第3話 窮屈な毎日
以来、ボクはなんだか恐ろしくなって、その店に通うのをやめた。
代わりにほかの店に寄ってみたりもしたけれど、つまみはおいしくないし、なにかが足りない。
あの店に行かなくなったことで、友だちと飲みに行く機会は増えたけれど。
「っていうかさ~、あの店、おまえ、よく通ってたよな?」
「そうそう、なんか居づらいっていうかさ、ヤな雰囲気だったじゃん? あそこ」
みんな、口を揃えてそう言う。
確かに、特殊ではあったかもしれないけど。
ボク自身も、イライラするって愚痴ったりしたけれど。
だんだん僕は、外で飲むことにも飽きてきた。
といって、やっぱり家で、父親の晩酌に毎回つきあうのはごめんだ。
あの店の前を通るたび、ボクはいつも寄ろうかどうしようか迷って、やめている。
いつのころからか、頭の中を
「ヘイ! ガッテンだ!」
の、元気な声が響いてくる。
それは普段の生活の中でも、ときどき不意に浮かんできて、風呂の中で延々と、一人ブツブツ呟いたりした。
ボクはしばしば、会社の同僚や上司になにかを頼まれると
「ヘイ! ガッテンだ!」
というようになってしまっていた。そう、まるで口癖のように。
そうして半年が過ぎたころ、ボクは周囲に
「良くキレるヤツ」
と言われるようになった。
些細なことでも腹が立つし、常になにかにイライラしていた。
今日も、上司の言葉尻に苛立ちを感じ、思いっきり言い争いをしたあと、定時にもなっていないのに、早退をしてきてしまったのだ。
駅でも、電車の中でも、ボクは目につくものにイライラしながら、早い時間に最寄り駅に降り立ってしまった。
家に帰るには早い。
母親に、あれこれ聞かれるのも面倒臭い。
かと言って、他に行く場所もない。
どうしたらいいかわからないまま、トボトボと駅から家までの道を歩く。
あの居酒屋の前に足を止めた。
まだ早い時間で、店は開いていないけれど、居酒屋の入口に掛かった垂れ幕に、僕は目を惹かれた。
【正社員募集中! 元気のあるかたなら誰でもOK! 持て余した毎日を変えてみませんか?】
立ち止り、ぼんやりと『持て余した毎日を変えてみませんか?』という言葉を心の中で繰り返した。
スマホを取り出し、ボクは一番下に書かれていた電話番号をタップする。
「はい……。はい……。そうです。店の前にある正社員募集の件で……え? これからですか? いえ、大丈夫です。はい。よろしくお願いします」
ボクは電話を切ると、そのまま近くの文房具屋へ飛び込み、履歴書を買ってその足で出かけた。
指定されたのは、都内の某所、ボクの会社からほど近い場所だった。
大きなビルのワンフロアに、居酒屋の本部があり、そこで面接を行うと言う。
近くのカフェで急いで履歴書を書き、時間の少し前に本部のドアをノックした。
面接官は、みんな、にこやかな感じのいい人で、全部で五人、長机に並んで座り、向かい側に置かれた折りたたみ椅子に僕は腰を下ろした。
「ええと……お名前は……水島くん、ですね」
「おや、このお近くにお勤めされているんですか?」
ボクはなるべく元気に見せるよう、大きな声でハキハキとそれに答えた。
今の会社は、今月で辞めるつもりだと、宣言までしてしまった。
「で……わが社へは、どう言う……」
「はいっ! ボクは最近、自分の生活を持て余し、なにか新しいことを始めたいと思っていました!」
「そうですか、それはいいことですね」
面接官からいくつかの質問をされ、それに答えている内に、ボクは少しずつ高揚していった。
「わが社では、入社していただくと必ず寮に入るのが決まりとなっています。例え勤務となる店舗が自宅から近くても、ですが……」
「その辺りはどうでしょう?」
全寮制か……。
でも、自宅にいるよりはいいのかもしれない。一人立ちにもなるだろう。
問題ありません、そう答えると、面接官はにこやかに言った。
「そうですか、それは良かった。では、採用とします。入社、入寮は五日後になります。よろしいですね?」
「ヘイ! ガッテンだ!」
ボクの口から自然とあの言葉がこぼれた。
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