第9話 チームのエース
『アウト! チェンジ!』
(っし!)
思わず胸の前で小さく拳を握った。
柏崎の後を引き継いだ一球目、外角低めへ投じた速球に相手打者が手を出した。これが6−4−3のダブルプレーになる。
マウンドを降りてベンチに向かう途中、ショートの朝日にグラブ越しで背中を叩かれた。
「ナイピ!」
「うん」
俺はとっさに頷き返すが、こういったときにどういった反応をすればいいのか、いまだに少し悩んでしまう。
三振を奪って打者をアウトにしたのならば、ただ頷くだけでもいいと思う。
けれど打たせて取った打球を野手にアウトにしてもらったのに、頷くだけなのはどうなんだろうとは思う。投手の力だけで奪ったアウトではないから。
(ひとこと、そっちも、とでも言えればよかったのかな)
いまだにこんなことで少しでも悩んでいる自分が可笑しい。
今の俺は最上級生の三年生で、一応はエースで、なぜかキャプテンまで任されているというのに。
もっともキャプテンに関していえば、俺にやらせるくらいなら船橋や、それこそ朝日にでも任せた方が良さそうなものだと今でも思っているけれど。
味方ベンチに戻る直前に、柏崎と目が合った。
「……ナイスピッチ、です」
「うん」
頷く。柏崎はそれ以上はなにも言わず、申し訳なさそうにうつむいていた。
けど、
(申し訳なく思うようなピッチングじゃなかったんだよな)
六回途中まで投げて一失点。初先発だとか関係なく、十分な働きをしてくれている。
そこまで考えて、思う。
(去年の俺に、同じことができたかな?)
たぶん、無理だろうな。
その結論が出るまでに、そう時間はかからなかった。
俺がまともにピッチングらしいピッチングができるようになったのは二年の夏くらいからで、それ以前はマウンドに立てるような投手じゃなかった。
一年目はほぼ体づくりに時間を費やし、二年の春頃には球速こそ130キロに届き始めたものの、球が速くなった反動なのか何なのか、コントロールが荒れるようになってしまい、制球がようやく安定し始めたのは夏季大会直前になってからだった。
ただその頃になっても覚えたてのフォークは落ち幅が安定せず、速球と、空振りの期待できないスライダーのほぼ二球種で勝負しており、狙って三振の取れる投手ではなかった。
だが柏崎にはすでに、空振りの狙える球種が、ストレートがある。
(空振りの取れるストレートか……。俺には無縁だなぁ)
今の俺は速球を投げるとき、一般的なフォーシームの握りで投げることはほとんどなく、ツーシームの握りで速球を投げる。
そちらの方がお前の速球がより動くと、その方が打者が打ちづらいはずだと、監督からそうアドバイスを受けたからだ。
ツーシームの握りから投げる速球は一般的に、フォーシームで投げる速球に比べより左右に動き、沈みやすくなると言われている。
もともとストレートが癖球気味だった俺にはツーシームの握りが合うだろうという監督のアドバイスは、ぴたりと当たった。
リリースの瞬間、人差し指により力を入れれば利き手側に、中指に力を入ればその反対側に曲がりながら沈む速球は、低めにさえ集めれば打球のほとんどがゴロになり、野手がうまく処理してくれさえすれば、その多くがアウトになった。
(だけどそのぶん、俺はストレートで三振が奪えない)
もっとも、俺のストレートは元々、空振りを量産できるような球質じゃなかった。ツーシームの握りはその特徴を強みに変えただけで、フォーシームの握りで投げていたときの方が空振りを奪えていたわけでもなければ、ツーシームの握りに変えることで空振りが減少したわけでもなかった。
それでも、憧れがないわけじゃない。
憧れないわけがない。ストレートで三振を奪う。投手なら、そんなピッチングに憧れないわけがない。
「いいなぁ……」
「何がだよ」
「うわっ!」
横を向くと、いつの間にか船橋が俺の横に立っていた。
「あれ、もしかして俺、口に出してた?」
「ああ。不気味だから今後、気をつけた方がいいぞ」
「はい、気をつけます……」
いやでも無意識で口に出していたのだから、気をつけても変わらないかな。
なんて、考えていると、
「柏崎か?」
船橋が突然、そう口にした。
「えっ?」
「いいなって言っていたのは、柏崎のことか?」
俺に気を使ってか、控えめな声でそう問いかけてくる。
すでに味方打者の応援で声を出している他のメンバーには、俺たちの声は聞こえないだろう。
「ああ、まあ……」
つい口ごもってしまう。後輩の投げる球を羨ましがっていたと知られるのは、やっぱりちょっと気まずい。
「ストレートで空振りが取れるのはいいなって、ちょっと思っただけ」
「ああ。確かに柏崎のストレートは球速の割には空振りが取れるし、お前の速球は当てさせるためのボールだしな。気持ちは分からないでもないが……勘違いするなよ」
「えっ?」
船橋に突然そう言われて困惑する。
なんだよ、勘違いって。
そう口にする前に、船橋が言葉を続けた。
「このチームのエースはお前なんだ。柏崎は確かに良いピッチングをしてたし、あいつのストレートに魅力があるのも認めるけど、今の、このチームのエースは間違いなくお前だ。このチームにはお前以外に、九回を投げきれる投手も、一試合を最小失点で抑えきれる投手もいない。お前が、エースなんだ」
そのことを忘れんなよ、船橋は吐き捨てるようにしてそう言った。
「……ちょっと、気合い入れすぎじゃない?」
力んで七回以降のピッチングが崩れたらどうしてくれるのさ。
「腑抜けてるよりマシだ。柏崎からボールを受け取ったときから、お前ちょっとおかしかったしな」
「えっ、そうかな?」
「ああ」
船橋が、ため息でもこぼしそうな様子で頷く。
「お前、柏崎にマウンドを奪われるんじゃないかって焦ってただろ。明らかに柏崎を意識してた」
そんな、そこまで意識してたかな……。
でも確かに、
「俺より良いピッチングをするんじゃないか、してるんじゃないかとは思っちゃったかな」
「余計なこと考えんな。残り三回、抑えきることだけ考えろ」
「……うん」
「頼むぞ、エース」
もう、いい加減しつこいってば。
でも、
「うん」
言われなくても、それくらいは分かっている。
あと三回、とにかく抑えきる。
このチームで俺にできることは、それくらいなのだから。
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