第8話 六回表、一死一ニ塁
『ボール! フォアボール!』
(クソッ、四番の前にランナー一、二塁かよ)
ここまでの柏崎のピッチングは上々だった。
ところどころでヒットや四球を与えながらも、五回を投げ切って無失点。
これで人生初先発だというのだから、満点をやってもいいくらいだが、この六回になって綻びが見え始めた。
先頭の一番バッターに甘く入ったスライダーを叩かれた。これが一、二塁間を抜くヒットになる。
続く二番こそショートへのポップフライに仕留めたものの、次打者の三番には四球を与えてしまった。
(先発経験がないことがここで響いてきてんな……)
ここまでで要した球数は73球。
数としてはそれほど投げていないが、それでも球威が徐々に落ち、コントロールがバラつき始めている。
先発投手が射水一人では長いトーナメント戦を戦うのに心許ない、その心配は俺も監督もずっと抱いていたが、監督は柏崎に先発の機会をずっと与えなかった。というより、与えられなかった。
柏崎が高校野球で、少なくともリリーフとしてならば通用する、というレベルに仕上げるのにそれだけ時間がかかった、というのもあるが、それと同じくらい射水がエースとして、先発投手としてある程度完成するまでに時間を要したからだ。
射水により機会を与えたという監督の判断が間違いだったとは思わないし、そもそも一選手である俺が口を出す範囲のことでもないが、今のこの状況だけのことをいうと、柏崎の経験不足が響いている。
(落ち着け、四番はこれまでの二打席、ライトフライとセカンドゴロでノーヒットに抑えてる。まだ柏崎に合ってる感じはしない)
そう自分に言い聞かせ、一球目に要求したのは外角低めへのツーシーム。
二打席目で山下をセカンドゴロに仕留めた球だが、外側に外れすぎていた。見逃されてボールになる。
この回、ツーシームが抜けたり、逆に引っ掛けたりすることが多くなってきた。握力が落ちてきたのか、この球は投げにくいのか?
ならストレートはどうだ? インコースへ。嫌なら首を振れよ。
そう思って出したサインだったが、柏崎は頷いた。
投じられたボールは逆球だったが、結果的にアウトコースの良いところに決まった。見逃されてストライクになる。
ストレートもツーシームも荒れるのならばどちらも同じか。
三球目、ツーシームを真ん中に来い。
もう左右のコースは気にしなくていい、ボールになってもいいから、とにかく低めに。
いっそ内か外のどっちかにブレてくれた方がいい、そう思って投げさせたが今回に限って要求どおりのボールが来た。
ただこれがうまいこと低めの際どいところに決まり、山下もこの球に手を出す。
結果的にはレフトへのファールとなった。
これで2ストライク1ボール。
追い込んだ四球目、内角低めのスライダーを要求する。
これが決め球のつもりで来いよ。お前のスライダーはすごい球ではないかもしれないが、決して悪い球でもないんだ。ストライクからボールに決まれば、簡単に打たれも見逃されもしない。
そう思って投げさせたこのボールは、良いコースに決まったが少し曲がりすぎたのかもしれない。山下のバットが途中で止まり、審判からはスイングの判定を奪えなかった。
2ストライク2ボールの並行カウントになった五球目に要求したのは、一打席目で山下を外野フライに仕留めたのと同じボール、アウトハイへのストレート。柏崎も首を縦に振る。
シュート気味に逃げながら吹き上がるストレートで、空振りかフライアウトに仕留める。そのつもりで投げさせたボールだが、球の走りは悪くない。
(よし、これなら……)
そう思いかけたが、ボールが走り抜けるコースを見て思い直す。
だめだ、やられる。
捉えられたとき特有の打撃音が、グラウンドに響く。
「ライト!」
打たれた瞬間に俺は叫んだ。打球はライトフェンスに直撃する。
外野深くを守っていた築城がすぐに追いつき、送球の姿勢に入る。
ホームは無理だ。築城もすぐさまそう判断し、送球は三塁へ。
当たりが良すぎた上に、ライトを守る築城のサードへの送球が良かった。山下は一塁へと留まり、三塁に向かっていたランナーも二塁へと引き返す。
結果的に失点は最小でとどまったが、柏崎は限界かもしれない。すでに肩で息をしていた。
(交代か?)
俺の予想は当たっていた。
ベンチが動く。この回から肩を温めていた射水がマウンドへ向かってくる。
「……すみません」
柏崎がかすれた声で謝りながら、頭を下げる。
「初先発で五回まで無失点、六回途中一失点なら上々だよ。だろ、射水」
俺はそう言って、射水に話を振る。射水もそれに頷いた。
「うん。でも、結構大変でしょ? 頭から投げるのも」
励ますためなのかなんなのか、射水は頷いた後、珍しく冗談っぽい口調でそう言った。
柏崎は少し泣きそうな顔になりながらも、そうですね、と笑ってそう頷いて、ボールを射水のグラブへと手渡した。
「……お願いします」
柏崎が再度頭を下げ、マウンドを降りる。
「後は頼むぞ、エース」
俺は射水の背中をミットで一度、強く叩いた。
射水が頷く。
「うん、任せて」
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