第6話 左足

数日後、アオと一緒にレッスンに行った。

湯葉もねくたーもしおんも2人の姿を見た瞬間に駆け寄ってくる。

夜乃は深々と頭を下げて謝罪した。

逃げてしまったことをずっと謝りたかった。

音楽のことについて少しだけ話した。

音楽が心のトラウマになっていたこと。

もう音楽はやっていなかったこと。

転生したことについては触れなかった。

これは夜乃とアオだけの秘密だ。

しおんは夜乃の話を聞くと涙声のような震える声で謝罪を返した。


「ごめんなさい!自分の無神経な発言で夜乃さんを傷つけてしまって!傷つけたかった訳じゃないんです!」


ドラゴンの短い首が折れるのではないか、というほど何度も頭を下げる。


「実は、初めてVRバンドで夜乃さんの音楽を聴いた時に心の底から感動してしまって。それを伝えたかったんです。あれから一度も姿を見かけなくなってしまったのでどうしてしまったんだろうって心配してたんです」


しおんの言葉に胸が詰まった。


「ボクのほうこそ、ちゃんと理由を聞かずに逃げてしまってごめんなさい!」


そんな理由があったなんて知らなかった。

聞かずに逃げたのだから当然だ。

本当に最低なことをした。


「あの、音楽はもうやらないんですか…?」


しおんは恐る恐る伺うように聞いてくる。


「今はまだちょっと、心の準備が出来てないんです。でも、いつか必ず演奏したいと思ってます」


自分が思っていることをちゃんと口にした。

今はまだ大勢の前に立つ勇気がない。

でも少しずつ、少しずつでいいから前進して、また舞台に立てるようになりたいと思えるようになった。

アオが生きていい理由を教えてくれたから、またこうやって歩き出そうと思えたんだ。

夜乃のその言葉を聞いてしおんは安心したように胸を撫で下ろす。


「はい。いつかでいいから聴かせてくださいね、夜乃さんの音楽。楽しみに待ってますから」


「はいはーい!ねくも聴きたいんですけどよるっちの音楽!絶対神確でしょ!」


「ねくちゃん、うるさい。俺もよるちゃんがやりたくなった時にはぜひ聴かせてもらいたいね〜!」


「あはは、湯葉さんもねくさんと一緒じゃん!」


2人にツッコミを入れるようにアオが笑う。

その笑顔をまじまじと見てしまう。

不意に目が合って、慌てて逸らす。


「ん?どうしたのよるの?」


アオがずいっと顔を近づける。

距離が近い…!


「う、ううん、何でもない」


勢いよく目を逸らしすぎて不自然になってしまったのだろうか。

距離が近すぎてまともに顔を見れない。


「でも良かったね、よるの。君の音楽を待ってる人はたくさんいるよ」


アオはそう言って夜乃に向かって優しくウィンクした。

猫耳がぷるんと揺れる。

その姿にまた心臓がどきりとした。


「う、うん。や、ほんとにアオのおかげだよ。ありがとう」


出来るだけ自然に振る舞った。

自分の挙動がおかしいのはなぜだろう。


「んーん、僕は何もしてないよ〜」


アオはそう言うと静かに笑って夜乃から離れて行った。

でも、本当にアオのおかげだ。

何から何まで、全部。

アオがいなかったら自分は今ここにはいない。

そして、自分の音楽を待ってくれている人がいることにも気が付くことが出来なかっただろう。

心のトラウマが少しずつ解けている気がした。



          ♢♢♢


「ということで、3ヶ月後のこのイベントに、皆んなで出ます!」


「何これ?」


アオが唐突に言った言葉に湯葉が?マークを出した。


「よくぞ、聞いてくれました。ジャンル別ダンス発表会でーす!!」


全力でドヤる猫耳少女。

ねくたーが全身を大きく反らしてドヤ顔を決める猫耳少女の頭を撫でまくっている。

…ちょっとずるい。

わたしだってやったことないのに…。


「あの、なんですかそれ?」


しおんが尋ねるとアオはふふん、と言って説明を始めた。


「各ダンスジャンル毎にイントラ1人とメンバー4人の計5人グループを作って、発表会をやります!

ROCKチーム、HOUSEチーム、POPPINチーム、そして僕のチームはHIPHOPチーム!

メンバーは僕とこの4人!」


「え、みんなで一緒に踊れるってこと?マジ?!テンション上がるんですけど!!」


ねくたーが声を大にして喜ぶ。

夜乃は不安しかなかった。


「待って、ボク初心者なんだけど。みんなについていける自信ないよ…」


「じ、自分も…」


夜乃の言葉にしおんが反応する。

アオはそう言われることが分かっていたように答えた。


「大丈夫!今回、振り付けは全部僕が考えたから皆んなはそれを覚えるだけ!ダンスバトルじゃなくて、気楽に楽しむだけのイベントだから肩の力抜いて音にノッてくれればオッケー!」


そう言ってアオは両手で大きな○を作る。


「こりゃまた熱いイベント企画したなあ。俄然練習意欲湧いてきたわ」


湯葉がガッツポーズをする。

皆のやる気に反比例するように、少年とドラゴンの背中が小さくなっていく。

夜乃は小さくしおんに耳打ちする。


「ねえ、無茶振りじゃない?大恥かくのが目に見えてるよ…」


「ですよね…。初心者勢にはキツめの内容です…」


そんな2人の頭を紫色のスポーツの女性が全力で撫でる。


「だいじょぶだよ!よるっちもしおたんも!かっこよくとか、すごい!とか思われようとしなくていいの!ただ楽しむだけ!皆んなで踊れるってすごい楽しいんだよ!」


「ねくさんの言うとおり!さすがは僕の生徒だ〜!」


アオがねくたーを褒めると、ねくたーもさっきのアオと同じようにドヤ顔をした。

今度はアオがねくたーの頭を撫でまわそうとしたが身長が足りなくてその場をぴょんぴょんしていた。可愛い。


「な、皆んなでやろうぜ。それに俺、よるちゃんもしおんもセンスの塊だと思ってるからマジで。いいチームになるよ、俺ら」


チームか。

今思えばかつて自分が所属していたチームにはこんな和気藹々とした空気は無かったように思えた。

以前の嫌な記憶も、このチームなら掻き消してくれるかもしれない。


「わかった、やるよボク。しおんさんも覚悟決めよ…!」


「うん、夜乃さんがそう言うなら…!」


「2人ともありがと〜!!」


アオが夜乃としおんに抱きつく。

少女に抱きつかれただけなのに、心臓がうるさいくらいに跳ねた。


「ちょ、近い!!」


思わずアオから距離を取る。

アオは一瞬固まったが、すぐにニヤリとして、


「なに、よるの照れてるの〜?」


と言ってじりじりと歩み寄ってきた。


「て、照れてない!びっくりしただけ!ほら、そろそろレッスンだから!」


自分でもわからない行動に混乱する。

どうしてアオに近づかれたらどきどきするんだろう。

今まではこんなことなかったのに。


「よし、じゃあ今日のレッスン後に別のインスタンスに集まってグループ練習さっそく始めるよ〜!」


「おーっ!」


ねくたーだけ拳を突き上げていた。

涙目のアニメーションオーバーライドの表情が皆んなを見据える。


「え、みんなやらない感じ…?」


かわいそうになったので皆んなで静かに拳を突き上げて、小さく「おー!」と言った。

ねくたーは嬉しそうに飛び跳ねて、またね、と言ってからその場を後にした。

残りのメンバーも各自スタジオのミラーが見える位置に移動する。


こうして、夜乃たちのチーム練習が始まったのだった。



          ♢♢♢


「つっきー。あたし、最近楽しいんだよね」


「…いきなりどうしたの?」


バイト中、桃葉がいきなりそんなことを言い出した。


「や、なんか、趣味が充実してきたというか。仕事もつっきーと会えて楽しいし。楽しいことばっかり」


遠い目をしながらぼんやりと呟く桃葉。

うっとりと思いを馳せる姿も相変わらず美しかった。


「良かったね、ももちゃん。わたしも最近毎日がすごく充実してる」


夜乃も仕事をずいぶんと覚えてきてからますます楽しくなったし、桃葉との距離も近づいた。帰ってから皆んなでダンス練習に取り組んでいる時間も大切で、毎日がとにかく楽しかった。


「つっきーも趣味?つっきーの趣味ってなんなの?」


さて、何て答えようか。

VRって言って伝わるだろうか。

もう一つの世界で新たな自分となってダンスメンバーと練習に取り組んでいる。

綺麗な景色を見ることができて…。

端的に言うには難しい。


「あたしはね!VR!最近あたしが所属してるダンスグループに新しい人が来てね、その人とメンバーとで踊ってる時間がとにかく楽しいの!あ、VRっていうのはね…」


「ちょ、ちょっと待って!ちょっと待って!!」


持っていたガラスのコップを落としそうになった。

え、VR?桃葉の口からその単語が出てくるなんて予想していなかった。

改めて整理する。

そういえば前に趣味は身体を動かすことって言っていたような。

そして、この桃葉の明るい声。

VRの世界でも聞いたことがあるように思えた。

いや、間違いない。

目を閉じると浮かんでくるのは紫色スポーツ女性。

もしかして、ねくたーってネクターピーチから取った名前??

点と点が繋がって一本の線になった。

マジか…。

本当に世間は狭すぎではないだろうか。


「えっと、あの、もしかして、ねくちゃん?」


VR世界の桃葉の名前を口にする。

ねくちゃん、もとい、ももちゃんは口をあんぐり開けてそのまま、産まれたての羊のごとく震え出した。


「え?え、え?どーいうこと?え?つっきーももしかしてVRやってたってこと?え?」


理解が追いついてないようだ。

ぷるぷるしていて可愛い。

わたしもびっくりしすぎて今まだ疑ってるよ。


「えっと、夜乃、です…」


そう言うと桃葉は頭からぷしゅ〜と煙を出してフリーズした。

しばらくして合点がいったのか目をキラキラさせて大声で叫んだ。


「え、よるっち?!?!マジかーーー!!うわ、こんなことあるんだーー!!てか、全然分からなかった、声全然違うし!!うわ、鳥肌エグ!!!ずっと推しと一緒にいたってこと?死じゃん!!!死ぬよりも死!!」


「死のくだりはよくわからないけど、わたしもめちゃくちゃびっくりしてる…!!ももちゃんの口からVRって言葉が出てきたことにびっくりしてる」


こんなことが本当にあるんだ…。

桃葉は感極まって涙を流していた。

相変わらず大袈裟な子だ。

その姿がVRでのねくたーと一致する。

うん、紛れもなくこの子だ。


「ねえねえ、つっきー!これって運命じゃない、あたしたち。あたし、つっきーに会えてほんとに良かったんだけど!!」


恥ずかしげもなく言い放つ桃葉に夜乃も自然と笑顔になる。


「うん、わたしも、ももちゃんに出会えてほんとに良かった。これからもずっと友達でいたい。もちろんVRでも…!!」


自分の人生に彩りを与えてくれた友達の顔を見る。

心の底から出会えて良かったと思えた。

そういう風に思える人に出会えただけで、わたしの人生は幸せなんだ。

桃葉は胸ポケットから携帯を取り出して、ボイスメモ機能を起動する。


「今の言葉、お守りにしたいからもっかい言って…?」


「ねえ、いつか捕まるよほんとに」


感動を返してほしい。

絶妙な空気感が可笑しくて、2人で笑い合った。




          ♢♢♢


「お邪魔しまーす!」


仕事終わり、一度自宅に帰った桃葉が夜乃の家を訪れていた。


『よるっちに渡したいものがあるんだ!後で家行くから住所教えて!』


そう言って爆速で帰った桃葉はあるものを持って夜乃の家にやってきたのだ。


「ごめんね、仕事終わりで疲れてるのに。全然明日で良かったんだよ?」


「ううん、あたしが今日渡したかったの!居ても立っても居られなくて!」


じゃーんっ!といって箱から何かを取り出す。

黒い物体とコードが何本か飛び出した。


「これは?」


夜乃が聞くと、桃葉は胸を反らしてドヤ顔をした。

ついこの間どこかで見たなこの姿。


「ハリトラXだよ!あたしのお下がりだけど!今はもう使ってないからつっきーに、いや、よるっちにあげる!これをつければフルトラになれるんだ!!」


「え、嘘!ほんとに!?」


「嬉しいでしょ〜!」


思いがけないプレゼントに驚く。

これは正直めちゃくちゃ嬉しい…!


「でも、こんなの本当に貰っていいの?」


「もちろんだよ!よるっちにいつかSNSの匿名配送とかで送ろうと思ってたんだ!こうやって直接渡せて嬉しいよ!それに、普段推しが生活している空間の空気を吸えて感無量です!ありがとうございます!!」


「最後のはちょっと怖いです…」


そう言って深呼吸する桃葉の姿にもだいぶ見慣れてきた。

逆に可愛くみえるほどだから不思議だ。


「ね、せっかくだからつけてみてよ!」


「うん!」


一通り付け方のレクチャーを受け、身体に装備する。

胸と両膝、それに両足首にセンサーを取り付け、コードで各センサーを繋ぐ。

VR世界に飛び込んですぐに確認する。

足を上げると、少年の足もちゃんと高く上がった。


「おぉ…!足だ!足が動く…!!」


ずっと欲しかったフルトラ機材。

全身フルダイブで見るバーチャル空間の没入度は全然違った。


「あはは、最初めちゃくちゃ感動するよね!あたしもずっと最初足あげてたもん!」


外界から聞こえる桃葉の声が不思議だ。

自分がVRをしているところを人に見られていることに少しずつ恥ずかしさを感じてくる。


「推しがVRしている姿、控えめに言って神です…!写真撮って待ち受けにしてもいい?」


「絶対だめ!」


そもそもこんな姿、外から見られる前提で作られていないのだからやめてほしい。

桃葉ならやりかねないので慌ててHMDを外す。


「あーっ、かわいかったのに…」


「そんなはずないでしょ」


ほんとに携帯を取り出していた。

危なかった。



貰ったフルトラ機材を箱にしまいながら、桃葉にお礼を言った。

すぐには手に入らない代物だったので本当に嬉しかった。


「これでますます一緒にダンスするのが楽しくなるね!つっきーと一緒に踊ってるって思うとマジ嬉しい!」


桃葉の言葉に夜乃は頷く。


「うん。わたしも。はやく一緒にダンスしたい」


そう言うと桃葉は嬉しそうに手足をバタバタさせた。

そのまましばらく回転しながら喜んでいたが何かを見つけて動きを止める。


「あ…」


視線の先には、


「ピアノ」


電子ピアノがあった。


「そういえば、つっきーって音楽やってたんだよね」


「うん、ピアノ。聴く?」


「え、いいのっ!?」


「今日のお礼。特別だよ」


ピアノのカバーを開けて椅子に座る。

白と黒の鍵盤に手を乗せる。

カシオペアの『朝焼け』

リズムの良いギターを模したピアノフレーズ。

目の前に広がるのは朝露が煌めく爽やかな街並み。

街を歩く母の後ろ姿。

そんな景色が見えた気がした。

弾き終えて桃葉の方を振り向くと、桃葉は泣いていた。


「えっと…」


言葉を探す。

静かに泣いていた桃葉が口を開く。


「すごい、すごいよ。つっきーのピアノ。

自然に涙が溢れてきちゃった。どこまでも広がってすっと心が洗われるような気がした。

うん、こんな音楽を眠らせておくなんてもったいない」


「ありがとう、そう言ってくれて」


桃葉は静かに、ただひたすら涙を流していた。

その姿が美しくて、夜乃も釣られて涙を流す。

自分の音に感動してくれたのが嬉しかった。


ねえ、お母さん。

あなたが教えてくれたピアノ。

わたし、ずっと続けてきて良かったよ。

わたしは、人の心にそっと寄り添えるような、そんな音楽が弾けるようになったのかな。


綺麗な涙を流して泣いてくれた友達を、そっと抱きしめた。



          ♢♢♢


季節は巡り、肌寒い秋も終わりに近づいている。

もうすぐ冬がやってくる。

カフェの床を箒で掃きながらふと思いを馳せた。


この3ヶ月、皆んなで一生懸命練習した。

レッスンはほぼ欠かさず参加した。

その度に皆んなに会えるのが嬉しくて、毎日VRChatにログインするのが楽しみになった。

現実世界でも、桃葉と一緒にスタジオを借りて練習した。

ディスコードで作ったグループを確認する。

アオも湯葉もしおんも今それぞれ自主練習している、と連絡をくれた。

世界の垣根を越えて、現実でも繋がっていると実感した。

ねくたーと現実世界でも知り合いだったことを教えると3人ともかなり驚いていた。

その反応に桃葉と2人で笑い合いながら、一緒に練習した。

こんなにも何かに没頭して取り組んだのは、あの時のピアノ以来だ。

一つのものをみんなで作り上げる感覚はバンドにいたときと同じ感覚だった。

あの時失ったもの以上のものをアオにもらった気がした。

皆んながいる。

わたしにはもったいないくらいの素敵な人達だ。


「ねぇ、ももちゃん、今夜、楽しみだね」


カフェの窓から空を眺める。

雪が降りそうだ。


「うん、絶対成功させようね!」


桃葉はピースサインを作って笑顔で答える。

2人の会話を聞いていた海川が、


「あら、今日何かあるの〜?」


と言った。


「海ちゃん!今日あたしとつっきーで、ダンスのイベントに出るんだ!今からめちゃくちゃ楽しみ!!」


「そうなの。2人とも楽しんできてね」


海川が優しく微笑む。

この人にも本当にお世話になりっぱなしだ。

仕事を失って絶望していたあの時、このカフェのバイト募集の張り紙を見つけた。

あの張り紙を見つけなければ、こんな素敵な人に巡り会えなかっただろう。

この世界は不条理だ。

手を差し伸べられることなんてない。

誰かが絶対に不幸になるようにできている。

そういう仕組みだと、ずっと思っていた。

でも、不幸が永遠に続くことはなく、もしかしたら今誰かが不幸なのかもしれないけれど、自分が不幸だと思ってたあの瞬間に、確かに知らない誰かが幸せを噛み締めているのだ。

順番に回っているだけで、手が差し伸べられないことはない。

誰かが必ず救い出してくれる。

海川と桃葉がそうしてくれたように。

湯葉やしおんがそうしてくれたように。

アオがそうしてくれたように。


「店長、ありがとうございます」


わたしを見つけてくれて。

選んだのはわたしの意思だ。

でも導かれるように選んだのだ。


「いえいえ、私もいつも助かってるのよ〜。こちらこそありがとう原田さん」


海川の言葉に救われる。

新たな人との繋がりが夜乃の心を暖かに灯してくれた。


「それじゃ、残りの仕事もがんばろー!」


「「おーっ!」」


桃葉の掛け声に合わせて海川と一緒に拳を小さくあげた。

ちゃんと上がった拳に、嬉しそうに笑う桃葉が可愛かった。


今にも雪が降り出しそうな空はとにかく綺麗に見えた。



          ♢♢♢


多くの人で賑わっている。

いつものダンススタジオとは違って、照明や装飾が施されたダンスステージ。

各チームの気合いや熱気も相まって、緊張感が増していく。

自分たちと一緒で今日のために準備をたくさんしてきたであろう他チームのメンバーがストレッチを始める。

夜乃も軽く身体を伸ばす。

湯葉もねくたーもしおんも各自準備運動を始めた。

インスタンスには、各チームの他に、YouTube配信用のカメラを回す撮影班、音響や受付を担当するアシスタントなど、裏でこのイベントを支えてくれる多くの人がいる。

観客も含めた総人数は60人近くになっていた。

間違いなく最大規模のダンスイベントだ。

MCがマイクチェックを始める。

皆がイベントの開始を心待ちにしている。


「ジャンル別ダンス発表会へようこそ!今日はイントラとそのメンバーで構成された4つのグループが熱いステージをお届けするよー!」


MCの司会がスタートする。

観客の歓声が一際大きくなる。

会場はすでに大熱狂だ。

まもなくイベントが始まる。



でも、アオはこの場に現れなかった。




1組目のROCKチームのショーが始まった。

夜乃たちの出番は2番目なのでステージ裏で待機している。

まだアオが来ていない。


「誰か、アオと連絡取れた人いる!?」


湯葉が焦ったように声をあげる。

全員が連絡したが折り返しの返事は誰のもとにも届いていなかった。


「もー!なにやってるんだよアオちゃん!こんな大事な日に寝坊なのかな?!ありえないんだけどー!」


ねくたーは怒ったようにその場で地団駄を踏む。

ステージから激しい音楽と観客の歓声が聞こえる。

音楽の盛り上がりもラストスパートに入る。

焦りだけが募っていく。

でも、誰にもどうしようもできない。

待つことしかできない。


寝坊。アオがするだろうか。

いや、そんなわけがない。

アオがこのイベントにかけてきた熱量は皆知っている。

誰よりも楽しみにしていたのはアオのはずだ。

じゃあ連絡が来ないのは何故だろう。


「何か、あったんだ」


夜乃が呟く。

皆がこちらを向く。

アオの身に何かあったんだ。


「連絡が取れない状況になるようなことが、あったんだよ」


皆一様に同じ顔をしている。

不安。

アオの身の不安。このイベントが成功するかどうかの不安。

一つの感情が全体を大きく支配していく。


「くそっ、もうすぐ出番だってのに…!どうする…!」


「あの、今からでも辞退したほうが良くないですか…?アオさんがいない状況で上手くできるとは…思えないです」


「あーーん、アオちゃん!なんで連絡くれないのーー!!」


3人の声が遠くなっていく。

なんで。

どうして。

何があったの。

正直もうダンスどころではない。

ただただアオの安否だけが気になっている。

でも何もできないのだ。

もしかしたら、アオはわざと来ないのでは。と悪いほうへ気持ちが引っ張られる。


「よるっち」


もしかしたらアオは練習している途中で嫌になったのではないだろうか。

またわたしが気が付かなかっただけで、浮かれていただけで、そのサインを見逃していただけだとしたら。

わたしが1人でまた勝手に舞い上がって、楽しさのあまり周りが見えていなかったのだとしたら。


「よるっち!」


きっとそうだ。

そうじゃなければ急に来なくなるなんて、考えられない。

どこで間違えたんだろう。

ずっとずっと間違えて、正しい道を歩むことなんてわたしには出来ないのだろうか。

なんで。

どうして。

答えてほしい。

わたしは、どうしたら。


「つっきーーーっ!!!」


大声に我に返り、前を見る。

紫色の友達が夜乃を真っ直ぐ見つめる。


「つっきーは、どうしたい?!」


ねくたーが夜乃に問いかけた。

分からない。

どうしたらいいのか分からない。


「わ、わたしは、アオはわたしなんかとは踊りたくなんてなかったのかな、って思って…」


言葉が上手く紡げない。

いつもいつも肝心なときに出てこない。

出てくる言葉はいつも逃げ道を探すようだ。

思わず俯く。

下を見る。

全員の足が見える。

左足のつま先部分に、お揃いのチャームが光っていた。


「あ…」


それを見て思い出す。

自分の足先にも同じチャームが付いている。


           ♢


『お揃いのチャーム、作ったんです。よりチーム感が出るかなって思って』


『え、しおたん、すごい!どこにつけようかな〜!ね、みんなでおんなじとこにつけようよ!』


『お、いいね〜!よるのはどこに付けたらいいと思う?』


しおんが作ってきたチャームを見る。

キラキラ光るマテリアルとテクスチャで作られた3Dモデル。

程よいサイズ感がアクセントになりそうだ。


『足、かな。もうだめだ、もう頑張れないって思って下を向いた時に、みんながここにいるよって教えてくれそうな気がするんだ』


『おお、よるちゃんロマンチックだねぇ。俺、そういうのめっちゃ好きだわ!早速付けようぜ!』


湯葉はそう言って左足先に付けた。


『よるっち天才ー!ありがとー!そして、しおたんも作ってくれてありがとー!ずっと大事にする!』


『そう言われると作った甲斐があります。夜乃さんもありがとうございます』


照れたように笑うしおんに釣られて夜乃も頬を綻ばせる。


『ねえ、よるの。チーム名、よるのが考えてよ』


『え、ボク?』


アオがいきなりそんな事を言うので面食らって固まってしまう。

わたしが付けていいのだろうか。


『うん、みんな辛くなったときにこの足のチャームを見たらよるのの言葉を思い出して、また頑張れると思うんだ。このチームはよるのが名を付けるのにふさわしいよ』


『そうだねー!ねくもさんせー!』


『かっちょいいのを頼むぜ、よるちゃん!』


『夜乃さん、お願いします』


全員の顔を順番に見る。

全員が、笑顔で夜乃の答えを待っている。

大事な大事なダンスメンバーだ。

心から大切な、仲間なんだ。


『分かった。チーム名はーーーー』


           ♢


そうだ。

わたしが自分で言ったんだ。

わたしが逃げてどうするんだ。

こんなことで俯いていてはいけない。

アオだってきっとそんなの望んでいない。


「このまま、出よう。もしかしたら途中でアオが合流するかもしれない。来なくても、最後まで踊り切ろう」


強く自分の意思を示した。

夜乃の言葉に3人は笑顔になった。


「名付け親のよるっちがそう言うなら、決まりだね!ね!みんな!」


「よし、やってやろうぜ!フォーメーションは変えずにこのまま行くぞ!あとでアオには説教だ!」


「行きましょう!自分も精一杯頑張ります!」


わたしたちはチームだ。

今日まで一緒に一つのものを作り上げてきた。

この大舞台で全員で踊れることを夢見て今日まで頑張ってきた。

そこにアオはいないけど、いたら絶対こう言うはずだ。

「楽しもう」と。


「ありがとう、みんな」


仲間の思いに胸が熱くなる。

湯葉が笑顔で答える。


「何言ってんだ、よるちゃん!よるちゃんの意思が、このチームの総意なんだぜ!」


湯葉の言葉に合わせて全員が同時にグッドサインを作った手を前に突き出した。

涙が滲んで目頭が熱くなった。

ずっと心の奥底に縛りつけられていたトラウマがどこかへ消え去る音が聞こえた気がした。

今を、この仲間と全力で楽しみたい。

ただひたすらそう思った。


「ROCKチームありがとうございましたー!いやー、最初から熱いステージでしたね!!次はHIPHOPチームの登場だーーー!チーム名はーーっ!」


わたしたちの番だ。

舞台裏に全員で横一列になって並ぶ。

観客の歓声が聞こえる。

大丈夫。

今日のためにたくさん練習した。

それに、皆んながいる。

わたしには皆んながいるんだ。

何も怖くない。

夜乃が叫ぶ。


「行こう!!チーム『toeL(トエル)』っ!」


その目にもう迷いの色はない。

ただ前だけを見据えて光っていた。

夜空に輝く月みたいに。

夜乃の掛け声に合わせて全員で一斉に駆け出す。

空を舞うカナリアのように、スキップするように、跳ねながらステージに踊り出た。


左足に輝くチャームが4つ同時にカラン、と音を立てて揺れた。



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