五つ目の課―2(了)
「それは事故や病気や加齢など、やむを得ない事情で、ってことですか」
「ええ」
自分の意思で辞めるという選択肢は、やはり端から存在しないらしい。
「そうですね、もしそうなったら生きている意味な……ああ、そういうことですか」
彼女は自分の言葉の中に答えを見つけ、一人で頷いて納得した。
記録課には、書くことが生きがい、いや、それしかない者がやってくる。良くも悪くも似た者が時雨を受け継いでいく。
「あの」
「ん、どうしたの」
彼女が改まって、女郎花に向き合った。少し緊張しているようで、息を吐き切ると、意を決したようにこう言った。
「今までの記録を、外に、ヒトの世に向けて発表しませんか?」
「え? 付喪神の存在をヒトに知られてはいけないのは分かっているでしょう?」
記録課を作ったことは棚にあげた言葉だが、不特定多数に公表するなど、たちの悪い冗談でもギリギリである。しかし、時雨の表情は冗談を言っているようには見えない。
「記録、事実としてではなく、小説、フィクションとして発表するんです。きっと受け入れてもらえます」
「なるほどね」
記録は、書く者によって個性がある。歴代の時雨たちは、それぞれ報告書のような形式的なもの、箇条書きのもの、日記風のものなどを書いている。そして今回は物語調。しかも過去の記録を読むだけでは飽き足らず、物語調に書き直す『遊び』をしているらしい。
時雨は、少し不安げな表情を浮かべながら見つめてきた。
「それに、付喪神の存在を全く信じない人ばかりになってしまえば、それはそれで危険な気がして……」
「それは……」
一理ある。というかその通りである、と女郎花は思っている。
付喪神は社を持つような強力な神ではないが、ある程度の信仰は必要だと考えられる。信仰、つまりヒトではないものの存在を信じる心。物を作り、使い、受け継ぐのはヒトである。もし仮に、全世界のヒトに付喪神の存在を否定されれば、世に在ることは出来なくなるかもしれない。実際にその状況になったことがないため、女郎花の杞憂に過ぎない可能性も充分にあるが。
記録課は、その最悪の状況を防ぐための最後の砦の意味もある。少なくとも一人のヒトが、付喪神の存在を信じている状態を保つことが出来る。
――この子は、それを分かっている……?
その真偽は分からない。が、おそらくこの時雨は物語を書きたいという欲求が強いだけなのだろう。物語狂い、とでも言うべきか。それに乗っかるのも悪くはない。
「そうね、やってみましょうか」
「ありがとうございます!」
時雨の顔が、ぱあっと明るく輝いた。発表するとなると、これからたくさんの準備が必要になるだろうが、きっと彼女はそれも楽しむのだろう。
「小説として発表する時、作者の名前はどうするの? 時雨?」
「そうですね。先代方への敬意も込めて時雨がいいです。あ、でもそのまま使うのは良くないので、平仮名にします、『しぐれ』と」
「漢字か平仮名かで、印象はかわるものね」
「はい。あとはヒトらしく名字も付けたいですね」
「あなたはヒトよ?」
「そうですけど、ここにいるとそういう感覚なくなってくるんですよね。名字……そうですね、よく見かける『鈴木』にしましょうか」
「じゃあ、『鈴木しぐれ』になるのね。いいんじゃないかしら」
その字面を頭の中で組み立てて、少し楽しくなり女郎花はにこにこと笑っていた。それを、じっと時雨に見られている。
「何かしら」
「いえ、私だけが楽しいのかと思っていたんですが、女郎花さんにも楽しそうにしてもらえて、ちょっと嬉しいというか、なんというか」
「あら、ワタシを楽しませるだけじゃ足りないわよ。読む人に非日常の楽しさを味わってもらわなくては。物語は、そういうものでしょう?」
「はい……!」
時雨は、本に囲まれたこの部屋で、誓いのようにしっかりと頷いた。
(了)
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