#5 『婚約者はお転婆』
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この世界に転生して、5年と半年が経過した。
今日は、少々おめかしして客人を待っていた。
この世界には、前時代的な風習が多くある。
人権や自由が叫ばれる現代日本においては許容されがたいことであるが、貴族たちの間で政略結婚が好まれているというのも、その一つだ。
人生を血脈に委ねるその風習は、中世情緒漂うこの世界の貴族にとって当たり前のことだ。
身分も蹴散らす燃えるような恋愛結婚を遂げたい――そんな気持ちはない。
この世界でそれは難しいことだというのもそうだし、なんというか、人生に対しての拘りや欲望がそこまでないのだ。
また、妾を持つこともこの世界では少なくないが、そう言った面での理想も特にない。
結婚対象として、平民の素朴さが好きという貴族もいて、公然と平民の側室を持つ貴族も少なくない。
だが、僕はどちらかと言うと、平民よりも貴族の方が結婚相手としてはマシだし扱いやすいと思っている。
貴族の子女は言わばインテリ金持ちの子供である。
金持ちが鼻持ちならないという気持ちは分からなくもないが、金銭的な余裕がある人たちの方が心の余裕もあり、性格は平均的に穏やかな傾向にある気がする。
もちろん例外も沢山あると思うが、僕の親にしろ、商人や教会の人間などにしろ、温厚で礼儀正しい貴族は多い。
教育の差というのは純然と存在しているのだろう。
実際、ス〇夫タイプの性格の悪い金持ちはそれほど多くないというのが、この世界の貴族という人たちといくらか関わってきた僕の感想である……今のところね。
「はじめまして。【ルアン・マルツェミーノ】ですわ」
目の前の少女は、マルツェミーノ家の末の娘である、ルアンという。
事前に貰った肖像画の通り、キリっとした整った顔の美人だ。
肖像画はよく出来過ぎていて普通に「盛ったな」と思ったもんだけど、大体肖像画そのままだ。
子供に「美人」と言うのは少々変かもしれないが、そう形容するのが最も適している造形だ。
身分を鼻にかける人間かは分からないが、結婚相手としては申し分ないだろう。
しかし――。
「……はじめまして。ルアンお嬢様」
僕は少々気おくれしながら彼女を見やる。
気おくれしたのは彼女の容姿に対してではない――格好に対してだ。服は着崩れ、髪はぐちゃぐちゃ。あくびはするし、瞼を豪快に擦っている。
どう見ても婚約者に会う前の格好ではない。
まあいいや。
相手は子爵と格上だし、おざなりな扱いはこちらを馬鹿にするためなのかもしれない。
過剰反応するだけ損だ。
身なりに手を抜きたい気持ちは分からないでもない。
ぶっちゃけ貴族としては失格だと思うが、したいようにすればいい。
などと考えていると、その美人は僕の方を見て、少し不機嫌そうな顔をする。
「なによ、珍獣を見るような目をして。何か言うべきことはないの?」
強く――攻撃的な目で、僕を見やりそう言う。
ちょっと怖い目だ。
すぐに噛みついてきそう。
体全体表情全体で、何かの不満をあらわにしている。
「はあ。言うべきことですか?」
僕は少しだけ考えを巡らせる。
模範的な婚約者として「もっとちゃんとしろ」とか言うべきなのか?
いや「お綺麗ですね」とか適当な美辞麗句を並べてお茶を濁すべきか。
そしてわずかな時間ののちに言ったのは――、
「婚約者、チェンジで」
僕は正直者なのだ。
怠け者でもだらしなくてもいいけど、僕は僕に敵対的な人とは余り仲良くやれそうにない。
率直に、僕は婚約者交代をお願いした。
■
父に殴られた。
痛い。
家の中に移動し、父は改めて相手の貴族に言う。
「息子が大変申し訳ございません」
ルアンの父にして、マルツェミーノ家当主の【グリル・マルツェミーノ】は、笑いながら答える。
「うはは! 別に構いはしやせんよ、正直者は好きだ。まだ5歳なら仕方ない。儂もこのお転婆娘には困っとるからのぉ」
「すいません。つい思ったことが口をついて出てしまって」
「反省の色が見えないぞ! イスト!」
「はい。大変申し訳ございません」
深々とお辞儀をしながら、婚約者殿の方を見る。
彼女は僕の視線に気づくと、ぷい、とそっぽを向く。
その態度を見て、グリルもまた娘のことを詫びる。
「すまんな。この通り、娘はこの婚約にまだ納得していないのじゃ。もう7歳なのに、我がままが抜けんのだ」
7歳ということは、結婚すると2歳分姉さん女房になる訳か。
確かに僕よりも発育が良いとは思ったけど、子供の年齢は良く分からないな。
「当り前よ! 何で私がこんな失礼な奴と! 結婚なんてもっと後で決めればいいじゃない!」
「ルアン。何度か説明したはずだぞ」
冷めた声でグリルが言う。
「……ッ。分かってるわよ」
「なら良い。儂らは話をするから、2人で外で遊んでいなさい」
ルアンは父に頷くと、僕の方におずおずと近づいて来る。
そしてそのまま僕の手をガシっと掴み――。
「父様たちの邪魔になるから、外に行くわよ」
僕とルアンはそのまま庭に出た。
ルアンの父はああ言ったものの、貴族の子供は外で遊ぶことがあまりない。
不用心だから、護衛を付けない外出そのものが忌避されている。
何が困るかと言うと、何をすれば良いか良く分からない。
追いかけっこでもするのか?
いや精々散歩とか土遊びか、と思っていたところ、ルアンはなぜか僕の肩をガシっと掴むと、そのまま茂みに僕を押し込んでしまう。
何だ喧嘩か?
「何?」
「シー……。静かにしてなさい。父様たちの会話、気にならないの?」
散歩、土遊び。
そのどちらでもなく、ルアンの興味の先は父さんたちの会話だった。
まあ、そこらで聞き耳を立てて情報収集するのも貴族の嗜みか……ってんなわけないだろ!
それはメイドとかスパイの役回りだ。多分。
「良くないよ。君の父さんも、僕たちに聞かせる話じゃないと思ったから遠ざけたんでしょ?」
「違うわよ。父様が私を遠ざけるのは、お父様が私のことが嫌いだからよ。だからこんな辺境に私を追いやるつもりなの」
「そうかなぁ?」
「そうよ。そうに違いないわ。そうじゃなければ、私がこんな田舎に嫁ぐ必要なんてないのに!」
「こんな田舎って……」
僕は少し傷ついた。
田舎だけど、田舎なりにいい部分もある。
確かに虫は鬱陶しくて、強調圧力が強くて、文明が後進的で、魔物が多いけど――。
それでも、僕が生まれた場所だ。
いろんな思い入れがある。
「……それで、田舎に嫁ぐのが嫌なのは分かるけど、君が我儘を言っても、君の父さんが聞き入れてくれそうにはなかったみたいだよね」
「そうね。だから握ってやるのよ」
「握る?」
何の話だろう。
「父様たちの会話から、『弱み』を握ってやるのよ。貴族の密談は悪い話がてんこもりって決まってるんだから。それを使って脅してやれば、この縁談もご破算よ」
フフフ……とにやけ顔で言う。
ルアンの父は子供に脅されてへーこらする様な人間には見えなかったが。
それにしても――、
「……君の方が悪そうな顔だ」
そう愚痴ると、こっちを向いた。
「何か言ったかしら?」
ルアンは、僕の頬をつねりながら言う。
「いひゃ、何でもないよ」
まあ、スパイごっこだと思って従っておくか。
■
子供たちがそんな話をしている間。
大人たちがどんな悪い話をしていたかと言うと――、
「それで、重要なことについてまずは話し合おうか。例の――魔物の異常発生の件だ。最近は一体、どうなっている?」
まず、グリルが切り出した。
今回の件は、親交のある貴族の家に子供の婚約者と見合わせに来ただけではない。
勿論それが最大の用事だったのだが、負けず劣らず大切なのが、生身での情報交換だ。
「原因は分かりません。ただ、幾つかの見立てはあります」
「ふむ。聞かせろ」
「――まず1つ目は、魔物の生態の変化によるものです。近年は温暖な年が続いていたため、小型の動物や魔物の数が増加しており、それを食む魔物が増加していたのだろうと」
「そうだな。儂もそれが一番あり得そうな仮説だと思っておる。――して、他の見立ては?」
「……これは言い難いことですが、聖女の誕生――それが引き金になった可能性もあります。歴史的に、聖女の生まれる時代は常に激動の時代ですから」
「……なるほどのぉ。その言、納得はいくが、聖教の狸どもには口が裂けても言うなよ」
「それは勿論」
「しかし、聖女の時代か……。赤い月で神が聖女を遣わすことは吉兆とされるが、歴史も紐解けば、聖女のいる時代には多くの血が流れておる」
「ええ」
「聖教は認めんだろうが、儂も辺境伯も勿論お前も、それを無視するわけにはいかん」
「無視することができないと言いますと……何らかの動きがあるので?」
「今回、ティモラッソ辺境伯から打診された娘の婚約を快諾したことが、その一つだ。政治の地盤を整えて政情不安を未然に防ぐ必要があるからな」
言うまでもなく、貴族の婚姻とは、貴族の間の結束を図るために行われる政略結婚だ。
時期や根回しを間違えれば政情不安も必至となるリスクがある。
だが、2つの家はティモラッソ辺境伯の寄子同士であり、婚姻に係る問題は特にない。
強いていれば本人たちの相性の問題は出るかもしれないが、貴族同士の婚姻であれば多少の不満は乗り越えて貰うしかない。
「もっとも――娘を不幸にするような男であれば、婚約は無かったことにさせて貰うがな?」
グリルは獰猛な顔でそう言ってのける。
グリル・マルツェミーノとグロント・ルケ――子爵家と男爵家。
共にティモラッソ辺境伯の寄子である以上、その仲は良好だ。
しかし、貴族の世界では爵位という純然たる力関係がある。
グロントは、息子をちゃんと教育しておけよ――と、そう言われた気がした。
「だがまあ、お前の息子は賢そうだし、儂が困ることにはならんじゃろて。ははは」
「勿論、心得ています。イストもとても利発で優しい子ですので、娘さんのことはお任せください」
「うむ。大切な一人娘じゃ。頼む」
グリルは、外にいる娘と娘婿(予定)をちらと見ながらそう言った。
■
「ふぅ……」
しゃがみこんで、息を吐く。
中の会話を聞きながら、僕たちは窓にひっついて耳を澄ませていた。
……バレてたか。
多分だけど、さっきの話は僕に向けたものだ。
あの怖い顔でこっちみられるとキツイ。
剣術の指導の一環で気配を消す方法をいくらか学んでいる僕だが、今回の盗み聞きには使わなかった。
どうせ隣の我儘お嬢様がそんな器用なことができるわけないし、バレるだろうと思っていて、実際にバレた。
父さんにはバレてなさそうだった……それはそれで大丈夫か?
ただ、分かったこともある。
「ほら。君の父さんが君のことを嫌いなんてことはなかったでしょ」
そうルアンに言う。
「……」
最後の喝は、僕に向けたものであるが、娘のことを本当に思っているが故のものだ。
流石にこの婚約者殿にもそれが伝わっているだろう。
「……ふんっ」
「はぁ……」
親の愛が伝わろうとも、ルアンはどうにも納得できない様子だ。
「多分さ。君は単純にさ。この婚約が自分が知らないところで決まったのが嫌だったんじゃないの?」
「ふん……。何よ……? 子供っぽいって言いたいの?」
「いや子供っぽいっていうなら……僕も君もまだ子供じゃん? 別に変に恥ずかしがることはないと思うけど?」
羞恥からか少し紅潮したルアンの横顔を見て僕はそう言った。
「君も素直になったらどう? いつかは大人になるんだし、子供のうちだけだよ、親に甘えられるのも」
「甘えてなんてないわ」
そうかな?
親の言うことに取り合えず駄々をこねる――ルアンのそれは親への甘えとしか映らない。
少なくとも僕の前世の家族を見れば火を見るより明らかだ。
ルアンも、親との関係は、多少のすれ違いはあれど、かなり良いように見えた。
大人の悪い(?)話が終わった後、僕らは部屋に戻った。
ルアンは父親の胸に飛び込む。
「おっと、どうしたんじゃ。ルアン」
「何でもないっ」
そのままルアンは父親の胸から離れてしまった。
「それとアンタ! こっちきて!」
ルアンは僕を呼ぶ。
なんだろうと、ルアンの方に近づく。
1メートルくらいの距離で、ルアンに制止される。
ルアンは、こほん、と咳払いをして――、
「【ルアン・マルツェミーノ】ですわ。さっき失礼なことを言われたことは大目に見るわ。これからあなたは私の婚約者として、しっかりと尽くしなさい」
居丈高なその態度に僕は――。
「やっぱ、チェンジで」
「なんでよッー!」
■
帰り際のことだ。
僕はルアンに何やら話があると呼び出されていた。
「話って何?」
「静かに」
ルアンは「シー」っと指を唇の前に立てて言う。
「親には聞かれたくないのよ。でも、教えてあげるわ。この世界の真実を――」
「なんか分からないけど別にいいよ聞かなくて。遠慮しとくよ、何か面倒そうだし」
僕はそう言って拒絶したが、ルアンはお構いなしで話しだした。
「今、この国にはすごく悪い奴らがいるの」
「ふーん」
まあファンタジーな世界だからいるかもしれないねー。
それに悪い奴なんてどこにだっているさー。
平和な現代日本にも、ドリルでハードディスクを破壊して不祥事を隠蔽する大臣とかいるし。
「近年、王国内で貴族同士の紛争や、貴族の不審死事件が起こってるのは知ってる?」
「知らない」
「そういった事件の裏側には、『悪の組織』がいるの。間違いないわ。今この国では、悪の組織が貴族を狙っているのよッ!」
「あー……。なるほど? その『悪の組織』ってやつが王国の裏側で暗躍してるんだ」
なるほどうんうん。
典っ型的な陰謀論。
なまじっか政治とかに興味がある人がこういった「世界の裏を牛耳る組織が!」みたいな考えを信じやすい。
シルリア王国も、学園の学閥による公共事業の独占や就職の斡旋などがある。
これを秘密結社と言えばその通りなのだが……。
でも、彼女が言っているような、THE悪の組織みたいな組織は多分無い。
世の中に混乱を招いて誰が得するのかを考えて、信じるに足る証拠などの合理性がないのならば。
こういったものを信じない方が人生にとってお得なのは多くの人にとって常識だが、彼女は信じてしまった側の人間なんだろう。
げんなりした顔でそんなことを考えているものの、構わず彼女はしゃべりだす。
「……ここだけの話だけど、『王命騎士団』の裏組織が絡んでいるって噂よ。貴族の後継者に傀儡を増やし、反戦派を根絶やしにするつもりなの」
「王命騎士団ねえ……。……なんだっけそれ?」
「そんなのことも知らないの! あなたってホントバカ?」
「そこまで言うことないじゃんか。僕まだ5歳だよ?」
「だってこんなの授業ですぐ習う内容よ? 家庭教師の先生に習ったでしょ?」
「家庭教師なんかいないよ。……で、君は何をどうしたいの? 僕らができることなんて無くない?」
「そんなことないわ。対抗して『正義の組織』を作ればいいのよ」
「もしかして君ってマジでアホだったりする?」
殴られた。
要点をまとめると、ルアンはどうやら悪の組織を倒す正義の勇者ごっこをしたいらしい。
正直センスは嫌いじゃないけど、僕はどっちかって言うと悪の組織側の方が好きだ。
悪っていうか、闇っていうか。
悪いことをしたいわけじゃないが、偽善より偽悪を騙る方が性に合っているとでも言おうか。
「あなたにも情報収集とか人を集めたりとか、色々と協力してもらうわよ。約束だから」
まあ、ごっこ遊びなら付き合ってやるか。
「分かったよ。約束だ」
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だがその約束が叶うことはなかった。
しばらく先の未来、イスト・ルケとルアン・マルツェミーノの仲はこじれにこじれ、修復不可能となる。
その理由――。
それはイストの手に及ばない範囲で起こった、とある問題。
ルアンは知る由もないことだが――それは、イスト・ルケがある病気に罹患したことに端を発する問題である。
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