第38話

 ユージは仲間たちとグロウバレーの噴水広場にいた。星空の下、まばらな人影や、露店が見えた。ビルなどがないぶん、夜空の星々がきわだっていた。


 少し離れたところで、ユキナとミオがベンチに座っている。――二人はどうやら、いくぶんか打ち解けてきたようだった。

 ユージはシンヤと並んで、噴水のへりに座っていた。レイカはシンヤの向こう側におり、油断なく周囲を見ている。

 そこでシンヤが尋ねてきた。

「でよー、ユージは、あといくつなわけ?」

 ユージは少し頭の中で整理してから、

「いま、およそ三十九万ルクスだから、あと、十一万かな」

 シンヤは悔しそうに、自身の膝をはたいた。

「ッたくよー。エンジェルを倒したときの報酬はすげえな! おれは、あと二十万は必要だっての! ユージ、おまえさ、次にエンジェルを倒したら、五十万になるんじゃねえの? リーチ、ってやつだな」

「リーチ?」

「ああ。麻雀って知ってるか?」

「やったことはないけど、知ってるよ。グロウバレーでも、やってる集団がいるな」

「そうそう。で、リーチってのは、あと一歩で手が完成するってことだ」

 ユージはふと、ミオの横顔を見て、感慨深い気持ちになった。上級市民になって、ミオを永遠に守れるようにする。――そんな無謀とも思えた計画が、少しずつ結実しようとしているように思われた。

「おれは、やるよ。シンヤも、上級市民になるんだろ? ついてきてくれるか?」

 と言うユージに、シンヤは答えた。

「けッ、当然だろ! 次にエンジェルをやるときは、おれと、レイカさんも連れてけよ! 今回は、勝手に走りやがって……」

 すると、レイカの諫めるような声がした。

「今回は仕方がないでしょ。一刻を争う事態だった。わたしたちが、現実に戻っていたから。それを待っている猶予はなかった」

 そう言うレイカも、心なしか歯がゆい気持ちを抱いていそうだ。



 ユージはやや戸惑いつつも、尋ねた。

「レイカは、いまはいくつなんだ? ――ルクスは」

 すると、レイカのいささか鋭い視線が刺さってきた。

「三十六万」

 それだけ言って、レイカは前に向き直った。

 それに対して、ユージは唸るように「そうか……」と答えたのみだ。

 シンヤはそこに割って入る。

「あのよー。そうか、ってなんだよ。なんか中身のあるコメントしとけよ。おれは、オチがない話が嫌いなんだよ」

「すまない……」

「それによー、もうちょい、ヘヴン・ストリームのフォロワーに、返事したり、お礼言ったりしとけよ。ファンが増えると、ルクスを寄付してくれたりすることもあるからよー。観てくれるやつらに、愛想よくしといて、損はないぜ」

「そうだな。わかってる」

 そう言って、ユージは少し笑った。

「ん? なに笑ってんだよ」

「いや、なんだか、ブレイクみたいなことを言うな、って思ったんだ」

「ブレイク? ……ああ。武器戦闘ウェポンズリーグの、おまえのライバルみたいなやつか」

「そうだな」

「もう、あっちには、戻らねえのか?」

「どうだろな。ミオの安全が確保できたら、考えるかもな」

「そうしとけよ。どうせユージも、どこかで戦ってるんだ。戦いが好きなんだよ、おまえは」

「戦いが好き……?」

「あー? なんだよ。違うのか?」

「わからない。でも、そうかもな。現実では、おとなしい子供だったんだけどな」

「ああ。案外、そういうやつが、スイッチ入ったときに、のめりこむんだぜ」

「そうか。そうかもな……」



  *  *



 ユージは小学校三年生になるミオの手をひいて、両親の背中を追いかけた。

 そこは家の近くにある巨大なショッピングモールだった。

 専門店街の、洋服売り場を家族で巡っていた。冬服を早めに探すらしく、母親はコートを、父親はマフラーを探していた。ユージも、手袋とセーターを買ってもらった。それに、ミオは赤いジャンパーと、白く起毛したウサギの尻尾ような耳あてを。


 ユージは幸福感に包まれていた。

 それに引き換え、両親は難しい話をしていた。子供は大人の話を理解していないことを前提とするような、例の感じで。――その違和感が、幸福感のスープの中に異物として混じっていた。

「最近、仕事が忙しくて。買い物が遅くなっちゃって、ごめん」

 と言う母親に、父親は、

「仕方ないさ。なにかあったの? 同じ総務省でも、ヘヴン・クラウド管理局の話は、ぜんぜん入ってこないから……」

「そうね。新たに開発した、AIの管理機構で、課題があって」

「そうか。テクニカルなことは、あまり深くはわからないけど。無理するなよ。おれから、働きかけが必要だったら、できることはするよ」

「うん。ありがと……」


 そのあたりでユージは退屈になって、ミオに話しかけた。

「なあ、あとで本屋にも行こう。本って、紙でできてるんだよ」

 ミオは答えた。

「うん、知ってるよ」

「よし、父さんに頼んでみよう」

 そこでユージが顔を上げると、目の前に銀色のトラックのバンパーがあった。

 ユージの顔に、冷たく硬質なバンパーがぶつかり、ゴクン、と頭の骨か顔の骨が歪む感じがした。

 ユージは叫び声を上げた。

 そのうち、ユージは暗い街角にいることに気づいた。

 だれもいない夜の街角。グロウバレーだとしたら、あまりに静かで暗い。グロウバレーではない。では、ここはどこなのだろう? ミオはどこにいったのだろう?


 最後はだれでもひとりきり。

 そんな言葉がふと浮かんで、消えた。

 遠くから、歌うような声がした。

「こちらへきなさい。こちらへ……」

 その暗い路地の先に、ゆっくりと回転する、金色の十字架が見えた。



   *   *



 栗色の髪の女性――ソノハラは、自宅の部屋で仕事に打ち込んでいた。

 ヘヴン・クラウドのホストコンピュータが出すログの統計を見たり、AIの行動の統計を見たり。その中でも、AIを管理するヨッドの動きを気にしていた。ゆえに、ヨッドに関わる情報が多く含まれていた。

 ヨッドのCPU使用要求の推移。データアクセス要求の推移。ヨッドによるアクセス権限エラーの推移。ヨッドの思考傾向。執行者――エンジェルたちに下された命令の中で検知できたもののすべて。


 ソノハラはため息をついて、ディスプレイから視線を外し、机の端に置かれたフォトスタンドに顔を向ける。

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