第13話 伊那 19歳 言語の回転

「そういえば」

 ある日、ロウはこんな話をしてくれた。

「イナは数字が回転する、と言ったが、音も回転するよ。私にとっては音が回転するのは当たり前だが、もしかしたらイナとヤドヴィカには音が回転するほうが不思議かもしれないと思ってね」

「音が回転する?」

 伊那はそう聞き返し、ヤドヴィカと目をあわせた。

「気が付いたことはないよね」

 ヤドヴィカはそう伊那に言い、伊那はうなずいた。

「歌手が遠くまで音を届けるときは、ただまっすぐ音を飛ばしているのではなくて、声を上に投げているのはわかるかい?」

 ヤドヴィカが首を振り、伊那は首をかしげた。

「声が大きいのかと思っていた」

「そりゃぁ、歌手以外の人と比べたら声は大きいだろうが、そんなにずっと大声を張っていたら、喉がつぶれてしまうよ」

 ロウはそう言って笑った。

「声はボールのように回転するんだ。まっすぐ投げては、すぐ床に落ちてしまう。そうすると遠くまで音を届けることができない。だから、空に向かって投げるんだよ」

「歌声が回転するという意味なの?」

 伊那がそう尋ねた。

「歌声は回転するというより、回転させるという感じだな。歌手はみんな意図を持って、ある方向にある回転で声を投げかけるのだよ。もっとも回転を意識できる人とできない人がいるが。意識できるかどうかと、歌の上手下手は実は関係ない。それはなんというか、生まれつきのものだ。

 私たちが普段話している言葉も回転しているよ。他人とコミュニケーションをとるという意図を持って発せられるのが言葉だからね。そして、言語によって回転の方向は違う。言語によってコミュニケーションの仕方は違うからね。フランス語は回転が激しいが、日本語はほとんど回転しない」

「フランス語が丸いのはなんとなくわかる・・・」

 伊那はそう言った。

「えーっ、私はまったくわからないわ」

 ヤドヴィカはそう言って笑った。


 伊那はそれから、言葉の回転に意識を向けるようにしてみた。

 なんとなく、フランス語が丸いのは気がついていた。ただ、意識を向けたことはなかったのだ。それで回転に意識を向けていると、あっと気づくことがあった。

 自分では正しい発音をしているつもりなのに、通じないのはどうやら回転数が足りないときのようだ。発音には回転数が関係しているのか、それともそれがエネルギーのものなのかはわからない。回転数を上げるだけで、音が変わるのを感じるようになり、前のように通じないことが減った。

 伊那がその話をロウにすると、

「そう、日本語は回転数の少ない言語だから、日本式の発音をすると、すべて回転数が足りないんだよ。たしかに最近、フランス語の発音が上手になったね」

 と褒めてくれた。

「日本語は、あまり感情をのせない言語だから、回転しないんだ。その言語に回転を与えることで、感情を乗せることができる。だから演歌歌手は日本語に回転を乗せて歌うことで感情を揺さぶるんだよ。もしも、はじめから回転しているフランス語で演歌を歌ったりしたら、フランス語の美しさも演歌の抒情性もどちらもだいなしだよ」

 そう教えてくれた。伊那は演歌のこぶしにはそんな効果があったのかと感心した。たしかに日常に聞く日本語にはほとんど感情は乗っていない。怒りを表現するには大声にしなくてならないし、悲しみを表現するには小さな声にしなくてはいけない。言葉そのものに感情が籠めにくいのだろうか。


 伊那はロウに、回転しているフランス語なら歌いやすいのかと尋ねたが、意外なことに難しいと答えが返ってきた。

「フランス語の発音で、オペラの発声するのは方向が逆だから難しいよ」

「方向が逆?」

「オペラの発声は外巻きでフランス語の発声は内巻きだよ。フランス語の歌は、そうだな、恋人のためにそばで歌うにはふさわしい歌だが、大きな会場で歌うには適さない。回転が内巻きで遠くまで届かないんだ。マイクの発明がなければ、フランス語の歌は流行らなかっただろうな」


 伊那はそれから、フランス語の発音とオペラの発声の回転を感じるようにしてみた。

 なるほど「恋をささやくための言語」との異名をとるフランス語の発声は、優しく柔らかく内側に向いている。まるで恋人を抱擁しているかのようだ。それは外に向かってエネルギーを放出する音ではない。フランス語の発音は、吐息とともに歌うほうが美しい。

 イタリア語の発音は明るく輝いて広がっていく音だ。フランス語のように恋人を抱擁しているわけではなく、青空に向かって喜びを歌っているような音。

「イタリア語の発声は外巻きってこと?」

 と伊那がロウに尋ねると、

「そうだよ、やっぱりイタリア語のオペラが一番歌いやすいな」

 と答えが返ってきた。

「そもそも、オペラはイタリア語の美しさを表現するための芸術だからね。イタリア語は、言語そのものがすでに韻を踏んであるんだよ、素晴らしいと思わないか。なんて美しい言語なんだ」

 と目をキラキラさせながら話してくれた。イタリア語が、女性形・男性形と単語によって、語尾がすべてAで終わったりOで終わったりすることをロウは「韻を踏む」と表現した。

「AがすべてEに変わったり、OがすべてIに変わったり、まるでオセロのようじゃないか。美しくて楽しい言語だよ」

 と、複数になると語尾が変化することを、今度はオセロにたとえた。


 ロウは子供時代、少しだけイタリアに暮らしたことがあると話してくれた。そのときがロウとオペラとの出会いだ。それまでイギリスに暮らしていたが、母親の病気療養、つまり転地療養のために寒く湿気の多いイギリスを離れて、温暖なイタリアに行ったのだという。イタリアの人々が歌う、明るく輝く声に魅せられたのだと言っていた。それからロウは、イタリアの歌を歌うようになった。それがいまのロウの職業へつながる道になった。


 ある日、伊那は夢を見た。

 静かな透き通った湖のほとりにロウが佇んでいる。ロウが纏っている服は古代ギリシャのような白く流れ落ちるローブのような形だ。銀の髪がまっすぐに流れ落ちている。瞳の色も透き通るように薄い。それでも、まぎれもなくロウだった。

 ロウは静かに水面を見つめている。その水面に、ロウの涙が一粒落ちた。水面に静かに広がっていく一重の輪。輪の広がりとともに、静かな妙なる一音が広がっていく。ピンと張り詰めた、美しい一音が。


 その音のあまりの美しさに心を揺さぶられ、伊那ははっと目を覚ました。


 いまのは、いったい、何を見たのだろう。何を聴いたのだろう。

 あの音は、あの広がっていく輪は、1の幾何学模様だ。

 1とは、水面に落ちた涙の波紋なのか。

 ロウの?

 誰の?


 ―はじめにことばがあったー


 あれは聖書の言葉だったのだろうか。古い言い伝え。言葉とは、音のことか。この世は、音からスタートしたのか。最初の一音と、最初の数字は同じものだ。


 それにしても、なんという美しい音だったのだろう。この世に広がっていく原初の光のような音。最初の光と、最初の音と、最初の数字はすべて同じものなのだろうか。


 伊那は、その音の余韻に浸っていた。そしてこの経験が、まぎれもなくロウの影響によるものだと感じていた。


 伊那は毎日、月と日の数字に意識を向けていたが、7月13日の数字に意識を向けていると、突然、13の数字から妙なる音楽が流れてきた。

 ほかの数字にも「音」はある。だが、12までの数字は単音であり、13の数字は音楽だ。

 そう、13の数字は特別だ。だから宇宙図書館は、ほとんどが13歳未満閲覧不可、となっていたはずだ。忘れかけていた宇宙図書館の記憶も鮮やかによみがえってきた。

 結局、あれ以来、一度も宇宙図書館には行けていない。そもそも、あの女の子・・・過去世の伊那自身も、次に会うのはずいぶん先になる、と言っていた。それはいったい、いつだろう。


 ヤドヴィカが家族に会いに一週間だけポーランドに帰っているとき、伊那とロウは二人になった。そのとき、伊那はロウに聞きたかったことを聞いてみた。最初にロウに出会ったときに感じた、ソートグラフィストの能力についてだ。ロウがそのことを、どこまでわかって発しているのかを知りたかった。

 ロウは、なんとなく気づいてはいるし、似たようなことを何度か言われたことがある、と返事をした。

「イナはどういう風に受け取ったの?」

 ロウにそう問われて、伊那は最初に出会ったときに歌ってくれた歌、在那遥遠的地方のときの映像を思い出して答えてみた。

 果てしなく広がる草原と、はるかに高い青い空、吹き抜ける風、そこに生きている人々の暮らし。

 ロウが、草原の向こうに何があるの?と尋ねるので、思い返しながら、左の奥には高い山の峰が連なっている、なんだか険しい山みたいよ、頂上がとがっているように見える、右は草原の向こうが地平線になっている、右手前は家々の軒先かな、と答えた。人々の暮らしって?とロウが尋ねるので、モノを売っている人たちよ、なんだか屋台みたいかな、活気があって賑やかで、細い路地が曲がりくねっていて、子供たちと、ニワトリが走っている、と答えると、ロウがため息をついて言った。

「それは私が子供の頃に住んでいた場所だよ」

 伊那のほうがびっくりした。ロウは自分の心に浮かべている景色を送っているのだと思っていた。

「私は、イナみたいな能力を持つ人に会ったのは初めてではないが、君みたいに詳細なのは初めてだよ。それは君が数学、数字を通じて図形というものを受け取るから、映像が詳細なのかな」

 そう言った。ロウはさらに伊那にこう質問した。


「イナは、円周率から何か映像が見えたりするの?」


 そう聞かれて、一瞬伊那は迷った。ヤドヴィカには、円周率の向こうにある宇宙図書館の話をしたことがあった。円周率を美しいと感じるのは数学科として普通であっても、円周率から宇宙図書館にたどり着くのは伊那特有だろう。ただし、過去の高名な数学者たちは、宇宙図書館の幾何学の館から、新しい公式を地球に持ち帰っている。生身の体で宇宙図書館にたどり着かなくても、たゆまぬ努力と熱意があれば、宇宙図書館のデータを「ひらめき」という形で受け取ることができる。

「円周率の数字の向こう側に宇宙図書館を見るのは私特有だと思います」

 思い切って伊那は言ってみた。

「宇宙図書館?」

 伊那は、かつてヤドヴィカに説明したように、宇宙図書館での経験についてロウに説明した。

 あれから六年たって記憶があいまいになっているところもあったが、忘れようとしても忘れられない、案内の女の子の真っ黒な瞳、過去と未来の記録、地球の記録、テーマ別に分かれたいくつもの館、イルカが通り過ぎていく図書館・・・。伊那の長い話を、ロウは真剣に興味深く聞いてくれた。伊那が最後まで語り終えるとロウが言った。

「それは東洋でいう薔薇の図書館だね」

「薔薇の図書館?」

「この宇宙のすべての記録をしまってある図書館だ。そうだな、いまの人ならアカシックレコードと言うだろうが、東洋の古い文献には薔薇の図書館として記されている。東洋にも西洋にも、古い文献にはこの図書館のことが記されている。この図書館にたどり着ける人間は、人間の歴史の中でずっと絶えることなく存在してきたんだよ。君のようにね。なんでも、入り口に薔薇の紋章があるからこの名前がついているという話だったが・・・」

 ロウがそう言って伊那を見た。

「入り口にあるのは正32面体だと思いましたが」

 伊那は首をかしげた。ロウはしばらく考えていたが、

「おそらく、数学者が見ると薔薇が32面体に見えるということではないか」

 そう言いながら納得していた。たしかにそうかもしれない。異世界のものは、見る人によって少しずつ形を変える。おそらく、見た人にとってわかりやすい形で受け取るということなのだろう。他の人にとっては「薔薇」がもっとも美しいもので、数学者にとっては「正32面体」がもっとも美しいものなのだ。


「薔薇の図書館か。私も行ってみたいものだ」

 ロウが言った。

「私は、今はもう行けないんです」

「必要があればいつか行けるよ。道はついているんだから。そうか、君の数学は薔薇の図書館につながっているんだね。それなら問題ない。君の数学は間違いなく誰かを幸せにできるよ」

「そうでしょうか?」

「間違いないよ。薔薇の図書館なのだから。

 そう、私も先生に言われたものだ。君のピアノは普通だ。君のピアノで、誰かが幸せになることはないだろう。誰かを幸せにできるのは、君の歌だ。だから、君は歌わなければならない。

 だからつまり、イナは数学をやらなければならない、ということになる」

 ロウの話す声を聴きながら、伊那はまた宇宙図書館に行ける日が来るような気がしていた。たぶん、そう遠くなく。

「また図書館に行けることがあるような気がします」

「そう。行ったら、何を見たのか私に教えてくれるかい?」

「はい、もちろん」

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