第5話 追放魔術士と魔女の出会い 後編
自分の店に帰ってきたレナードはやれやれと息を吐いた。
彼と、その後ろにいる女性を見て、留守番をしていた老婆が声を上げる。
「あれま。ナンパしてきたのかい?」
「気が立っている相手に冗談はやめてくれ」
言いながら、レナードは魔女に席へ座るよう勧めた。彼女はレナードからも老婆からも距離をとり、カウンター席の端に腰を下ろす。
「そんなに
「……」
「年の離れた女に迫るような、気色悪いオヤジでもないつもりだ」
相変わらず、魔女の目には険があったが、食って掛かってくる様子もない。
「一先ず、落ち着くまでここにいればいい」
そう言うと、レナードは鍋に牛乳を入れて火にかけた。作業の片手間に、老婆にこれまでの
「そりゃ、災難だったね」
老婆は気の毒そうに言った。
「美人というのは大変なものだよ。私も昔は色々と苦労したものさ」
皺くちゃな顔でしみじみ
「ほら、これはおごりだ」
レナードが差し出したマグカップを見て、魔女は眉をひそめる。
「ホットミルク?ここは酒場でしょう。それとも、私はこれが似合いのお子様とでも言いたいのかしら」
やっと口を開いたと思ったら、ずいぶんと
あらゆる物に警戒し、敵意をむき出しにする様子は、なんだか毛を逆立てた猫のようだ。
そんなことを思いながら、レナードは肩をすくめてみせた。
「他意はない。カッカッしているときは、酒なんかよりもこっちの方が良い。そう思っただけだ」
「……」
魔女はじっとホットミルクを
「……美味しい」
ふっと彼女の表情を柔らかくなる。
「そうか」
「普通のミルクじゃない。ちょっと、変わった味がする……」
「スパイスがいくらか入っているんだ。そこの婆さんの店で買った」
「……そう」
それからしばらく、彼女は無言のままホットミルクを飲んでいた。
やっと落ち着いたのか、ずいぶんと魔女の表情が穏やかなものになると、
「……助けてくれて、ありがとうございました」
オズオズと彼女はそう言った。
「言いたくなければいいが、君は協会の魔術士だよな?」
「はい。といっても、まだなり立てだけれど」
「階級は?」
「四つ星」
うーむ、とレナードは
先ほどの道楽息子との戦いを見る限り、彼女の実力は『四つ星』とは思えない。それよりも、ずっと上だ。
上級魔術士と言われるのは『五つ星』からだが、彼女ならさらに上の『六つ星』でも難なく合格しそうだった。
それから、ぽつりぽつりと魔女は事情を話し始めた。
協会認定の魔術士になったのは、つい先日のこと。どこかの派閥や組織に所属しているわけではなく、フリーの魔術士というやつらしい。必要に応じて、協会からの依頼を受け、金銭を稼ぐスタイルだ。
それを聞いて、レナードの眉間にしわを寄せた。
「もしかして、これからこの街で仕事するのか?」
「そのつもりだけれど?」
「そいつは困ったことになるな……」
「どういう意味?」
レナードは魔女に無礼を働いたのが、この街の協会支部長の息子であること。その彼ともめたせいで、今後彼女が仕事を受けるのに支障があるかもしれないこと――を説明した。
「先に仕掛けてきたのは向こうなのにっ!」
魔女の声には怒気が含まれている。
「気持ちは分かるが、そういう業界だ。さらにフリーの魔術士というのは、どうしても立場が弱い。いっそ、協会のどこかの派閥に所属してみてはどうだ?」
「……群れるのは苦手なのよ」
「なるほど」
レナードは思案した。
どうやらこの魔女は、人間嫌いで人づきあいも苦手らしい。そんな彼女がこれからフリーの魔術士として、上手くやっていけるだろうか……はなはだ疑問だ。
元来、魔術士のコミュニティは密だ。師弟関係や横の繋がりが重要視されるため、人間関係を上手く構築できるスキルがないと苦労する。
また、コミュニケーションを苦手とする彼女には、その美しさも、むしろマイナスに働くかもしれなかった。今日みたいにろくでもない男を
そこでレナードは提案した。
「なら、上級魔術士の試験を受けてみては?」
「上級?」
「正直、君なら『六つ星』の試験をパスすると思う」
魔術士は人間関係以上に、その魔術的能力を重視するものである。弟子をとるのも、己が魔術を次世代に伝えたいという気持ち
だからこそ、『一つ星』から始まって最高位に『七つ星』を戴く称号には意味があった。
上級魔術士と言われる『五つ星』以上の割合は、全体の一割に満たない。そのため、上級魔術士は皆から羨望のまなざしで見られる。
上位の称号を得ることができれば、人付き合いが壊滅的なこの魔女にとって、これ以上ない後ろ盾になるだろう。
レナードの説明を聞いて、魔女は興味を示した。
「どこでその試験を受けられるかしら」
「上級魔術士の試験は協会本部でしかやっていない。つまり、第一大陸まで行かなくてはな」
すると、魔女の表情がみるみる曇った。
「どうした?」
「受験料はともかく旅費が……そこまで持ち合わせがないから。どうにかして次の仕事を見つけないと」
「ふむ……しばらく待ってろ」
レナードは店の奥の扉を開けると階段を上り、二階の
それから二十分ほどして、レナードがやっと戻ってきた。手には一枚のメモを持っている。彼はそれを魔女に差し出した。
「これは?」
「飛行船乗り場と乗船時間について書いてある」
「飛行船?」
「知り合いに飛行船の船長がいる。明後日からちょうど協会本部へ向けて飛ぶ予定らしい。それに君が乗れるよう頼んでおいた」
「でも私、お金がないわ」
「君は飛行船の護衛魔術士として働くんだ。それが旅費代わりになる。なに、君ほどの手練れなら空の魔物も問題ないはずだ」
「……」
魔女は信じられないというようにレナードを見る。
「どうする?行くか?」
「……ええ、ええ!もちろん!ありがとう!!」
彼女は笑顔になり、レナードからメモを受け取った。
先ほどまでとは打って変わり、明るい表情になった魔女を見て、老婆は笑った。
「良かったねぇ」
「はい」
「それじゃぁ、次は私の家に行きましょう。お化粧を教えてあげるわ」
話の意図が分からず、「なに?化粧?」とレナードは困惑する。
「さっき、話していたのよ。この子はお化粧をするべきだって」
「……別に今のままでも十分なのでは?」
女性の化粧について詳しくないが、魔女は今のままでもお釣りがくるほど美人だ。レナードがそう思っていると、
「分かってないわね」
老婆が呆れたように言った。
「お化粧はね、色々と目的があるのよ。美しく見せるためのものや、男性に好かれるためのもの。そして、強く見せるものもあるわ。この子は隙の無い美人になるの。男がおいそれと話しかけられないような、ね」
「まるで武装だな」
目の前の魔女は化粧気がなく、まだ幼さが残っている。そんな彼女がどう化けるのか、少し興味があるな――とレナードはふと思った。
レナードは老婆と一緒に店を出て行く魔女の背を見送った。
「君、達者でな」
すると、魔女が振り返る。
「アウローラ」
「ん?」
「私の名前はアウローラよ」
それがレナードとアウローラの出会いである。
そして数か月後、アウローラは『七つ星』の称号を引き下げて、再びレナードの前に姿を現したのだった。
*
閉店後。階段を下りる足音がして、レナードは店の奥を見た。ほどなくして扉が開き、寝ぼけ
「お店は?」
「もう閉めたよ。今は片付け中だ」
「そう」
アウローラはあくびをかみ殺しながら、カウンターのスツールに座った。
「何か食べるか?」
その質問に、アウローラは首を横に振る。
「じゃあ、飲み物は?」
「……あのホットミルクがいい」
「あいよ」
レナードは鍋で牛乳を沸かし始めた。
「化粧はとったのか?」
「寝る前にね。さっぱりしたわ」
そう話すアウローラの表情は、いつもより柔らかく、また幼く見える。
「ほら、熱いから気を付けろ」
陶器のマグカップに入ったホットミルクを差し出すと、アウローラはそれに口をつけ、ゆっくり
「やっぱり美味しいわ、これ」
追放魔術士の日常 猫野早良 @Sashiya
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