第15話 なんなんだよ

 白球が、視界の右端を一瞬で通り過ぎていく。

 

『アウト!』

 

 振り向くより早く、審判が判定を叫んだ。

 後ろを向くと、ショートの真鍋さんが白球の収まったグラブを掲げていた。


 打球はショートのほぼ正面だったらしい。いくら真鍋さんでも、あのスピードの打球が三遊間へ向かえばアウトにするのは難しいだろう。

 相手の三番打者は、顔をしかめたままベンチへ戻っていった。

 

 アウトになったのはラッキーだった。それは間違いない。

 だが、ランナーを二人残した状況で、こいつを相手にしなければならないという現実は変えられなかった。

 

『四番、ライト、築城くん。背番号9』

 

 こいつのここまでの成績は、三試合でホームラン4本とツーベース2本。

 ただし三回戦は一打席目を除いて敬遠されたようなものだったから、この成績はほぼ二試合で出した結果と言っていい。

 

 別に打率十割なわけじゃない。こいつにだって打ち損じはある。

 それでも、ヒットになればそのすべてが長打、ほとんどがホームランとなれば、単打しか打てない非力な十割打者より、場合によってはよっぽど怖い。

 

 初球、キャッチャーの窪田さんからのサインはアウトローへのスライダーだった。

 

 異論はない。俺は間を置くことなく頷いた。

 ボールになっても構わないつもりで、アウトロー目がけてボールを放つ。

 

 俺のスライダーは変化が小さくてストレートとの球速差が比較的少ない、カットボールに近い動きをする球で、打たせて取りたい場面で多様する球種だ。

 ゲッツーなら最高。シングルヒットになるならそれでもいい。結果として一点取られたとしても、うちの打線なら逆転してくれる。

 

 長打、それもホームランだけは避けたいこの場面、このボールに手を出してくれればそれだけでよかったし、実際に築城はこの球に手を出した。

 

 ただし打球はゴロにはならず、レフトへの大きなフライになった。

 

 打球が切れてファールになってくれたものの、肝が冷えた。あれが入っていればいきなり三点、失うところだった。

 

(コイツ、マジでやばいやつじゃん……)

 

 今のスライダーは投げ損なった球じゃない。

 コースは悪くなかったし、ボールも指にかかり、思ったように曲がっていた。


 だというのに、打球はファールでこそあったものの、レフトスタンドに入れば中段までは飛んでいた当たりだった。

 もっとあからさまにファールゾーンへ切れていく打球ならともかく、あのボールをフェアゾーン近くにあそこまで飛ばされた記憶はない。


 俺にとってスライダーは、コントロールさえ間違えなければヒットになってしまうことがあっても長打は防げるボールだった。それを、あそこまで飛ばされた。

 

 ふっと気が遠くなりそうになるのを、ミットを叩く音によって引き戻された。

 

 惚けてる場合じゃねえぞ。ホームベースの向こうで、窪田さんが視線で俺にそう訴えかけていた。

 

 確かにマウンドで、こんなところで惚けているわけにはいかない。

 このチームならどんな相手でも一、二失点くらいならすぐ巻き返してくれる。だから俺は、俺がマウンドを降りることになるだろう四、五回まで、とにかく最少失点で抑えられればそれでいい。

 

 窪田さんからの二球目のサインは、またもやアウトローへのスライダー。

 ただし今回ははっきりボールゾーンに外せ、そう要求される。俺もこのサインに頷いた。

 

 先ほどの打球も、あわやホームランでこそあったものの、ファールはファールだ。あれよりさらに外の球をフェアゾーンに入れるのは不可能だろう。

 

 手を出してくれれば儲けもの、そう思って投じたスライダーだったが、さすがにこれは見逃された。

 

 1ストライク1ボールの平行カウントで出された三球目のサインは、これまたアウトロー。ただし球種はストレート。


 同じコースに連続は危険じゃないか?

 一瞬そう逡巡するが、すぐに首を縦に振った。

 二球連続でストレートに近い軌道のスライダーを投じた後なら、築城の目を誤魔化せるかもしれない。

 

 実際にそうだったのか、築城はこの球を打ち損じた。

 

 だが、打ち損じとはいっても飛距離は十分の、レフト方向へのファール。僅かに振り遅れたのはスライダーが頭をかすめたのか、それとも初めてのストレートに速度を合わせ損ねたのか。

 

 とにかくこれで2ストライク1ボール、形としては追い込んだ。

 

 四球目のサインはインハイへのストレート。

 

 はっきりと外す、あくまで次の布石として投げるボールだが、この球で少しでもインコースに意識を持ってくれないと意味がない。

 

 目掛けるのは相手の胸元。

 頭さえ避ければ、万が一身体に当たっても知るものかというくらい気持ちで、相手の懐を抉りにかかる。それくらいに思っていないと、このコースはどうしても甘くなってしまうから。

 

 投じたストレートは、ちょうど相手の身体には当たらないボールゾーンへと向かっていった。

 築城はこの球を避けようと軽く身を引く。当然、審判の判定はボール。

 もっと大袈裟に仰け反らせたかったが、まあいい。

 

 五球目、窪田さんが出したサインはアウトコースへのカーブだった。

 

 カーブは俺の実質的な決め球で、出だしでカーブと分かるぶん、フォークや、ある程度大きく曲がるスライダーといった、ストレートの軌道から大きく変化するボールほどは空振りを奪えない。


 また、なまじ変化が大きすぎるがゆえに、審判がストライクをとってくれるゾーンが狭くて、カウントを稼ぐには少し不便だ。


 だがその変化量の大きさから、ある程度空振りを奪うことが期待できるし、他の球種と軌道が大きく違うからこそ、打者のバランスを崩すこともできる。


 特に追い込んでからなら、バッターは際どいコースに来たカーブをそうやすやすと見逃せないはずだ。

 

 窪田さんからのサインに頷き、投球動作に入る。

 ストレートと同じ強い腕の振りを意識して投じたカーブは、うまく中指と親指の間から抜けてくれて、ストライクゾーンをかすめるような絶妙なコースへと向かってくれる。

 これならうまくいけば空振り、仮に当てられても長打はそうそうない。


 事実、打ちにいった築城はバランスを崩したようにバットを泳がせて、だがそれでもバットにボールを当ててみせた。

 

(でも、そのスイングなら)

 

 打ち取った。外野までは飛んでいきそうだが、この当たりなら外野手の守備範囲内のはず……

 

(はっ?)

 

 あの当たりなら外野の守備範囲内、それも深めに守っていたセンターの前に落ちていくような打球だったはずだ。


 それなのに、目で追っていた打球はセンターの頭を超えて、右中間のフェンスへ向かっていく。


 そのまま打球はフェンスにぶつかって跳ねた。センターの中根さんがその打球を処理する。二塁ランナーはとっくに三塁を回ってホームへと向かっていた。


 ホームは無理だ。そんなことは中根さんもとっくに分かっていて、送球は三塁へ。

 この送球が良かったおかげで、一塁にいたランナーは三塁へ、打った築城は二塁へととどまった。

 

 惜しい! そんな声が相手ベンチから聞こえてきて、思わず声がする方をにらみつけてしまいそうになった。

 

 惜しい? 冗談じゃない! 明らかに打ち取った当たりだったはずだ。それがどうしてあんなところまで飛ぶんだ。

 

 二塁へと目を向ける。ホームラン性の打球を放った築城は、特に得意そうな顔をするわけでもなく、無表情でベースの上に立っていた。

 

 なんなんだよ、コイツ。

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