第9話
ユージは静かな夜の港にいた。
星々の下、波打つ水面は港の光を反射して茫洋と揺らいでいた。そこは港町をモチーフにしたヘヴンだ。
海沿いの道には金属の手すりがのび、下には石畳がずっと続いている。
横にいるミオはじっと目を閉じていた。きっと、ささやくような波音に耳をかたむけているのだろう。
「昨日、バーに行ったんだ」
と、ユージは言った。黙っていると、ミオがそのまま遠くに行ってしまいそうに思えたからだ。
ミオは目を開けて、
「バー?」
「うん。ウイスキーとか、カクテルを。……お酒を飲むところ」
「知ってる。ヘヴンにもあるから。行ったこともあるよ。アルコールを飲んでも、ヘヴン・クラウドじゃ、たぶん現実みたいには、酔わないけど」
「そうだろうな」
「一回、酔ってみたかったかも」
そこでユージはなにも言えなくなった。酒を知る前に十五歳でミオは事故に遭った。いや、生きていたとしても、酒などは飲まないかも知れない。それでも、可能性はあった。生きてさえいれば。
「やめよう、この話は。……それより、ミオ。こんど、宇宙旅行を体験できるヘヴンに行ってみないか?」
「宇宙旅行?」
「そうだよ。そこでは、宇宙船に乗って、銀河系の色々な惑星に着陸できる」
「そう、楽しそうだね」
と、ミオは一瞬だけ笑って、また再び目を閉じた。
ユージはこのとき、何者かに見られているような、気味の悪さを感じた。周りを見回すが、あたりには港の眺望と、石畳が続いているのが見えるだけだった。
そのとき、ミオはふいに目を開けた。警戒する猫のように大きな目で。ユージはぎくりとした。ミオのこんな表情を見るのは、はじめてだった。
すると、やや離れた石畳の上で、ブゥン、という低い音がした。街灯の光が吸い込まれるように、突如としてそこに濃い闇の塊が発生した。
ユージは上ずりそうな声で、
「たぶん、ゲートだ。ミオ、下がれ」
そう言って電磁ナイフに手をかけた。視界に警告表示が出る。
『心拍数が上昇しています』
こめかみや顔が熱くなってくる。
やがてゲートがあった場所に、夜が形を得たかのような、大きな黒衣が閃いた。
エンジェルはヘヴン・クラウドの物理演算を冒涜するかのように、ゆるりと宙を舞って石畳に着地する。黒いローブのすそを跳ね上げ、ギザギザと波打った刃の、白い長剣を構えた。昨日のリュートを襲ったものと同じ外見だ。
ユージは電磁ナイフを抜き、ミオの前に立った。
そうしながら、なぜいま、ここにエンジェルが現れたのかを思案した。
その理由がない。
だれを罰するというのか。
なんのために?
しかし、エンジェルの視線はミオに落とされていた。
「なんの用だ」
とユージは問うも、エンジェルは黙ったまま、剣を振り上げた。そびえる長躯のさらに上に鋭い剣の輝きが見えた。
ユージは青く光る電磁ナイフを眼前に構えた。光に目がくらまないように、やや低い位置に。
気がつくとエンジェルが目の前にせまっていた。
長剣が落ちる。
ユージは電磁ナイフで弾く。あまりに重い攻撃。
二撃、三撃。――激しい光と音が散る。
エンジェルは右手の長剣だけでなく、左手を振り回してきたり、踏みつけてきたりもした。
人間が相手のときと違い、動きが読めない。心が読めない。
それでも五度目に大振りの攻撃がきたとき、ユージは相手の懐に飛びこんだ。そして、眼前の白い腹を横に薙いだ。エンジェルは左手を突き出してきたが、それをかわし、こんどは左胸に電磁ナイフを突き立てる。
バチバチと金属を焼き切る音。焦げた臭い。
エンジェルは身をよじり、異様な叫び声を上げる。暴走したエンジンのような、狂った象の鳴き声のような、呪わしく耳障りな声を。
白い長剣が石畳に落ちて鈍い音をたてた。エンジェルはまるで決められた手順であるように、がくんと膝をつき、前のめりに倒れた。
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