第19話 二番手

 四回表の攻撃は、結局1点止まりだった。


 俺の後に続く六番の真鍋がサードゴロに打ち取られ、チェンジ。結局2対2の同点止まりで終わってしまう。


 追い越せなかった以上、こちらはもう相手に点を与えたくないところだが、小浜はこの時点でかなりヘロヘロだった。

 四回裏、先頭の九番、射水こそ三振に打ち取ったものの、一番、二番に連続で四球を与えてしまう。


 もう小浜は無理だ。

 幸い、監督も同じ判断だったらしくベンチに動きがあった。投手交代が宣言され、二番手投手の魚沼がマウンドに上がってくる。


 交代を告げられた小浜は悔しそうな、怨みがましささえ滲んでいるような目をしていたが、素直にボールを魚沼へと渡した。


「すみません、後はお願いします」


「あいよ」


 対する魚沼は鷹揚に頷く。


「……すみません」


 顔をうつむかせ、再度謝罪の言葉を口にした後に、小浜はベンチへと戻っていった。

 その後ろ姿を見届けながら、魚沼は首を傾げていた。


「別に、2回も謝るほどひどいピッチングじゃなくね? 2失点程度なら。四回投げ切れねーのはちっとさびしーけど」


「そこはお前も人のこと言えないだろ、二番手」


 俺がそう指摘すると、魚沼はむっとした表情で言い返してきた。


「俺はリリーフを任されてるからやってるだけで、四回程度でバテたりしねーっての。完投だって余裕だわ!」


「いや完投は無理だろお前」


 スタミナは確かにあるのだが、常に全力投球しかできない。

 完投できるほどペース配分が上手ければ先発に回されてる……いや、コントロールが荒れてるし球種が少ないから、やっぱり先発は無理だな。リリーフで何も考えず腕を振らせるのが一番力を発揮できる。


「いやできるって!」


 当の本人はこうやって否定しているが。


「まあ、お前のスタミナなら実際投げれるかもしれないが……今はそこはどうでもいいよ。目の前の相手に集中してくれ」


「お前から言い出したんだろうがぁ」


「ああ悪かったよ。なにはともあれ同点だ。これ以上点はやりたくない」


「分かってるよ。当たり前だろ?」


 魚沼がそう言って鼻を鳴らす。


「打たれるつもりでマウンドに上がる投手なんているわけねーだろ」


「ああ、それでいい。いつもどおり俺のミット目がけて思いっきり投げろ。そうすりゃお前の球はそうそう打たれない」


「わーってるよ」


 さっさと戻れ、そう言いたげにグラブをはめた左手で俺を追い払うような仕草をする魚沼に苦笑しながら、俺はキャッチャーボックスに戻った。


『プレイ!』


 試合再開。ワンナウト、ランナー一、二塁で、打席には三番打者の高岡。

 高岡はここまでノーヒットとはいえ、油断できるバッターでないのは明らかだ。

 頭に痛みを覚えるほどにハードなシチュエーションだが、リードする投手が魚沼である以上、悩むほどの選択肢がない。このことを喜ぶべきか悲しむべきは悩ましいが。


 指示する球種はストレート。構えるミットの位置はど真ん中。ただし本当に真ん中に来ることはほとんどない。


 振り下ろされた右腕から放たれたストレートが、荒々しく18.44メートル間を駆け抜ける。

 高岡のスイングを潜り抜けて、魚沼の速球はミットに収まった、のだが、


(よりによって本当に真ん中に来るなよ……)


 いや、ミットを構えた位置はど真ん中なのだから、魚沼に怒るのも見当違いなのだが、どうせ真ん中になんか来ないだろうと思っていたところにど真ん中は心臓に悪い。


 まあいい、とにかく1ストライクだ。

 ど真ん中で空振りが奪えるのなら、まだストレートで押せる。


 そう判断してのストレートで、実際に2つ目のストライクを奪うことができた。振り遅れた打球が、ライトファールゾーンへと切れていく。

 さあ、三球で決めるぞ。


 要求するのは、魚沼が投げられる唯一の変化球。

 捻る動きも抜く動作も必要ないから、ストレートと同じ腕の振りから、そのボールは放たれる。


 違うのは、最後に小さく落ちることだ。

 この打席で、高岡のバットが初めて魚沼のボールの上を通った。


 スプリットフィンガーファーストボール。

 要は変化が小さくて速いフォークだが、このボールと140キロ台のストレートという二球種で押し切る典型的なパワーピッチが魚沼のピッチングだ。

 それしかできない、とも言えるが。


 厄介な三番を三振で打ち取れたのは上々だが、その後ろにはもっと厄介なのがいる。


『四番、ライト、築城くん』


 ランナー二人を置いてホームランなんか冗談じゃない。

 馬鹿正直にストレートなんか投げさせられない。ボールになってもいいから初球はスプリットだ。

 俺のサインに魚沼が不満そうに顔をしかめながらも頷く。

 いや、顔に出すな馬鹿。


 とにかくボールは放たれた。

 コースは悪くない。真ん中よりだが低めに放たれていて、ここから落ちればストライクかボールの狭間の高さに決まる。これなら振れば空振り、見逃しても上手くいけばストライクを1つ、奪えるかもしれない。


 残念ながら後者の見逃しストライクは奪えなかった。築城がバットを振り出していたから。

 だがストライクを奪えるのなら空振りだろうと見逃しだろうと構わない。初見でこのコースに決まったスプリットは当てることさえ難しいだろう。……仮に魚沼の表情で球種がバレていたとしても。


 なんて、そんな並の打者を相手にしたときと同じ想定を、こいつに当てはめるべきじゃなかった。


 ボールが見えなくなった。バットと重なって。

 となれば当然、打球は前に飛ぶ。


 だが幸運だったのは打球に角度がつかなかったことと、うちの二塁手が優秀だったことだ。


 殺人級のライナーが、セカンドのほぼ正面を襲う。

 そこを守る草壁のグラブがその打球を捕まえ、取りこぼさなかった。

 おかげでたったの一球で、築城からアウトを奪うことができた。このアウトでピンチを潜り抜けて四回裏は終了。最高だ。


 ……このバケモンに最低でもあと一打席、回ってくるという事実に目をつぶりさえすれば、だが。

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