第4話 追放魔術士と魔女の出会い 前編
十年ほど前、魔術協会から追放されてしまったレナードは、魔術士の職を諦めて、第二大陸のカレーニナという街で酒場を営んでいた。カウンター席の他は、テーブル席が三つあるばかりの本当に小さな店である。
店で働くのは店主のレナードだけで、従業員はいない。
彼の外見はどう見ても接客業に向いているとは言えなかったが――体は大きく逞しく、おまけに目つきが悪い――それでも三十路の男が一人生きていくには十分な収入を得ていた。
昼のピークを終えて、レナードは伸びをした。伊達メガネを外して、眼球周辺を揉む。
レナードの店は酒を提供するのが主だが、彼の作る料理は中々の評判で、ランチ時には常連客で狭い店がいっぱいになっていた。
その忙しさも収まって、今店内にいるのはカウンター席に座る子連れ客だけだった。
彼の名前はジェイクといい、レナードが協会で魔術士をしていた頃の後輩だ。連れている子供はロイという名前で、ジェイクの弟子であり、また実の甥でもある。
今日のランチは、自家製の腸詰とごろごろ野菜のポトフで、二人もそれを食べていた。
「このポトフ、旨いッスねぇ。腸詰はもちろん、野菜も新鮮で良い」
「先生が野菜を残さず食べるのめずらしいね」
「こら、ロイ。そんなことバラすんじゃない」
相変わらずの師弟のやり取りを見て、レナードは顔をほころばせる。
「その野菜は裏の婆さんのところで買ったものだ。あそこの野菜は旨いんだ」
その時、店の扉が開いた。
「お客さん、悪いがランチは売り切れ……って、アウローラか」
入って来たのは、黒く長い髪を一つに結い、ぴったりとした黒い革のツナギを着た若い女性だ。
彼女の名前はアウローラ。
道を歩けば振り返られるほどの美人であり、また『最強』と評される魔女だった。
いつもしっかりしたメイクで武装し、付け入る隙もないようなアウローラだが、この日は妙に疲れた表情をしていた。
「悪いけど、ベッドを貸して。仮眠させてちょうだい」
「えっ、おい」
止めるレナードの声も聞かず、アウローラは店の奥に向かった。奥には二階に続く扉があって、彼女はそこからとっとと階上に行ってしまう。この店は三階建てだが、二階から上はレナードのプライベート空間だった。
店内に奇妙な沈黙が下りた後、ぼそりとジェイクが
「やっぱり、レナード先輩とアウローラさんって……そういう関係?」
「そういうって、どういう関係だ」
「ロイの前で言わせないでください。教育に悪いっス」
レナードは深々とため息を吐く。
「言っておくが、お前の考えているようなことは断じてないぞ」
「え~?」
「そもそも年齢が違いすぎるだろう。十歳以上は確実に離れている」
「それくらいの年の差なんともないっスよ」
「とにかく、俺たちはそういうんじゃない」
実際、レナードとアウローラの間に色めいたことは一切なかった。
一方で、ただの店主と常連客というには距離が近いということは、レナードも自覚している。
では、二人はどういう関係か――と聞かれれば、年下の女友達という風に表現するしかなかった。
――そういえば、アイツと知り合って、もう一年半くらい経つのか。
レナードはアウローラとの出会いを思い返した。
*
「今日はタマゴダケがおすすめだよ」
レナードが店頭に並んでいる野菜を選んでいると、老婆が声をかけてきた。彼女はこの青果物店を一人で切り盛りしていて、彼の店の常連客でもあった。
一方、レナードの方も老婆の店と懇意にしている。ここの野菜は新鮮だし、珍しいハーブやスパイスまでそろっているからだ。
「ふむ。今日の付け合わせはタマゴダケのバター炒めにするか」
「それは美味しそうだねぇ」
不意に、「すみません」と声がした。二人が振り返ると、若い女性が立っている。
まだ二十そこそこの、ぱっと目を引くような整った顔立ちの女だった。ただ、化粧気がなく、美人だが垢ぬけない感じがする。田舎から出てきたばかりの若者――といった様子だ。
「これください」
彼女は無表情で赤いリンゴを指す。それから代金を払うと、さっさと店を後にした。
レナードと老婆は顔を見合わせる。
「見ない顔だったな」
「そうだねぇ。あんなべっぴんさん、一度見たら忘れないもの。しかし、あの様子じゃあ、ちょっと苦労するかもね」
「苦労?」
「そうならないと良いけれどねぇ」
そのとき、レナードは老婆の意図するところが分からなかった。それが分かったのは、数日後のことである。
その日は、青果物店の老婆がレナードの店で遅い昼食をとっていた。そこへ慌ただしく、初老の男性が店に飛び込んでくる。彼もまた、この店の常連の一人だった。
「よかった!レナードさん、いてくれたか」
「どうしたんだ?そんなに血相を変えて」
「喧嘩だよ!街中で魔術士同士の喧嘩だ!」
「なに?」
「協会支部長のドラ息子と魔女がやり合っているんだが、止めようにも、わしらじゃ手に負えんくてな。レナードさんが仲裁してくれないか?」
「しかし……」
レナードはちらりと老婆を見た。
「行っておやりよ。店番はしておくから」
「分かった」
レナードは初老の常連客に連れられて、現場へ向かう。道すがら、事のあらましをざっと聞かされた。
きっかけは、この街の魔術協会支部長の息子――道楽息子と評判のろくでなし――と、その取り巻きが、ある女性をナンパしたところから始まったらしい。女性は彼らを相手にせず無視するが、道楽息子たちは諦めず、
そして、そろそろ周囲が止めに入ろうとしたところ、
結果、女がブチ切れた。
「自業自得じゃないか」
ガクンとやる気を失くすレナード。暴言を吐かれ、セクハラまで働かれれば、そりゃ女の方も頭に血が上るだろう。
「それはそうなんだが、魔女の腕がたちすぎて、あまりにも一方的な喧嘩でのぅ。あのままじゃ、男どもを殺しかねん」
「そりゃ、すごいな」
道楽息子はどうしようもないろくでなしだが、確か『三つ星』ランクの魔術士だったはずだ。そしてその取り巻きたちも、魔術の心得は当然あるはずで――。
そんな
「感心している場合か。本当に殺しに発展してしまったら、魔女の方もかわいそうだろう」
「それは確かに」
レナードは
街の中心から一本奥へ入った通りに人だかりができていた。その中心に、数人の男と一人の女の姿がある。
「あっ」
女の顔に、レナードは見覚えがあった。先日、青果物店で出会った美人である。
彼女は険のある表情で、対峙する男――魔術協会支部長の愚息だ――を
一方、その道楽息子は見るからに動揺していた。彼の周りには――おそらく、相手の魔女にやられたのだろう――取り巻きとみられる男たちが気を失って倒れている。
道楽息子からすれば、仲間が皆やられてしまって、残りは自分一人。絶体絶命のピンチというヤツだ。それで血迷ったのか、彼はただの喧嘩で使用するよう代物じゃない、殺傷力抜群の魔術を唱えだした。
「――揺らめく赤い炎よ、集まりて敵を焼き尽くせ――
赤い炎の玉が魔女向けて飛んでいく。周囲の野次馬からは悲鳴が上がり、人々は逃げ出す……が、魔女の方は一切避ける気配を見せなかった。ただ、その右手をかざす。
突如、魔女の前に魔障壁が現れたかと思うと、それに衝突した火炎球が四散した。
高度な防御魔術だ。しかし、レナードが驚いたのは、彼女が無詠唱でそれを発動させたことだった。
――何者だ?
レナードは
「……」
「ヒッ!謝る、あやまるからっ!殺さないでくれ!!」
男が命乞いをするが、魔女はまた一歩距離を詰めた。どうやら頭に血が上っている様子で、彼女はまた右手をふりかざす――その腕を背後からレナードが掴んだ。
「落ち着け」
「――っ!」
すぐさま魔女は身をひねったかと思うと、レナードの
「俺に敵意はない」
「……」
無言のまま、こちらを
「周りを見ろ。これ以上やれば、君の立場が悪くなる」
そこでようやく、彼女は自分の状況を理解したらしい。恐怖の目で
ほどなくして、騒ぎをききつけたのか誰かが通報したのか、警官たちがぞろぞろと集まってきた。レナードはその中に知り合いの巡査を見つける。
「この女が俺を殺そうとしたんだ!」
警官たちが来るなり、道楽息子はそう叫んだ。
このままでは魔女一人が加害者になってしまうかもしれない。そう危惧したレナードは、知り合いの巡査に事情を話す。
「彼女を暴行しようとしてやり返されたんだ。彼女は少々やり過ぎたとは思うが、見逃してやってくれないか」
そう言って、魔女を弁護する。
「おい!まさか犯罪者を見逃すわけじゃないよな?」
「ちなみに、コイツは街中で火炎球をぶっ放した」
巡査は道楽息子とレナードを見比べると、小さくため息を吐いた。それから、シッシッと手で払う仕草をする。
「行って良いとさ。おいで」
「……」
レナードが魔女を
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