第35話

 ユージはエンジェルから逃げるように扉に入り、先をゆくミオについていった。ミオの左手首には、先日ユージが買った、銀の腕輪が輝いていた。

 オートカメラはユージの頭上を飛び、懸命に辺りの様子を配信していた。

 ユージの背後にいるユキナが、小さな声で言った。

「どないすんの? ミオ、連れて帰るやんなァ?」

 ユージは小声で答えた。

「いや。この様子だと、無理に引っ張っていくのは危険だろうな。見届けてみようと思ってる」

「見届ける?」

「ああ。ミオが、どこに向かっているのか」

「――せやけど、いくらカレイドやいうても、こんな危険な目に遭うなんて、聞いたことないで」

「そうだな、普通じゃない。……世界の元になっている、ミオの思考が異常なんだろう」

「異常……。なにか、操られてるとか?」

「そうだと思う。奥に、導かれるように歩いているだろ? なにかに呼ばれているみたいに」



 そのうち、ミオの頭越しに出口の扉が見えてきた。ミオは扉を開いて外に出た。その先に見えた外の光景に、ユージはにわかに目を疑った。

「どうして? ここは――――」

「どないしたん?」

 と言うユキナに振り向きもせず、ユージは外に出た。

 そこには、現実世界を思わせる町並みが広がっていた。ユージはミオに追いついて、横に並んだ。

 ユージとミオは歩道に立っていた。脇にはガードレール、その向こうに二車線の道路があり、自動車が行きかっている。目の前には横断歩道と信号機。その向こうに駅の建物があった。

 ユージはおそるおそる、ミオの横顔をのぞきこんだ。ミオは焦点の合わない、ぼんやりとした目つきをしていた。顔色は青く、唇は白くなっていた。

 ユキナが追いついてきて、

「せやから、ここはなんなん? なにだまっとるん?」

「すまない。ここは、ミオが……」

 そう言いさしたとき、ミオがちょうど歩きだした。夢遊病者のように手を前にぶらりと突きだし、横断歩道へと歩いてゆく。信号機は青になったところだ。

「ミオ……。おまえは、なにをしようとしているんだ? ミオ!」

 車道の方から、黒く巨大なトラックがギシギシと音を立てて迫ってくるのが見えた。トラックは車道から右折してきた。ちょうどミオが横断歩道に足を踏み入れたところだ。



 黒光りする鉄の壁のようなトラックが、ミオに迫る。

 ミオの体はトラックのバンパーに激突する。短い悲鳴。妙に鈍い衝突の音。次の瞬間、ミオの頭がフロントガラスにぶつかり、人形のように宙に舞う。ユージは絶叫する。

 ミオ! ミオ!



 ――ユージはそんなふうに、過去の、あのときの情景を思いだす。

 いま、目の前であの悲劇が再現されようとしている。

 ミオが、失われたはずの記憶の断片から、自分の死を見つめようとしているのだろうか。

 なぜそんなことを?

 ユージはあらためて、車道から側道に入ってきた、そのトラックを見た。トラックはミオに向かって突き進む。ミオはそれに気づかない。

 ただひとつたしかなのは、ミオはゴーストであり、ここがヘヴン・クラウドであるとしても、トラックに激突すれば、死んでしまうということ。消滅するということ。

 その瞬間が近づいてきている。

 ユージはとっさに足を踏みだした。


「ミオーー!!」


 ユージはそう叫びながら横断歩道を進むミオに向かって疾走した。ミオに手を伸ばして体を抱きかかえる。トラックの黒い影が交差する。



 すんでのところで、ユージはミオを抱えたまま、トラックの向こう側に転がった。トラックはそのまま進んでいき、その姿は小さくなっていった。

 ユージは腕の中のミオに言った。

「大丈夫か? ミオ……」

 ミオは呆然としながらも、助けを求めるような、哀切な表情をしていた。

「お兄ちゃん……。わたしは、この交差点で。トラックにはねられて、死んだんだね。それで、ゴーストに……」

「ミオ、もう終わったことなんだ。もう、そんなことを考えなくていいんだ」

「ねえ、お兄ちゃん。わたしは、だれなの?」

 すると、ミオは身をよじり、ユージの腕の中から逃れた。それから数歩後ろに下がると、右手を持ち上げた。右手には、電磁ナイフが握られていた。どうやら、ユージの腰のホルダーから、電磁ナイフを抜き取ったようだ。

 ユージの背後からユキナの声がした。

「あかん! ……ミオが!」

 ミオは左手を電磁ナイフの鍔の裏に伸ばした。――そこには戦闘モードを起動するスイッチがある。すぐに電磁ナイフが青く発光しはじめ、スパークが走った。次にミオは、その刃を両手に携え、自分の喉元に近づけた。

 ユージが離れたミオに近づこうとすると、

「こないで」

 とミオは刃を自分の喉に押し上げてさらに近づける。

「ナイフを離すんだ。正気に戻ってくれ。ミオ! いったいどうしたんだ!」

 ユージは懇願するように言った。ミオは目を細めた。

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