#10 『夜闇の中の死地』




 ■




 僕らはギースに従い、逃げる準備を始める。

 その時――、


『ガー、ペェ!』


 パペットガイストが何かを吐き出した。


「なんだ!」


 ギースがそう叫ぶ。

 人形が吐き出したものを見ると――、


「痛たた……老人には響きますねえ」


 と、唾液に混じった中から現れたのは――聖教の老いた司祭ブライドだった。

 なぜここに!?


「ブライド司祭だと!? くっ、全員、構うな! 逃げろ!」


 ギースがそう言っても――、


「逃げる……とは言いますが、この暗闇の中、どう逃げるので?」


 と、司祭はただ飄飄と答える。

 そう言われると、撤退しようとする兵士も後ろ髪を引かれる。


 暗闇の中に身を投じるのは自殺行為だ。

 しかし、ここに残ることもまた……。


「司祭! あなたがこの魔物を操っているのですか!? なぜこんなことを!」


「答えはしませんよ。それとも、拷問でもして、この老人の口を無理やり開いてみますか?」


「必要ならそうします! あなたは神に剣を向けた背教者だ!」


 ギースは人形の方を気にしながらも、司祭に剣を向ける。

 剣には風の魔法が纏われている。


「背教者? その安易で軽率なレッテル貼りには呆れますよ。私の行動は全て神の仰せのままに……あるというのに」


 ギースが剣をふるう。

 体調は万全ではないが、それを思わせない程の速度だ。


 しかし、ガキン、という音とともに、剣は空中で制止される。


「くぅ……ッ」


 そこには半透明の膜のようなものがあった。

 人形によって、【氷障壁<アイスバリア>】という魔法が発動していた。


 バリアは何ら微動だにせず、ギースの魔法剣を受け止めた。


「ギース。私は、我々の間にはまだ交渉の余地があると思うのですよ」


「何だと……!」


 ギースは後ろを見やり、冷汗をかく。

 父さんと2人でも勝てなかった以上、勝ち目は低いと考えたのだろう――。


「交渉の余地とは何だ」


「そこの少年ですよ。彼を殺せれば、私はすぐにでも手を引きますよ。こちらの人形への命令も、すぐに止めます」


 司祭はそう言って僕の方を緩く指さす。

 意味が分からない。


 僕は別に彼と何のかかわりもないし、狙われる道理もない。

 貴族と言ってもただの男爵家の長男だ。

 誘拐してもそんなに金にならない。


「何故僕を狙っている?」


 バクバクと心臓の鼓動を感じながら、司祭に問う。


「秘密です。教えるつもりはありませんね」


 司祭は答えない……暖簾に腕押しだ。


「……例えば、僕がここから離れれば、あなたたちは僕を追いかける必要がある筈です、なら、ここにいる人たちは助かるんでしょうか?」


 僕は少し息を落ち着かせながら、そう言った。


「ダメだ……絶対にそれはさせない! 認めない。僕は君のお父さんに君のことを任されているんだ。そもそも僕は騎士だ! 子供を差し出して生き残るぐらいなら死んだ方がマシだ」


 ギースはそう言うが、僕は無視する。

 勝算がないとまでは言えない。


「大丈夫ですよ、ギースさん」


 敵が僕以外を見ていないというなら、僕だけを標的にさせれば良い。

 そのうえで、逃げてしまえば――、


「僕が強いことは知ってるでしょう」


「そうだとしてもっ……!」


「ふむ……」


 司祭は少し考えて、言う。


「いいでしょう。こちらとしても、益がある。罪のない兵士を巻き込みたくはないですから」


 司祭はすぐにそうしろと言わんばかりに、道を空ける。

 僕は、駆けだすと、ギースの横で耳打ちする。


「じゃあ僕はここから逃げるんで。ギースさんたちは何とかしてください」


「くっ……」


 ギースの苦しそうな声をしり目に、僕は即座に闇に潜んだ。




 ■




 火を指に灯す。

 多くの魔物は火に寄りたがらない性質があり、また、シャドウと言われる魔物は光を嫌っている。

 火を使って道をともせば、それ自体が危険に対する防御になる。


 あの人形のような魔物について思索する。


 そもそも、あの魔物の強さはどの程度だろうか。

 僕の力で倒せるだろうか?

 父さんやギースではあの魔物には及ばないが、僕は2人よりは強いと自負している。


 【身体強化】の能力の強さで言えば、僕はこれまでよりもっと大量の魔力を注ぎ込むこともできるし、【火魔法】や【水魔法】【風魔法】はギースのものを盗み見して覚えた。


 この体は才能に満ちており、できないことの方が少ないくらいだ。

 記憶力が高く、身体能力が高く、魔法が使え、魔力を視ることさえできる。


 ――。


 でも、それでもあの『パペットガイスト』という魔物をどうにかできるかと言うと、それは疑問だ。


 これまで見た手の内だけでも、僕に致命的なダメージを与えうる。

 僕はスーパーヒーローじゃない。

 アニメの主人公でもない。


 負けて死んでゲームオーバーってのも十分にあり得る。


 そんなことを考えていると――、


『キャハハ! バーン!』


 背後から熱波と光が近づいていることに気づく。


 僕は自分の体の右側に風を発生させ、自分の体を斜め左前に吹っ飛ばす。

 ちょっと痛いが、楽しい移動法だ。

 楽しんでいる暇はないが。


「ふん……。意外に遅い到着だったね」


 不敵に笑いながらそう言う。


 ちっ……。炎が肩にかすった。

 まあでも避けれただけマシさ。

 避けれなければ、重傷を負ってたかも。


『ハハハ! キャキャ!』


 更に、追撃に継ぐ追撃。

 炎に電気に水に光。


 それらが竜のようにうねりながら僕を囲む。


「逃げ場が……ッ!」


 そして――、


「あなたは才能に満ちている……だからこそ、我々にとっては厄介なのです」


『ヒャハハー!』


 そのカラフルな魔法から成るうねりに囲まれた中に、人形と司教が入ってくる。


 昼間に見たあの人形の魔物の力は、その一端でしかなかったのだ。

 今目の前にいる魔物は、とんでもない、恐ろしいモノだった。


 これだけ多彩な魔法を使い、これだけの量の魔力を操っているのだから。


 魔力を可視化すれば、嫌でも分かる。

 相手の強さが。


「……」


 僕は、何か打開策がないかと、魔力を視る。

 司祭を見ても、前と違うのはバッグの中に入っていた魔力の塊がなくなっているだけだ。


 恐らく、以前見た鞄の中の魔力は、あれの中に入っていた人形だったのだろう。

 人形の魔物は、大量の魔力を持っている。

 あれが司祭の切り札。

 あれをどうにかすれば、こっちの勝ち……でも流石に無理。


 人形が発動している魔法は、巨大な魔力の塊から出力しているもので、僕が発動できる魔力では拮抗できないことを悟る。


 司祭を狙おうとしても、魔物が守っているのであれば、攻め切ることもできそうにない。


 ダメだ。勝てるビジョンが思いつかない。


 無力を噛み締める。

 人形は、そんな僕に近づき――、


『キャアア!』


 そう叫ぶと次の瞬間――、


「あ……ぁああ!」


 風の魔法が発動し、僕の右手の肘から先が消失していた。

 いや――切断され、地面に落ちていた。


 思考の間隙を突かれたのだ。


「逃げ切れるとお思いでしたら、残念でしたね」


「痛い……うぅ……右手が……ぁ」


 僕は右手を拾い、くっつけようとする。

 何かできないかと、何かの奇跡で右手がくっつかないかと、魔法で治癒できないかと。――でも、無理だ。


 滑稽だ――『聖魔法』は聖女にしか使えないんだから。


「さあ、行きましょうか……。そのまま血を流し続ければ死にますよ」


「誰のせいだと……」


「色々な事情のせいですよ。私のせいにして気が休まるならそれで良いでしょうが……」


 司祭はそう言って、次に人形を見て言う。


「運びなさい」


 司祭のその言葉に応えるように、人形の魔物の顔が見る見るうちに大きく、肥大化する。

 そしてその肥大化した顔は、バクン、と僕を丸のみにした。




 ■




『キャッハ!』


 夢から目覚めるように、消えていた痛みが戻る。

 失った右手の痛みだ。

 血がドバドバと出て、戻らない。


「がっ……」


 体が打撲する。

 体中がびちょびちょで気味が悪い。

 土の味を感じる。


「何が起こって……」


 目を開けると、僕はロープで拘束されていた。


 でも、そんなことを気にする暇もなく、目に入ってきた状況は――、


「なんで……これ……」


 呆然と、見やる。

 そこには、多数の死体死体死体死体死体……。


 その中に、1人だけ生きた男が立っていた。


「殺し忘れですかね?」


「ギースさん……」


 魔法騎士――騎士学園と魔法学園の両方の学園に卒業程度の実績を認められた、学園のエリート。

 強く誇り高い、尊ぶべき戦士。


 その誇りが彼を立たせているのか。


「その子を返せ。魔物と背教者よ!」


 強く、意思を込めた目が、人形へ向けて巨大な風の斬撃を叩き込む。


「煩いですよ」


 人形は払いのけるようにして、風の斬撃を消滅させ――、土の弾丸を数発、ギースに叩き込む。


「ギースさん!」


 ギースの体に穴をあけるようにしてそれがのめり込み――ギースは倒れた。


「人の死を見るのは悲しいものですね……」


 司祭はふてぶてしくもそう言って、ギースの体を蹴り飛ばした。


 僕は駆け寄って、ギースの体を見る。

 魔力が消えかけているが、まだ死んでいない。

 少しでも気を散らせれば、ギースだけでも生還できるかもしれない。

 甘い期待かもしれないが。


 そして、ギースを殺したと確信した司祭は――、


「さて、これで全員死にましたかね?」


 と言った。


 司祭のその言葉に、僕は怒りを覚える。

 恐怖より、怒りが先に出た。


「あんた……。どこまで腐ってるんだ」


「神の導きに逆らえば、末路はこうですよ」


「僕以外を殺さないんじゃなかったのか? なんで皆が……」


「そのつもりでしたが……向こうから掛かってきたので。あなたが逃げる時間稼ぎ程度にはなりましたかね? どちらにせよ、神の導き。神は慈悲深く、彼らの魂は救われる筈です」


 彼らは僕が殺されないように、魔物と戦ったんだ。

 それじゃあ、あの場で僕が逃げた意味がないのに……。


「聖教の神が、魔物を使って無辜の人を殺せと言ったなら、それは邪神か何かだ……」


 ギースを挑発する。

 聖教では、魔物は神の敵とされている。

 ちゃんと教書を読んだことはないが、そのくらいは知っている。


「確かに魔物を使うのは聖教の教義に反しますね……でも、あなたたちが魔物『パペットガイスト』と呼ぶこの人形、……これは『悪魔』と言われるモノであって、魔物とは全く違う概念の存在ですよ。そもそもその魔物は創作物であって、これは似てるだけです」


 『悪魔』って。

 それは魔物なんかよりもよっぽど悪いモノのように思えるが。


 そんなことを言おうとした僕の前に、再度、人影が立つ。


「まだ……だ。僕はまだ戦える」


 ギースが、僕を守るようにして、剣を構える。

 剣は半分が折れてなくなり、ギース自身もその体に多くの傷を負って――。

 そのうえでまた立ったのだ。


「いい加減にしつこいですね。やれ!」


 司祭がそう言うと、人形が今度は全く慈悲のない攻撃を加える。


「やめろ!」


 僕がそう叫んでも、意味がなかった。

 ギースの体はボロボロ、傍目にも明確な死に近づきつつあった。


 満身創痍で、魔力が水道の蛇口を捻ったかのように漏れていく。


 命が失われていく。

 もはや――。


「ギースさん。どうしてあなたは戦ったんです? 今だって、こいつらは殺したと思っていた。なのに、なんで? なんのために死ぬんです?」


 ギースの顔には少しの笑みがあった。


「どうして笑ってるんです?」


「質問が多いな……僕が笑ってるのは、何と言うか……自分が情けなく感じられたからだよ。悪かった、誰も、守れなくて……」


「……ごめんなさい。僕のせいで、みんな」


「それは違う。良いかい……君が気に病むことはないんだ」


 ギースが今度こそ死んだ。

 人特有の魔力が消滅して、自然物と一体化した。


 司教が言う。


「君のせいで死んだ者たちを、最後に見せてあげようと思ったんですが……どうでした? この劇は」


 僕のせいで。

 死んだ。


「何で……」


「ふむ」


「……何で、あんたは僕を狙ったんだ。今も、僕を生かし続けている理由は?」


「――それは、こうするためですよ」


 僕は司祭に胸倉をつかまれ、そのまま森の闇の中に投げ入れられた。




 ■




 競い合うようにして、人の形をした魔物が暴れまわっている。

 いくつもの腕がイスト・ルケを奪い合い、その全てを支配しようと、体に入り込もうと、ねじ込もうとしている。

 イストは痛みに耐えきれず、気絶してしまった。




「黒い闇と弱い心が、心の隙に【シャドウ】を入り込ませ得るのですよ。だから心苦しくも、あなたを追い詰めた」




「慣れない環境、慣れない人間関係、仲間の死、暗闇の恐怖、失った腕」




「君はとても優秀です……総てがそれに尽きるのです」




「魔力が多く、機知に富み、思想に偏りがなく、だからこそ厄介――。我々はそう判断したのです。辺境伯も子爵も随分君のことを買っていたようですし」




「ただ、君の命は決して無駄にはなりません。無駄にしないために、こうやって無駄に煩雑な手順を踏んだんです」




「日頃、親には感謝を伝えておきましたか?」




「私も老いてなお下らないことをしているものです。こんな小さい子に……」




「後悔が無ければと切に願います――人生の終わりなど、誰にも見通せないものですから」




 ■




 日光が降り注ぐ。

 痛みで気絶していた体が、痛みによって覚醒を促される。


 体の中に入り込んだ何か。

 それを無視して、じくじくと痛む体を引きずる。

 痛みは少しずつ大きくなっていく。


 血が流れ出ているかのように痛む目を開け、ブレイド司祭が立ち去ろうとしているところを見る。


 僕は、司祭に話しかける。


「待てよ、ジジイ……」


 僕はぎりぎり意識を保ちながら、敵を見る。


「……待てと言われて待つわけもない。こんな老い先短い老人に時間を取らせるのは、流石に敬意が欠けていると思わないかい?」


「ふざけ……て……」


 意識が、遠のいていく。


「はぁ……はぁ……ぁ……」




 ■




 司祭は後ろを振り返らない。

 しかし、後ろで何かが気を失った気配を感じ取った。


「……失せましたか」


 なかなかに迫力のある子供だった、と内心で感心する。

 自分は子供の頃どうだったのだろう、と感傷に浸りたいところだったが、自分の手で未来を奪った少年を思えばあまりその気にもなれなかった。


「ではさようなら」


 老人は倒れた子供を見返すことなく、木々の合間に消えていった。

 振り返らずにひらひらと手を振るのが、老人の最後の同情の表れだった。


 遠くから、馬車を走らせる音がする。

 恐らく、こちらに向かってきているのは第1隊の連中だろう。

 この場所は、道から大きく外れていない。


 焚いてある火が、目印にもなる。


「回収は、彼らに任せましょうか……」


 司祭はそう言って、森の中に消えていった。



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