第9話
9
改札を出ると辺りはすっかり暗くなり、
月明かりが街を照らしていた。
駅のホームでの突然の出来事の後、
1度外に出た私達は、ゆっくりと
私の家の方向へ足を進めていた。
コツコツコツ
2人の足音だけが耳に入る。
彼女が何を考えているのか、
なぜ私についてきたのか、私には思い当たる
ことがあった。きっとそれは、
もっと早く向き合うべき事で、
彼女に伝えるべきことだったのだろう。
だけど、彼女との幸せな時間は、
それから目を背けてしまうほど私にとって
大切なものだった。
もしかしたらそれは、自分の弱さを隠す言い訳に過ぎないのかもしれない。
そんな事を考えながら足を進める。
互いに何も言わずに、
このまま一緒にずっといられたら
何よりも幸せなんだろう。
しかし、私は静かに口を開く、
「紗倉さん」
彼女は表情一つ変えずにこちらを向いて、
「なに?」
彼女は優しく微笑んで、一言言った。
一息置いて、私はカバンから
いつものカメラを取り出す。
ここで彼女に話したら、全てが終わる、
彼女と会うことも無くなって、
またいつもの日常へと戻る。
朝起きて、学校行って、
ボーッと窓の外眺めて、家に帰って、
ご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。
そんな当たり前の日常へと戻る。
いや、きっともうその当たり前も、
手に入らないのだろう。
だけど、彼女にだけは本心を
伝えたいと強く願ってしまう私がいた。
覚悟を決め私は慣れた手つきで
カメラの電源を入れる。
そして写真のフォルダーを開くボタンを
親指で力強く押した。
少しの暗転の後、画面が切り替わり
一枚の写真が映る。
私の母の写真。
私が初めて撮った、人の写真。
彼女は表情一つ変えず優しい顔で頷く。
心臓の鼓動が高まり、カメラを持つ手が
震えているのがわかる。
私は彼女に全てを打ち開けた。
拙い言葉しか出てこなかったが、
必死に事細かにあの夜のことを
彼女に伝えた。
「話してくれてありがとう。」
彼女の返事はとても単純なものだった。
安心と後悔から、私の目からは
大粒の涙が零れ落ちていた。
私はその場に倒れ込んで
号泣した。
静かな街中に1人の男が
すすり泣く声だけが響き渡る。
あの日、そう蝉が忙しなく鳴いていた日。
今思うと、その日の母の様子は確かにおかしかった。
殴られもしなかったし、口調も優しかった。
まるで小学生の頃のような優しい母だった。
母の泣き声が聞こえしばらくすると、
突然一人話し始めた。
「ごめん、ごめんねぇ蒼人」
強い違和感を覚えた私は勢いよく体を起こす
すると母がナイフを持って、
私の方を向いていた。
何時かこうなるのではと考えた事がなかった
訳じゃなかったが実際に起きてみると、
震えて動くことが出来なかった。
「あ、、、」
目の前にいる親とは思えない人は、奇妙な程に見慣れた母の姿をしていてすごく気味が悪かった。
「ねぇ蒼人ぉぉ、、、
私の事殺して、お願い、
もう疲れたの」
母は床にナイフを投げ捨て母はまるで駄々をこねる赤子のように、その場に蹲り震えている。
恐怖心からか私は地面に落ちたナイフを、
拾い上げた。
すると、母は私の方へ近ずいて来た。
今まで見た事のない母のその顔は、とても
悲しそうな表情をしていた。
震えた手でナイフを持ち上げ、
母の胸の方へ向ける。
母は最後に今まで見せたことの無いような、
すごく、すごく幸せそうな表情をしていた。
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