#3 『転生した。……そして5年』
■
枯れ木の根元に雪が積もる。
満月が上る寒い冬の、ある日の晩。
辺境のとある貴族の家で、ある夫婦が子供を授かろうとしていた。
貴族といっても、近くの集落を治める男爵家だ。
【ルケ男爵家】。
高位貴族の代官として、騎士兼領主として任された、そこそこの家柄。
空を見上げれば、月光が雲の向こうから射している。
貴族の家の夫婦は、雲がやや赤いのに気づいていた。
その光の色の奇妙さに気づいた者たちは、2人に限らずこの夜に簡単に寝付けはしなかっただろう。
何せ、実に100年もの間、この現象は観測されていなかったのだから。
そして、――雲が割れる。
すると『赤い満月』が――雲の間から出現した。
「見て、雲が――」
「あれは……! やっぱり赤い満月!? ってことは……!」
夫は妻の腹を見やる。
村に来ている王都の医師によれば、今日にも子供が生まれると聞いている。
嬉しいことだ。
しかし、赤い満月の日に生まれた赤子には、特別な意味がある。
その日に生まれた子は、聖なる祝福を受けて生まれてくるのだ。
――『聖女』として。
「……良いことなのか、その逆なのか……分からないわ」
妻は不安そうに言う。
「良いことだとそう思うしかないよ」
夫はそう励ます。
「もし、女の子が生まれたら……」
しかし、不安はぬぐえない。
「う……!」
「ボニー。大丈夫かい?」
「……痛みは酷いけど、大丈夫よ。あなたもそばにいてくれているしね。……男の子だといいなぁ」
「そう、なのかい? 女の子なら聖女かもしれないんだぞ? 女性の憧れだろう?」
「聖女様にあこがれるのは、女性なら当たり前……でも、そうなったら普通の暮らしは送れないじゃない。嫌よそんなの」
聖女の可能性のある赤子――赤い満月の日の近くの日付で生まれた女児は、国で保護されることになる。
聖女であればそのまま国の預かりとなり、そうでない場合は補助金をもらって故郷に帰ることになる。
幼少期の可愛い子供を近くに置いておけないことは親にとっては辛いことだ。
「でも何より、元気に生まれてきてくれるといいなあ」
「ああ、俺もそれだけで十分だ」
■
何か、息苦しい場所にいたような気がする。
瞼の外に光が見えるような気がして、僕は目を開けようとする。
目を開けると、そこには美男美女がいた。
日本風の顔でないことだけは分かるが、それにしても整った顔をしている。
こんな風に顔が良ければ生きるのに苦しむこともなかったのにな……と思いながら、僕はぼやけた目をこすろうと手を動かす。
しかし、思ったより力が入らず、手はそのまま柔らかい毛布に落ちた。
「●●●●●●●●●●●●●●●●●●●」
男が何か、妙な規則性のある音を発する。
恐らく、日本語と英語以外の何らかの言語だろう。
「あうあ」
ん? ……声が上手く出ない。
「●●●●●●●●●」
発声がうまくいかない。
そして、体が上手く動かせないことと言い、この視界と言い――。
「あう! あうううああああ!?(まさか! 異世界転生ってやつか!?)」
「●●●●●●●●●●●!」
「●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●!」
何の因果か僕は、異世界に転生した。
■
「とりゃあー!」
木刀を振り回す僕。
何をとち狂ったかと言われるかもしれないが、ここは異世界であり、剣と魔法の世界なのだ。
剣を振っても魔法を唱えても、中二病とかじゃない。
確かに中二心がくすぐられているのは確かだが。
今、僕は、父の真似をしたという大義名分で、そりゃもう縦横無尽に剣を振り回しまくっている。
僕がこれをしている理由としては、ひとえに戦闘能力の増強のためだ。
将来のために今からできることをやる――特に、この世界では戦闘能力が命を守るために必須であるからして。
『魔物』とかいう危険な生物さえ、この世界にはいるのだ。
「たぁッ!」
攻撃をあてる相手は、父【グロンド・ルケ】。
最初の頃は全力で攻撃するのを躊躇っていたが、今では全力で攻撃しても大丈夫だということが分かっている。
チート能力はなかった。
ステータスもない。
だからこそ、僕には身分と身の丈に合うくらいには力が必要なのだ。
「踏み込みが甘い!」
父は父で息子とのこの時間を楽しんでいるように見える。
僕の木刀を素手で簡単に受け止める。
そして、そのまま後ろへと2メートルほど跳躍する。
僕は踏み込んで腰に力を籠める。
「そっちこそ甘いよ、父さん!」
僕は前のめりで木刀を放り投げる。
「うお!」
その行動に、父は反射的に木刀を掴む。
――が、その一瞬が命取り。
「おりゃああ!」
僕は前かがみになって父へと突進する。
体重をすべてかけてぶつかる――が。
「よっ……と」
父は容易く僕の体を受け止めてしまった。
「何だ今の?」
「剣を投げてあっけにとられた父さんにタックルして、そのまま倒せないかと。……でも、失敗しちゃった」
「流石に無理だろ。そもそも、実戦で剣がないと戦えないぞ。――さあ次だ、木刀を持て! 今は基礎を積み上げろ!」
「はい!」
僕は父の言う通りに木刀を再度持ち、駆けだす――!
異世界に来て7年が経過した。
あっという間の7年間だった。
正直、幼い体に入った発達した前世の知識のせいで、色々な部分で齟齬というか、困惑することはあった(トイレとか言語とか)。
しかし、総じて僕は暖かな家庭のもとですくすくと成長していった。
今更反抗期も何もなく、クールでスマートな少年として生活を送っている。
最近では、前世のことは質の悪い夢だったんじゃないかとさえ思っている。
こっちの世界の方が楽しい。
もう前世はどうでもよくなってきているのが本音のところだ。
転生した理由とか、記憶を覚えている理由とか、最初は気になっていたけど、それも気にならなくなってきた。
もちろん、前世の全てを切り離せたわけではないが……。
ではまず、僕がこの5年で獲得した知識をお披露目しよう。
この世界はいわゆるファンタジー系の異世界だ。
剣と魔法の異世界!
前世であこがれていた異世界転生ものそのものだ!
――目を凝らすと見えてくる、このぼやけた光は『魔力』だ。
0歳の頃というか、生まれて数時間後には、僕は魔力の存在に気づいていた。
最初は幻覚でも見てんのかな、と思った。
けど、本を読んだり親と話せるようになり、魔力の存在はこの世界では比較的普遍的なものであることを知った。
魔力――この中二ワードが平気で日常会話に出てくるのに最初は戸惑いもあった。
でもそれが実在すると分かれば、ワクワクしてしまうのも当然だろう。
――そして、魔力があるのだから当然『魔法』もある。
目の前で僕の体術や剣術指南をしている父。
彼が常識を並外れた力で飛び跳ねたり岩を相手に切り刻んでいるのを見たことが何度もある。
そのたびに父の魔力が僅かに減る。
それはつまり、魔力を使えば、強力な身体能力が得られるということだ。
一種のエネルギーの変換。
林檎を落とすと位置エネルギーが運動エネルギーに変換されるように。
魔力エネルギーもまた運動エネルギー的なサムシングに変換できるのだ。
そう! これが【身体強化】の魔法。
厳密には、『法魔法』の【法則】という分類の【身体強化】という名称の魔法らしい。本に書いてあった。
実際のところは、魔法の名称は書物によってそれぞれだが、僕は最も一般的で理解しやすい定義を採用して魔法というものを勉強している。
勉強は両親には内緒だ。
魔法にはいろいろな種類があるらしい。
大きく大別すれば、『自然魔法』『法魔法』『聖魔法』の3つだ。
魔力量などの最低限の才能がある人は、訓練次第で『自然魔法』と『法魔法』を使えるという。
一方で、『聖魔法』は『聖女』と言われる人以外に使えない――らしい。
僕は女じゃないから使えないので、『聖魔法』については余り興味がなく知識としては「そういう魔法があるって知ってるよ」程度にとどまる。
まあ、魔法については鋭意勉強中だ。
――そしてこの世界について。
最初は全部夢だと思ってたけど、なんかすごい現実感あるし、リアルだ。
ゲームみたいとかアニメみたいと思っていても、そこには人の営みがあり、法則があって、世界がある。
それをちゃんと理解し、そのうえでこの世界で生きていくという腹は決まった。
ルケ男爵家の嫡男――【イスト・ルケ】という新たな名前を胸に。
そして――剣も魔法も、自分の生きていく糧となるなら、僕はしがみついて学んでみせる。
さて、僕の心のモノローグがひと段落した所で、僕は今日ちょうど10回目の敗北を喫する。
全力で攻撃しても、父はびくともしない。
悔しいが、大人と子供では体重が違う、技術が違う。
魔法も使えない僕が勝てないのは世の理だ。
「よし、今日は終わりだ。よく頑張ってるぞ、イスト!」
「……ありがとうございました!」
あー、いい汗掻いたー。
僕はすたすたと家の隅にあるため池に向かう。
外だし人目に付きかねないので裸で入るのは憚れる。よって、水は桶に掬ってそこから手ですくって顔や体にかけていく。
そこで汗と一緒に水を拭く。
ここまでの一連が僕の日課だ。
「なかなかいい感じだ」
前世の僕は柔道とか剣道の授業も特に頑張った思い出がない。
少しぐらいやっておけばこの世界で役だったのに、とは思うけど言ってもしょうがないことだ。
精々今を頑張るだけだ。
頑張るのはなかなか気持ちがいい。
自己肯定感みたいなのが湧いてくる。
「イスト様。ローブをどうぞ。お召し物はお部屋に」
「ありがと」
老紳士の使用人からローブを貰って羽織る。
父の方を見る。
彼はまだ訓練を続けていた。
父は騎士の一人であり、【ルケ男爵家】の当主で男爵という立場にある。
戦争や魔物との戦いにおいては戦闘を指揮し、時には自身の身をもって介入する役目となっている。
いわば騎士だ。
元の世界でもそうだが貴族には、ノブレスオブリージュという考え方が染みついている。いや――染みついているというより、そう考えるように教えられているという感じだ。
貴族の立場は絶対のものではなく、権力闘争の端っこでは、無残に殺されたり平民に落とされたりもする。
そんなときに身を守るのは貴族としての貢献(特に、税収)や平民からの支持だったりする。
ゆえに、貴族は義務を大切にする。
上への納税・下への配慮。その有様は中間管理職そのものって感じ。
世知辛いもんだ。
うちの父はそこそこ領地では親しまれているようだ。
それは僕に対しても向けられており、村を歩くと一定の敬意を向けられている。
ただ距離感はつかみにくく、現状では遊び相手とかができないのが少し残念といったところか。
貴族には貴種たる義務があり、それは平民を守ることにある。
それはとても立派なことだ。
でも僕にはその気持ちがあまりよく分からない。
本音を言えば、僕は貴族の家を継ぎたいとも思っていない。
現実感がない。
戦争には関わりたくないし、権力にもあまり興味もない。
だったら何をしたいんだと言われても、生きていく方向性なんて全然定まらない。
「そういえば前世でも、「将来何になりたいんだ」とか聞かれてもピンとこなかったっけ?」
「ん? どうしたの、突然」
「あ、部屋にいたんだ。母さん」
部屋には、母【ボニー・ルケ】がいた。
たまに僕の部屋に来るときは、窓から外の訓練を見る時だ。外で体を動かしている父を見ているのだろう。
僕の部屋は庭の訓練を眺めるのにはちょうどいい位置だ。
「いや、将来のことを考えていたんだよ」
「将来のことって?」
「例えば僕が家を継がないとしたら、どんなことをしようかって、……自問自答的な?」
「何言ってるの? あなたの将来はルケ家の当主に決まってるじゃない。家を継ぐのも貴族の義務よ」
母は当然のように言う。
まあ、この世界ではそれが常識だ。
「あー……まーそーだけどさ。でもさ、何か起こって家を追い出されたり、弟が生まれてそっちの方が優秀だったらとか、考えるじゃん」
「別にそんなこと考えなくてもいいと思うけど……。弟もまだ生むつもりもないし……あの人も最近、忙しそうだし?」
おっと、少し生々しい話になりそうだ。軌道修正しよ。
「ちょっとしたシミュレーションだよ。考えるだけは自由でしょ?」
「そう? あなたは賢い子だから、そういうことも考えるのかしらね。ところで、"しみゅれーしょん"って何?」
「あ、そっか。いや、何でもないよ」
ついつい前世の語彙が出てしまった。
母は優し気に、しかし少し憂いを込めた表情で、窓の外を見た。
父が訓練を続けているのが見える特等席だ。
「まあ、どうしても家を継ぎたくないなら、今度またお父さんと一緒に考えましょうね」
「別に大丈夫だって。家はちゃんと継ぐつもりだからさ、大船に乗った気でいてね」
胸を張る。
現実として、貴族の家に生まれたものには、子供にだって義務がある。
家を継ぐのも、貴族の子女と婚姻を結ぶのもその義務の一つ。
兄弟が多数いれば他の道もあるのだが、生憎ながらうちには僕以外の子供がいないため、僕が継ぐしかない。
僕がダメなときは親戚から選ばれることになる。
しかし、僕がいる時点でそれをするのは極めてイレギュラーだ。
親には恩もあるので、僕が家を継ぐことがその恩返しになるなら、そうすべきだろう。
権利と義務はトレードオフ。それは分かり切った話だ。
ま、それはともかく――、
「着替えるから、出て行って」
「あーん、いじわるしないで~」
言葉とは裏腹、母はさっさと部屋を出ていった。
僕の精神は思春期よりももう少し大人だ。
外見は子供で精神も未成熟な部分があるとは言え、着替える時に親がいれば鬱陶しく思ってしまう。
■
「今日はイノシシの肉を分けてもらったぞ。食うぞ!」
「おー。やったね!」
肉が食卓に並ぶと、幸せな気分になってくる。
イノシシ肉なんて前世は食べたこともなかったし、最初はあまり良いものに思えなかった。
しかし今ではこういう感じで、たまに食べる肉がごちそうだ。
貴族といってもいつも豪勢にとは言えないのが、この世界の成熟の度合いと言えよう。
養殖技術とか、科学技術とかがまだまだだから、必然的に味気の無い食事は多くなる。
塩もまだぜいたく品扱いだ。
「『聖なる神に感謝を』」
「「『聖なる神に感謝を』」」
ちなみにこのフレーズは異世界流の『いただきます』だ。
この世界で一番ポピュラーな宗教である、『聖教』における食事の初めのあいさつ。終わりのあいさつは無い。
日本人として適当な宗教観に生きてきた僕としては、郷に入っては郷に従えの精神である。
別に信じてない宗教の儀礼を父母に倣ってやっている。
そもそも両親も聖教の聖書的存在である『聖教書』は持っているものの、埃をかぶっているし、敬虔な信徒ではないと思う。
聖教が色々と煩いのは僕も子供なりに知っている。
でも順応してしまえばどうってことはない。
「最近は魔獣が増えてるみたいだね。男手が足りなくて困ってるよ……。中央には増派を要請しているんだけど……答えは芳しくないね」
「そう……色々と大変だろうけど、無茶はしないでね。何かあったらと思うと怖いわ」
「もちろんだ。俺は自分を弁えているつもりだ」
父に注意すると、次に水を向けられたのは僕だ。
「イスト、あなたもよ。最近頑張って訓練をしているみたいだけど、まだ子供なんだから、何か困ったら私やお父さんを頼るのよ」
「分かってるって」
父と母と僕。家族3人で食卓を囲む。
ふと僕は前世のことを思い出す。
冷たい惣菜に冷凍食品。
両親は家にはほとんど近寄らず、互いに距離を置いていた。
僕もまた、距離を置かれていた。
僕が虐められていたことを、彼らは知っていた。
服がぬれていたり、物をよくなくしていたのだから、知らなかった筈はない。
でも、放っておかれた。
僕は今、初めて家族の『愛』ってものを実感しているのかもしれない。
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