#16 『転職→アシェリーの使用人』




 ■




「う~む……」


 夜――ほのかな灯りが灯る貴族の執務室。

 大柄のナイスなジジイが広い椅子にゆったりと座っていた。


 鍛えられた筋肉は、書類に目を通す男の目線の動きに沿うようにピクピクと動いていた。


 アシェリーを助けた『救世主』とやらの素性について、ゼファ・フィアーノはただ放置するつもりはなかった。


 貴族として、助力に対して何も返さないのは矜持に反する――だけではなく、娘が熱を上げているのもその一因だ。


 娘の言いようからすれば、そのアシェリーたちを助けた者は男だ。

 男にアシェリーが向ける感情の正体も、豪快にして無頓着な男であろうと――人の親として、気付いていた。


 あの事件から娘は熱心に魔法や剣に勤しむようになった。


 それが嬉しかった。

 それ相応の礼をしたい。


 行く行くは我らの騎士団に加えたい。


 だが、仮に軟弱な男なら鍛えなおしてやらなければならない。

 それは男自身のためだけではなく、娘のにもなるだろう。

 なにせ、もし娘がその男と結ばれたいと言うなら、貴族でないならば立身出世しかないからだ。

 公爵家の娘ともなると婚姻に融通が利きにくいが、フィアーノ家はやや特殊な立ち位置で、中央の政治とは一定の距離を置いている。


 ゼファを認めさせる実力があるのならば、王に土下座でもして認めさせてやるつもりである。


 だがそれは未来の話――今すべきは可及的速やかにその男の素性を探ることだ。


「――動いたか」


 人並外れたゼファの感覚が、庭へ飛び降りる娘の気配を感じていた。




 夜中の、誰もが寝静まった夜。


 頼るべき灯りも持たず、アシェリーは窓から身を投げ出した。


 音を鳴らすこともなく庭の石畳の上に着地し、そのまま柵を乗り出し、夜の闇の中、屋根伝いに目にも留まらぬ速度で動く。


 目的地に近づくとアシェリーは速度を落とし、ムササビのように屋根からふんわりと降りていく。


 そして、ほとんど音を立てず、王都の大衆宿屋の3階、一番左の部屋の窓枠を掴む。


 勢いを殺すため、両足を壁にぴたっと踏ん張る。

 そして掴んだ右手で、そのまま身体を浮かせ、宿の一室の中へと入る。


 そこにはアシェリーと同世代ながら少し大人びた少年――イストがいた。


「アクロバティックな入り方だね」


「元々運動は苦手というほどではなかったから……初めてやったけど、あなたみたいにうまくはいかないわね」


「ほら、これ君の分ね」


 イストは紅茶とお茶菓子を用意してくれていた。

 最近は頻繁に行くので、イストも手馴れたものだった。


「ありがとう」


「気にしないで。僕の方が助かってるから」


「大きな恩があるのは私の方よ」


 ずず、と2人で紅茶を一口飲む。

 安い茶葉で、大貴族のアシェリーにとっては物足りない味だが、イストは美味しそうに飲んでいる。


 一口お茶を含むと、イストが喋りだす。


「それで、進捗はどうかな? 色々調べてもらっているけど」


「進捗としては、あまり進んでないわね……学園に入学するまでは難しい気がするわ」


 イストはアシェリーに、聖教に関する書類や魔法技術についての調査を頼んでいた。


 魔法を鍛えるのは趣味と実益を兼ね、有意義だ。


 しかし、基礎的な魔法技術の多くは『王立魔法学園』が秘匿しており、学園のOBや学園の研究員の家庭教師が高位の貴族向けにしばしば教えることがある程度だ。

 まさに門外不出である。


 こと魔法に対しては、一部の高位貴族を除けば平民も貴族も学園の授業がスタートラインとなる。

 他の国にも魔法技術自体はあり、学ぶ手段が全くない訳ではないが、学園に入るのがスタンダードだ。


 イストは魔法を可視化することができる特殊な力を(何故か)持っているため、魔法を見かけたら魔力の流れを模倣して覚えることができる――が、魔法の多くは日常的に使われるようなものではなく、学園の支援なく体系的に学ぼうとしても無理がある。


 それでも文献を調べられれば良かったのだが、やはり学園に行くしかないのか……。


「まあ、私もいずれは学園に行くことになる訳だし、貴方も平民の枠でねじ込んで見せるわ」


 ぐ、とこぶしを握り締めるアシェリーだが……


(それって完全に裏口入学ってやつだよね?)


 少し引っかかるイストであった。




 ■




 雑談が住むと、話は今のこの場所、この住居の話になる。

 王都でも裏通りの立地の悪いぼろい宿。


「それにしても……あなたは何でこんな宿で生活してるの?」


 動くたびに軋む宿を少し嫌そうに見ながら、アシェリーは言う。


「僕としては結構奮発してるんだけどなぁ……」


 何せ金が無い。

 稼ぎぶちが少ない上に、王都は物価が高いのでこのくらいの宿でないと家計が回らないのだ。


 王都に来てからのことを考える。

 服を汚してスラム街の子たちと会って、仕事を斡旋してもらえるようになったのは最近のことだ。


 懐事情はなかなかに寂しい。


「まあ、まだ子供だから大した仕事ができないんだよ。腕が立つから護衛でもやりましょうか……って話しかけに行ったこともあるんだけど……」


 惨敗だった。

 子供だからと侮られているみたいで、誰も相手にしてくれない。


「だから今はスラム街の斡旋屋に仕事を貰ってる感じ」


「スラム街って……」


 アシェリーは絶句している。


「まあ、どぶ攫いとかやってどうにかここの宿賃を捻出してる感じだね」


 スラム街の子たちに比べれば、賃金は貰えている方だ。

 でも僕だってギリギリホームレスを回避しているくらいで、これからもずっとこの生き方ができるとは思えない。


「どぶ攫い!?」


「ん?」


「今すぐその仕事を止めて! お金はある程度は私が渡すわ。お小遣いもあるし、足りなければ家から適当に調度品でも持ち出して売れば、お金にできるわ」


「いやそんなわけにもいかないよ。やっぱ自分で働いて生計を立てないと」


「ダメよ。あなたにそんなことをさせたら、私の面目が丸つぶれよ。私、恩人のために、何もできないような女じゃないわ!」


 アシェリーがそう言ったとき――、


「そのぉとおぉり!」


 野太い男の声がした。

 ドアを蹴破り、入ってきたのは大柄の男だ。


「うわぁ!」


 夜なのに叫んでしまった。


「突撃ッ!」


 そう言うと、その男は僕に向かって殴りかかる。


「うわ」


 僕は反射的に男の腕を取り、一本背負い。

 どしん、とでかい音とともに、男を床にたたきつける。


 みしりと軋む床。穴が空かなくてよかった……。


 男はすぐさま体を起こすと、僕の肩をバシバシと叩く。

 身体強化してるのに痛い。


「うむ。素晴らしい対応力だ。身体の使い方、筋が良い! しかし身体強化に頼り過ぎた戦い方ではいずれ身を滅ぼしかねんぞ」


 なんか評論家気取りのこと言い出した。


「なんでここにいるの……? お父様」


「お父様……って、アシェリーの……じゃあ、フィアーノ公爵!? 何でここに!」


「いい質問だ、2人とも。理由は簡単、お前が熱を上げる、その男について知るためよ!」


 ビシィっと、こっちを指さして言う。


「僕?」


「そうだ、お前の名はなんだ!」


「僕は……あー、イストと申します」


 偽名を名乗るか迷ったが、今更な気がしてそのままの名前を名乗った。


「そうか。俺はゼファ・フィアーノ。帝国ではアシェリーが世話になったな!」


「いえそれほどでも」


「その恩に報いるべく! 俺は貴様がアシェリーに仕える騎士となることを許そう! 光栄に思うが良い!」


「ちょっ――ちょっと、お父様、勝手なこと言わないで」


 アシェリーが戸惑っていたその時、後ろで――

 ガンッ、と音がした。


「む?」


 ガンガン、と隣から壁を叩く音。

 隣が起きてしまったようだ。


「取り敢えず、場所を移して話しませんか? ここだと隣の部屋の人に迷惑みたいですし」


 厄介なことになったなぁ。と僕は思った。




 ■




 そして――それから半年の月日が経過した。


 僕はゼファ公爵の提案を半ば強引に受け、アシェリーの騎士兼使用人として、フィアーノ公爵家の一員になった。


 まあ、仕事がなかった僕にとってアシェリーの使用人紛いのことをするのはそれほど悪いことではないのかも。


 ゼファ・フィアーノ――悪い人ではないんだが、強引で思慮に欠ける部分がある。


 熱心な聖教の信者とかではないが、王族に固い忠誠を誓っており、僕らが今後暗躍する上では、あるいは障害にもなり兼ねない。


 いずれにせよ僕には僕の理由があって、フィアーノ家からの提案を受けることになった。


 少なくとも、幾つかのメリットがあり、打算もあった。




メリットその1

・福利厚生、給料が良い。


 住み込みだし、公爵家というだけあって、随分と多くの給金がもらえている。


 ぶっちゃけ、男爵家の当主がブラック企業の中間管理職だとしたら、こっちはホワイト企業の平社員って感じだ。


 どっちが良いか考えてみれば火を見るよりも明らかだろう。




メリットその2

・魔法が学べる


 フィアーノ家には、学園の卒業生の魔法使い、魔法騎士が多く籍を置いている。

 したがって、暇な時間に盗み見ることはそれほど難しくない。

 武術や剣術に比して、魔法は僕にとって得意分野でもあるため、環境はとても良いと言えるだろう。


 僕の体には才能がある。

 暗記が得意で、魔法を可視化できるという才能だ。バグで聖女の魔法も使えるし。


 魔法の行使には必要な魔力があり、適性があれば、魔力の流れの法則性を暗記すれば実行できる。


 フィアーノ家に勤めてからたった半年後、凡そ世の中で使われている魔法の――その大半を覚えきっていた。




メリットその3

・剣を学べる


 僕は魔法が好きだが、フィアーノ公爵家は、どちらかと言えば、剣術などの武術で鳴らした家だ。


 僕に与えられた役目はアシェリーの護衛であり、主に護身術や用心保護向けの剣術を習わされた。


 体系的なカリキュラムによって、技を一つ一つ覚えていき、騎士の作法から剛の剣、柔の剣、身体強化の基本など――様々な指導がなされた。


 子供の体に馴染まない技などは指導されず、総じて基本に忠実な剣を習うにとどまった。


 勿論、才能があれば、幼少期から強力な剣を使えるものも少なくなく、アシェリーは極めて順調に剣を上達させていった。


 一方、剣に関して言うならば僕には全くといって良いほど――才能がなかった。


 剣が苦手という意識は無かったが、――これまで強引な身体強化で誤魔化しながら戦っていたのだと、僕はフィアーノ家に来て、初めて知った。




 少なくとも今のところ、僕らは実力をつけるべきだ。

 聖教を打倒するという僕らの目的のためには、何者にも負けないくらいの力がいる。


 剣も魔法も、常人の枠にいては目的を達せない。


 あの人形の『悪魔』に、未だ勝てるイメージが湧かない。




「イスト、何してるの?」


 右の耳元から、息がかかる距離で声を発したのは、アシェリーだ。

 下着が見えるようなネグリジェを着て部屋に来る彼女に、最初は少しどぎまぎしたが、今では慣れてしまった。


 こうして気配を消して僕に近づくのもうまくなった。

 体術や剣術のような、身体能力に関わる才能は、魔法強化を含まなければ彼女の方が上だと、分からされる。


 この家に来てから半年が経過したが、宿に住んでいたときと同じで、夜の逢瀬は続いていた。

 この家の人たちも、僕らが夜に遭って話していることは、なんとなく気づいているようだ。


 ゼファは余り良い顔をしないが、アシェリーの兄弟たちや母【ナンシー】は揶揄う様な言動をしている。


 アシェリーの服装はどうかと思うが、内容自体は色気があるようなものではない。


「日記を書いてるんだ」


「へえ。でも、その文字、私には読めないわね」


「『日本語』って言って、多分、東の国とかで使われている感じの言葉だよ」


「東……? 古代の文字か何かかしら?」


「あんまり気にしなくても良いよ」


「まあ、人の日記を覗くのは良くないわね。ごめんなさい」


「別に良いよ。見られて不味いことはそんなに書いてないから」


「あら? それだと少しはある、みたいね?」


 アシェリーは「ふふ」と笑いながら言った。

 僕は、書いていた日記を閉じると、アシェリーに真剣な目を向ける。

 アシェリーもまた、僕を見てぴしっとした空気を纏う。


 その理由は、今日の昼に舞い込んだ件についてである。


「アシェリー。――聖教が帝国でまた【黒影の壁】を浄化する計画をしているというのは、事実なんだよね?」


「ええ。また、不幸な民が生まれてしまった。前回の失敗を踏まえて、教会も上級の聖騎士を何人か投入するみたいよ」


 『ルナティック』という病は、夜の闇にしばらく放っておくだけで発症する、それを利用したい者たちにとって都合の良いものだ。


 だが、これは一石二鳥のチャンスである。

 何せ――


「聖教の計画を潰して、僕らは戦力を増やす」


 聖教の『悪』が目立つほど、僕らは味方を増やすのだから。




 ■ SIDE:???




 イストがルナティックに罹り、王都に移送された約1年後。

 【イスト・ルケ】の病が完治し、帰還の途に就くとの連絡があった。


 村人の中には前の魔物討伐でイストに世話になったものもいる。

 領では、強く立派な貴族であるとの評判である。


 父である【グロンド・ルケ】も母である【ボニー・ルケ】も、その両方が待ち侘びた帰還であったことは明白である。


 そしてそれは婚約者である【ルアン・マルツェミーノ】にとってもそうだった。


 帰還に合わせ、ルケ家の領館にはマルツェミーノ家当主及びその娘と、ルケ家の面々が総揃いしていた。


 イストが帰って来るのを、今か今かと待っていた。


 たかが1年されど1年。


 この1年の月日にイストがいなかったことで、彼らは強い喪失感を抱いていた。


 『ルナティック』が治癒することは珍しいことであり、ほとんど完璧に回復したものの、長期記憶に少し後遺症があるとも聞く。

 それでも、日常生活ができるまで回復し、今日からまた家族として一緒に生活できる。


 しかし――。


「おい、なんだこの貧相な家は? 貴族になれるというのは嘘だったのか?」


 聖教の十字架のついた見送りの馬車から、詳細が聞き取れないくらいの口論が聞こえてくる。


「田舎でも貴族は貴族。約束は果たしましたよ。それに、必要であれば我々が支援しますから。……ここから先、余計なことを言えば、スラムに逆戻りですよ」


「ちっ……」


 馬車から降りてきた男。

 髪の色や表情のパーツは、イストと大きく変わらないだろう。

 でも、その場にいる大抵の者が、少しの邂逅で所作に違和を感じた。


「集まってくれて、ご苦労。父さん、母さん。これからまた、厄介になるよ」


「イスト……なのか?」


 そこに集まった誰も、それに自信が持てなかった。

 何せその男はあまりに傍若無人で、他者を慮る優しかった少年の面影など、何一つなかったからだ。


 後ろには聖騎士を携え、髪はぼさぼさに伸び切って、表情が隠れている。

 声や表情も、イストのそれと似ているが、全く同じには見えなかった。

 まるで顔のシンボルが似通ってるだけの別人にさえ思える。


「ああ、そうだよ、父さん。俺がルケ家新当主――になる……イスト・ルケだ」


 『イスト・ルケ』は笑みを浮かべた。



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