#4 『夜闇の中の恐怖』
■
ある日の夜。
蝋燭が軽く屋敷の中を照らしている。
そんなやや恐ろしい雰囲気の中、僕は玄関口に立っていた。
物音を立てずに、静かに。
この家では、眠るときに灯りを消すことはほとんど行われていない。
僕もこれまで消したことはない。
蝋燭の火は適切に管理しているとはいえ、夜中に火が回れば危険極まりないのにだ。
月の出る晩などは消しても良いとされるが、ほとんどの状況で、夜の灯りを消してはならないというのが習慣としてあるのだ。
『真っ暗闇にしてはいけない』という習慣である。
なぜなら、『暗闇には【シャドウ】が潜む』からである。
シャドウとは、極めて危険な魔物の名称だ。
目の前が見えないほどの真っ暗闇に蠢くという。
実際に、シャドウと言われる魔物がいるかは分からない。
何でもない教訓のような、『口笛を吹くと、蛇が来る』みたいな迷信だと思っている。
でも、僕の本心――本能と言うべきそれは、間違いなく『夜』というものを怖がっている。
あるいは、暗闇そのものを、だ。
本能的な感覚なのかもしれない。
人の形質は、精神による部分だけではなく、肉体に引っ張られる部分もある。
好き嫌いの感覚さえ肉体に引っ張られているのだから、この恐怖の感覚もまた、現在の自分と前世の自分の、何か異なる部分が想起させる感覚なのだろう。
幼いころ、僕はこの感覚が『恐怖』であるということに気づくことができなかった。
前世の僕は、夜が怖いと思ったことがなかったからだ。
頭の中の記憶と今の自分の反応に齟齬を覚え、驚いたのを覚えている。
4歳のころ、僕はトイレに行こうと外に出て、幻覚のような何かを見た経験がある。
体中を蛇が絡みつくかのように、暗闇の中に得体のしれない何かが潜んでいるかのように。
『う、ぁ……!?』
――と、かすれた叫び声とともに、僕は反射的にトイレに行かずに逃げ出して部屋に戻ったのを覚えている。
ベッドの中に閉じこもって、そのままいつの間にか寝てしまった。
……次の日に漏らしたこともまた、恥ずかしい思い出として記憶に残っている。
あの時見えたのは、ただの幻覚だ。
実際にそこに何かがいたとは考えにくい。
症状を鑑みれば、伝え聞く覚せい剤などの麻薬の症状に似ているが……。
とにかく僕はその日、その恐怖を無視してはいけないと思い、家の中に逃げ帰った事実がある。
その日初めて、僕は暗闇を『怖い』と自覚したのだ。
まあ、そんなことがあって「夜に外に出るのは危ないかも」ってずっと思ってたんだけど――。
あの頃はまだ4歳だった。
今は5歳ということで、まだ1年しか経っていないが、暗いのが怖いという本能を、少しばかり誤魔化せるようになってきた。
正確には、その恐怖をかなり無視できるようになってきた。
何なら両親の方が暗闇を怖がってたりする。
前世の日本だったら、そんな両親を「子供だなあ」とでも思うだろう――けど、この世界の人たちには暗い場所を怖いと思う刷り込まれた習性があるのかもしれない。
魔力を持ってたりするんだから、地球の人間とは違って当然だ。
もしかしたら、僕が思っているよりこの世界の人間と地球の人間は違う構造の生き物なのかもしれない。
というより、そう考えた方が自然かもしれない。
僕は家を出ると、てくてくと農村を歩く。
余り外を出歩かないため、じっくり眺めると妙に新鮮に感じられる。
数百人ほどの集落。ここから見える全てがルケ家が治める領地だ。
貴族の持つ土地としては狭いと思うだろうか……僕もそう思う。
感覚的にはこの世界の貴族は、貴族っていうより地主みたいなもんなのかもしれないと今では思っている。
「街を歩く人もいないなぁ……」
普通の大きさの声でそう言うが、反応するものも当然いない。
この世から人が消えてしまったかのような静寂だ。
街灯がないとこんなにも暗いものなのか。
もうすぐ冬ということで肌寒い日の夜。
両親の言伝も自身の恐怖も打ち破ってこんな時間に外に来たのは、村の風景に感じ入るためではない。
僕には今、やりたいことがある。
家でやるのには限界があると感じ、村はずれのちょっとした丘にやってきたのだ。
ばっ、と手を広げ、興奮して宣言する。
さて、暗闇の夜の中、何をするかと言えば――。
「よし、やるぞ。『魔法』の練習!」
そう、魔法の特訓である。
「……ファイアボール!」
と魔法の名称を叫ぶ。
イメージを頭に思い描く。
すると、手から炎の玉が現れ――。
「とはならないよね……やっぱノリと勢いじゃだめかぁ」
残念ながら、火の玉は現れなかった。
ま、炎が実際に現れたら山火事とかになって危険だったから、結果オーライ?
上手くいかないとは思いつつ、やっぱり上手くいかないことに少し落胆。
両親の言葉を信じるなら、『魔法』については『学園』でノウハウを学ぶことが習得の条件となっている。
自学で学ぶのは難しいらしい。
多分、何かのきっかけが必要なのだ。
数字を覚えなければ計算が上手くできないように、魔法を使うための学問や道具があるのだと思っている。
貴族や優秀な平民は、15歳から18歳までの3年間の間、学校に行くことができる。
この国で学校と言えば、3つの『王立学園』しかない。
シルリア王立魔法学園は、魔法を学ぶ魔法使い育成の場。
シルリア王立騎士学園は、剣術や体術を学ぶ騎士育成の場。
シルリア王立学術学園は、政治や科学?を学ぶ学術の場。
魔法を学べるのは、魔法学園に属する科目である。
いずれかの王立学園に入学し、魔法学園の授業の単位をとれば、魔法について学ぶことができる。
魔法技術は独占されており、学園で学ぶ知識は門外不出となっている。
母も魔法を使えるが、そのやり方については教えてもらえなかった。
魔法を教えるのは禁止されてるから、学園に通ってから学んでほしいと言われた。
シルリアは他の国と異なり、聖女を所有しているため、他国よりもかなり進んだ魔法技術を持っている。学園の排他性はその技術独占の象徴的なものだろう。
僕も15歳になって学校に行けば、魔法について学ぶことはできるだろう。
しかしながら、待てと言われても好奇心は止められない。
「【身体強化】っぽいのは、できるようになったのにな……」
僕は体の節々に力を籠める。
すると、体にエネルギーが行き渡っていく。
エネルギーを纏うと、僕の体の中にある魔力がだんだんと減っていくような感覚を感じる。
ただ、減る量は微量だ。
このエネルギーを生かせば、単純だが強い力となる。
「ほい!」
掛け声とともに腕を近くの岩に向かって振り下ろす。
すると、岩には窪みができる。
腕に痛みはない。
これが【身体強化】の影響。
体が硬くなって、力が強くなる。
剣に纏えば切断力を増し、投擲する石に纏えば破壊力を増す。
「いつの間にかできるようになってたけど。子供が使っても別に大丈夫だよね?」
小さいころから魔法が使えると成長に悪いとか、体面が悪いとか、法律に触れるとかそういうことがあるのならば、隠しておきたいところだ。
実際、父との訓練ではこの魔法が発動しないように意識している。
これは、ドーピングは実戦では役立つが、訓練では邪魔になるからだ。
何せ、魔力を使って戦おうとすると、技が足りなくともOKになるのだ。訓練にならない。
「ウォーターボール! ……やっぱだめか」
水は出ない。
なんとなく声を出したり、体に力を入れたりしたら魔法的なサムシングが出てくるのが異世界系によくある定石だ。
だが、この世界の魔法はそれほど単純でもないらしい。
しかし大人しく15になるまで待つというのも癪だ。まだ10年あるのだ。
「それにしても少しも発展が無いのは答えるなぁ……」
魔法を自分なりに訓練していて脳裏に浮かぶのは、両親のことだ。
父が魔法を使う頻度はすくない――半面、子供の頃、母が時々魔法を使っているのを目撃した。
具体的には、火をおこしたり、水を水瓶にためる時などだ。
母の動きを真似しながらやっても発動できなかった。
そもそも、動きと言っても手を少し動かしたりしてるだけだ。
少なくとも、何かを口ずさんでいる様子はなかったため、詠唱がいる感じではないのだと思う。
魔法は騎士であれば戦闘でも使うらしいが、生活で使うことがほとんどであり、母の使い方もそんな感じである。
最近では、父の鍛錬の時間などに時間を見つけて水をためたりしているようなので、その時間に同じく鍛錬をしている僕は観察できてない。
「ダメだ……」
やっぱり魔力が霧散する。
残念ながら、僕の才能がないか、コツを掴めていないのだ。
そういえば父は身体強化以外の魔法を使わないし、騎士の訓練を積んだ人は魔法使いの適性がなくなるとかなのかも!?
筋肉にパラメータを振ると、魔法の値を上げられないとか?
そうなると、くっ……父さんめ! 子供のころから騎士の訓練なんかするんじゃなかった。
勝手な予想で父に恨み節を言う。
……まあ冗談だ。
父は魔法が下手のようだが、全く使えないわけではないと聞いている。
結局のところ、魔法が使えるか使えないかは僕自身の素質の問題なのだろう。
少なくとも両親はどちらもそこそこ魔法が使える。
だから僕も使えるはず――そう信じて頑張るしかない。
練習を幾度となく続ける。魔力はどんどんと減っていき、空気へ霧散していく。
何度繰り返しても魔法は発現しない。
「はぁ……。魔力が少なくなってきた……そろそろ練習を終わろうかな」
魔法がレベル不足で発動しなくても、魔力を流せば当然のように減っていく。
減っていくだけで何も発動しないのが、暖簾に腕押し糠に釘――無駄なことをしているようで歯がゆいが――、
「魔力は順調に増えていっているみたい……かな。感覚的なものだけど」
そう独り言ちるように、僕の魔力は使えば使うほど増えていっているように思える。元々周りの人たちよりもかなり多かった魔力が、最近では突出して伸びてきている。
目を凝らしたときの魔力の見え方も、少しずつだが鮮明に見えるようになってきたような気もする。
そんなことを再確認し、ちょっとでも自分を奮い立たせ、努力する意義を再確認して、訓練を終える。
程なくして帰路についた。
■
誰もが、夜の闇の中で動くことを極端に嫌っている。
なので、ランプを持ち歩く僕の姿は、もしかしたら不審者に見えるかもしれない。
さながら悪霊か何かのようにも。
実際、前に火の玉が動く謎の現象を目撃した住人がいたとのうわさもあった。
……多分、僕だ。
それを気にして、最近の僕は街の少し外れを歩くようにしている。
けもの道と言っても差し支えの無いような道であり、小動物に遭遇することはあるのだが、今日は珍しい人物がいた。
ランプを照らし、こちらへ歩いてくる。
彼は僕を見ると少々驚いたような、不思議な顔をしてこちらを見た。
そして、驚いた顔をすぐさま笑みに転化させる。
「やあ、君は領主の子だね?」
十字架が刺繍された白いマントを被る者――聖教の司祭だ。
いつもニコニコした顔をしているのが印象的な男だ。
僕にはどうもセールスマンとかテレビのキャスター的な作り笑いに見えてしまう。
穿ち過ぎかもしれないが、とにかくそう見えるのだ。
だが、笑顔でいること自体は、場に緊張を生まない、という意味では良いことだと思う。
僕も彼のやや無理のある笑みに尊敬を向け、彼と会うときはちゃんと作り笑いをしている。にっこり。
「はい。司祭様はどうしてここに?」
「夜の見回りだよ。夜は怖いからあまりしたくはないけれど、これも役目だからね。……むしろ君の方の理由こそ気になるかな? ……こんな時間に何を?」
「忘れ物をしまして、取りに行っていました」
「なるほど。だとしてもこんな夜遅くに外出するものではありませんよ。暗闇にはシャドウという、それは怖い魔物が潜んでいますから」
「確かにそうですね。外に出てみたものの、暗くて怖いのでこの後すぐに帰るつもりです」
「そうするとよいでしょう。では、――神の祝福がありますように。気をつけて帰ってください」
「はい。そうします」
少し緊張したのを隠し、司祭とすれ違う。
いつも思う、「僕はこの司祭のことが苦手だ」と。
枯れ木のような老人を背に、家に帰った。
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