【8月上旬】朝日向火乃香と小さなささくれ 中編

 自宅ドアのささくれで指を怪我した俺は、義妹いもうと火乃香ほのかに手当てをして貰った。

 消毒と絆創膏ばんそうこうを終えて、椅子代わりに座っていたベッド立ち上がろうとした直後。火乃香に呼び止められてバランスを崩してしまった。

 あろうことか、俺は火乃香を押し倒すように。


 「あ……わ、悪い!」


思いがけないアクシデントに放心するも、すぐさまわれに返って飛び起きるよう火乃香から離れた。

 もちろん故意ではないけれど、居たたまれずに俺はベッドから立ち上がった。


 「待って」


だけどそんな俺を、火乃香がまた腕を掴み留める。

 上目遣いに見上げる義妹の視線に、俺はゴクリと固唾かたずを飲みこんだ。


 「つめ」

「へっ?」

「爪伸びてるから、ついでに切ってあげる」


掴んだ腕を返し、火乃香は俺の両手指を見つめた。確かに少しばかり爪が長い。


「もしかして、さっき呼び止めたのもそれか?」

「そうだけど、なんで」


冷や汗を浮かべる俺とは対照的に、火乃香は平然とした様子で答えた。

 変に意識しているのは俺だけだったのか。

 そう思うと途端に恥ずかしさが込み上げて、俺は「コホン」と咳払いした。


「さ、流石にそれは悪いからいい」

「よくない。放っておいたら兄貴、爪が欠けるまで切らないでしょ」

「けど……」

「言う事聞けないなら、今日の夕飯は兄貴の嫌いなピーマン料理にするよ」

「うぐっ!」


じっと鋭く睨む火乃香に俺は二の句を継げず怯んでしまう。もはや脅迫だ。


 「ほら、早く座って」


先程と同じく、火乃香は自分の隣を叩き催促する。

 こうなっては観念するより他にない。俺は渋々とベッドに座り直した。


 「ん、よろしい」


どこか得意気に俺の左手を取ると、火乃香はそっと優しく爪切りを当てた。


 ――パチン、パチン。


爪を切りはじく音が、部屋の中に木霊こだまする。


 他人ひとに爪を切って貰うなんて、小学生以来だ。

 内心はヒヤヒヤだったけど、火乃香は爪を切るのも得意らしい。


 深爪はもちろん痛みも無い。むしろ気持ちが良いくらいだ。リズムよく切られる爪の音も相俟あいまって、心身ともにリラックスしていく。


 さっきの出来事で焦る俺とは裏腹に、火乃香は微塵も動揺していない。義理とはいえ兄妹だし、それが当然の反応なのかな。


 「はい、終わり」


などと考えている間に、火乃香は両手とも爪を切り終えていた。少しだけ名残惜しいが、俺は「ありがとう」と微笑みかける。


 「……兄貴ってさ」

「んー」

「指っきいね」

「そうか?」

「うん。なんか男の人って感じ」

「気にしたことないな」

「そうだよ。だってほら。指の長さはわたしと変わんないのに、大きくて力強い感じするし。なんか、ずっと触ってたいかも」


口端に笑みを浮かべながら、火乃香はまた俺の手を取りペタペタと触れる。

 指を伸ばして大きさを比べ合ったり、握り合って感覚を確かめたり。

 ただそれだけのことなのに、俺の心臓はドキドキと早打ちを刻んだ。


「あ……ありがとな火乃香。さーて、俺は映画でも観ようかな~」


サッと手を引っ込めた俺はわざとらしく声に出して、俺はそそくさとベッドから腰を上げた。


 ――がしっ。


 だがその瞬間。

 ベッドに腰かけたままの火乃香が、勢いよく俺の腕を引いた。


「うおっ!」


不意を突かれた俺はまたもバランスを崩して、呆気なくベッドに転がされる。

 そうして仰向けに倒れた俺の上へ、火乃香が間髪入れず覆い被さってきた。


「ほ、火乃香?」

「……」


抱き合うみたく体を密着させる義妹に、俺はしどろもどろに名前を呼ぶ。

 だが火乃香は応える気配もなく、俺の胸板に顔を押しつけた。


 鼻腔をくすぐる甘い香りが、火乃香の長い髪からふわりとのぼってくる。

 細く柔らかな感触を全身に受け、心臓はこれでもかと激しくたかぶった。

 はやる血流に否が応でも体が反応する。

 男根こかんたけり膨張する。


 火乃香のあしを押し退けるほど激しい屹立きつりつ

 慌てて逃げようと腕を動かすも、火乃香に右手を取られてしまう。

 同時に火乃香は半身起こして、馬乗り気味に俺を押さえつけた。


 注がれる視線に熱がこもる。


 かすかな息遣いが耳を撫でる。


 五感のすべてが火乃香に向けられる。


 絡み合った指と指。


 ささくれの傷が、チクリと痛んだ。




 〈つづく〉

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