第13話 ナーベラル・ガンマ

モモンガさんの『ゲート』を潜り抜けて第九階層に来た俺は周囲から無数の視線を感じで見渡すと天井や廊下の隅に小さな蜘蛛が無数にいることに気づいた。



「蜘蛛?」



「あれらはエントマの眷属です。モモンガ様に警護を命ぜられておりますので、監視をしているのでしょう。」



俺が質問する前に俺の抱いた疑問を察してくれたセバスが淀見なく回答してくれた。



「なるほど。それでセバス、ナーベラル・ガンマと会う前に少し相談してもいいか?」



「はい。私でお役に立てるのでしたら何なりと。」



「実は──。」



俺はセバスに落ち込んで自暴自棄になっていた彼女を励ますためにやろうとしている事を相談した。



「蘭丸様の仰る通りに御座います。それならばナーベラルは納得せざるを得ないでしょう。」



「やはりか。でも、やっぱり少し卑怯なやり方だよな。」



「ご安心ください。私どもの事をそこまで考えてくださる蘭丸様のお気持ちを察せられぬ程、ナーベラルは思慮の足らぬ女性では御座いません。」



「そうか。やはりセバスに相談してよかったよ。ありがとう。セバスと話していると先輩と話しているみたいで落ち着いたよ。あっ!先輩ってのはな。」



セバスは先輩が作ったNPCだからなのか。雰囲気がとてもよく先輩と似ているので何でも話せてしまう。



「もちろん存じ上げております。私の造物主たるたっち・みー様のことで御座いますね。ナーベラル・ガンマの部屋にご案内致します。」



セバスの後を歩いていくと、彼は一つの扉の前で立ち止まって俺に向き直る。



「蘭丸様、こちらがナーベラル・ガンマの自室となります。彼女はモモンガ様の命を受けてこの部屋で待機しております。」



「そうか。案内ありがとう。」



「私に礼など不要でございます。蘭丸様はたっち・みー様の忘れ形見。たっち・みー様によって生み出された私にとってはたっち・みー様と同列に扱うべき存在であると思っております。それでは私はモモンガ様の元へと参りますので、ナーベラルのことよろしくお願い致します。」



セバスは深く腰を折り曲げて優雅にお辞儀した後、その場を離れて行った。



「ふぅ〜。出来る男ってのは何処の世界でもかっこいいもんだな。」



俺は去りゆくセバスの背中に先輩の背中を重ねながら、扉の前でゆっくりと深呼吸をする。



「さて、セバス先輩にも背中を押してもらったし。男らしく決着を付けないとな。」



幾つになっても女性の部屋に入るのは勇気がいる。



しかもこの部屋にいるのは俺が悲しませてしまった女性なのだ。



俺は意を決して扉をコンコンと叩く。



「はい。」



ノックを聞いて部屋の中にいるナーベラル・ガンマの声に心臓が止まりそうな程驚いたが、平静を保って扉越しに声を掛ける。



「俺だ。蘭丸だ。少し二人で話がしたいんだが、部屋に入ってもいいかな?」



「ら、蘭丸様!?は、はい!どうz……い、いえ、少しだけお待ちを!!」



部屋の中からドタバタという音が響くと、慌てた様子のナーベラル・ガンマの声が聞こえてきた。



女性は身嗜みに時間が掛かるというし、突然尋ねてきたのは俺だからここは黙って待つのがマナーだろう。



「ど……どうぞ。」



数分経った後、ナーベラル・ガンマが部屋の扉を開けて俺を迎え入れた。



彼女は取り乱して暴れたため玉座の間を出る前には服も髪もボサボサだったが、今は艶のある黒髪は綺麗に整えられて服もピシッとしたいつものメイド服を着ている。



部屋の内装は最低限のベット、机と椅子、クローゼット、化粧台があるビジネスホテルのような簡素な部屋だったが、いい匂いがするのはやはりうら若い女性の部屋だからなのかな。



「ナーベラル・ガンマ。玉座の間のことだが……」



俺が早速本題に入ろうと話し掛けたところ、ナーベラル・ガンマは突然、その場に両膝と両手を床につけるとそのまま頭を勢いよく床にゴンッと押し当てた。



「蘭丸様、申し訳ございません!」



ナーベラルはそのまま土下座の姿勢で俺に謝罪するとさらに続ける。



「私は仕えるべき主人に対して恋慕の念を抱くに留まらず、自らの下列な欲求を抑えきれぬという配下にあるまじき失態…ぐずっ…申し開きのしようが……御座いません……ずずっ……許されるならば……死を……。」



土下座のままで頭を下げ続けるナーベラル・ガンマの顔の下には大粒の涙が滴り落ちていた。



俺に諭された上、モモンガさんに命令されたから自害を許されずにずっと悩んでいただろうことはすぐに理解出来た。



「ナーベラル・ガンマ、頭を上げてくれ。」



俺は片膝を付き、ナーベラル・ガンマの両肩に両手を添えて彼女の顔をあげさせると、俺は彼女に向けて深く頭を下げた。



「あの時の俺の態度は女性への配慮に掛けるものだった。君に非はない。全て俺の責任、本当にすまなかった!」



俺はあの時、不躾な視線を受けて目線を逸らす彼女の身体を押さえつけた上で、無理やり顔を上げさせて吐息がかかる所まで顔を近付けながらまざまざとその表情を観察し続けたのだ。



責められるべきは俺であって彼女ではない。



「蘭丸様!どうか頭をお上げください。至高の御方々が我らをいかように扱おうとも……」



「ナーベラル・ガンマいや、ナーベラル!」



「は、はい!」



俺は少し声量を上げてナーベラルの名前を呼ぶことで彼女が言おうとした事を遮ると、俯いていた彼女は勢いよく返事をして顔をあげた。



「俺達は主人と配下である前に男と女だ。男である俺が女性である君へ配慮が掛けた行動をした事が今回の全ての原因だ。どうか俺の謝罪を受け取ってほしい。本当にすまなかった。」



彼女にまずは正式な謝罪を受け取ってもらわなければ、男として俺は自分が許せず、今後彼女に合わす顔がないので、再び深く頭を下げた。



「わ、分かりました。謝罪は受け取りましたからどうか頭をお上げください!!」



ナーベラルは慌てた様子で俺の謝罪を受け入れてくれた。



それが主人に頭を下げ続けさせることへの罪悪感だとしても謝罪を受け入れてくれたことで、俺の胸のつっかえが少し軽くなった気がしてニッコリと彼女に微笑み掛けた。



「ありがとう。じゃ、これで玉座の間のことは互いに言いっこなしだな。」



そして、玉座の前であったこと全ての原因は俺にあるという謝罪をナーベラルが受け入れたことで、彼女が俺にキスしてしまったことも俺の責任であると認めたことと同じである。



「はっ!?いや…でも、それとこれとは……」



「なら、ナーベラルが許してくれるまで、何度も頭を下げないと……」



「わ、分かりましたから、私ごときに頭を下げるのはおやめくださぁーい!!」



勝った。



当然、ナーベラルは納得出来ずに食い下がろうとしたが、主人に頭を下げさせてはならないという配下としての矜恃を利用して強引に納得させた。



〖蘭丸様の仰る通りに御座います。それならばナーベラルも納得せざるを得ないでしょう。〗



卑怯とは思うが、この効果はナーベラルの上司たるセバスの折り紙付きであり、効果はばつぐんだった。







とりあえず玉座の前での出来事は俺の責任ということで、ひとまずの話を終えた俺とナーベラルは互いに床に座ったままだったので、椅子に座り直すことにした。



「で、なんでナーベラルは立ったままなんだ?」



しかし、椅子に座ったのは俺だけで、ナーベラルは俺の対面に直立不動のまま立っていた。



「いえ、至高の御方と同じ席に座る等、ナザリックのメイドとしてあるまじき行為です。」



ナーベラルはそう言って頑として椅子に座る事はなかったのだ。



また頭を下げれば座るだろうとも思ったが、今回は別に誰が悪いわけでもなく、規則ならば不必要にナーベラルを困らせるわけにはいかない。



「蘭丸様、この度は特別のご配慮頂きありがとうございました。今後ともナザリックのメイドととして誠心誠意仕えさせていただきます。」



ナーベラルは俺に向けてゆっくり頭を下げた。



セバスの言う通り、ナーベラルは俺の謝罪が『彼女の責任を俺に転嫁するという』意図を含んでいることを理解しているようだ。



「あ〜ナーベラル、その事で一ついいか?」



しかし、俺にはまだ解決しなくてはならない事がある。



「はい。なんでしょうか?」



「ナーベラルが俺を好きだと言ってくれたのは、この容姿のことなのか?」



ナーベラルが俺に対する好意がどれ程のモノなのか確かめておきたかった。



仮にモモンガさんの言ったように『イケメン好き』設定で、アイドルやモデルが好きというファンとしての好意ならばこのままの関係で俺に依存はない。



「全てです。」



しかし、ナーベラルの想いが本物ならばこのまま気づかないフリをするのは男として失格だと思う。



「私は蘭丸様の全てを敬愛しております。」



俺はナーベラルの告白を聞きながら、モモンガさんとセバスが『ナーベラルのことをよろしく頼む』と言った事を思い出していた。



やはり二人はナーベラルの想いが本物である事に気付いてたんだな。



「不敬であることは存じておりますが、どうか蘭丸様を想い続ける事は許してください。」



まぁ、俺も気づかないフリをしていただけで彼女に聞くまでもなく、彼女の想いが本物である事には気付いていた。



何故、ナーベラルが俺をこんなにも好いてくれいるのかと疑問には思うが、瞳を潤ませている彼女の顔を見ていると理由なんてどうでも良くなる。



「ナーベラル、悲しいこと言うなよ。そんな事を弐式炎雷さんが聞いたら悲しむぞ?」



『アインズ・ウール・ゴウン』の初期メンバーである弐式炎雷とはニンジャ系のジョブを極めたハーフゴーレムの異行種であり、他ならぬナーベラル・ガンマの造物主である。



「弐式炎雷様……っ!?」



弐式炎雷さんは見た目も戦い方も忍者そのものであり、忍者姿の弐式炎雷、鎧武者姿の武人建御雷、侍姿の俺。似たビルドを極めた俺達三人は仲が良かったのだ。



NPCの性格や雰囲気は造物主に良く似ているので、もしかしたらナーベラルが俺に好意を持ってくれているのは、弐式炎雷さんと仲がよかったかもしれないな。



「弐式炎雷さんにとって娘同然のナーベラルが気持ちを押し隠して辛い顔をするのを喜ぶと思うか?」



俺は言葉を詰まらせているナーベラルに畳み掛けた。



「蘭丸様、ここで弐式炎雷様の名前を出すのはズルいです。」



セバスは俺にNPCにとって己の造物主とはギルド長であるモモンガさんよりも一段上の存在だと教えてくれた。



俺が事前にセバスに相談したことは、NPCにおける『俺が頭を下げた場合の反応』と『造物主の存在』のことだったのだ。



「ナーベラルの気持ちは凄く嬉しいんだ。」



「えっ?」



俺は自分の想いをナーベラルに伝えるべく、椅子から立ち上がって彼女と対面してナーベラルの目をしっかりと見据える。



「だが、曖昧な気持ちで君の想いに応えるのは友である弐式炎雷さんに顔向けが出来ない。だから俺に君を知る時間をくれないか?」



「至高の存在たる蘭丸様が……私の想いに応えてくださると……?」



「少なくとも俺は自分に好意を告げてくれた女性が傍いるのに蔑ろにするような男ではないつもりだ。だから、ナーベラルの事をもっと知ってから結論を出してもいいかい?」



「はい……はい!いつまでもお待ち申し上げております。」



「あぁ。なるべく早く……」



突如、俺の腹に巣食う怪獣がグゥーという鳴き叫んだ。



「ぷっ!す、すみません。つい……。」



俺の腹の音に目の前にいたナーベラルが思わず吹き出していた。



ここが現実世界ならばユグドラシルにはなかった食事が必要になるのは当然である。



「安心したら腹がへった。君を知る一環としてご飯を作ってもらえるかい?」



「はい。まずは蘭丸様の胃袋を掴ませて頂きます。少々お待ちください。」



「楽しみにして待ってるよ。」



俺は機嫌良く部屋から退出していくナーベラルを見送って力無く脱力した。



今日は色々あって恐らく既に朝になってる頃だと思うから、腹が減るのは当然なのだろう。



「はぁー疲れた。さて、この世界に来て初めての朝飯はなんだろうなぁ。そもそもNPCってご飯作れるのか?アンデッドモンスターの丸焼きとか勘弁して欲しんだが……」



数十分後、俺の心配は杞憂に終わる。



ナーベラルの作った白米、焼き魚、味噌汁、お新香という『ザ・朝飯』を食べた俺の胃袋はがっちりと掴まれてしまった。

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