022 治安と料理とお宿決定
エーヴァと名乗った女性は案内所の所長で、家政ギルド長の奥さんだった。
案内所を他の職員に任せ、僕を宿まで案内してくれる。交渉を頼んだからだけど、所長自らとは有り難い。とはいえ、申し訳ない気持ちにもなる。
僕が恐縮してると、エーヴァさんは笑って手を振った。
「気にしないで。ちょうど良かったの。実はねぇ、成人したばかりの息子が宿で働いているの。ちゃんと働けているのか、実際に見てみたかったのよね。ふふ、楽しみだわ」
「それは――」
なかなかエグい。僕なら嫌だぞ。母さんが職場見学に来るんだよ?
絶対無理。
「あら、カナリア君も男の子ね。うちの子と同じ顔をするじゃない。恥ずかしがらなくてもいいのに」
「いや、そういうのじゃないです」
「あらあら」
軽く話しているうちに、現地に到着した。
ちなみに、紹介してくれる予定の三軒のどこに息子さんがいるのかは教えてくれなかった。忖度があるとダメだからかな。
いや、むしろ避ける可能性を恐れているのかも?
とにかく、徒歩数分の範囲に三軒はあった。
エーヴァさんは少し離れた場所から指差しで教えてくれた。
「この地区は、下町に近い割には安全よ。飲食店通りからも離れていて夜は静かだし、すぐ隣の通りには貴族向けの店が並んでいるから、見回りも頻繁にあるわ。女子供にとっては安心できる場所ね」
「デメリットもあるんですよね?」
「ええ。飲食店が離れているから、外食したい人にとっては困るわね。朝市が開かれる広場まで徒歩で五分。大きな朝市のある広場までだと十五分かしら。それと、護衛を雇っている宿が多いの。その分、下町に近い地区としては料金が少々高めね」
「自炊はできるんですか?」
「どの宿にも一階にキッチン付きの部屋はあるわよ。ただ料金は高いし、人気があって空きは少ないと思うわ」
うーん、まあ、僕は料理を作るのが好きなわけじゃないしな。一通り仕込まれているけど、作るより作ってもらいたい派。
とはいえ、外食ばっかりなのも飽きそうだ。
「お料理がしたいのなら庭を借りるという手もあるけれど、キッチン自体を借りるという手もあるわよ?」
「そうなんですか?」
「家政ギルドでは大小様々な調理用スペースの貸し出しも行っているの。会員たちの腕が鈍らないようにね。もちろん、他にも家政に関わる部屋が揃っているわよ」
「わぁ、便利ですね。あ、会員じゃなくても借りられますか?」
「ええ。優先順位は会員にあるけれど、予約さえすれば後は一緒。ギルド内にあるので、宿からも近いと思うわ」
「良いことを聞きました」
ここまで徒歩五分ぐらいだった。その距離なら全然いける。
時間貸しというのも有り難い。たまーに料理スイッチ入った時に借りるのもアリだな。僕の場合はまとめて作って魔法収納庫に入れておけば問題ないし。
ちなみに宿は即行で決まった。
価格帯はどこも同じなんだけど、外観や雰囲気で「ここがいいです!」と僕が一目惚れしたからだ。交渉でアウトだったら二番目の宿にするつもりだった。なのに、エーヴァさんの姿を見ただけで女将さんが「ご新規さんかい? ようこそ」って簡単に……。
ニコニコ笑顔だし、今朝の高級宿の態度と全然違うんだけど。
「じゃあ、宿帳に名前や日数を書いておいてね。お茶を淹れてくるよ。エーヴァさんも休憩していきな」
「ありがとうね。カナリア君、ここのお茶は美味しいのよ。楽しみにね」
「あ、はい」
しかもアットホームすぎる。
建物は五階建てで、外側は石造り。ドアや窓枠はダークブラウンの木製、アンティーク調。中も厳めしいのかなと思ったけれど、外から覗いた時のカーテンレースが可愛かったんだよ。繊細なレースで、よく見ると動物のモチーフがそこかしこにあるんだ。
二階や三階の窓を見れば露台に鉢植えが置いてある。窓枠にも彫りが見えた。玄関から覗く受付台もレトロ可愛い。
待合室に置いてあるテーブルや椅子も猫足でさ、めっちゃ好みなんだ。
全体の家具の色合いはダークブラウンで統一されているのに、細かい装飾や小さな置物なんかがどれも可愛くてツボすぎる。
ここしかないって思ったよね。
宿帳に書き終わって待合室を見回していると、裏の扉から少年が入ってきた。
「げっ、母ちゃん、マジで来たのかよ」
「お客様の前ですよ?」
「あっ、すみません。えーと、騎鳥がいると聞いたんですけど」
「口調がダメね。やり直し」
「……獣舎に連れて参りますので、騎鳥をお預かりしてもよろしいでしょうか」
あー。少年の心の内が理解できてしまう。僕はもう何と言っていいのか分からなくなりながら立ち上がった。
「あら、カナリア君は座っていてもいいのよ?」
ホテルのバレーサービスみたいなものだと思うけど、僕は僕で付いていきたい理由があるのだ。
「ちょっと説明したいことがあって。彼に獣舎まで案内してもらいます。よろしくね」
「あ、はい」
エーヴァさんは納得し、僕と息子さんに手を振って見送った。
息子さんはサムエルと名乗り、チロロを見て目を丸くした。
「珍しいでしょ? それに食事についても伝えておきたいことがあって」
「そうだったんですね。最初にお伺いすれば良かったです。申し訳ありません」
「ううん。それより、お母さんが仕事場に来るなんて大変だよね」
「あー、いえ、その」
「ごめんね。僕が宿との交渉を頼んだから。あ、できれば普通に話してもらえると助かる。同い年だし、田舎から出てきて寂しいんだ」
サムエルは戸惑っていたけれど、僕が「寂しい」と言ったことで小さく頷いた。
優しい子みたいで良かった。
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