#6 『魔物討伐の命』
■
もはや無視できないレベルの魔物の増殖。
ルケ領は極めて危険な状態にあった。
領内で魔物による被害が発生し、領民の間で領主の責任が問われていた頃、やっと辺境伯家が動いた。
『魔物』とは、この世界の負の遺産であり――人類にとっての共通の敵である。
また、魔物の存在は人類同士のいがみ合いを抑止する一端にもなっている。魔物はそれだけ脅威であり、敵の敵の力でも借りたいという国々が、共通の敵の前に一致団結できる理由となっているのだ。
王国内の様々な政治事情にも関わらず、王都はルケ家の魔物討伐に一定の兵力を提供することを決断した。
魔物は時によって増加したり減少したりする。
それは森の生態系の変化や偶発的に発する強い魔物の影響だったりする。
ルケ家が治める領地においては、近くを巨大な森林に囲まれていることから、魔物の被害は恒常的に発生していた。だが王都などの平和な地域と比べ、魔物に対する危険性を正しく理解し、対処するノウハウもある。
しかし、それは強力な魔物や大量の魔物を簡単に退けうるということではない。人口が1000人にも満たず、ただでさえ最近は領民の流出も起こっているルケ家の持ちうる戦力では、多くの魔物を討伐することは現実的でない。
魔物が例年ではありえないほど増加している今。
ルケ領は岐路に立たされていた。
イストたち3人家族の家には、辺境伯家の家紋のついた物々しい馬車が停留していた。
そこを降りた役人の男が、密閉された手紙を出して言う。
「辺境伯から預かっております」
「……書簡か。蠟で封されているということは……」
「ええ、重要な内容ですので、私の方で読み上げを行わせていただきます」
男は短い命令文を、誤解のないようにゆっくりしっかりと読み上げた。
「『貴族の義務として、魔物を倒せ。領地を厳守せよ』――これが辺境伯を通じて伝えられた王家の意思にございます」
「……そうか」
グロンドは冷静に、しかし表情は曇っている。
「そんなッ……」
ボニーはその内容に悲壮な悲鳴を上げる。
命が下った。
魔物を屠り、領地を守れと。
領地を手放すことは許さないと。
そのために、多くの犠牲を覚悟せよと。
「王都からの派兵はどのくらいの兵力になりますか?」
グロンドの問いに役人の男が答える。
「王都から兵30と騎士2の貸し出し。また、辺境伯家から兵30を貸し出します。どちらの兵も我々の3日後にこちらに合わせて到着する予定です」
「うちで40の兵を出して100人の討伐隊か……」
余り期待してはいなかった……最悪王都からの支援は無いものと考えていたが、騎士の貸し出しまで受けることができた。
ならまだこの土地を手放す判断をする必要はない。
100人の兵力があり、騎士もいるなら、ある程度のレベルの魔物までなら倒せる。
「王命、確かに受け賜りました」
グロンドは手早くサインをして血判を押す。
どちらにせよ、決定権は自分にない。
であれば、可能な限り使える兵力を損失せずに使い、魔獣を倒すことだ。
時間は、援軍が届くまでの約3日間。
その次の日から作戦を始めることになる。
武器以外の補給は近くの領地から購入しているが、しっかり確認しておく必要があるだろう。グロンドは、頭の中に色々な思考を巡らせる。
「男爵」
そんな中、役人の男が話しかけてくる。
「はい。何でしょうか」
グロンドは思考を中断し、役人の方へ注意を向ける。
「今回の件、男爵にとっては過酷に思うかもしれません。しかし、王家が遣わせる騎士の1人は優秀な魔法騎士です」
役人の男は緊張をほぐすように言う。
「優秀な魔法騎士ですか?」
「私の友人で、貴族らしくて気骨のある奴でしたよ。騎士学園ではしのぎを削った仲でして」
「なるほど……それはあれですね。ちゃんとそのご友人を生存させなければならないと、釘を刺された気分ですよ。そういう意図で言ったとか?」
「バレましたか……まあ奴のことはこき使ってやって下さい」
ハハ、とフランクに手を振りながら行く役人に、グロンドは自分の心が少し軽くなっているのを感じた。
■
今日は朝の訓練が中止とのことで、家の中にいるように言いつけられた。
父さんによれば、何でも偉い人から手紙が来るのだと言っていた。
手紙を受け取るのになんで余所行きの格好をしていたのかが不思議だったが、物々しい馬車が来たのを見てなんとなく納得できた。
政治的に重要な話がされるのだろうと思い、少しの思慮のあと、子供部屋から覗くことを決めた。
言うならば好奇心から、僕は彼らの会話を盗み聞きしていた。
「魔物が増えているとは聞いていたんだけど……王都から兵士が来るって、そんなに切羽詰まってたのか」
僕は考える。
少し自分というものを俯瞰してみてみる。
自分ができることは何かあるかと。
――ない。
異世界に転生して、チート能力でもあればもしかしたら出しゃばる意味があったかもしれない。
強力な魔法が使えたり、強大な魔物を使役出来たり、時間を止めたり、バフやデバフを掛けたりできる時分だったなら。
でも、今の僕には何も与えられていない。
強いて言えば、僕には貴族の息子という立場がある。
そこそこ戦える身体能力も持っている。
【身体強化能力】らしき魔法も使うことができる。
もしかしたら領民を徴兵した兵士よりもずっと強いかもしれない。
でも、それも『そこそこ』止まりだ。
そこそこ剣が使えて、そこそこ体が機敏で――。
でも父さんと比べれば単なる下位互換に過ぎない。
そんなことを考えて――、
「……」
少し自分のことが嫌になる。
領民の命や魔物の脅威を値踏みして、魔物の討伐が自分に関係ない理由を見つけて、それで満足している。
「いや、この考え方は良くない……」
自罰的になってそれで解決することはないのだ。
何か、手伝えることでもあれば手伝おう。
僕は自分の部屋から出ると、階段を下がり玄関に向かう。
そこでは、母さんが不安そうな顔をしていた。
「母さん。お客さんは帰ったの?」
「うん。帰ったみたい。でも、ちょっと疲れたわ」
「何かあったの?」
さっきその内容について盗み聞きしていた手前白々しいが、そう聞く。
「最近、領地で魔物が増えているのは知っている? その件で少しね」
「知ってるけど……」
「それを解決するため、魔物を倒すための討伐隊を作ることになって、そのために王都と辺境伯のおうちから兵士が送られてくることになっているの」
「そうなんだ……」
「まあ、イストが気にすることじゃないわ。私たち大人がやるべき仕事だからね」
「あれ? そういえば、母さんも戦うの?」
「ええもちろん。こう見えても私、生活魔法は大抵使えるから! きっと役に立てる筈よ」
「怖くないの?」
「……怖くても、やらなきゃならないことはあるのよ!」
母さんの腹は決まっているみたいだ。
「僕ができることは何かある?」
「あら、イストも手伝ってくれるの? ありがたいけど、でも、まだ早いわ。もう少し大きくなってからね」
母さんは嬉しそうにイストの頭を撫で、そのまま自分の胸に押し付けるようにして抱く。
「あなたは強くて優しい子なのね。でも大丈夫。全部大丈夫だから」
……僕は、そんなことないと思っている。
でも少し気分が良かった。
だが――、
だがその数刻後、部屋に入ってきた老人のしわがれた声が、その気分に水を差した。
「……いや、そうとも限らないのではないかな? イスト・ルケ君」
【ブレイド司祭】――つまり、この世界で最も信じられている宗教の、ルケ領における最大権力者が現れた。
「今はあなたの手を借りたいときなのです、イスト君。多くの魔物を、倒すために」
■
宗教は、人を豊かにもするが、貧しくもする。
麻薬のように中毒性が高いが薬のように人を救いもする。
道徳を規定し、しかし道徳を犯す。
そんな良く分からない『宗教』を、イストは根本的に信じていない。
しかし、宗教の信者を否定するつもりは無いし、彼らの多くが善なる人たちであることも知っている。
だが、2年前からいる、このブレイドという名の司祭のことを信じているかと言うと、それは断じて否である。
僕は目を凝らして魔力を視れば、その人の持つ魔力の量を認識できる。
この能力は、可視化できる対象の魔力に制限がない。
人のものも、動物のものも、自然に漂うものも、全てを視ることが叶う。
だからこそ分かることもある。
司祭が持つバッグには、膨大な魔力を発するナニカが入っている。
それが何かは分からない。
でも厄の種としか思えない。
だからこそこの司祭のことは『苦手』だった。
その司祭の言うところには、僕は魔物討伐に参加すべきだという。
でも鵜呑みにはできない。
「……」
僕が返答に迷っていると――、
「どういうことですか? 司祭様」
母が司祭に聞き返す。
だが、司祭はそれに取り合わず、僕に話しかけてくる。
「君は魔物討伐に参加すべきだと言っているのです。――これは神の御意志です、イスト君」
その言葉に激高したのは母さんだ。
「……何を勝手なことをッ! イストはまだ6歳の子供です! 子供を参加させるなどあってはなりません!」
「勝手なことを言っているのはあなたの方だ。ボニー殿。子供であることが貴族の義務を放棄する理由になると思っているのだから」
しかし、2人の話し合いが過熱しているところに、父さんが割り言った。
「ボニー。俺も同じ気持ちだ。だが、司祭が言っていることを蔑ろにはできない」
「あなた!」
「イストの力量は下手な大人よりも上だ。子供であることを考慮し、実際に魔物との戦闘を任せることはできないが、補給部の護衛に回ってもらうことはできると思う。だが、決めるのはイストだ――司祭、そこは譲れない」
「貴族の当主であるあなたが言えば、その息子が否ということなどないでしょう……。が、それで納得しましょう」
ブレイド司祭は改めて僕の方を向いて聞く。
「イスト君、君はどうしますか?」
悩む時間は要らなかった。
司祭が何を企んでいるとしても、僕の心に問いかければ。
「やります」
僕は、貴族の義務も、神の意志もどうでもいい。
でも、家族は大事だと思えたから。
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