ヒロキくんに誘われて、遊びにきました」と言った。

 すると、少女は「ええ、待ちなさい」と言って奥に消えて、ヒロキが出てきた。


「姉ちゃん、剣道やってて、メチャクチャ怖いんだよ。今日はあれでも、優しくしてるんだよ」

 と、ヒロキはこっそりと教えてくれた。


 ヒロキは机に置かれたキューブ型のコンピューターを立ち上げ、自身のアバターを見せてくれた。ヘヴン・クラウドには客観モードというものがあり、全身没入をしない形でログインすることもできた。

 壁際のディスプレイには、サーカスのピエロみたいなアバターが映っていた。

「これ、ぼくのアバターなんだ」

 そう言ってヒロキは空中に投影された、ホログラム式のキーボードに触れて、エンターキーを押した。

 すると、ディスプレイの中のピエロは腕を振り上げ、空中に火の玉を作り出した。

 シンヤは大声を上げた。

「すげえッ! 買ってもらったの? その魔法……」

 ヒロキは意外そうな顔で答えた。

「え? あ、そうか。これはね、環境スクリプトで、自作したんだよ。タダで配布されてるスクリプトを元に、手を加えてさ」

「え、ヒロキが作ったのか? ガチで?」

「うん。まあね。AIや父さんに、ちょっと教えてもらってさ。たぶん、これくらいなら、シンヤくんにもできるよ」

「おれに?」

「うん。きっとね。――楽しいんだろ? ヘヴン・クラウドが」

「まあな。そりゃ、好きだけど……」

「だったら、できるよ」


 それがきっかけで、シンヤは環境スクリプトでの魔法開発にのめりこんだ。

 はじめは、それこそ子供だましの魔法くらいしかできなかった。次第に、見た目の表現のテクニックや、物理演算のテクニックを学んでいくと、やがてプロのクリエイターが販売しているような、大掛かりなものを作れるようになった。


 シンヤとヒロキは同じ中学校に進み、そこでも互いに競いあうように、環境スクリプトの成果を見せあった。

 高校からは別々になったが、それでも交流は続いた。


 高校を卒業するとシンヤは進学し、コンピューターサイエンスに関する学部に行った。

 しかしヒロキは、高校二年生のころから休みがちになり、進学を断念した。

 ――血液の病気だった。

 痩せてゆくヒロキを、姉のレイカはいつも心配そうに見守っていた。




 そんなヒロキが言った、あの言葉を、シンヤは忘れられない。

 それは、病室でのことだった。東向きの個室で、まぶしいくらいに光が差し込み、シーツやカーテンや、細いヒロキの顔が白く輝いていた。

 そのとき、ふいにヒロキが上体を起こして、こう言った。

「なあシンヤ、ちょっと、頼みたいんだけどさ」

 まるで、売店で歯ブラシでも買ってきてくれ、とでも言うみたいな感じだった。シンヤは答えた。

「おー。どうした?」

「あのさ、姉ちゃんのこと、見ていてくれないかな?」

 シンヤは戸惑い、いぶかしげに、

「なんだって? レイカさんを? なに言ってんだよ、オマエ」

「姉ちゃん、無茶ばっかりだろ? なんかさ、自分をかえりみないで、僕のことばっかり気にしてさ。だから、シンヤ、頼むよ」

 ふいに、ヒロキは真剣な表情をした。本気のようだった。

「でもよー。あのレイカさんだぜ? 守る必要あるかー? それに、絶対ぜってー拒むだろ? ッたくよー。早くよくなって、自分でやれよな」

 すると、ヒロキは悲しそうに言った。

「わかってるだろ? 僕にはもう、時間も体力も、残されてないよ」


 ある日シンヤは、病院の入口でレイカとすれ違った。そのときレイカは、ヘヴン・クラウドの賞金稼ぎになって、上級市民になると言い出した。

「なんだって、そんなことを?」

 とシンヤは聞いた。

「ヒロキを治す技術を持っている、あの医師は、上級市民にしか、手を貸さないの」

「医師? なんですか、その差別的なやつは」

「そうね。とんだ差別主義者でしょうね。――でも、だからこそ、上級市民にならなければ。それしか、ヒロキを助ける方法はないの。もし、わたしが上級市民になれば、話を聞いてくれるかもしれない……」

 シンヤはいぶかしく思った。そんな医師なんかに、ヒロキを救うことができるのだろうか。そんな人間に関わって、ただで済むのだろうか。

 シンヤはしばらく黙っていたが、ヒロキの、あの真剣な眼差しがよみがえってきた。


 『あのさ、姉ちゃんのこと、見ていてくれないかな?』


 だからシンヤは、思わずこう口にした。

「そうですか。じゃあさ、それ、おれも行ってもいいですか?」

「は? どうして?」

「いやー、あのですね。ヘヴン・クラウドで、賞金稼ぎをしながら、戦いの中で魔法の実験をするのって、おもしろそうだな、なんて思ったんですよ。それに、上級市民になって、あっちで研究室とか持てたら、最高じゃないですか。あ、当然、ヒロキのためでもありますよ。上級市民になって、その、医師と会うこともできるし」

 レイカは怪訝そうな表情をしていたが、やがて言った。

「そう。……それが本気なら、やりましょう。一緒に」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る