第三章 悪酔いのドランカー-3
何故だか、遺跡から一人で立ち去ろうとしたときに、シンイチをじっと見つめたアツミの姿が思い出された。
「シンイチからしたら少し余計に生きてるように見えるかもしれないけど、私だって全然お子様よ。私がやれることなんて、本当に限られてる。イヤになるくらいにね」
エーコは顔を上げた。瞳は酒のせいか、それ以外のせいか、真っ赤に充血している。
「シンイチも、私も、自分で自分を、信じられるようにならなくちゃ。それは《ウトゥ》に入って、その中で活動するようになって気が付いたこと。これまでのまま大学に行って、シンイチと付き合い続けてたら、気が付かなかったことだよ」
エーコがもう一度、缶を傾ける。思いのほか勢いよく中身が流れ、唇の端から無色のしずくが少しだけあふれた。
「ああ……」
ため息なのか、酔っている証拠なのか、声にならない音がエーコの身体から出ていった。
「ごめんね、私ばっかり勝手にしゃべって」
「いや……いつもの事でしょ、こういうの」
「そうだっけ?」
「今までで一番、絡んできてますけど」
「そうか、そうかもね」
「そうですよ」
シンイチの言葉を聞いて、エーコが微かに笑う。
「そういや、結局あの《人造女神》はどうしたの?」
「え、あ、いや」
不意を突かれてシンイチは慌てる。だが何から話すべきか、何を話してはいけないか、瞬間的には判断できず、迷う。
「知ってるわよ、私たちが撤収したあと、《イナンナ》の連中があの遺跡の調査をやってるとかね」
「どうして、それを」
「ま、《ウトゥ》の力があれば、《超古代文明》に関する動きはそこそこ把握できてるから。それでもわからないことはそれなりにあるから、聞いてみただけ」
「む……」
「まあ、別に今ここでシンイチを問いただそうとか、吐かせようとか思ってないから。いずれ情報は入ってくる」
「そうなんですね」
そう言ったきり、会話が途切れる。シンイチは、部屋に戻ってきて座ったっきり他に何もしていないことに気が付いた。だがこの状況下で家事だ片付けだとできるはずもない。
エーコが缶を大きく傾ける。五百ミリリットルの中身は全て、エーコの腹に飲み込まれたようだった。
「でさ」
空き缶をテーブルの上に置くと、コン、と小気味いい音が響いた。
「あの、横穴の奥にできた亀裂は、地震とは関係なく、別の理由でできたっていうのが私たち《ウトゥ》の見立てよ」
「別の理由、ってひょっとしてアツ、じゃなかった、あの光る球体の力……?」
「そうかも知れないし、もっと他の理由なのかも知れない。ただ、あそこと同じような亀裂と、その中にある未知の空間の存在が、世界のいろんなところで確認されてるってさ」
「世界中で……。あんな力を持った《超古代文明》の遺物が、まだいくつもあるってことですか」
「それを確かめるのが《ウトゥ》の使命でもあり、私に課せられたミッションでもある」
「ミッション?」
急に出てきたフィクションめいた言葉に、シンイチは眉をひそめる。
「さっき言われたわ。
《人造女神》復活の場に立ち会わせた人間として、日本以外の現場も調査して《超古代文明》の痕跡を調査してこいって。これが上から課せられた任務……カッコよく言えばミッションってわけよ」
「海外ですか」
「うん。まあ海外、できれば観光とかじゃなくて研究とか仕事で行ってみたいと思ってたから、断る理由はないんだけどさ」
「でも、よかったですね」
「よくないわよ」
「え?」
「よくないわよ、全然」
小さくつぶやいて、エーコはまた顔を伏せた。まずいことを言ったとシンイチは思ったが、「よかった」以外に気の利いた言い方があったかと考えても、ふさわしい言葉はシンイチには見つけられなかった。
少なくとも、この瞬間には。
「用は済んだから、もう帰る」
エーコが立ち上がる。足元がおぼつかなく、転びそうになったところを自力で踏ん張る。ドン、と床が踏みしめられてテーブルの上の空き缶が倒れた。エーコは缶を戻すこともせずに玄関を目指す。
「あのさ」
背中を向けたまま、エーコが言う。
「ごめん。よかった、でいいや。ありがと」
「いや、そんな……」
シンイチも立ち上がる。
「私……見つけたんだよね、ようやく。自分がやりたいこと、自分がやるべきって思えることをさ。それがもちろん、大っぴらに出来るようなことじゃないってのは分かってる。分かってるけど、それでもね」
「エーコさん」
「だからさ」
「シンイチも、自分のやるべきことを見つけなよ。それはたぶん、私のとは違うはずだから。」
振り返ったエーコの頬を一つしずくがつたって、襟元へと流れていく。崩れたメイクと、小さく震えた笑顔は、シンイチが今まで見た中で、いちばん大人びて見えた。
「じゃあね」
エーコは、また玄関に向かう。靴を手元に引き寄せようとして、足元がふらつく。傾いた身体を支えようとシンイチが手を伸ばす。
「触らないで!」
エーコの一喝が部屋中に響いた。おそらくは隣の部屋、頭上の部屋も届いているはずだろう。強い言葉を投げられたのに、なぜか他人事のように、他の誰かにむけた言葉のようにしか聞こえなかった。
「ひとりで、帰れるから。じゃあね」
靴を履いたエーコが部屋を出る。締められたドアの向こうで、足音が遠ざかっていく。
テーブルの上に、倒れた空き缶からこぼれた酒にまみれて、部屋の鍵が転がっている。指先でつまむと、アルコールのしずくがひとつふたつこぼれた。
「俺の、やるべきこと?」
シンイチは、ひとりつぶやいた。
エーコがその場にいた痕跡は、まだ生々しく残っていた。
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