第29話
レイカは病室のベッド脇の、簡素なプラスチックの椅子に座っていた。
レイカの容姿は、アバターのときとほとんど同じだった。ただ違うのは、アバター姿は和装風だったことに対して、今は濃い紫色のスカートに、白いブラウスを着ている点くらいだ。
窓は少しだけ開いていた。そこに薄手の白いカーテンがかかり、太陽の光をふくんで輝いていた。
ベッドにはレイカの弟のヒロキが横たわっていた。
ヒロキの頬はこけ、肌は白かった。鼻元に酸素を送る透明なチューブが添えられ、左腕に点滴が刺されていた。
そのとき、病室に近づいてくる足音がして、レイカは顔を上げた。そこには、メガネをかけ、太った青年がいた。彼は青いズボンをはき、黒いTシャツを着ている。顔や腕が汗だくで、腹や胸に汗の染みができている。
「あ、どうも。来てましたか、レイカさん」
と、青年は言った。
「ええ」
「しかしよく、最後まで生き延びましたね! やっぱり、エンジェルはメチャクチャ強い。やばいですよ、あれは」
「そうね。かなり厳しい戦いだった。……でも、シンヤくんの、あの塗料が役にたった」
「あー。どうも。結果として、用意してよかったみたいですね」
「そうね」
「でも結局、エンジェルを狩った報酬は、レイカさんだけに入ったんですね」
「……ええ。ごめんなさい。わたしだけ」
「いや、まあ、仕方ないですよ。それにしても、あの、ユージってやつ、やりますねー」
「ええ。ヘヴン・クラウドの
「ですねー。しかし、あんなふうに、妹を守りながらじゃ、限界がありそうですけどね」
そう言ってシンヤは、ベッドに眠るヒロキを見た。
やがてシンヤはこんなことを言った。
「レイカさんって」
「なに?」
「まだ、道場に通ってるの?」
「そうね。週に二度は」
「剣道はじめたの、中学のときでしたっけ?」
「そうね」
「すごいですよ。しっかり続けていて。おれにはちょっと、できないかな」
「どうして?」
「大変すぎますよ」
「そう? きみみたいに、ヘヴン・クラウドの環境スクリプトをいじりまわす方が、よほど特殊に思えるけど」
「あー。まあ、向き不向きですかね。そういうのって」
「ええ。そんなものかもね。あらためて、きみの魔法も、なかなかだと思う」
「そりゃどーも。しかし、あの、消えるエンジェルじゃ、役に立てなかったですけどね。そして、ペナルティで、おれのルクスをがっつり削られて……」
「まだ、やるでしょ?」
「やるって。天使狩り、ですか?」
「ええ」
「うーん。どうですかね。レイカさんは?」
「そうね。わたしは、やろうと思う」
「リスクも高いけど、効率はよさそうですからねー」
「そうね。早く、ルクスを貯めて、上級市民にならないと
「そうですね。ヒロキのためにも」
「うん。――でも、シンヤくんには、強制はしない。これは、家族の問題でもあるから」
「そすかー。まあ、ヒマなんで、付き合いますよ。実戦での魔法の運用も、試さないといけないんで」
「いいの? 本当は、白暁の森とかにこもっていたいんじゃないの?」
「あー、まあそうですけどね」
「ありがと。きみはヒロキの、ほんとうの友達なんだね」
「え……。あー、腹減ったんで、なんか食ってきますよ、おれは」
と、シンヤは照れるように頭を掻いて、背中を見せた。
* *
ユキナは家を出て、となりの道場へと向かった。ユキナは白いTシャツに黒いスパッツを穿いていた。
その道場は二階建てで、ユキナの住居と隣接していた。道場の敷地は石垣に囲まれており、石が敷かれた駐車スペースが六台分あった。
道場は木造で、屋根には鼠色の瓦が輝いていた。入り口の右手には、『
道場はしっかりと保守されており、きれいなものだったが、どこか寂しげな気配が染み付いていた。
ユキナは道場の鍵を開けて中に入った。蒸すような空気には、木とニスのにおいがまじっていた。
ユキナは白いスニーカーを脱いで、並べて下駄箱に入れた。それから内扉の向こうの練習場に入る。
正面には神棚があり、壁には練習用の薙刀を中心とした武道具がかけられている。
練習場の内部はほの暗く、外から漏れてくる太陽のとぼしい光が、いっそ道場の内部を哀れな感じにしている。
円い壁時計。表彰状。代々の後継者の写真。カレンダー。ディスプレイ。そんなものが周囲に見える。
それに、天井や壁にホログラム投影機もあった。小さな黒いキューブ型のものだ。
ユキナは入り口の右脇の壁にかかったタブレット端末に近づいた。そこで、いくつかの操作をする。
すると、ホログラム投影機から、カチリ、と小さな音がした。やがて、練習場の中央の床に道着姿の中年男性が現れた。男性は薙刀を構え、様々な型を演じて見せた。
彼こそは、四年前に他界した、ユキナの父親だった。
ユキナは薄暗い練習場の中で、しばらく父親の演武や型を見ていた。涙が出てきそうになると、壁にかかった薙刀をとってきた。そして、父親の型を写すように、自分も同じように動いた。
父親の代では道場生が八人となり、ユキナが道場を継いでから、ついに誰もいなくなった。
「
ユキナはそうつぶやきながら、薙刀を振った。
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