第37話

 ユキナは困惑するユージを視界の端にとらえながら、足元に落ちた腕輪を見た。その黒ずんだ、変形してゆく腕輪を見ながら「やっぱり、そうやと思うた」と呟いた。

 次にミオを見ると、おびえた様子で、両手に持った電磁ナイフをじっと眺めていた。


 そのとき、足元で異変があった。

 腕輪の残骸がグネグネとうごめき、爬虫類の生き物のような形をとった。それは、真っ黒なトカゲのような外観をしていた。

 体には白いまだら模様があり、目も白光している。白い舌を出して、周囲を見回した。

 それを見たユキナは声をあげた。

「たぶんこいつが、ミオを操っとった元凶や!」

 ユージの声がした。

「こいつが? エンジェルなのか?」

「たぶんなァ」

「どうしてわかった?」

「細かい話はあとや!」

 ユキナはとっさに薙刀を持ち上げ、トカゲに向かって石突の部分を叩きつけるように振り下ろした。

 しかし、トカゲは素早くかわし、逃げるように路上を走りだした。ユキナはそれを追った。

「あかん、逃したらあかん! ……せやけど、なんてすばしっこいやつや! 見た感じ、トカゲやのうてゴキブリやんか!」

 ユキナはトカゲを追いかけはじめたが、あまりに素早く、とうてい追いつけそうにない。


 そのとき、ユキナの背後から、風を切る音が聴こえた。

 青い光の塊が、恐るべき速さで飛んでいくと、地面を這うトカゲの背に刺さった。

 トカゲは『ゲッ』と潰されたカエルのような鳴き声をあげ、刃を体に刺したまま横転した。――それはユージの電磁ナイフだった。

 ユキナが振り返ると、ユージは右手を振り下ろした姿勢をとっていた。

「なんやそれッ! ナイフを投げたん⁉」

「ああ。奥の手だけどな」



 ユキナは路上に転がったトカゲへと近づいていった。

 トカゲの黒い体は、灰色にくすみはじめていた。手足を不規則に痙攣させ、恨みがましい目で見上げてきた。電磁ナイフはいまだトカゲの体に刺さり、ジジジと痛々しい音をたててその体を焦がしている。



 再びユキナは薙刀を振り上げ、こんどこそ石突で頭を叩き潰そうと思った。

 しかしそのとき、脇からミオが現れた。

 ミオはユキナを追い越すように前に進み出ると、トカゲへとひざまずいた。

 ユキナは言った。

「どないしたん? とどめを刺さんとあかんから。どいてくれへん?」

 しかしミオはそれに答えず、トカゲから電磁ナイフを抜いて、それを脇に置くと、トカゲの干からびかけた体を両手で包みこむようにした。

「な、なにしとるん?」

 とユキナが尋ねると、ユージが近づいてきて、

「祈っている。……らしい」

「え、なんやそれ。エンジェルに祈って、なんか意味あんの……」

「それより、教えてくれないか?」

「なんや?」

「どうして、腕輪のことに気づいたんだ? なにが起きていたんだ?」



 ユキナは少し考えてから、

「せやなァ。いくつかあるけど。まずはあれやなァ。腕輪が、直った」

「腕輪が直った?」

「さっきなァ、ユージがミオをトラックからかばったとき、腕輪が地面に擦れて、傷ついたんや。でも、その傷が、気がついたときには、消えとって……。十秒くらいのことやな」

「なんだって?」

「なんぼカレイドかて、そのあたりの物理演算は厳密や。傷ついたオブジェクトが、そんな短時間で直んのは、異常やな」

 ユージは驚いた様子で、

「……他には?」

「せやな。あと、腕輪が落ちとった」

「落ちていた?」

「グロウバレーの、噴水広場の近くに、例の腕輪が落ちとったんや。三人で店で見たとき、一点ものみたいやったし、変や、思うた」

「同じものが落ちていた?」

「うん。それで、ユージからメッセージがきて、ミオがカレイドに行ってしもたみたいになってん。でも、ミオは腕輪しとるやろ? それで、取り憑かれてるみたいになっとって……。元々の腕輪の代わりに、エンジェルが腕に取り憑いた、ゆうことや」

「てことは、あのトカゲ型のエンジェルが、腕輪に擬態していた、ってことか」



  *  *


 ユージはしばらく無言で考えてから、ミオの小さな背中を見た。ミオは静かに立ち上がり、うつむき加減にして、町並みに目を向けた。風が強かった。

 ミオの手の中にいたエンジェルは、すでにいなくなっていた。


「大丈夫か?」

 とユージは話しかけた。

 ミオはぼんやりとした様子で、

「う、ん……。お兄ちゃん……」

「なにがあったんだ?」

「あの、噴水のあたりで、トカゲが足元にいて……」

「やっぱり。あの黒いやつだな」

「うん。それで、足に這い上がってきて。妙に強い力で、腕輪が引き剥がされて。それから……。よくわからない。でも、ずっと、わたしの声が聞こえて」

「ミオの声?」

「うん。自分の声が、頭の中から聞こえて。わたしはゴーストだ。偽物だ。あの事故のときに死んだんだ。……って。そうしたら、気がついたら、ナイフを握っていた。まるで、わたしの体なのに、わたしじゃないみたいに。それで、ああ、もう楽になれるんだ、って思えて」

 そこでミオはうつむいた。



「おまえはミオだよ」

 とユージは言った。ミオは顔をぴくりと動かしたが、黙っていた。ユージは続けた。

「ゴーストだとしても。――いま、考えたり、感じたりしている、その心が、ミオなんじゃないかな」

 ミオは首を振って、

「わからないよ。お兄ちゃん……。わたしは、何者なのか」

「自分が何者なのか。…………それを、わかっている人は、ほとんどいない。おれだってそうだ」

 そこまで言ってから、次にユージは、『なぜエンジェルのために祈るんだ』と聞こうとしたが、ちょうどそのとき、視界の端にシステムからのメッセージが流れた。


 『おめでとうございます! 十二万ルクスを獲得しました!』


 ユキナの歓声も聴こえた。

「あー! ルクスが配布されたで! よっしゃー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る