第36話
レイカはその日も弟の見舞いを終えて、病院から外に出た。病院の敷地にはケヤキが植えられ、強い陽射しが葉の緑を鮮明に照らしていた。
病院のロータリーには丸みを帯びた、白い無人タクシーが停まっており、レイカはそれに乗り込んだ。
タクシーは灰色のシャッターが並ぶ通りを進んでいく。バス停の屋根が見えたが、バスはもう日本にほとんど走っていない。それどころか、車も人も数が少ない。
しばらく走ってから、レイカは網膜ディスプレイを起動した。――長時間使っていると目がまわることがあるが、少しなら構わない。
ヘヴン・クラウドのアカウント宛の新着メッセージを見ると、ユージからメッセージが来ていた。
『ミオがいなくなった。どうやらカレイドにいるらしい。ユキナと探しにいく――――』
レイカははっとして、『ヘヴン・ストリーム』の、ユージのチャンネルを開いた。やはり配信がはじまっていた。ユキナも一緒のようだ。
最新の映像では、どういうわけかミオが電磁ナイフを持って、それを自分の首筋に当てていた。
それを見たレイカは、すぐにでもカレイドに行った方がよさそうに思った。
そこでレイカは運転席に向かって言った。
「ちょっと、急いでください! 急用があるんです!」
すると、AIの機械音声が返事をした。
「かしこまりました。しかし、あくまで交通ルールにのっとり、安全が確保できる範囲での走行となります。ご了承ください」
いかにもな機械的な音声だった。――人間が対応するような、過度なサービスを期待されないように、あえてそうしているらしかった。
しかしその機械音声は、レイカの苛立ちを増幅させる結果になった。
「ほかの車や、通行人も、いないでしょ⁉ とにかく、急いでください!」
それからレイカは深呼吸をしてから、再びユージの配信を見ようと網膜ディスプレイに意識を向けた。
ふとチャンネルのコメント欄を見ると、好き勝手なことが書かれていた。
『今回はエンジェル関係ないだろさすがに』
『ゴーストは早く○ね』
『ユージさんあきらめないでください』
『ユキナと付き合っているんですか?』
『ユキナとデュエルしろそれが観たい』
『ミオかわいい』
レイカはうんざりと、それらの無責任なコメントを眺めた。そして、だからこそ賞金稼ぎたちは嘲笑されることの対価として
朽ちてゆく文明の中で、安全圏から嘲笑する観衆たち。そして賞金稼ぎたちは卑屈なコメディアンだ。冷笑と退廃の時代に、ひたすら、必死になって仮想世界で天使と戦う。
あらゆるものが、バーチャル、シミュレーション、ソフトウェア。生きがいは、仮想世界での殺し合いを観て、
人間はいったい、なんという生き物になってしまったのだろうか。そんなことをレイカは思う。
中世の時代には、人々は武器をとり、領土を巡って血を流しあった。それらの営みと比べて、どちらが人間らしいのだろうか。
くだらない。
レイカの胸に湧いたその想念は、観衆に対してなのか、そんなことに惑わされる自分自身に対してなのか、わからなかった。
* *
ユージは、やるせない気持ちでミオを見つめていた。ミオはユージから数歩の距離で、電磁ナイフの青い刃を抱え、それを喉元に押し当てようとしている。
駆け寄って、無理にでも武器を奪いとることも考えたが、失敗すればそれで終わりだ。
ミオは顔を下に傾け、目を閉じ、腕に力を入れる感じがした。
「ダメだ!」
とユージは声を絞りだす。
青い刃はミオの首の皮膚に触れ、ジリジリと音をたてた。すべてが終わる。手遅れになる。ミオをゴーストにし、苦しめ、守ってきたその日々が。ユージは痛々しく顔を歪め、歯を剥き出し、拳を握った。
「お願いだ、止めてくれーッ!」
――――そのときだった。
ユージの視界の端に、金色の髪が揺らめいた。
それはユキナの、ライオンのようなたわわな金髪だった。ユキナは薙刀を抱え、ミオに向かっていた。
すると次に、黄金に発光する薙刀の穂先が孤を描き、青空を斬り裂くように動いた。
ユージには、ユキナの行動の意味がわからなかった。いや、こんどはユキナがどうかしてしまったのか。
「どうしたんだ! やめるんだ、ユキナ!」
しかし、薙刀は間断なく振り下ろされた。その先にはミオの姿があった。
刃がミオの体をかすめた。
いや、かすめたように見えた。
ユージの耳に、予想外の音が届いた。それは、ぶつかりあった金属のはなつ、硬質な音だった。刃はミオの左腕の腕輪にぶつかったようだった。腕輪には深い、いまにも分断されそうな溝がついた。
「なにをやってる? ユキナ!」
とユージは尋ねたが、ユキナは薙刀を傍らに立て、
「落ち着くんや。まだ終わっとらんでェ」
そう言ってユキナはミオの腕輪を指さした。
銀色に輝いていた腕輪は、いつしか黒ずんだ灰色になっていた。また、腕輪はぐにゃり、と不気味にうねり、アスファルトの地面に落ちた。するとますます変形し、なにか、爬虫類の生き物のような姿をとりはじめた。
「なんだよこれは!」
とユージは声を荒らげた。
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