第7話 音楽

スピーカーから大音量の音が溢れる。

心臓が跳ねるくらいの4ビートが気持ちいい。

緊張も不安も何もかも掻き消してくれるようだ。

横をちらっと見ればすぐに仲間の顔が見えた。

1人じゃない。わたしは1人じゃない。


音楽は『カナリアスキップ』

まんぼう二等兵さんのフリーBGMだ。

どこまでも羽ばたいていけるような希望に満ちたメロディ。

夜乃がピアノを録音して重ねた、『toeL』の特別バージョンだ。

4人のカナリアが舞うようにステージへ躍り出た。

観客の歓声が大きくなる。

行こう。みんなでこの音に乗って。

跳ねて、跳ねて、跳ねて、あの空を目指そう。


「行こう!チーム『toeL(トエル)』っ!」


わたしたちのステージはこれから始まるのだ。



大音量の音楽に身を委ねる。

手を大きく振りかぶって、全員で足を上げる。

夜乃としおん、比較的小さなアバターが前に出る。

その後ろをそれぞれ湯葉とねくたーが陣取る。

4人を上から見た時にちょうどきれいな正方形ができるフォーメーション。

後ろの長身アバターの2人が翼を模したように両手を羽ばたかせる。

くるりとその場で一回転してステップを刻む。

翼を模した両手が夜乃としおんの2人を包む。

正方形のフォーメーションのまま、徐々に距離を詰める。

その正方形の中心にいるはずだった猫耳少女の姿はない。

観客も4人で踊っていることに違和感を覚えたのか、少しずつざわざわと声を立てた。

イントラは?と誰かが言っているのが聞こえた。

でも、もう止まれない。

音楽が鳴った。

踏み出した。

じゃあ、あとはそれに身を任せるだけだ。

何も考えなくていい。

何も考えずにただこの音楽という風に身を任せる。

わたしたちは風に乗ってどこまでも飛ぶ鳥だ。

翼をはためかせて、遠い果てのどこまででも飛ぶことができる。

自由に。

いつまでも自由に飛ぶことができる。

疲れたら羽を休めればいい。

下を見れば左足に輝くチャームが、まるで羽を休める木の枝のように確かな存在感を放ってそこにある。

その場で180度振り返る。

ねくたーと目が合う。

その身体をくぐり抜け、前と後ろが入れ替わる。

横のしおんも無事に湯葉と入れ替わる。

夜乃としおんはコントローラーのボタンを押しながら、右手を大きく下に下げた。

「OVR settings」が発動し、身体が宙に浮く。

前で踊っている2人を上から見下ろしながら、舞うように踊る。

空を舞う鳥そのものだ。

空中をスキップする。

両手を広げ、足でリズムを取る。

アップのリズムで、さらに高く空を目指す。

手が照明に届きそうだ。

エンカウントを膝で感じながらどこまでも手を伸ばす。

ポップコーンステップで跳ねる。

みんなで必死になって練習した部分だ。

フォーメーションもみんなで意見を言い合って考えた。

VRならではのダンスパフォーマンス。

遥か下の2人が中央に駆け寄り、互いに両手を伸ばして2人で1つの大きな輪を作る。

合図だ。

その中心に降り立つ。

4人が肩を寄せ合って中央にうずくまる形になる。

音楽が一瞬静かなパートに入る。

全員で下を向く。

足先のチャームを全員で見る。

そのままゆっくりと顔を上げる。

全員と目が合う。

会話はない。

でも、ダンスは対話だ。

皆今同じ気持ちでここにいる。

言わなくてもわかる。

何を考えているかなんて

手に取るようにわかる。

その顔を見れば、嫌でも分かるのだ。

本当に心の底から、

楽しいんだ。

全員で上を見上げて手を伸ばす。

4人で一つの鳥のような形を作る。

観客から感嘆の声が漏れる。

アオがこの場にいないから頭のない鳥だ。

それでも、翼は失っていない。

わたしたちはチームだ。

誰が欠けることも許されない。

だから頭が無くても、まだあるこの両翼で空を駆ける。

地上からでも見つけられるように。

アオが、わたしを見つけてくれたように。

だからアオ、今度はわたしが見つけに行くよ。

この場にあなたがいないと「わたしたち」はいつまで経っても完成しないんだ。

だって5人で一つのメンバーなのだから。

今はあなたの声を道標にただあの空を目指そう。


『楽しいよね、ダンスって』


全員がはっとして顔を見合わせる。

確かにアオの声が聞こえた気がした。

湯葉もねくたーもしおんも目を輝かせている。

わたしの目も同じように輝いているだろうか。

いや、きっと輝いているに違いない。

こんなにも楽しい世界を教えてくれた優しい声が聞こえたのだから。

声に導かれるように、全員が大きく跳ねた。

音楽が再び大きく流れ出す。

ラストスパートだ。

音に乗れ。

楽しい音に乗れ。

音楽に乗れ。

カナリアの詩がこだまする。

誰がどう思おうと関係ない。

ダンスバトルとは違うのだ。

評価を気にする必要はない。

ただただ、心の底から楽しんだ先に見える景色が見たい。

それだけだった。

全員でステージを縦横無尽に駆け回る。

フォーメーションなど気にしない。

アオの提案だった。

最後は皆んな好きなように踊ろう、と。

大きな振り付けはあったが細かな指定はない。

各自のアドリブが前提となる動き。

ずっと最後のムーブが不安だった。

理屈をこねくり回してここでこういう動きを入れて、と綿密に計算して作られた振りじゃない。

感情の赴くままに踊ればいいんだよ、と言ったアオの言葉を受けてもずっと不安だった。

でも。

今はどうだろうか。

わたしの身体はどうだろうか。

胸が締め付けられるような、でもどこか希望を感じさせる音楽に自然と乗っている。

脳が両手足に伝令を送っていない。

心の赴くままに、ただただ身体が動いている。

勝手に動いているのだ。

ねえ、楽しいよアオ。

楽しいよ、アオ!

何もかもリセットしたかった。

現実は諦めたはずだった。

仮想現実では耐えられなくてリセットした。

もう自分の人生に希望なんてないと思っていた。

でもたった一つの出会いから、人生を大きく変えてくれる出来事が必ずあるんだ。

誰にだってあるんだ。

わたしにさえあったのだから。

絶望感に囚われて、目の前が真っ暗になる時がある。

その闇がいつまで続くのか、不安感に押し潰されそうな日が何度も何度もあった。

真っ暗な視界で、何も見えない世界では気が付くことが出来ないんだ。

すぐそこに光があることに。

まだ捨てたもんじゃない。

諦めるには何もかも早い。

だって、諦めていたらこんな光景は永遠に見ることができなかっただろう。

絶対に。

真っ暗な世界に刺す光が存在しないのなら、『希望』という言葉は存在しない。


3連符と共に音楽が止む。

全員で中心に寄り、決めポーズを取った。

肩で大きく息をする。

苦しいけど、その何倍もの達成感が押し寄せる。

踊り切った。踊り切れた。

しばらくして、観客から一際大きな歓声が巻き起こる。

熱狂の渦に呑まれた会場の歓声が鳴り止まない。

賞賛の言葉が飛んでくる。

心の底から楽しんだ先に見えた景色は、ただひたすらに美しかった。

この景色をあなたと一緒に見たかった。


「熱い!熱い!熱すぎるーーーーっ!!!

最高のパフォーマンスを披露してくれたHIPHOPチームの皆んなにもう一度大きな拍手を、コントローラーが壊れない程度にどうぞーーっ!!」


MCに呼応して再びボルテージが上がる。

何度も何度も暖かい言葉が飛んでくる。

横を見る。

全員、清々しい笑顔を浮かべている。

かけがえのない仲間と踊れたことが嬉しくて、自然と涙が溢れた。

感情が遅れてやってくる。

本当に、本当に楽しかった。


「「「「ありがとうございました!!」」」」


全員で深々と頭を下げた。

4人の左足のチャームが照明の光を受けて、キラキラと輝いていた。

顔を上げ、再びお互いの顔を見合わせる。

チームの証をしっかりと目に焼き付けて、また笑い合った。

拍手が鳴り止まない。

歓声が鳴り止まない。


今日のこの景色を、わたしは一生忘れない。




          ♢♢♢


「かんぱーい!」


掛け声と共にグラスをぶつける振りをする。

現実世界では各々が手に持ったグラスを高く掲げていることだろう。

イベントを終え、メンバー、他のチーム、その他アシスタントをしてくれた人たちとの打ち上げ会が開催された。

ワールドに選んだのは打ち上げ会場にぴったりな居酒屋風ワールド。

家から出ずに集まって宴会が出来るのも、VRならではのことだ。

お酒やつまみなどは各自で用意しなければいけないのだが、HMDを被るだけで大人数での飲み会ができるというのは間違いなく何事にも代えられない魅力の一つだろう。

現にもうすでに出来上がっている人がいる。

美少女アバターに膝枕をしてもらっていた。

さすがに早すぎでは、と思ったが何も言わず黙っていることにする。

夜乃はそもそも飲み会というものが初めてだったので少し緊張してしまう。


「いや、凄かったね、HIPHOPチーム」


HOUSEチームのインストラクターであるロマノフが横に座っていた湯葉に声を掛ける。

湯葉は元気よく


「おうよ、最高だっただろ!俺らのチーム!

な、よるちゃん、ねくちゃん、しおん!」


と答えて夜乃たち3人を手招きした。

湯葉の元へ向かう。


「ねく、めちゃくちゃ楽しかった!!もう楽しすぎて多分一回死んだ!!」


ねくたーが言うと湯葉は大きく笑って、わかる!と賛同した。


「いや、でもよくイントラ不在であそこまでのパフォーマンスができたものだよ。今のVRダンサーってレベル高いのな。俺、びっくりしちゃった」


ロマノフが言う。

その言葉を受けてますます湯葉は嬉しそうに顔を綻ばせた。

酒も入って声がどんどん大きくなる。


「だろだろ〜!!しかもよるちゃんとしおんはつい数ヶ月前にダンス始めたばっかなんだぜ!!すごいだろ!!」


「ちょ、ゆん兄、声大きい。」


「自分は、ちょっと失敗しちゃいましたけど…」


自分のことのように自慢する湯葉に、ロマノフが驚く。


「マジで…?いや、全然見えなかったわ。マジか…。これは俺らも負けてられないな。なぁ、みんな!」


ロマノフがHOUSEのチームメンバーの方を振り返りそう声を上げたが、メンバーはすでにほとんどが出来上がっていて、一切話を聞かずに笑い合っていた。

美少女に膝枕をしてもらっている人もHOUSEチームの一員だったようだ。

そのまますやすやと寝息を立てている。

残りのメンバーはふざけ合って筋肉ムキムキ(何故か半裸)の屈強な男性アバターになって遊んでいた。

頭には居酒屋ワールドに元々置いてあった焼き鳥の3Dモデルが突き刺さっている。

カオスだ。


「あいつらマジで…」


少しロマノフが可哀想だった。


「でもほんとによるちゃんもしおんも良くやってくれたよ!おじさん感動で最後の方泣きそうになったもん」


湯葉がそう言って目に腕を当てて泣き真似をする。


「湯葉さん、ありがとうございます。自分も湯葉さんのおかげでダンスの本当の楽しさを知ることができました」


桃葉にフルトラ機材を貰った次の日、チームメンバーの前で夜乃はフルトラ姿を披露した。

その姿に目を輝かせていたしおんに、じゃあ俺の余ってるやつやるよ!と湯葉は言った。

その後本当にしおんの家に機材が届いたのだという。

なんで皆フルトラ機材を何個も持ってるんだろうと素朴な疑問を抱いたが口には出さなかった。


だから、今日のステージは全員がフルトラで全身を動かして臨んだステージだった。

全身で音楽に乗り、全員で楽しさを共有した。


「しおん、やめてくれよ、おじさんマジで涙脆いから」


泣きそうになる湯葉を横目に見ていると、ずっと置いてけぼりにされていたねくたーが会話に入ってくる。


「ねえ!ねくも褒めてよ!ねくも頑張ったんだけど!」


「ねくちゃんは最初からできてたじゃん!あ、ほんとにほんとの初めたては違うか。手と足一緒に動いてたもんなー!」


湯葉が茶化すように笑う。

ねくたーの顔が真っ赤になる。


「ちょっと!それは言わない約束でしょ!!あーーっもう!よるっちもしおたんも信じちゃダメだからね!ねくは最初からスーパーダンス美少女なんだから!」


「うん、ねくちゃんは最初からすごかったよ」


「はい。ずっと上手だな〜って思って見てましたよ」


2人の声にでしょでしょ!と短く答えて、ねくたーはその場で回転した。

お酒が入っているんだからあまり激しい動きをしない方がいいのではないだろうか。


「楽しかったな、みんな」


湯葉の問いかけに3人全員が大きく頷いた。


改めて宴会会場を見回す。

他のチームのメンバーも、裏方を手伝っていたアシスタントも、皆んな楽しそうに談笑していた。

先ほどまで緊張感漂うステージに立っていた姿とは誰もが程遠い。

それでもこの大きなイベントを無事に終えることができて、全員が心の底から笑い合っている。

本当に楽しかったのだ。このイベントが。

大きな演劇舞台をここにいる全員で作り上げたといった感覚に近いような気がした。


イベントは大成功だった。

帰っていく観客たちからも、

「また次このイベントあったら絶対来るわ」

「次はもっとjoin戦争起こりそうだな〜」

と次のイベントを希望する声がちらほらと聞こえてきたくらいだ。

自分がこの場所のステージに立てたことが誇りに思う。

でも、ずっと一緒に踊りたかった猫耳少女の姿だけが、ここにはなかった。

今もまだ、アオから連絡は来ない。

打ち上げやるよ、とこの宴会会場のワールドのURLを送ったが、まだ姿を現さない。


「ほんとどうしたんだろうな、アオのやつ。

次会ったら猫耳もいでやるわ」


「あはは、ねくもやるー!でも、案外ほんとに寝坊して、出るに出られなくなってるだけかもよ!なんだかんだで責任感強いからアオちゃん!」


「それだったらいいんですけどね。連絡一切ないのはさすがに心配しちゃいますよね」


誰が送っても返事がない。

夜乃も何度も送ったが、返事が来る気配はなかった。

イベントが終わって、宴会も終盤、日付を跨ごうとしている時間帯だ。

もちろん明日が休みなので夜はまだまだこれからなのだが、待っても待っても来ない返事にどんどん胸が苦しくなってくる。

最悪の想像が頭をよぎる。

この感動を一番に伝えたいのに、感謝を伝えたいのに、会うことができずに時間だけが過ぎていく。

会いたいのに会えない。


「よるっち」


温かな声に振り返るとさっきまで皆とはしゃいでいたはずのねくたーが手を後ろに組んで、静かに立っていた。


「ね、端っこのほうでちょっと話さない?」



          ♢♢♢


ねくたーの後をついて宴会場の隅へ移動する。

中央で騒いでいる人たちの声は減衰してここまで届かない。

角の席に2人で並んで腰掛ける。


「お疲れ様、よるっち」


「うん、ねくちゃんも」


グラスを持った手を近づける。

そのままぶつけるようにして、お互い手に持っていたお酒を飲む。


「あーっ、やっぱり動いた後の酒は沁みる〜」


「ねくちゃん、おっさんみたい」


笑い合ってまたお酒を口に含んだ。

思えばVRの世界でこうやってじっくり話したことはなかった。

隣に座る美少女を眺める。

紫色の長い髪の毛がゆるやかに揺れている。

現実世界でも綺麗なのに、仮想世界でも可愛いのはちょっとずるい。

でも、どちらも彼女の本当の姿。

桃葉もねくたーも、わたしがよく知っている大好きな女の子だ。


「あたし、今日つっきーと一緒に踊れて心から楽しかった」


ねくたーから桃葉の声がした。

どちらも同じ声なのだけれど、何故かそう感じた。


「わたしも、ももちゃんと踊れて楽しかったよ」


「あはは、つっきーボイチェンかかったままだからなんか変な感じー!」


そう言ってころころと笑うねくたー。

いや、桃葉だろうか。


「ごめん、ボイチェン切る?」


「いや、いいよ。よるっちの前でつっきーと話したいんだ」


何となく分かる気がした。

どちらの世界も自分たちの世界で、どちらの姿も自分そのものなのだ。

アバターを介して、桃葉とねくたー、2人で1つのたった1人の親友に話しかけた。


「わたしも今日ほんとに、ももちゃんと踊れて心の底から楽しかったよ」


もう一度言った。

本心だ。


「ううん、心の底から、ではないよ」


「心の底から、だよ」


「ううん」


2度ねくたーが否定する。

夜乃は首をかしげる。

桃葉は話を続ける。


「あたしはほんとに心の底から。推しと踊れる今日この日のためにずっと練習したんだ。

あたしはずっとつっきーと踊りたかったんだよ」


「うん、知ってる。だからわたしも…」


「つっきーは、アオちゃんと踊りたかったんだよ。アオちゃんが居なかったのなら心の底から楽しめたとは言えない。違う?」


「わたしは…」


今日の感動を伝えたかった。

アオが教えてくれた世界がこんなにも楽しかったよ、と。

感謝を伝えたかった。

わたしをこの世界に導いてくれてありがとう、と。

でも、桃葉の言う通りだ。

わたしは、ほんとうは、今日みんなでみた景色をアオとも共有したかった。

アオと一緒に踊りたかった。

アオの隣に居たかった。


「ね、つっきーが前に会いたいって言ってた人ってアオちゃんでしょ」


ねくたーの唐突な問いにびっくりして顔を上げる。


「そ、そんな前の話、今更されても…」


「大事な話だよ。でもやっぱりそうだったんだ。つっきーもアオちゃんと一緒じゃん」


「一緒?」


どういうことだろうか。

桃葉の言葉が理解できずにいた。

静かにねくたーが再び口を開く。


「アオちゃんね、インストラクターだけど、レッスン休む日も多かったんだ。今日みたいに全く連絡取れなくなったことはなかったけどね。

でね、ある日、目の色変えて話しかけてきたの。

『やっと、僕が探していた音に出会った!』って言ってた。

もうほんとに目キラキラさせてたんだから」


あの夜、初めてアオに出会った日のことだろう。

確かに言われた。

君の音楽に惹かれた、と。


「次の日もずっと連絡し続けてて、

『全然連絡返ってこない〜、僕なんかしたかな〜』ってずっとソワソワしててさ。

ずっと誰かからの連絡を一途に待っていたんだよ、迷子の仔猫みたいで可愛かったけど」


わたしが、

拒絶してしまった日だ。

何度も来た連絡をスルーしていた日、だ。


「アオちゃんがずっと探していた音ってさ、つっきーの音だったんだって後から分かった。

あたしもつっきーのピアノを聴いた時、胸がぎゅーって苦しくなって、でも雨雲を晴らして昇る太陽みたいな朝焼けの景色が見えて、なんだろう、えっと、言葉じゃないって言えばいいのかな。うん、言葉じゃないんだ」


胸に何か込み上げる。


「一目惚れなんだ。いや一耳惚れ、かな?

つっきーの音が胸に刺さって今も抜けない」


涙が頬を伝う。

わたしがずっとやりたかった音楽。

わたしがずっと求めていた音楽。

一度言葉で否定されたはずの音楽が、ふたたび言葉で肯定される。

止まらない涙がただただ溢れた。


「アオちゃん、つっきーをレッスンに誘えた時、めっちゃ嬉しそうにしてたからね!一緒にダンスできるー!って」


…うん。


「ね、今、会いたいんだよね」


会いたい。


「会いたくて会いたくてたまらないんだよね」


「会いたい…!」


「アオちゃんだってそうだよ。つっきーにだけは絶対隠し事なんてしないよ。だから…」


ポンと目の前に通知が表示される。

アオからだ。

慌てて立ち上がる。

アオからのインバイト。

アオのいる世界への招待状。

たった1人に向けられた招待状。

夜乃のためだけの招待状。


「アオからだ…」


桃葉はゆっくり目を閉じて、また静かに開けた。


「ほら、同じでしょ?アオちゃんは最初からずっと、つっきーに一目惚れだったんだよ」


初めて出会った時に見たアオのダンスにずっと惹かれていた。

いや、違う。

ダンスだけに惹かれたわけじゃない。

一目惚れだった。

アバターの見た目ではない。


最初から優しい言葉をかけてくれたあの人自身に最初からわたしは一目惚れをしていたのだ。



「行ってきて、つっきー」


「ありがとう、ももちゃん、大好き」


そういうと桃葉はかなり驚いた様子で飛び上がった。


「え、つっきー、今、え?」


「うん、ももちゃん大好き。わたしの初めての友達になってくれてありがとう」


お酒のせいだろうか。

それもあるかもしれないけどそうじゃない。

ただ心のままにさらりと口から滑り出た本心以外の何物でもない。

桃葉にもこうやって心を救われた。

かけがえのないたった1人のわたしの親友。


「あの、あのあの、、録音していいですか…?」


「うん、いいよ」


はっきりとそう言うとねくたーは紫色の髪を大きくなびかせながら勢いよく立ち上がった。


「待って、神対応きたんですけど!!!

あーん、ちゃんと録音しておけば良かった〜!!今度直接言ってね!約束!!」


「分かった」


笑いながら答える。

背中を押してくれた親友に背を向けて、招待状のチェックマークを押した。

視界が暗転し、アオの待つ世界へと身体が誘われる。


会いたい。


会って伝えたい。


わたしのこの想いを。


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