第42話

 茶色い岩壁に挟まれた谷底にたどりつくと、ユージはあたりを見回した。

 乾いたチーズのような壁面が続いており、さらに進むと、どんどんと道幅が狭くなっていった。

 やがて、空がほとんど岩の天幕に覆われるようになった。それでいて、袋小路ではなく、前後に進めばまた、岩場の迷路に逃げ込めそうだ。

 ユージはミオに振り返りながら言った。

「このあたりなら、身を隠しやすいな」

「うん、そうかもね」

 とミオは答えた。

 そのとき、エントリーゾーンの方向から、谷底を歩いてくる足音がした。――見ると、レイカの姿があった。

「やっと追いついたわね」

 と言って、レイカは黒髪をかき上げた。

 体のあちらこちらに傷があった。

 ユージは尋ねた。

「ユキナは?」

 するとレイカは頭を振って、

「ダメ。噴水広場で背中をやられたでしょ。それから、なんとかエントリーゾーンまで連れていって、ログアウトさせたけれど。アバターを修復するための時間が必要だった。すぐに、戦える状況じゃない。」

「そうか……。シンヤは?」

「わからない」

「わからない?」

「ええ。なにか、用事があるみたいだったけど。……あるいは、たくさんのエンジェルを相手に、怖気おじけづいたのかも」

「無理もないな。やられたら、ペナルティでルクスを失うんだ。それより、レイカは、いいのか? レイカにも上級市民になる理由があるんだろ? エンジェルにやられて、ペナルティを負ったら、それが遠のくぞ」

 すると、レイカは一瞬ミオを見てから、

「そうね。でも、チャンスでもあるから。きみたちとともに、天使どもを狩れば、多くのルクスがはいるでしょう……。あれだけの数がいるわけだから。これが、最後の戦いになるかもしれない。そうすれば……」

 そう言って、レイカは目を閉じて、右手のこぶしを握った。そして、人差し指にはまった青い指輪に唇を寄せた。

 ユージはだまったまま、レイカが目を開けるのを待った。ミオは岩壁にもたれ、地面を見おろしていた。

 狭隘な岩の迷宮に、乾いた風が音をたてて流れていた。その風の音は、どこか老婆の声のようでもあった。



 レイカがため息とともに目を開けたとき、ユージは言った。

「聞いてもいいかな?」

「わたしに?」

 と、レイカは見つめてきた。

「うん」

「……そうね。答えるかはわからないけれど。聞いてみたら?」

「わかったよ。じゃあ聞くよ。なぜ、レイカは戦うんだ?」

「わたしが、戦う理由……」

 そこでレイカは、谷底から見える小さな空を見上げて、しばらく考える素振りをしてから、口を開いた。

「わたしには、難病の弟がいる。それを治すには、ある医師が開発した治療方法が必要なの」

「治療方法……」

「ええ。その医師はヘヴン・クラウドの中では上級市民で、神聖都市ラテラエに住んでいる。それに、その医師は、現実世界においても、ヘヴン・クラウドの上級市民しか、治さない」

「差別主義者ってわけか。なるほど、だからレイカは、その医師に会うために……」

「ええ。そこで、頼んでみるつもり」

「でもさ、会ったところでさ、引き受けてくれるのかな?」

「わからない。その代償が、なんなのかも。でも、そうするしかないから……」

 そうしてレイカは、視線を自分の右手に落とし、こぶしを握った。迷いや恐れを握りつぶすように。


 しばらくしてから、レイカは顔を上げて、ミオを一瞥いちべつすると、

「わたしは、自分のことを優先する。ミオを、わたし自身を犠牲にしてまで、守ることはできない」

 ユージはうなずいて、

「わかってる。それで構わない」

 するとレイカはまた顔を上げ、空に目をやった。すでにレイカはエンジェルの来襲を警戒しはじめているようだった。



 夕刻になるころ、谷底にいるユージたちの前にシンヤが現れた。

 シンヤはバックパックを背負い、かつ、大きなツルハシを担いでいた。

 細身の美形な魔法剣士の姿で、無骨なツルハシを持つ様子は、不釣り合いを通り越して、滑稽でもあった。

 シンヤに気づいたレイカは、

「なにやってるの? シンヤ……。そんなのを持って。いえ、来てくれたのは、いいんだけど」

「あー、エンジェル対策ですよ。それなりに、備えないと。こいつを調達していて、時間がかかっちまいましたよ」

「あなたねえ。穴でも掘って隠れるつもり?」

「あ、それも悪くないですね。なるほど」

「なるほどって。……そんなヒマ、ないでしょうに」

「やれやれ。とにかく、準備しますよ。エンジェルどもが、いつくるかわからねえし」

 そこでシンヤは、背中のバックパックを降ろし、中から四つのランタンを取り出した。「夜は暗くなりますからね。まったく、予想した通り、灯りも持ってねえとはな」

 シンヤはランタンを周囲に配置した。ランタンはオレンジ色の光をはなって、周囲を明るく照らした。

 

 次にシンヤは、バックパックからロープの束を取り出し、地面に置いた。それを見て、ユージは言った。

「たしかに、こんな地形だからな。そういうのもいるよな……。ありがとう、シンヤ」

 シンヤは鼻を膨らませなら、

「こんなとこに陣取るなら、当然だろ。ッたく。考えろよなー。だいたい、なんでこんなとこに待ち伏せする気になったんだ?」

「ああ。それは、2つの理由がある」

 シンヤは怪訝そうに眉を寄せて、

「あーん? 言ってみろよ」

「ひとつは、他人に迷惑をかけないように。戦いに、他人を巻き込みたくない。もうひとつは、見晴らしのいい、広い場所がよかった。あの、白暁の森みたいな場所だと、相手を捕捉できない」

「そうかよ。でもよー。エンジェルからも、狙い撃ち、はさみ撃ちにされそうだな。この地形は」

「でも、上に岩の天幕があるから、谷底の前方と、後方を警戒すればいいはずだ」

「なるほど。悪くねー作戦だな。十体からのエンジェルを、続けざまにやっつけていく、っていう、その狂った前提を無視すればなー」

 シンヤはそう言うと、ため息をついてユージに背を向けた。そして、ツルハシを引きずって、少し離れた場所に移動した。

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