#11 『ルナティック』
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『ルナティック』とは、シャドウという魔物に魅入られた者が罹患するという病気だ。
罹った者は、体が受け付けられないほどの魔力が体中に周り、ひどい痛みを感じ、精神が壊れると言う。
精神が壊れた罹患者は、次第に自我がなくなり、自傷行為や他人を害する行為を行うようになる。
狂人とでも言うのだろうか、ひとが変わったかのように暴れるせいで、二次被害が出ることも少なくない。
また、この病気は『夜に灯りを持たずに外に出て数時間も経てば』罹ってしまうほど、ありふれた病気でもある。
努々気を付ける必要がある病気である。
また、この病気は『厄病』と言われる病気の一種であり、極めて治すことが難しい病気とされる。
唯一聖女だけが治す方法を知っているとされており、現在はシルリア王国の『聖女機関』と言われる組織により研究されている。
だが、その聖女機関の治療を受けられるものは、シルリア王国の貴族や他国においても一部貴族にほぼ限定されている。
平民には通常医療も行き届いていない現状、仕方ないことだ。
人の価値とは平等ではありえないのだから。
ちなみに、今のこの世界に現存する聖女は4名である。
1人目は100歳を超える先代聖女、ベルメール・シルリア。
事実上、彼女が聖女機関による治癒を含め、大半の業務をこなしている。
残り3人はイストが生まれたのと同じ、赤い月の日に生まれた女の子たちだ。
【ノエル・シルリア】。
【ベアトリス・シルリア】。
【エルテナ・シルリア】。
王族と同じラストネームを名乗ることができる彼女らは、この国にとって最も重要な存在と言っても過言ではない。
同時期に聖女が4人いるというのは歴史を見ても多い方だ。
しかし、『ルナティック』の治療に関して言うならば、現在それが可能とされているのは、聖女ベルメールのみである。
他にも多くの、聖女にしか治せない病が、できないことがある。
聖女の力は、政治にも武力にも学術にも及ぶ、希少で価値の高い力である。
だから誰もが聖女を最も尊ぶものとして扱う。
■
「はぁ……はぁ……」
自室にて、どうにかこうにか意識を保ちながら、僕は荒く息を吐く。
自分の体に起こっている変化、それは、高熱と体の黒色化。
伝え聞くこの症状は、ある病を表している。
「『ルナティック』……」
口から魂を吐き出しそうな嗚咽感。
頭を何かに乗っ取られそうな頭痛。
体を作り変えようとするような剥離感。
それらが乱雑に僕の体に攻撃してくるようで、気味が悪い。
高々魔物に触れられた程度。
だがその影響はすさまじく、自分が自分でなくなっていくような気分だ。
前世でインフルに罹ったときの10倍以上キツイ。
「ぐは……」
血を吐いた。
「イスト……!」
母さんが僕の手を掴む。
「だい、じょうぶ……だから、母さんも休んで」
「無理よ。だってこんなの……それに、イストも全く眠れてないじゃない」
あの日あの後、僕は魔物討伐の第1隊と合流した。
というか、助けられた。
腕の出血がひどいこと、全身に点在する黒い肌。
僕の状態はひどく、最低限の応急処置を取られた後、屋敷に搬送された。
あの場で起きたことはどうにか父さんに話し、父さんは聖教に対して抗議文を送ったらしいが、取り合ってもらえていないようだ。
なんでも、僕の言ったことは捏造であり、『ルナティック』の罹患者特有の狂言だとか。
そして聖教派、あの場所で起きた事件――第2隊の全滅を、僕のせいにしようとしているらしい。
図々しいことに、それを黙っておいてやるからと、ルケ領に何らかの政治的圧力を掛けようとしているとも聞いた。
あの日現れた人形の魔物のことも何故か隠された。
司祭があの人形の魔物を『悪魔』と呼んだことにも関係するのだろうか?
「あと1日だけ待って。そうすれば、王都から聖教の偉い人が来てくれて、聖女様に治療をお願いしてくれるらしいからっ! だから、あともう少し!」
「ああ……分かってるよ。僕も父さんや母さんと、まだまだやりたいことがたくさんあるから、死んだりはしない」
僕がそう言うと、母さんは少し涙ぐんでしまった。
「母さんもしなきゃならないことがあるでしょ……僕のことは大丈夫だから、ほら」
「ごめんね」
「謝る必要なんてないよ」
母さんも父さんも、僕に謝ってくる。
魔物討伐に連れて行かなきゃよかったって。
確かにそうかもしれない。
だって僕が行かなければ、あの司祭の暴走も止められたのだろうから。
でも、そんなこと言ったってしょうがない。
起こったことは、起こっちゃったんだから。
■
それから1日後。
その昼頃、聖教の護送馬車が現れた。
聖教は、王都に厄病の治療機関を設けており、そこへの護送を目的としたものだ。
僕は意識が朦朧として覚醒して……を何度も繰り返し、なんとか正気を保っていた。
「こんなに縛り付けなくても……」
母さんが、僕を見て悲しそうに言う。
「イスト……」
父さんも悲しそうに僕の名を呼ぶ。
鉄格子に閉じ込められ、体中を鎖と錠でがちがちに拘束されており、腕の一本も動かせそうにない。
病気の性質上、暴れるかもしれないから必要な拘束だというが……。
「治療のために、護送には万全を期す必要があるんだ! こちらのやり方には干渉しないことだ!」
聖職者にしては粗野に見える修道士が、そう言って母さんが僕に触れようとするのを制止する。
「『ルナティック』って病気は、とても危険なんだ。暴れて何をするか分からない」
「イストはまだ誰も傷つけてないわ」
「そうだとしても、知ったことか」
母さんが押し黙る。
僕が鎖に繋がれ、罪人か奴隷か何かみたいに扱われているのが気に入らないんだろう。
実際、窮屈だが、僕自身自分の精神に異常をきたしている感覚があるから、仕方ないと受け入れるしかない。
「なあ、あんた。王都に行けば、イストを治せるんだな?」
父さんは、同行していたもう一人の聖教の修道士に話しかける。
その男は、細い目と張り付けた笑みが胡散臭く感じるが、もう一人の粗野な男よりは会話が通じそうに見えた。
「聖女様のお力ならば必ず成し遂げるでしょう。『ルナティック』は極めて治療が難しい病気なので、時間もかかりますが」
「頼む」
「成功すれば、少なくない治療費を頂きますが……」
「金に糸目をつけるつもりはない……。出せる額に限りはあるが」
「それで問題ありません」
父さんは、どうにか納得したようだ。
「イスト……。離れたとしても、俺たちはお前とまた元気に会えると信じてる。だからお前も諦めないで欲しい」
父さんは真剣に。
「そうよ。……ルアンちゃんともこれから仲良くならなきゃならないんだから。あなたの人生はこれから、だから。だから、絶対に、絶対に元気になって帰ってきて」
母さんは泣きそうな顔で。
檻に入れられた僕に話しかけた。
僕はそれに軽く頷く。
ちゃんと帰ると誓って。
「で、感動的な親子のやり取りはもういいか?」
そんな会話に水を差したのは、粗野な聖教の修道士だ。
「あなたのそう言うところ、嫌われますよ」
「だが、俺たちだって急がねえとなんねえだろ?」
「それはその通りですが、人情というものを我々聖職者が軽く見るべきではありませんよ」
2人が急いでいるという声に、父さんと母さんは――、
「言いたいことは言えた。また必ず会えるんだ。だから、別れの挨拶なんて、ない方がいい。……行ってくれ」
「……ぐすん」
細目の修道士は、父さんの言葉を確認すると、馬車のドアを閉める。
「では、我々2名が王都へ必ず護送いたします」
「け……。汚え病人の護送でも、仕事は仕事。ちゃんとやらぁ」
聖職者2名の護送により、イストは王都へ向かうことになった。
黒ずんでいく体。
少しずつ蝕まれていく心。
頭の痛みに耐えながら、僕は馬車に備え付けられた檻の中、男たちの会話に耳を傾ける。
司祭の裏切りを見るに、聖職者に信用は置けない。
しかし、先ほど粗野な男が言っていたように、彼らの仕事は『シャドウ』に侵され『ルナティック』なる病気に罹った僕を護送することにある。
その仕事を果たすことに関しては疑う必要は無いように思えるが……。
「それにしても、この子、どうやらまだ理性を保っているようですね。ほら、こっちを見ていますよ。まだ6歳なのに、気をしっかり持って。健気なものですね」
「てめえも随分と悪趣味だな。それとも……俺たちの仕事を忘れたか?」
粗野な男はそう言う。
細目の男は何も返さないが、粗野な男に目を向ける。
「あーあ、貴族の相手も面倒だぜ。特に今回みたいなのはな。王族や上流貴族なら聖教のやってることの噂くらいは知ってんだろうが……」
「……少し静かに」
細目の男がそう言うのも気にせず、粗野な男は続ける。
「下級貴族は『ルナティック』がどう扱われるか知らないくせに、知ろうとするから厄介なんだ。子供への愛とか、「正気か?」って思うけどな。魔物に憑かれても親子の愛はあるって? はっ」
「……おい」
「王都に行って治療? 聖女様ならできる? 何の根拠もねえのに――うぉ!」
粗野な男がそう言うのを遮って、細目の男は、粗野な男の胸倉を掴んだ。
その顔には、怒りがあった。
「命が惜しくないなら、この場でそういうことを言わないことだ。お前の代わりも私の代わりも、いくらでもいる」
男は、小声でも鈍重な声色で、威圧的に言う。
僕の方へも横目で警戒を向けている。
何か不味いことを聞かれていないか、そういう表情だ。
僕は痛みで聞こえなかった振りをする。
そもそもあまり集中して聞けてないのも事実だが、何か重要なことを言っていたように思う……。
くそ……。
どんどん頭が働かなくなってる。
「わ……分かってるさ! 冗談だ、冗談」
「次はない」
「おうよ」
緊張を抑えるように、粗野な男は息を吐く。
コンコン、と馬を運転していた従者の男が窓を開けた。
「ちょっと音がしましたが、どうかしましたか~」
馬を運転する従者の男はのんきなものだ。
「少し持ち物を壁にぶつけてしまっただけです。快適な運転で、助かります」
細目の男はそんなことを言ってごまかす。
「そうですか~。聖教の護送に関わるのは初めてでしたが、快適なら何よりです」
従者は特に不振にも思わず、そのまま態勢を戻す。
「念のため、後であの男は殺しておきましょう」
「あー。まあ、仕方ねえか」
馬車は、だんだんと人気のない森を掻き分けるように進んでいく。
■
久しぶりに起きれた。
「……んっ」
体を動かそうとしたら、ぎぃ、と金属の動く音がした。
僕は鎖につながれていることを思い出す。
「そうだった……」
動けないし、そもそも体がかなり怠い。
頭の痛みは恒常的になっており、痛いのか痛くないのかさえ、良く分からなくなってきている。
家を出てからどれだけの時間が経過したか、分からなくなってきた頃。
痛みに気絶を何度も何度も繰り返し、ぎりぎりのところで自分を見失わずに正気を保っていられるのは、これまでの訓練の成せる技か。
多分、十日くらいは経ったと思うが、そもそも食事も満足に与えられてないし、日光も浴びてないから、推測も難しい。
もう王都に付いたころだろうか?
うちの領が辺境と言えど、王都まで馬車なら長くとも5日、急げば3日もあればつく筈だ。
「……もうすぐですね」
「ああ、他は先についてるみてぇだ」
2人の男の話によれば、もうすぐ目的地には到着するようだ。
それから数分、男たちの会話を聞いたが何も得られなかった。
体の怠さに身を任せ「もう一度寝るか」とそう思った時、馬車が急停止した。
「つきましたよ、イスト・ルケ」
「もう流石に正気じゃねえだろ、何日たったと思ってんだ」
「確かにそうですね。では後は外の人たちに任せましょう」
「ああ」
馬車の扉があき、鉄格子越しに外が見えた。
夜の、星空が輝き月が地面を照らす中。
ほの暗く、喧騒などなく、人が居らず、棄てられたスラム街のような場所に、僕は――否、僕ら『ルナティック』の罹患者は、連れてこられていた。
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