#2 『さよなら人生』
■
前世について述懐したくはない。
恐らく僕はこの記憶を、今後、誰にも話すことはないだろう。
相当に信用しきった相手であっても、墓まで守りたい人生の悪い面だ。
今の僕と考え方も性格も割と違うし、もしかしたら連続性のない誰か別の人の記憶かもしれないとも思う。
そのくらい、一歩引いて見ているものだ。
生々しい記憶は風化しきっていない。
そのまだ残っている記憶が、僕の人生にとって重要な部分であるのは間違いない。
あれは、前世の僕が死ぬ数日前のこと。
些末な男の死にざまと、美しい女性との出会いとでも銘打っておこうかな。
美しい女性は多分、只の夢かもしれないが。
■
剣と魔法の世界。
そんな世界に憧れたことはあるだろうか。
僕はある。
なにせ現実は辛いことばかりだ。
現実は、直視したくないことをまざまざと見せつけられる、そんな場所だ。
だからこそ、僕はそういったいわゆる異世界ファンタジーモノや、緩い感じのファンタジーRPGゲームとかに嵌った。
ルーン〇ァクトリーとかね。
少しだけ弁解しておくと、僕はいわゆる痛い中二病ではない。
引きこもりやニートでもない。
まっとうに学生生活を送っている――少なくとも送りたいと思っている。
でも現実は――地獄だ。
「はいっ、死ーね! 死ーね!」
男はそんな声を張り上げながら、「ぱん」「ぱん」、と手拍子をする。
「死ね死ね」と言われながら、教室の4階の窓から突き落とされるようにように背中を押されている。
押している側にも多少の理性はある。
――本気で突き落とそうとしている訳ではないだろう。
だがそれは奴らが優しいからではなく、奴らの保身に過ぎない。
殺しても誰にも批判されない状況なら、奴らは躊躇なくその押す手の力を強めるだろう。
「……」
ここで、ここから落ちたら、死んでしまう。
逆らう気力があっても、その状況そのものが僕の体を震わせる。
そんな自分を情けなく感じる。
「ほら、ほら、さっさと死ねよ」
「あなたみたいな情けない奴、消えた方がいいんじゃなーい? ほら、「生まれてきてごめんなさい」って言いなさいよ?」
虐めの実際の実行犯はクズ3人、集団的な虐めというわけでもなく、少数によるものだ。
だが、他の40人ほどもいる生徒たちも、見て見ぬふりをしている時点で必ずとも俺の敵ではないが、味方でもない。
『虐められる方にも原因がある』とは、虐めを黙認する者たちの言説だが、果たして僕にどんな責任があったというのだろう?
僕はただ、彼らの行動が許せなかった。
義憤を抱き、突き動かされたのだ。
道端で、犬を弄ぶようにナイフで殺そうとしていた彼らの気性を見た。
そして、止めに入った。
腕に何針も縫う怪我もしたが、行動そのものが間違っていたとは、僕は思わない。
人として当然の行為だと思う。少なくともそれが僕の道徳だった。
しかし、ナイフで切られ、救急車も呼ばれたのに、「証拠がない」と言われ、警察には取り合ってもらえなかった。
担当した警官の表情からは、面倒ごとを避けたかったのがありありと見えた。
そして、それからだ――彼らの標的は犬から僕に変わった。
これまで他のものに向けてきた嗜虐性を、僕に向けてきた。
ガラガラ、と教室前方のドアが開いた。
数学教師が教室に入ってきた。
「おい、お前ら何やって……」
眼鏡を掛けた教師。
いやなものでも見たような顔をし、黒板の方へと向く。
「……授業始めるぞー」
教師がそう声を張る。
意図的にこちらを見るのを避けている。
「はーい! ……だってよ。へ、命拾いしたな」
「ほら、お前も席につけ……な。続きは放課後だ」
「自分がキモイの、もっと自覚した方がいいと思うよー、カス」
教師はこちらを見ない。
臭いものには蓋をする、何の捻りもなく、ことわざのそのままのことが、ここで今起こっている。
「……じゃ、授業を始めるぞ。日直は号令を頼む」
教師ですら、僕の味方ではない。
水浸しの制服を見ても、何も言わない。
僕は、気丈にふるまう。
絶対に、泣いたりはしない。
やり返すことも――まだ。
ちっぽけでも譲れないプライドがある。
簡単に済ませてやるつもりは無い。
いつまでもクズたちや学校の思い通りにはさせない。
ただ、やるなら徹底的に、ベストタイミングで――だ。
■
放課後、僕はクズ3人組――田島、佐原、長月に呼ばれていた。
準備は……オッケー。
ボイスレコーダー。
高性能な奴を体に付けてある。
衝撃と水に耐性があり、証拠として有用なくらいの高音質を録音できる。
それに加え、スマホを木の陰に隠し、動画の撮影も行っている。
動画はリアルタイムで動画共有サイトのデータベースへと保存されている。
生きて帰りさえすればすぐさま拡散できる。
スマホの電話アプリには110番を登録し、ホーム画面にショートカットを作ってある。
いざとなればすぐにスマホを手に取り、警察に通報できる。
だが、警察が必ずしも僕の味方だとは思っていない。
なんせ、田島の親は近くの派出所の部長だ。
犬を殺していた生徒たちも、注意された程度で終わりだった。
だから別の方法も用意している。
暴力の決定的な証拠があれば、警察への告訴も別の方法も、すぐに実行するつもりだ。
証拠は少しずつ、少しずつ集まっている。
物的な証拠もかなりある。
そろそろ相手を完全に追いつめられるかもしれない。
これが最適解のはずだ。
学校に頼ることは諦めている。
彼らは僕を見放した側であり、頼りにならない。
また、生徒のコミュニティにおいて『チクリ』はかなり印象が悪く、報復が怖いこともあり、先生への相談にも懐疑的だ。
警察に行って、とにかく被害届を出す。
十分な証拠を提出すれば、警察もむげにはしない――できないはずだ。
あくまで希望的な見方ではあるが。
もし、ここで暴力が振るわれれば、より決定的な証拠になる。
どうせならこいつらが少年院に送られる程度の証拠が欲しい。
そのためなら、僕の怪我が多少ひどくなったとしても、構わない。
「で、なにさ? こんなところに呼び出して」
心底見下した声色と表情で、クズたちを眺め、言う。
彼らにとっては挑発ともとれるだろうが、これで攻撃されればしめたものである。
「は! のこのこ来て潔いつもりか? 内心は俺たちにビビってんだろ? ほら、泣いたら同情してやるかもしれねえぞ?」
「はっ……」
いつもと違い、極めて反抗的に。
吐き捨てるように言う。
「舐めてるみたいだな。おい、田島! そいつを抑えろ」
「どうするんだ?」
「一発殴るだけだ……腹をな」
そう言うと、長月が僕の腹に向かって掌底を打つ。
格闘技経験があるという彼のパンチは非常に痛い。
これまでも何度かされてきたことだ。
「うう、うえっ……」
慣れた――とは言えない。
痛いものは痛いのだ。
僕はたまらず胃の中身を吐き出す。
「うわ、こいつ吐いたよ、キモ!」
佐原は心底軽蔑した目で僕を見やって言う。
このクソ女に見下されているというだけで腹が立つ。
だがこれで、暴行罪――つまり不法な有形力の行使の証拠を手に入れた。
「なんだこいつ、笑ってる?」
おっと、つい笑みがこぼれてしまったようだ。
しかし、ここでもう少し虐めの証拠を固めたい僕は、怯えたような目を装う。
彼らの加虐性は、常に自分より弱いものへと向くものだ。
「おら!」
殴られる。
「フンッ!」
殴られる。
何度も何度も殴られる。
そして、彼らはついにバッグにも手を付け始めた。
「おい、財布があるぞ」
バッグの中にある財布を漁りだす。
財布の中には5000円ほどの現金が入っている。
「やりぃ。パクっちまおうぜ!」
「やめろッ!」
白々しくも僕はそう言う。いつもだったら本心の発露だが、今は彼らの行動がありがたい。
暴行に窃盗。
彼らが明確に犯罪をした。
僕はこの瞬間をちゃんと映像と音声で捉えられてよかった――そう思った。
3人とも、地獄に落ちてもらう。
「黙れや、オちてろ」
最後の一発。
腹に叩きこまれた暴力が僕の意識を刈り取った。
……。
■
真っ黒。
何にもない場所に僕はいた。
ついに死んだか? などとつい思ってしまった――バカげてる。
死んだあとの世界なんてあるわけない。
なんならあの世だったらいいのに――そう思ってしまったのも不覚だ。
僕はまだやるべきことをやってないのだから。
多分だけど、僕は気絶したんだろう。――で、今見てるのは夢。
そして夢であることを自覚しているということは、これは明晰夢。
初めての経験だ。
なのに、真っ暗で何もない場所なんて残念だ。
「――せめてこんな陰気じゃなくて、花が咲いて小鳥が囀るような平和な場所だったらいいのに」
『あなたの願いを、受け入れましょう』
誰かの声がした。
そして次の瞬間、目の前には地平線まで続く花畑が現れた。
小鳥が細い声で鳴いて僕の方に近づいてきた。
そして――、
「え? あ、……ぇ?」
目の前に不意に、一人の女性が現れた。
青い長髪を携え、神々しい雰囲気をまとった女性だ。
彼女は神々しい雰囲気に反してカジュアルに僕に話しかける。
『私の心象風景だから、あなたの望み通りの景色ではないかもしれませんね?』
「えーと、……やあ? はじめまして?」
とりあえず適当な挨拶をする。夢の中の人間だから適当に接すればいいと思うけど、何故かこれが夢だと思えなかった。
目の前の女性を、本物の、血が通った人間のようだと感じた。
考えてみればこんな原色のままの青い髪を持つ人なんて不自然なのに、なぜか僕はそれを自然なものだと受け入れていた。
『……お初にお目にかかります。私のことは、シルとでも及び下さい。あなた様の名は?』
「名前が、あるんだ? 良くできた夢だね。僕の名前は、清水扇って言います。よろしく」
『シミズ様ですか。どこか優美さを感じる、斬新な名前ですね』
「斬新? ……清水が?」
確かに佐藤や鈴木ほどありふれてはいないけど……。そんな珍しいか?
『ええ。初めて聞く語感です。流石異世界の人間ですね』
何言ってんだこいつ。
「何言って……いや、なんだこの夢」
美少女がいるのはいいが、そいつが何を言ってるのか分からない。
だが、これは僕の見ている夢に他ならない。
殴られ過ぎて頭がいかれたか?
『あなたの思ってることを当ててみせましょう。……今、私のことを、意味のわからない人だと思ったのでは?』
「いや、そんなことないですよ」
『絶対思っているでしょう?』
「思ってないよ」
思ってる。
『そうですか。いえ、常識が土台から違うので私のことを不審に思うのは、仕方ないことかもしれませんね。でも、私の言葉の意味など、今はそれほど気にしなくても良いですよ。所詮は消えゆく泡沫の夢のようなものですから』
「思ってないんだけど、まあ、いいや。で何? 僕、今、忙しいんだけど」
同級生を社会的に抹殺するために、と加えて言うのは流石に自重した。
『忙しいのであれば申し訳ございません。ただ私としてもこの機会を逃すわけにはいきません。繋げられたのは本当に久しぶりなのです』
「繋げる? 夢の癖に何の話かさっぱりだ」
『詳しい説明は省きます――が、私は私のいる世界と他の世界を繋ぎ、異界のものを引き込むことができるのです』
「異世界転生の時に出る神的な存在?」
鉄板はお爺さんだが、女神的な存在もアリがちな設定ではある。
『……あなたの世界の神様はそんなことを? いえ、私は神様ではありませんが、異世界にあなたを連れていくことができるのです。――と言いますか、私の目的はそれそのものなので』
「異世界ねえ……。まあ、行けるなら楽しそうではあるけどさ」
『そうッ! ですよね! じゃあ、早速行きましょう、気が変わらないうちに……』
ぱちんと手を叩くと、シルは僕に顔を近づけてきた。
美術品のように美しい顔が近づき、手が引かれるような感触がする。
とともに、そのままどこかへ連れ去られそうな、そんな予感が頭によぎる。
これは夢だ。
でも、このまま連れて行かれるのは、僕には納得できなかった。
だから僕は、そのままシルの手を振り払った。
「悪いけど、行きたくても行くつもりはないよ。僕にはやらなきゃならないことがあるから、じゃあね」
『えっ……そんなぁ』
彼女の提案を拒絶した瞬間――世界は黒に包まれた。
■
目が覚める。
最初に見えたのは夕日をバックに雲が流れていく空。
周りを見渡せば、あの3人はいなくなっていた。
乱雑に中をまさぐられたバッグが残されており、財布の中身はすっからかん。
「っ痛」
痛めつけられた腹だけではなく、倒れる時に頭を打ったらしい。
痛みが走る。
「スマホは盗られてない……良かった」
これで撮影がばれていれば、もっと悪い方向に向かっていただろう。
更に虐めが悪化したり、スマホそのものを壊されたりしたかもしれない。
動画はちゃんと撮られていて、音声もクリアだ。
こういった目に見える証拠は命綱だ。
今はネットの時代。
情報は隠せず、オープンにされる。
まずは警察。警察が頼りにならないなら、SNSへの投稿だ。
注目を集められなければ、ガー〇ーとかコレ〇レ的なインフルエンサーに頼んでみるのもアリだろう。
僕がいじめを受けている事実は、学校を動かせない。
でも、証拠があれば警察を動かせる。
もしそれが無理でも――上手くやれば、世論を動かせる。
情けない? プライバシーの侵害?
知ったことか。
撮った動画はスマホのタッチ一つで全世界に公開される。
前に警察に言った時、警官は『警察は証拠があれば動ける』と言っていた。
少なくとも、被害届の提出まではできる。
そこから学校や相手が動くかはまた別の話だ。
■
……それから、何があったっけ?
あまり、思い出せない。
でも、いじめっ子たちを社会的に抹殺することに成功したのは確かだ。
覚えてる最後のシーンは確か――。
■
3者が3様にナイフ、包丁、ハンマー――凶器を持つ相手。
河原に寝転がされて、高架下には不法投棄されたゴミ。
それに巧みに隠され、白骨した動物の死体が転がっているのが見えた。
その死体に、僕の運命を予感させられた。
逃げなきゃならなかった。
でも、痛みで足が動かせなかった。
ていうか、足の骨折れてるじゃん。
ああ、この人生、もう詰みか。
「殺す! てめえのせいで俺は!」
「お前のせいで家から追い出されたんだ! 許さねえ!」
「アンタのせいで! アンタのせいで! アンタのッ!」
凶器が振るわれる。
何度も何度も何度も何度も。
執拗に振るわれる。
のちにそれは凶悪な少年事件として世に知られる。
最も残虐な殺人の一例として。
大量の出血と付近に散らばった肉体の端や脳漿が、嫌が応にも『死』の足音を運んでくる。
目玉を潰され、頭蓋骨はハンマーで殴られた。
体の端から端までめった刺しにされ――。
実行犯は、田島祐介、佐原澪、長月英孝。
死体となった少年の名は、清水扇。
――しかしまあ、人の狂気とは、油断ならないものだ。
僕の人生の終わりは図らずも、いじめっ子たちを巻き込んだ、ある種の自爆のようなものになった。
殺人の業を背負った彼らは、今後もはや日の下で暮らすことはできないだろう。
(ざまあみろ)
扇はその結果にそれなりに満足していた。
自殺して笑われるよりはよっぽど良い。
悲観しても、死ぬのはもう決まっているのだから、せめて最後の時を少しでも楽観的に行こう。
痛みはもうない。
死の直前と言うのは、案外、そんなに痛まないものだ。
脳内麻薬とか言ったっけ、そういうのが働いているのだろう。
(ああ、でも……もっと人生、楽しみたかったな……。彼女作ってデートしたりしたかったし、まだ読んでないマンガの新刊もあるし……)
ほんの少しの後悔はある――でもこれで『終わり』でいいと思えた。
全部。
何もかも。
■
死が漂うその場所。
3人は凶器を川に投げ込み、そのまま逃げ去った。
動揺して、血を隠したり川の水で流すことすらしていなかった。
その現場に1人の女がいた。
『……』
青い髪の女は、痛ましそうにその現場を見る。
どのような世界においても、どれほどの知性を得ても、人は互いに憎しみあい殺しあう。
人が好きで、人を愛し、人を助けることを生き方とした彼女にとって、それはただただ悲しいことだった。
『折角のチャンス――でした。しかし私は無為にしてしまったようですね。……とはいえ、これではあまりに痛ましい』
女は、扇の体を自分が作り出した真っ白のゲートにくぐらせるようにして収納してしまった。
――そう、扇が望んだように『これですべてが終わり』とはならない。
これはただのプロローグ。
彼の人生にとっては前哨戦に過ぎない。
彼はある異世界に転生することになる。
そして彼の人生は、ある意味地球での出来事とは比べ物にならないくらいの激動へと流転する。
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