第2話 首をつなげるためには一人

 突出した選手が欲しかった。


 一人で1試合を完投、完封できるエース級の投手か、一振りで試合を動かせる、一人で点の取れるスラッガーのいずれかが。


 できれば投手がいい。


 野球は何点取ってもこちらがそれ以上に点を与えてしまえば負ける。

 けれど投手が1点も与えずに試合が進めば、負けることはない。


 結局、投手ありきの競技なのだ、野球は。


 極論、一人の投手が相手バッターを全て三振に打ち取り、自分で一本ホームランでも打てばそれで勝てる。

 野球は一人ではできないが、一人で勝てるのだ。

 少なくともルール上は。


 もっとも、現実的にはそれはほぼ不可能で、高校野球の歴史を振り返っても、甲子園はおろか地方大会でさえ、1試合27のアウト全てを三振で奪った投手はおらず、防御率に関しても、リリーフや1試合のみの登板だった投手を除けば、完全な0だった投手はいない。


 どんな好投手相手でも、1点2点奪うのは手が届く範囲内なのだ。


 野球は投手ありきの競技ではあるが、投手の力だけでトーナメントを勝ち切るのは難しい。その程度のゲームバランスは保たれている。


 そもそも、一年分の年齢差があまりに大きい高校野球において、いかに突出していようと、一年生投手が無双するのはほぼ不可能に近い。


 身体も当然完成しきっておらず、長いトーナメント戦を投げ切るのは無理だろう。

 世間的にも今は連投に厳しい目を向けられる時代だ。まあそれは当然のことだとは思うが。


 こちらの猶予はもう一年もないのだ。

 そのことを考えると、即戦力として期待できるのはむしろ野手か。


 投手と違って毎試合フル出場させられるし、優れた選手は一年目からでも好投手からヒットやホームランを打つ。


 ……なんて、実際にはそんな選り好みをする余裕など、俺にはないのだが。


 この学校に、野球強豪校でもなんでもない、ただの私立校であるこの星朋せいほう高校に、どうして実力のある選手が入りたいと思うだろう。そんな選手は他の強豪校へ行く。


 弱小校を自分の力で甲子園へ導く、なんて夢見がちな奴も、もしかしたらいるかもしれない。だがそれならそれで、うちに入る理由もない。


 県立校の方が学費は安いし、わざわざ中途半端な実力の私立校に入る必要がない。


 せめて推薦枠が用意できれば、学費免除などといった利点を示すことができれば、それなりに実力のある選手を誘う芽もあるのだが、それさえ用意できなかった。


 俺が監督を務めたこの三年間では、それを学校側に要求できるだけの実績を作れなかった。


 これまでの戦歴は最高でも三回戦突破の準々決勝まで。


 一回戦負けも珍しくなかった高校の成績としては悪くないかもしれないが、学校側からすれば物足りなかったのだろう。


 激戦区でもない北陸地方の県大会で、甲子園出場はおろか、地方大会の決勝戦にさえ進んでいない。


 自らこの学校に自分を売り込んで、その結果がこのザマなのだ。首を切られてもおかしくない。


 この高校の野球部監督に就任して、もう4年目になる。


 4年前、大学を卒業し、選手としての芽はもうないと思い知らされた俺は、それでも何か野球に関われる仕事はないかと手当たり次第、探した。


 そうしてたどり着いたのが、俺の地元にある私立校、星朋高校の校長が、野球部の監督を探しているという話だった。


 俺はその情報を教えてくれた、今年この高校の新任教師となる同級生に頼んで、俺のことを紹介してもらった。


 俺の球歴は正直、中途半端だ。


 高校三年時にレギュラーとして甲子園に出場し、二回戦敗退。

 大学では三年時にレギュラーとして一部リーグに出場した。


 と、これだけを見ればそれなりに立派なものだが、正直選手としてはぱっとしなかった。


 高校では三年時になんとかレギュラーになれたが、二年の夏までは補欠。

 捕手というポジションに他にいい選手がいなかったから背番号をもらえたようなもので、打順は常に八番だった。


 大学でも似たようなもので、一応三年の春から正捕手を務めたものの、打撃は相変わらず大して期待されず、その三年時にチームが一部リーグに出場できたのも、そのときにちょうど入学してきた好投手のおかげだった。


 その上、四年の時には、怪我もあったとはいえ、一つ下の後輩に正捕手の座を奪われてしまった。


 それでも甲子園出場、一部リーグ経験ありとなればそれなりに箔がつく。


 そこを強く押し出して、俺は星朋高校の校長に自分を売り出した。


 それでも難色を示していたから、仕方なく俺は新しく、条件のようなものをつけた。


 すぐにとは言わないが、3年あれば甲子園を狙えるだけの力はつけられる。4年目には本気で甲子園を狙う。

 その4年間でまるで甲子園に行ける見込みがないと判断されたなら、クビにしてもらって構わない。


 我ながら歯切れの悪い言い回しだ。結局、甲子園に出場するとは一言も言っていない。


 だがこの学校の野球部の現状を見ると、あまり威勢のいいことは言えなかった。


 別にそこまでひどいありさまだったわけではない。

 そもそも部員が足りていないとか、あまりにも練習態度が悪いとか、そういうことはなかった。

 

 ただ現状で甲子園まで行くのは、あまりにも非現実的だった。


 特に三年生が問題だった。

 別に特別問題児たちだったわけではない。練習態度もそれなりに真面目だ。


 ただ一回戦敗退常連だったこともあって、負けることに慣れすぎていた。


 練習も淡々と作業のようにただこなすだけで、上手くなりたいという欲が見えなかった。


 悪いことに一、二年生にもその雰囲気が少なからず伝染しているように見えた。


 4年目にはと言ったのも正直、この空気を断ち切るには、それくらいの年数が必要だと感じてしまったこともある。


 今の三年生が主力の現チームで勝ち進むのは絶望的。二年生にも特別素質が光る選手は見当たらなかった。


 正直なところ、一年生にもそこまでの逸材はいなかったが、高校生ぐらいの年頃ならばいつどう成長するか分からない。

 練習を重ね身体が成長すれば、いつか化けるかもしれない。


 だが戦歴としてはその一年生が三年生になった3年目の三回戦、準々決勝出場が最高。

 学校側に物足りないと思われても、これは仕方ない。


 4年目でも大した実績が作れなければ首を切られるかもしれない。というか、切られるだろう。


 この学校のOBでもなんでもない自分は、学校側からすればなんの愛着もない。

 向こうからすれば4年目までチャンスを与えたことに感謝して欲しいぐらいに考えているかもしれない。


 4年目になる今のチームは、決して悪いチームではない。


 だが激戦区ではないとはいえ、年々レベルの上がっている高校野球で、県大会を突破するだけの力があるかと問われると、厳しい。


 だから力が欲しかった。


 1人でいい。得点力でも、投手力、守備力でもいいから、今よりも力を上乗せできる即戦力が欲しかった。


 だから無理矢理時間を作っては、中学野球やシニア、ボーイズリーグの試合を見て回った。

 どこかに強豪校の目から見落とされた逸材はいないかと。


 そんなとき築城に、築城悠ついき ゆうに出会った。


 見つけたのはシニアリーグでの公式戦、地方ブロック予選の準決勝だった。


 そこで彼が見せた、柔らかく、軽やかなスイングが目に焼き付いた。


 そのスイングから放たれた打球は、どうしてそんなにと驚いてしまうほどに大きな放物線を描いて、スタンドの上段へと舞い落ちた。


 ある意味、すでに完成されていた。一種の芸術のようにさえ思えた。


 明らかに異質な存在。そんな選手が、他の強豪校から注目を浴びないわけがなかった。


 けれど、とある強豪校のスカウトが築城に声をかけている現場を偶然見かけたとき、彼は常にどこか困ったような表情をしていた。


 話を聞いている最中も身の置き場がなさそうに視線をうろつかせ、ぜひ我が校にという誘いにも、どこか曖昧な答えを返していた。


(なんだ?)


 違和感のある光景だった。


 シニアリーグに所属している選手が、強豪校にスカウトされて喜ばないなんてことがあるのだろうか。


 それも彼は今も、それなりに強いチームに属している。

 向上心がなければ、学校の部活動でもないのにこんな野球チームに入る必要もない。


 自信がないのか、それか熱心な親に無理矢理やらされているのか。


 ……そんなことがあるのだろうか。


 あれだけのバッティングができる選手が、自分に自信が持てないなどということがあるのだろうか。


 無理矢理野球をやらされている選手が、あんなにも伸びやかなスイングをするだろうか。


 確かに、どこか繊細そうな子ではあった。

 

 ホームランを打った後の、他の選手とのハイタッチはどこか遠慮がちで、グラウンド内で発する声も控えめた。口数も少ない。

 長身の割にはやや細身の身体つきも、そういう印象を強めた。


 プレイ自体は楽しそうな、特にホームランを打った瞬間は嬉しそうな表情を覗かせるものの、何なのだろう、試合中は常にどこか申し訳なさそうな雰囲気を滲ませていた。


 それでも今の立場の俺に、声をかけないという選択肢はなかった。


 次試合の決勝戦に勝利し、チームが解散して彼が一人になったタイミングで、彼を呼び止める。


「築城悠くんだね」


「えっ?」


 彼が振り向く。

 驚いたような声。定まらない視線。


 スカウトなどいくつも受けているだろうに、彼の挙動には戸惑いが滲み出ていた。


 それでも構わず話しかける。


「星朋高校野球部で監督をしている、豊見山とみやまという者だ。突然声をかけてすまない」


「あっ、いえ。えっと……」


「いきなりだが本題から入ろうか。君をスカウトしに来た」


「スカウト、ですか」


「そうだ」


 彼の態度に高揚した様子はない。


 他にも複数の強豪校から声をかけられているだろうことを考えれば、それは特に不自然な態度ではないだろうが、彼の場合はそれだけではないだろう。


「星朋高校、知っているかな?」


「地元の高校ですので、一応……」


「そうか」


 頷く。一応今のところ、話は聞いてくれている。


「ならご存じかもしれないけれどね、うちの高校は特別、野球強豪校というわけではない」


「確かに野球部が強かった印象はないですけど……」


 彼の反応に苦笑する。ずいぶん素直な子だ。


「そうだろう? さらに言ってしまうとね、スカウトと言っておきながら、私が君に提示できる利点はとても少ない。推薦枠を用意できるわけではないし、他の強豪私立校のように、学費を無料にできるわけでもない。そもそもうちの部は大した実績を残しているわけではないから、甲子園を目指す上で最適な環境だと言うことすらできない」


「は、はぁ」


「俺から提示できるメリットはせいぜい1つだけだ」


 俺は彼の前で人差し指を立てて、言い放つ。


「君は好きに打っていい」


 うろつきがちだった彼の視線が、ぴたりと俺の目と合う。

 こちらがたじろぎそうなくらいに、ぴたりと。


「どんな場面でも、ホームランを打ちたいというのならそれで構わない」


 そのまま、彼の視線は動かない。


「そのままの、君が欲しい」


 口にしながら、なんて中身の無い言葉だろうと思う。


 耳障りがいいだけの、なんの意味も価値もない言葉。

 わざわざ自分から、この学校に入るメリットなどないと言っているようなものだ。


 それなのになぜ、彼はこちらを見つめる目を動かさないのだろう。


 他の強豪校のスカウトが言葉を尽くし、環境や実績を説明しても俯きがちだった視線が、俺を捉えて離さないのだろう。


 そんなにも彼は、自分の指導者から認められなかったのだろうか、縛られ続けていたのだろうか。


 そんな彼を見て脳裏をよぎった思いに、自分で自分が嫌になる。


 利用できるかもしれない。


 そう、思ってしまった。


 うちに来てくれるかもしれない。

 それだけではなくて、うちに来てくれれば、こちらが期待する以上の成果を見せてくれるかもしれない。


 今まで抑圧されていたものが、もし俺のチームで解放されれば、どんなバッティングを見せてくれるのか。


 期待し過ぎていいことなどない。

 けれど、そうなる予感があった。


「どうして」


 呟くような声。

 その声が、俺に向けられる。


「どうしてそんなこと、言ってくれるんですか?」


「どうして、って」


「勝ちたく、ないんですか?」


「……それは」


 勝ちたい。


「勝ちたいよ」


 勝ちたくないわけがない。


 だって俺は、


「勝ちたい。だから君が欲しいんだ」


 だって俺は、後がない。


 そして勝ちたいなら、力がいる。


 目の前の少年のような、力が。


 その少年の口から、問いただすような言葉が吐き出される。


「勝ちたいなら、選手には常にホームランを狙われるより、進塁打とか、犠打とか、一点を取るためのバッティングとかをして欲しいことだって、あるんじゃないですか」


 そんな彼からの問い詰めの言葉に、俺は笑い返す。


 その笑顔が苦笑いになっているだろうことは、もちろん自覚していた。


「ああ、なるほど。一理ある。けど、そうだな。一つ質問をしようか」


 築城がわずかに首を傾げる。俺は構わず続けた。


「ランナーが何人でも、アウトカウントがいくつの想定でもいい。打席に入った選手が、自分一人で最も多く点を入れられる方法はなんだと思う?」


 俺の質問に、彼は目を瞬かせた。

 今まで俺に向けられていた視線が、わずかに下を向く。


「……それは」


 彼の回答を待たずに、俺は答えた。


「考えるまでもないよな。そうだ、ホームランだ。うちの野球部は今、それができる選手が欲しい」


 ゆるゆると、彼の顔がこちらに向き直る。俺はただただ、俺の理屈を話し続けた。


「チーム全体の打撃力が高ければ、無理に一人で点を奪いにいく必要はないのかもしれない。チームのエースピッチャーが、どんな相手でも毎試合毎試合、一点取られるかどうかのピッチングができるような投手なら、より確実に一点を取るためのバッティングを求めるかもしれない。けど、うちはそうじゃない」


 そんな選手たちは、うちにはいない。


「強豪校みたいにみんながみんな打てるわけじゃないし、エースも強豪相手に1点以内で抑えるピッチングなんてのは、正直期待できない。今の星朋高校野球部にとって、ホームランを打つことが一番のチームプレイなんだよ」


 だから、欲しいのだ。


「築城、うちの学校に来い。俺がお前を、誰より上手く使ってやる。だから」


 だから、俺は吐き出す。


 自分にとって、都合の良い言葉を。


「お前も俺を、俺たちのチームを使え。自分のために」

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