第28話 伊那 23歳 銀河図書館

「久しぶりね、伊那」

「あなたは・・・」


 そこには、懐かしい真っ黒の瞳の少女が立っていた。伊那が13歳の時に宇宙図書館で出会った過去世の伊那自身だ。


 伊那ははっと周囲を見渡した。はるかにきらめく星空を見下ろせる透き通った床。いくつもの銀河の渦が広がっている。ここは宇宙図書館なのだろうか?そう考えていると、過去世の伊那である少女が答えた。


「ここは銀河図書館よ」

「銀河図書館・・・宇宙図書館の13の館の先にある?」

「そうよ」


 地球では、宇宙の中に銀河があることになっている。だが、実際には銀河の中に宇宙があるのだという。だから、宇宙図書館より銀河図書館のほうが上位に位置するのだと教えられていた。

 

「やっとここまでたどり着けるようになったのね」

「ここを目指していたわけではないのだけど」


 伊那は周囲を見渡した。まるで宇宙船の内部のようだ。足の下に星々のきらめきが見える。それに、本はどこにもない。


「図書館っていうけれど、本がないわよ?」

「銀河図書館のレベルになると、本の形態は必要ないのよ。宇宙図書館は地球の図書館に似せてあるけれど、ここでは、すべての情報はチップのように一粒の中にすべて存在する。受け取る器の容量分だけどこまでも受け取れる」

「便利なのね」

「宇宙はどこまでも無駄を省いてシンプルなのよ。人間が物語をややこしくしているだけ」

 少女はそう言って笑った。

「10年ぶりになるのかしら?」

「そうね。前回に会ったときあなたは私と同じ13歳。いま、あなたは23歳ね。あぶないところもあったけれど、無事に宇宙の成人になれたわ」

「宇宙の成人って、そういえば23歳だったわね。無事に大人と認められてよかったわ。もともとは19歳で事故死する運命だったっけ」


 伊那はそう言いながらおかしくなった。私は19歳で事故死せずに、ロウと恋に落ちたのだ。では、ロウに出会わなければ事故死の運命だったということだろうか?

 伊那の思考を読める少女が答えてくれた。

「違うわ、あなたが事故死の運命を回避できたのは、ロウではなくてコルディエ教授の情報を見つけたときよ」

 伊那が自分以外にも、円周率の数字を美しいと思う人がいることを発見したときだ。世界で自分ひとりかもしれないと孤独を感じていたことが一瞬で癒された。しかもその人は世界的な数学者だった。だから伊那は数学を選んだのだ。

「コルディエ教授と恋に落ちてもよかったのだけど、彼はあまりにもキャラクターが特殊で、恋人向きではないわ」

 少女はそう言って笑った。

「まぁ・・・そうね」

 伊那も同意した。コルディエ教授のことは人間性も才能も、美しいとはいえない容姿も、妙な組み合わせの服装さえ大好きではあるが、恋愛対象かといわれると少し違う気がした。


「ロウに出会う前、誰かに出会う感じがすごくしたのだけど、あれはあなたがメッセージを送っていたの?」

「そうね、あなたたちの出会いは意図されたものではあるわ。見えない存在が介入したのよ。あなたはメッセージを感じたというより、運命に対する介入のエネルギーを感じたのね。あなたのためでもあるし、彼のためでもある」

「ロウの?」

「彼は日本に来る必要がある。彼は日本のエナジーを必要としている。そして、日本の神々も彼を必要としているの」

「でも、彼は日本入国ができないのだけど」

「その運命を変える糸を神々は探していた。彼の運命はフランスに固定されていて動かない。その膠着した運命を揺らすだけの糸として、あなたを探し出した。彼と過去世もずっと一緒だったことはわかっているのでしょう?」

「でも、ずいぶん昔よ。最近、彼と出会ったことはないわ」


 伊那はそう言った。確かにロウと一緒の過去世はたくさんあるが、最後に出会ったのはちょうど紀元0年を少し過ぎたあたりのようで、どういう理由かその前世にはシールドがかかっている。しかも、その前世から現世までの2000年間には一度も出会っていない。この2000年の間、転生しながら伊那が恋をしたり結婚したりしたのは、すべてロウ以外の男性だ。伊那が男性として生まれたときもロウとは出会っていない。


 2000年ぶりに出会っても、二人はお互いを見分けることはできたのだが・・・。

 紀元0年頃、キリストが生まれたからこその0年だ。だがもちろん、ロウはキリストではない。

「あなた以外に彼の運命を変える糸は見つからなかった。だから、あなたは彼を日本に連れて行かなくてはいけない」

「連れていけるものなら連れていきたいわ。彼がずっと日本に行きたいと思っているのはわかっている」


 ロウが日本で死にたいと思っていることはわかっていた。日本の大地の中で眠りにつきたいと思っているのだ。もはや中国に帰ることが叶わないから、もうひとつの祖国である日本に憧れているのか、それともロウ自身が言っていたように、母親の郷愁を引き継いだのか、まるで日本に恋しているかのように、ロウは日本で死にたいと思っている。ロウはフランスに感謝しているが、フランスの大地で眠りたいとは思っていない。ロウは決して口にしないが・・・。そして、ロウの死の時間まで、残り16年。


「運命は動く兆しを見せている。行くなら、今よ」

「今なの?!」

「だから私が来たのよ。あなたに伝えるために」

「突然言われても・・・いったい、どうすればいいのか」

 伊那は途方に暮れた。そのことは何度も考えた。伊那なりに心を深く痛めていた。どうにかならないのだろうかと考えあぐねていた。しかし、伊那にできることなど、なにもなかった。


「あなたには、あなたにしかできないことがある。あなたに現実的な能力は期待していない。あなたができるのは、日本までのエネルギーラインを引くことよ」

「フランスから日本まで?」

「そうよ。あなたがそのラインを引ければ、彼はそのラインを通って、日本にたどり着ける。最初にエネルギーがあり、あとで現実が動くのよ。知っているでしょう?」

「それって、つまり、私が先に帰国するということ?」

「そうよ」

「彼と離れるの?」

「怖いの?」

「怖いに決まっているじゃない」

「意外に執着しているのね」

「当たり前でしょう。私たちは生きているんだから」

「私は命がないから、わかるわけないわ」

 伊那と伊那の分身はお互いにそう言って笑いあった。


「明王様よりロウのほうがよかったの?」

 少女は驚くべきことを言った。

「えっ?」

「だって、明王様って、最高級の男性じゃない」

「そこ、比べていいの?」

 伊那は思わず笑ってしまった。15歳のときに出会った不動明王の姿を思い出した。寺にある仏像の姿とまったく違い、優しい瞳を持つ美しい男神ではあったが、全身は炎に包まれている。「我に触れてはならぬ」と語った静かな声を思い出した。

「明王様は触れられないじゃない」

「そこ、大事なの?」

「当たり前でしょう、私たちは生きているんだから」

「だから、私は命がないから、わからない」

 二人はそう言ってまた笑いあった。


「2000年ぶりに会ったのに、たった20年しか一緒にいられないなんて短すぎるわ」

 伊那はそう言った。ロウに触れるとき、エナジーは2000年分の空白の隙間を埋めることもあり、シールドのかかっていない前世での親和状態に戻ることもあり、12000年前の星の記憶が流れてくることもある。古代エジプトでもロウとは一緒だった。二人はピラミッド建築に関わっていた。

 ロウと出会って4年目だが、2000年の空白の隙間を埋めるにはまったく足りなかった。いや、実際には12000年分なのか。

「別に地上の時間に固執しなくても、星に帰れば永遠に一緒じゃない」

「そりゃそうだけど、そうは割り切れないわよ」

 伊那はそう言って肩を竦めた。この話が少女との間で永遠に平行線をたどるのか仕方ないことだ。伊那は命を生きる途中であり、少女には命がない。


 シールドのかかっている2000年前の前世よりもうひとつ前の前世、ロウは伊那より年下だった。場所は現在の中国で、二人は同じ少林拳の門下生だった。この頃、少林拳は仏教の寺院内にあった。そして仏教も、できたばかりの新興宗教であった。年上の伊那のほうがすべての技において勝っており、ロウはなんとか伊那に勝とうと修練を重ねていた。ロウは歌うことはなく笛を吹いていた。その笛も、基本的には人前では吹かず、ひとりで山や野原に出かけたときに気ままに吹いているほうが好きだった。「風が聴いてくれてるよ」といつも言っていた。聴くのはほとんど伊那だけだった。その笛の音は、ロウのピアノと同じように穏やかだった。いったいロウは、あの咆哮のような歌声をどの転生で習得したのだろう。

 二人の恋は自然で穏やかだった。二人の人生は、結婚し、少林拳の道場を開き、子供を育て、門下生を育てながら平和に過ぎた。子育てや家事は女性の仕事で、伊那はほとんど少林拳のほうには関わらなかったが、お釈迦様の教えが行き届いたこの土地では、女性蔑視の考え方はなかった。夫婦仲は愛と信頼で結ばれ、ふたりは年老いて子供たちと生徒たちに見守られて亡くなった。 

 出会った頃、ロウは「なんだか僕のほうが年下の気がする」と言ったことがあったが、それはこのときの記憶かもしれない。今生では35歳も年上で、いつも余裕があって優しく包み込んでくれるのだが、ときおり、前世の記憶が蘇るのか、伊那に絶対負けまいとむきになるところがおかしかった。

 このときも伊那には予知能力があり、この能力を持つ人間は「三つ目族」と呼ばれていた。それは、予知の映像が通り過ぎていくのが額の中央、チベットの仏たちにある第三の目と同じ位置だったからだ。この時代の人はまだエネルギーを見ることができ、三つ目族のこの目を皆が見ていた。

 ここは松果体の位置になる。松果体は子供のうちは大きく、大人になると小さくなるが、子供のままのエネルギーを保持すること、それが霊能力を維持することにつながる。世間に迎合せず、生まれる前の魂のエネルギーを保つということだ。

 このときも伊那には人の死の時が見えていた。だが、それは死の刻限を知ることで最高の生を生ききるためのものであり、神から授けられた祝福の能力であり、呪いではなかった。誰からも不吉と言われることもなかった。この2000年の間に、人間の世界でも、伊那自身の中でも、その知恵は失われつつあった。伊那自身が「不吉」と感じていた能力ゆえの苦痛は、ロウと一緒に暮らすことで少しずつ癒えつつあった。


 そもそも人が本能的に死を恐れるのは、死の瞬間に「魂の暗闇」に入ってしまうからだ。一時的な魂の記憶喪失状態になり、自分が何者なのか、どこから来たのかどこへ行くのかわからなくなってしまう。だが、死の瞬間に「魂の暗闇」に入ることなく、意識を保ったままで死を迎える方法もある。生きているうちに、肉体の体のもうひとつ上位の存在、「光の体」を把握できるようになっていると、光の体の中から状況を把握し、光の体の仲間たちとともに、自分が行くべき場所へ行くことができる。そうした「死」には恐怖がない。だが、まだ肉体を持ったままの愛する人との別れの悲しみは存在する。それでも、魂の記憶喪失に落ちていく得体のしれない恐怖はなく、数年、あるいは数十年後には愛する人と再会できるという確信も得られる。

 この「光の体」をはっきり把握するためには、呼吸法、瞑想、肉体の鍛錬などさまざまな方法があるのだが、愛する人の腕の中で得られるエクスタシーでも到達できる。愛と死は同じところに存在する。


 もちろん伊那は、ロウを日本に連れていきたいと思っていた・・・だが、道は見つからなかった。

 伊那はいつでも日本に帰れる。だが、難しい立場であるロウは、気軽に日本へ行けるわけではない。日本政府は中国に気を遣っている。それが永住となるとなおさら難しい。

 この世の出来事を動かすには、最初にエネルギーを動かさなくてはならない。いま、ロウには日本に繋がるエネルギーの糸がない。そのエネルギーの糸になれるのは、自分だけなのだ。


 そうだ、最初に出会ったとき感じた「意図」は「糸」なのだ。彪は、私の後ろに日本を見た。他に日本人の知り合いはいくらでもいただろうに、この鋭い人は、どこかでその役目が私だということを知っていたのだ。

 ロウを日本に連れて帰れる方法はあるのだろうか。パリから日本まで、エネルギーの糸を引いていく方法が?

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