第四章

第39話

 ユージが目を開けると、真っ暗な闇の中に、小さな星が規則的に並んで光っているのが見えた。

「カプセルが開きます」

 という女性の声がすると、そこでユージは現実に戻ってきたことを思いだした。ミオのことは、一時的にユキナにまかせてきた。たまに戻らないと、体調に異変が起きてくるし、自宅の様子も気になる。



 小さなモーター音がして、カプセルの脇に光の筋が見えはじめる。その光が大きく広がり、いつもの自室の光景が見えてきた。

 ユージは裸だった。――長時間のダイブの場合は、カプセルの生命維持機能を使うためだ。ユージは体を起こすと、カプセルの横のハンガーにかかった焦げ茶色のガウンをとって、それをまとった。

 体の節々が、錆びついたロボットのようにギシギシとした感じがあった。首をまわし、肩や腕をほぐし、屈伸した。あまりに長くダイブしすぎていたのだ。

 また、体にのしかかる不愉快な重量が、不思議な安堵をもたらした。生命の重さだった。


 数時間したらまたグロウバレーに戻らなければいけないが、こうして現実での活動もしなければ、健康を害することになる。



 あたりは夕方になっており、窓から斜陽が射しこんできていた。部屋の奥からやってきたロボットのシロは、

「ユージ、おかえり」

「ただいま。こっちは、なにかあったか?」

 とユージが尋ねると、シロはまばたきするように顔のディスプレイ上の目を動かして、

「いえ。問題ありません。ヘヴン・クラウドはどうでした? 二日間、もぐっていましたね」

「いろいろだよ。いろいろあった」

 そんなふうに喋りながら、ユージは着替えはじめた。

 下着を身に着け、紺色のコットンパンツに、白地のシャツ。

 シロは言った。

「いろいろですか。そういえば、動画の配信をはじめましたね。チャンネル、観ましたよ。ミオを助けに、カレイドに行きましたね」

「ああ。そうだよ。配信しなきゃ、得点ルクスにならないから」

「ルクス? なにか目標ができたのですか?」

 そこでユージはミオのことを説明した。なぜかエンジェルたちに襲われるようになったこと。そのため、ミオを守るため、エンジェルが侵入できない四大都市で、ミオが暮らせるようにしたいこと。

「なるほど。それで、ルクスハンターになったわけですね」

「まあね」

 と言いながら、ユージは外出の準備を整えた。バーラウンジに行こうと考えていたのだ。そのとき、ユージは思いついたようにシロへと尋ねた。

「エンジェルは、どうしてミオをつけ狙うんだろう?」

「そうですね。エンジェルたちは、ヨッドというAIの命令で動いているはずです。なにか、ヨッドに目的があるのでしょうか」

「ヨッドか。なにを考えているんだろうな」

「……そうですね。わかりませんね。せいぜい、ミオさんが無事であることを、祈っています」

「祈る、か」

 そこでユージは、ミオが傷ついたエンジェルたちにひざまずいて、祈りを捧げる様子を思いだした。ロボットやゴーストの祈りは、どこに届くのだろうか。いや、そもそも人間の祈りというものは、どこに届くのだろうか。そんなことを思いながら、ユージは外にでた。


 マンションの前にタクシーを呼んだ。うるんだ夕日が西の空を染めていた。太陽から逃げるように、タクシーは街中に向かった。

 閑散とした街並みの中に『ラウンジ ソウゲン』の看板が見えた。



   *   *



 木製のドアを引くと、ドアの上部のベルの音とともに、音楽が聴こえた。

 落ちてゆく夕日を見送るような、悲哀を感じさせるテナーサックスの、ゆっくりとした旋律だった。

 ユージはそんな音楽と、木とタバコのにおいの中に入っていった。

 マスターのソウダは、いらっしゃい、と口を動かした。客は少なかった。

 ユージはカウンターの端に座った。すると、ソウダは言った。

「もうちょっと、真ん中でいいよ」

「いや、ここでいいですよ」

「そうかい、なんにする?」

 ユージは少し考えてから、カクテル――テキーラ・サンライズを注文した。それからビーフジャーキーとスティックサラダも。

「優しいな、きょうは」

「そうですね。また、潜るんで」

「そうか。そんないいモンかねえ、ヘヴン・クラウドは」

「どうでしょうか。いまは、守るものがあるし。……それと、得点ルクスを稼ごうと思っているので」

「ほう。戦闘狂のチャンピオンから、金の亡者になったか。いいねえ。渇望と悪徳は、人生の彩りさね」

 そう言って、ソウダはカクテルグラスを差しだした。テキーラとオレンジジュースが層をなして、オレンジ色から赤色に、グラデーションを作っていた。

 ユージは目礼してグラスを受け取り、ひとくち飲みこんだ。酸味と甘味が舌に絡んできて、次にテキーラのひりつく刺激が追いかけてきた。ジュースみたいに感じだが、ダイブのインターバルには十分すぎるアルコール量だ。いや、本来はヘヴン・クラウドへのダイブに際しては、酒など禁忌タブーに近いのだが。


「目的があるのは、いいことだ」

 と、ソウダは続けた。

「どうせ、上級市民、みたいなものを目指してるんだろ?」

「なんでわかったんですか」

「それくらいはわかるさ」

「そうですか……」

 そのとき、「おまたせしました」と声がして、ユージは振り向いた。奥の厨房からやってきた、配膳用のロボットがいた。その銀色のロボットは白いトレイに、ビーフジャーキーの皿と、スティックサラダが刺さったグラスを載せていた。

 ユージはそれらを受け取り、またソウダに向き直った。

「あれ? 新しくなりました? ロボット……」

「そうだな。前のは、調子が悪くなってな。でもよ、ロボットとか、AIってのは、苦手だな」

「そうなんですか?」

「ああ。なにを考えてるか、わからなくてよ」

「そうかもしれないですね。AIには、本当の意味での心が、ないって言われますからね」

 すると、ソウダは首を振った。

「ちがうな。ちがうんだ。あいつらには、心、みたいなモンがある。おれは、そう思うよ。だから、よけいに怖いんだ」

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