第10話

 ユージはミオを見つめていた。

 ミオはひざまずいて、エンジェルの体に手を当てて、目を閉じていた。エンジェルのために祈るミオを見て、ユージは戸惑った。いったいミオはなんのつもりなのか。天使が人間に弔われ、憐れみを受け、なんになるというのだろう。


 エンジェルの全身が黒ずみ、消えていこうとしていた。ヘヴン・クラウドの中で力つきたアバターと、同じような消え方をするようだった。

「ここを離れよう」

 と、ユージが言うと、しばらくしてミオは顔を上げた。

「……うん」

 そうこうするうちに、離れた街灯の上から低い振動音がした。再び、夜が凝縮されたような空間のひずみが生じた。

「ミオ、いくぞ。このヘヴンから出る!」


 ユージはミオの手を引いて石畳の上を走った。

 途中で振り返ると、あらたなエンジェルの黒い姿が中空に顕現したのが見えた。それからはもう、振り返らずに走った。

「早く! 別のヘヴンに転移する」

「わかってる。待って、お兄ちゃん……」

 背後からは硬質な足音がせまってくる。

 やがて港町の端の方まできて、エントリーゾーンに入った。

「ミオ! 急げ。追いつかれる!」

 そう言ってユージは強引にミオを引き寄せると、視界に転移用のメニューを展開した。自分ひとりだけならヘヴンから離脱すれば終わりだ。しかしミオがいる。ミオを安全なヘヴンへ送り届けねばならない。ゴーストであるミオは、ヘヴン・クラウドから出ることができないのだ。

 ユージは直接転移可能なヘヴンを手早く選んだ。ここを離れられればどこでもよかった。転移先は『白暁はくぎょうの森』というヘヴンだった。

 視界が真っ暗になり、眼前には『Now transporting.』の表示がまたたく。




 ユージは森の中でミオを探した。そのとき、やや離れた場所にミオの姿が現れた。ミオはあたりを見回してからユージをすぐに見つけたようで、安堵の表情で近づいてきた。

 そこは明るい森の中だった。土や緑のにおいが満ちている。


 頭上に照りつける太陽の光は枝葉を透かし、地面に薄い影を落としていた。森の中をわたる風は木々をゆすり、心地よい葉擦れの音とともに地面の影を踊らせた。遠くで鳥や獣の鳴き声がした。

 ユージはしばらく身をこわばらせていたが、どうやらエンジェルから逃げられたらしいことを確信し、ため息をついた。

 それからミオの不安そうな顔を見ながら、

「まいったな。なぜエンジェルが、いきなりミオに襲いかかってきたんだろう」

 ミオは顔を横に振った。

「わからない。昨日、リュートをかばったからかな?」

「どうだろう。それはもう、解決したはずだから」

「うん……」

「奇妙だな。役所のコンピューター端末よりも融通のきかない、あのエンジェルのやつらだって、とにかく一定の規律によって動いているはずだ。それこそ、ドグマと、やつらの神の命令によって。それが、いったい、どうして? なにか、心あたりはあるか?」

「ううん。……わからない」

「そうか。そうだよな」

 ユージはあきらめて、再び森を見回した。

「いつまでも、エントリーゾーンにいるのはよくないな。とりあえず、進もう」

「うん」

「ミオ、おれは」

「え?」

「しばらくおれは、ヘヴン・クラウドにいるよ。おまえをひとりにしたら、エンジェルどもに見つかったときに、危険だからな。だからさ、安心しろ。おれは、いつでもそばにいるから」

「うん。ありがと……」

 ユージはミオの横顔を見ながら、ヘヴン・クラウドの中で暮らすということがどういうことなのか、想像をめぐらせた。ミオたちゴーストは、ヘヴンをわたりながら、その中でずっと暮らしている。ユージの背筋が寒くなる。まるでゴーストの仲間入りをするような気分だった。


 森の中を進んでいくと、突如として女の声がした。

「ちょっと、じぶんら、どこ行くん?」

 横を見ると、大木に寄りかかっている大柄な女が、おどろいた表情をしていた。

「じぶんらも、賞金稼ぎ? ……いや、そのわりに、けったいな取り合わせやなァ」

 と言うその女の姿に、ユージは思わず目をうばわれた。

 浅黒い肌に露出の多い毛皮のビキニ。

 脚や胸元にバラとドクロの入れ墨。

 ややくすんだ黄金色の長髪はライオンの毛並みのようにうねっている。

 ふくよかな唇に、大きなくるくると動く両目。

 その背中には、薙刀の柄のような武器が見えた。おそらく、戦闘時にエネルギー状の穂先が生成されるのだろう。

 ステータス表示のバルーンを見ると人間のアバターのようだ。その名は『ユキナ』というらしい。

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