第4話 転生

金色に輝く大聖堂。

その中心でVRバンドによる演奏が行われた。

インスタンスはフルを超えている。

たくさんのユーザーがその演奏に耳を傾け、熱中した。

自分もそうだ。


最初はただの興味だった。

VRの世界の音楽がどういうものなのか、聴いてみたかった。

今日もたまたまこのイベントが行われることを先ほど人から聞いて知り、なんとなく足を運んだだけだ。


そう思っていたのに。


演奏が始まった瞬間に惹き込まれた。

音が世界の色を変える。

肺の奥深くを抉ぐって空気を揺らす重低音も、流星のごとく煌めきながら流れるギターの旋律も、何もかもが感情を掴んで離さない。

そして、何処までも飛んでいくことができる翼を授けてくれるようなピアノのメロディが心の奥底を突き刺して抜けなくなった。


その場に立ち尽くしてただ聴くことしか出来ない。

でも、指は音を追いかけて無意識に踊り出す。

心臓に届いた音楽が全身を流れる血液に混ざって、気がつけば身体全体で音に乗っていた。


自分もあんな音楽が出来たら。


そう心が思うには充分すぎる理由だった。

人の心に棲みついて離さないような音をわたしも奏でてみたい。


音の渦に身を委ねながらそう思った。

ここは黄金の理想郷だ。




          ♢♢♢


「よるの!聞いてる?」


「あ、ごめん!」


ふと昔のことを思い出していた。

アオの声で我に帰る。

いつもの夜の世界でアオと久々に会っていたのだった。


「急に黙っちゃうからどうしたのかと思ったよ」


「ごめんね、せっかく説明してくれてた途中だったのに」


久々に会ったアオは何も前と変わらなかった。

しっぽを振りながら笑いかけてくれる表情が可愛い。

笑うとフリルのスカートが柔らかく揺れた。


「でも忙しいって言ってたの、まさかこれ作ってくれてたんだ」


アオは夜乃のためにVRのダンスで必要な知識や注意すべき箇所を自ら撮影し、編集して一本のレッスン動画を作ってくれていた。

初心者の夜乃が見ても分かりやすく、内容がすぐ頭に入ってくる言葉選びや気遣いが嬉しかった。


「うん、よるのレッスン初めてだし、3点でも踊れるってこと知ってほしくてさ。明日からレッスンだけど、参加者の中にはよるのと一緒で3点の人もたくさんいるから心配しないで!」


「ありがとう」


VRは普通頭につけたHMDと両手に持つコントローラーの3箇所が大きなセンサーとなり、空間上に自身の位置を決定する。

下半身は何もトラッキングされないため、上半身が動けば自動的に下半身がついてくる形になる。

ダンスのような全身運動をVR空間で表現するためには、胸や腰、膝や足首などに追加のトラッカーをつけなければならない。

界隈では初期装備を「3点」、全身にトラッカーをつけた状態をフルトラッキング、略して「フルトラ」と呼んでいた。


目の前に広がるiwaSyncの動画プレーヤーを眺める。

画面上のアオが踊りながら細かく押さえるべきポイントを説明する。

アオが撮影のロケーションとして選んだ場所。

見覚えがある場所だ。

いや、見覚えがあるでは済まない。


「このワールドどこ見ても金色でいいでしょ。心なしか、アバターがキラキラ光って見えて縁起がいい感じするし!」


黄金の理想郷だ。

夜乃のVR生活の始まりの場所といっても過言ではないだろう。

アオはそのまま話を続ける。


「前に一回VRバンドがここで演奏してたんだ〜!その時見てこのワールドいいな、って思ってたから撮影場所にしちゃった!いや〜、動画撮るまではすぐだったんだけど編集にめちゃくちゃ時間かかっちゃったよ!」


VRバンド。

その名前がアオの口から出てきたことに驚いたが、冷静になって考えればダンスと音楽は切っても切り離せない関係だ。

当然VRバンドに触れる機会もあるだろう。


「ボクも前に一回、この場所でVRバンドの演奏を聴いたことがある」


「え、ほんとに?4人組のインストバンド?」


「そう。特にピアノがとにかく綺麗で、すっと引き込まれるようなバンドだった」


「僕もそれ見た!!!うわー、あの時一緒に同じ場所で聴いてたってことか!なんかめっちゃ嬉しい!」


アオは嬉しそうに猫耳をぴょこぴょこさせている。可愛い。

それにしても、広大なVRの世界でもこんな偶然があるのか。

一度すでに出逢っていたのだ。

お互いがお互いを認識していないので出逢ったという表現は適切ではないかもしれないが。

わたしの心臓を揺るがしたあの時の演奏を聴いて、アオはどう思っていたのだろうか。


「でもよるののピアノもあの時のピアノに似て、キラキラしてたよ。悲しいけど、誰かの悲しみを一緒に背負って泣いてくれるような優しい音色だった」


「それは絶対ないよ。ボクのピアノはあの時のピアノとは全然違う。天と地ほどの差だ。

演奏技術、表現力、どれをとっても決して敵わない」


「そんなことないと思うけどなぁ。少なくとも僕はいいな、って思ったもん」


アオのことだ。

本心で言ってることは分かる。

でも、わたしが自分で奏でる音は、わたしが一番よく分かっている。

自分の心を突き刺して今も抜けないあの時のピアノの音色には程遠いのだ。


「ねえ、じゃあなんか弾いてよ」


唐突にアオは言う。

でも、夜乃は人前ではもう弾かないと決めていた。

自分から歩み寄ろうとするのと、自ら弱い部分をひけらかすのは違う。


「ごめん。ボクはやっぱり人に聴かせられるようなピアノは弾けないんだ。

自分のために弾くのが一番楽しいに決まってる」


アオは一瞬考えるような素振りを見せたが、すぐに何事もなかったかのように「そりゃそうだ」と短く言って笑顔になった。


「なんかごめんね!暗い話になっちゃって!

今日はこの辺で解散にしよっか!あ、動画はあとで送るからまた時間あるときでも見てみて!」


「うん、ボクのほうこそごめん。動画ありがとう!明日までにたくさん見てくる」


「ちゃんと寝るんだよ!明日のレッスンは21時から!ワールド開けておくから僕にjoinして!」


「分かった。ありがと!」


おやすみ、といってアオはログアウトした。

夜の世界に1人取り残される。

変わらず輝く月と夜乃だけの世界。

いつもの景色だ。

アオの温もりがまだそこにあるような気がした。

自分だけの世界に、さっきまでずっと会いたかった人が居たんだ。

居たのに。


…ごめんなさい。


あんなにも優しくしてくれる人に、優しい言葉で手を差し伸べてくれる人に対して、どうしてこんな態度しか取れないのだろう。

ピアノを弾くくらい簡単じゃないか。

アオは良いと言ってくれている。

あの日と状況は全然違う。

分かっている。

自分が歩み寄らなければ変わらないことも。

分かっている。

それでも。


「怖いんだ…」


それでも過去に受けた拒絶が大きな壁となって立ち塞がり、それを越えることができない。

しがらみのようにまとわりつくトラウマは簡単には消せなかった。



          ♢♢♢


日が差し込んでゆっくりと目覚める。

眠い目を擦って大きく伸びをする。

次第に脳が覚醒してゆく。

昨日はV睡はせずしっかりと身体を休めた。

今日は休日。バイトも休みだ。

そして夜には初めてのダンスレッスンがある。

やっと自分自身の身体で踊ることが出来るのだ。

期待や不安や緊張といった感情がごちゃ混ぜになるが、とにかく楽しむことだけを考えよう。

そう決意した夜乃はベッドから飛び起きた。


それから夜になるまではあっという間だった。日中はアオからもらったダンスレッスンの動画を見て過ごした。

部屋の掃除や、夕飯の支度などをしていると時間はすぐ経過して、気がつけばレッスンの時間になっていた。

どうして休日の時間の経過スピードはこんなにも早いのだろうか。

人類全員の疑問である。


「よし…!」


充電はオッケー。

気持ちも落ち着いた。

行こう。わたしの知らない世界へ。

HMDを被り、VRChatを起動した。

少年の姿に変身し、もう一つの現実へと降り立った。



          ♢♢♢


レッスン場所のワールドは、ダンススタジオをそのまま模したような場所だった。

前面には大きなミラーがあり、全員が一斉に自分の姿を確認できるようになっている。

背面には大きな動画プレーヤーが設置してあり、動画プレーヤーに映し出されたレッスン動画と自分をミラーで見比べながら練習ができる特設のスタジオだ。

そのどこを見ても人。人。人。

インスタンスは定員30人のところ現在は26人いることになっている。


「すごい、大盛況だ…」


まるで前に見た黄金の理想郷のように、大勢の人で賑わっていた。

機械の身体で出来たアンドロイド、羽が生えたハムスター、韓流スターのような爽やかな美青年、そして割合的には美少女アバターが多いだろうか。

みんな動機は違えど、このもう一つの世界で、自分のなりたい姿に変身して、ダンスで自分を表現しようとしているのだ。

アバターは自分の分身であると同時に、自分の好きが詰まった結晶体でもある。

VRダンスは自分が好きな「自分自身」を表現できる最高の武器だ。

この場所にはたくさんの夢がある。

そんな気がした。


「お、新規さんかな?いらっしゃい!Dance Lesson Group へようこそ!俺はこのグループのオーナーの『湯葉』です。よろしく!」


温かな低音の声がした方を向くと、そこには羊のような角が生えた長身の男性が立っていた。

元のアバターを改変しており、衣装には「DLG」の文字が入っていた。


「えっと、今日初参加の夜乃といいます。

よろしくお願いします」


「うん、よろしくお願いします!

あ、今日の先生はアオさんっていう人なんだ。ちょうどあそこにいるから時間あったら挨拶してみてね!」


湯葉が指差した方向を見ると、色んな人からの質問に答えている猫耳少女の姿があった。

レッスン開始前にも関わらず参加者からの質問が絶えない。


…人気なんだな。


それはそうだ。

アオの世界に後から踏み込んだのは夜乃の方なのだ。

アオはインストラクターなんだから人だかりができるのは当然のことで。


夜乃よりもアオのことに詳しい人がたくさんいるのは当たり前だ。


「はい、後で挨拶に行きます。もう少し様子見てみますね」


「うんうん。何か困ったことがあったらいつでも言ってね」


そう言うと湯葉はひらひらと手を振って別の参加者に声を掛けに行った。

夜乃はミラーに向かって上手側の一番隅の方へ移動する。

人が大勢いるとどうしても目立たないように後ろや端の方を選んでしまうのは昔からの癖だった。

アオに話しかけるのはまた後にしようとしていたのだが、どうやらアオの方も夜乃を見つけたらしく、質問している参加者に頭を下げてからこちらに走って向かってきた。


「よるの!待ってたよ!今日から一緒にダンス楽しもう!」


「うん。でもこんなにたくさん人いるなんて思わなかった。ボクちゃんとできるかな」


「そのために僕がいるんだから!これからレッスン重ねていって、よるのがちゃんと踊れるようにしてみせるよ!」


アオは手でグッドサインを作って前に出す。


「めちゃくちゃ頼もしい…。よろしくね、先生!」


夜乃がそう言うと、アオは照れたように笑いながら任せて!と言った。

レッスン開始まであと5分。

参加者は各々スタジオのミラーが見やすい位置に散らばり、談笑を交えながら21時を待っている。

そんな中、アオの近くに1人の女性が駆け寄ってきた。

全身を紫色のコーデで着飾った女性。

ストリート系のゆったりしたシルエットパンツと、ショート丈のTシャツでスポーティー感を演出している。


「アオちゃんー!今日もご指導よろしくねー!」


「おお!ねくさんやっほー!今日も来てくれてありがとね!」


「前教えてもらったトゥループの個人練ずっとしててさ!だいぶ上達したよ〜」


ねくさん、と呼ばれたその人はその場で重心を反らし片足を上げてキレのある動きでリズムに乗った。

スポーティーな服装と相まって、格好良さの中にどこか爽やかさを感じる。


「上達早いね!HIPHOPの基礎の中でもアレンジしやすいステップだから、ぜひ自分好みの形を見つけてみて!」


「ありがとう〜!やっぱり出来るようになってくると楽しいねー!」


その場でゆっくりと回転したねくさんがアオとハイタッチする。


「それじゃ、今日もお願いします!」


ねくさんはそう言ってスタジオの真ん中へと走っていった。

夜乃はただ2人の会話を眺めていた。

黙ったままの夜乃に気を遣ったのか、アオが話しかけてくる。


「今の人はね、ねくたーさんっていって、2ヶ月ほど前からこのダンスグループに参加してくれてる人なんだ!ダンス経験は全くなかったんだけど、成長スピード早くてびっくりしちゃった」


「そう、なんだ。ボクも頑張らなきゃ」


「よるのもすぐ上手くなるよ!一緒に楽しみながら少しずつ覚えていこ!」


またあとで、と軽く手を振ったアオはそのままミラーの中心に向かって移動した。

全員と対面する形でこちらを振り返る。


「それじゃあ、今日のレッスンを始めます!イントラのアオです!今日もよろしく!」


猫耳少女の声にたくさんの参加者が反応する。


「よろしくアオさん!」

「今日のレッスンも楽しみにしてました!よろしくお願いします!」

「アオ先生よろしくねー!」

「あ、アーカイブ用の動画まわしてます!」


レッスンが始まった。

皆が今か今かとアオからのレクチャーを待っている。

この空間に自分がいるのが不思議に思えた。

少し前までの自分には無縁だったはずの光景を目に焼き付ける。

また自分の知らない世界のことを知ることができて良かった。

良かったはずなのに、心が少しざわついているのは何故だろうか。


自分が知らなかったダンスグループの世界でずっと生きてきたアオはなんだか別人のように見えた。



          ♢♢♢


「今日のレッスンは3点でも表現できる初心者向けのダンスレッスンだよ!フルトラ勢の方にも役立つ内容になってるから安心してね!」


最初にアオがそう発言してから始まったダンスレッスンもすでに30分が経過していた。

レッスンの流れはアオがまず参考動画を再生しながら解説し、実際にその場で動きを実践する。

参加者は各自それを見ながら動きを真似てみるところから始める。

アオは参加者一人一人のところへ赴きアドバイスしながら全体を回る、といった流れだ。

必ずインストラクターの説明を個別に聞けるので初心者にもわかりやすいレッスン形態だった。


「お、しおんさんそんな感じ!腕もう少し大きく振ってみたらメリハリでるかも!」

「犬丸さんはダウンの動きを意識してみて!頷いてあげるとよりノリ感が出るよ!」

「あ、そこはロックノックっぽくしてみたらキレが出ていいね!カシミヤさんめちゃくちゃ上手になったねー!」


参加者それぞれに声を掛けながら丁寧にアドバイスしていくアオ。

一人一人の動きを瞬時に分析し的確な指示が出来るのはさすがインストラクターだ。


「よるのはエンカウント感じてみて!ワン、エン、トゥー、エン、スリー、エン…」


アオが夜乃の元へ来る。

カウントに合わせて動く。


「そうそう!音楽と一緒で裏拍を意識するんだ。やっぱりリズム感違うね〜!普通に初心者とは思えないもん」


「動画見て予習もしてきたから…。全然思ったように動けないけど…」


「ううん、最初からそこまで出来たら充分。どんどん次のやつやってこう!3点で注意することは、膝を大きく曲げて頭をしっかりダウンのリズムで下げること。膝下はカメラの画角に映らないようにしてあげればいい。VRならではだね」


目の前に設置したカメラに映る自分は腰より上しか映っていないが、しっかりとリズムに乗っているように見える。

3点という理由で諦めなくても工夫次第で踊れるのだ。


「だからって足適当にやらないでね!すぐわかるんだから」


アオはそう言って笑うと次の参加者のところへ行ってしまった。


ミラーに映る少年を見る。

自分自身の動きがそのまま反映されて踊る姿に胸が高鳴る。

もっと上手くなりたい。

そう思った。



          ♢♢♢


「今日もお疲れ様でした!各自しっかり身体伸ばして休めてね!


最後にアオがスタジオの中心に戻って全体に声を掛ける。

1時間のレッスンが終了した。

参加者の数人はアオのところへ駆け寄り、不明点の質問やアドバイスを受けている。

おつかれー、と言ってログアウトする人、そのまま談笑を続ける複数人のグループ、黙々と練習を続ける人など、レッスン後もスタジオ内は活気で満ち溢れていた。


「あの、夜乃さんって初めましてですよね?ダンスやっていたんですか?」


夜乃も帰ろうとしていたのだが、ふと呼び止められて振り返る。

紫色のスポーツ女性がこちらを見つめていた。

頭上のネームを改めて確認する。


「初めましてです。ねくたーさん。ボクはダンスは全く経験ないですよ」


「え、ほんとに?!全然そうは見えなかったです!3点だけどキレが違いましたもん!」


「いや、そんなことは…。ボクもねくたーさんみたいにちゃんと踊れるようになりたいです」


アオの動画で予習してきただけだ。

少しの基礎と知識を身につけただけで、あとは見よう見まねのひよっこ初心者。

動きを理解していても身体がその動きを再現できない。


「いや〜、俺も見てたけど夜乃さん初心者とは思えなかったな〜。ぜひDLGに入ってこれからもレッスン通ってほしい!」


夜乃とねくたーの話を聞いていた湯葉が会話に参加してきた。

ねくたーがその言葉に反応する。


「ね!ゆん兄もそう思うよね!夜乃さん絶対センスありますよ!ねくも一緒にダンスしたいですー!」


「夜乃さんさえ良ければだけどどうかな」


湯葉が手を差し出す。

そんな言葉をかけてもらえるとは予想していなかった。

夜乃は少したじろいだが、いつかもっと上達してこの人たちと肩を並べて踊れるようになりたいと思った。


「もちろんです!もっと上手くなりたいです!これからも通いたいと思います」


夜乃がそう言うと、2人は顔を綻ばせた。


「やったー!これから一緒に練習しましょうね!」


「改めてDLGへようこそ、よるちゃん!俺のことは親しみを込めてゆん兄と呼んでいいぜ!」


2人と握手を交わしているところにアオがやってくる。


「何話してるの〜?」


「あ、アオちゃん!さっき知り合った夜乃さんと話してたんだ!ダンス始めたてなんだって!」


「知ってるよ!よるのにダンスしようって誘ったの僕だもん」


「え、アオちゃん知り合いだったんだ!」


「初めて会った時にアオのダンス見せてもらって。そこからダンスに興味持って最近始めたんです」


夜乃が付け加えると会話を聞いていた湯葉が妙に納得したように、

「アオのお墨付きってことか。それならダンスのセンスあるのも頷けるな」

と言った。

ねくたーもたしかに!と短く賛同する。


「僕はよるのにダンスの楽しさを知ってほしかったんだよ」


アオの言葉が夜乃を射抜く。

楽しい?と聞かれたような気がした。


「楽しいです…!ダンスも、こうやって皆さんと出会えたことも!今日ここに来られて良かったって思ってます」


3人を見ながらそう言った。

紛れもない本心だった。


「そういう風に言ってもらえると、オーナー冥利に尽きるよ。じゃ、よるちゃんの歓迎ということで、みんなでゲームワールドでも行こうぜ!」


「ゆん兄、自分が遊びたいだけでしょ。ねくも行くけど!!よるっちと勝負する!」


いい場所だな。

そう感じた。

あの日のアオとの出会いが、今夜乃をこの場所へと導いたのだ。


「ボクも行きます!」


人との繋がりがこんなに楽しいと感じたのは初めてかもしれない。

ふと横を見ると、アオが嬉しそうにこちらを見ていた。

気恥ずかしさで思わず目を逸らしてしまう。

よるのがそう思ってくれて嬉しいよ、と小さく耳打ちされ、余計に頬が熱を帯びた。




「あの!!!!!」




湯葉がゲームワールドへ移動するポータルを出そうとしていた時だった。

大きな声に全員が振り返る。

水色のドラゴンの幼体のような可愛らしいアバターがそこにいた。

アオが近づく。


「あ、しおんさん、まだ何か質問あったかな?何でも答えるよ!」


「いえ、先生ではなくて…。そちらの方に少し用事がありまして…」


しおんと呼ばれたドラゴンは、短い腕を前に伸ばして夜乃を指差した。


…わたし?

接点はない。

今、初めて会ったはずだ。



でも。



この広大なVRの世界でも、案外世間は狭いのだ。



「あの、初対面でこんなこと聞くのは失礼だとは思ってるんですが…」



わたしとアオがすでに出逢っていたように。



「音楽やってた方ですよね?」



そして、ダンスと音楽は切っても切り離せない関係で。



「さっきダンスしていた姿を見て、音のノリ方が以前に自分が見たVRバンドの方にそっくりだったなと思って」



アオがVRバンドというものを知っていたように。



「もしかしてVRバンドでピアノ演奏されていませんでしたか?」



かつてのわたしを見たことがある人がいてもおかしくはない。




どうして…。

自分を知っている人がいるなんて考えても見なかった。

少し考えればわかるはずなのに、自分みたいなのが他人に認知されているはずがないと思い込んでしまっていた。

せっかく誰も知らない世界でやり直そうと決めていたのに。


「え、よるのVRバンドやってたの?!」

「よるっち音楽やってたんだ!」

「通りでリズム感あるわけだ。」


3人の声が遠くから聞こえる。

知られたくない。

誰にも知られたくなかった。

何か、何か言わなければ。

何を?

人違いです、だろうか。

そうだ、単純に人違いかもしれない。

動きだけでわかるものか。

きっとこの人が思い描いている人と、自分は別の人のはずだ。

何か。

言葉を発さないと。


「ボク、は、、…、。」


言葉が出てこない。

以前のトラウマが言葉の発言を許さない。

「目に見える拒絶」が思い起こされて心臓が踠く。

警鐘のように鳴り止まない鼓動が次第に早くなっていく。

息が、吸えない。


「ごめん、なさ、い」


「よるの!!!」


震える手でホームボタンを押した。

視界が切り替わる瞬間アオの叫び声が聞こえたが、もう元には戻れなかった。

せっかくできた繋がりも、これできっとなくなってしまった。

自分というどうしようもなく弱い人間は他人と関わる資格が最初からなかったのだ。

逃げ帰った先のホームワールドで、夜乃はただ立ち尽くしていた。



          ♢♢♢


夜の世界へ移動する。

この夜空と月をただ眺めるだけで良かったんだ。

そう思って再スタートを決めたはずだった。

誰にも関わらずに綺麗な景色だけを見て過ごすつもりが、いつの間にかアオのような人たちと関わることができるのを楽しみにしてしまっていた。

自分にそんな資格はないのに。

1人でいれば今みたいに、自分が傷つくのを恐れて、他人を傷つけることもなかったはずなんだ。

自分がされて嫌だったことをしてしまった。

目の前から人が突然消える恐怖は誰よりも知っているはずなのに。


目の前で通知を知らせるアイコンが光る。

アオがリクエストインバイトを送っていた。

こんな自分でも関わりに来てくれる人がいる。


どうして、この人は。

こんなどうしようもない自分に会いに来てくれるんだろう。


チェックマークを押してリクエストを許可した。

しばらくすると音がして夜の世界にアオが現れる。

夜乃の姿を見つけてすぐに


「大丈夫?」


と言った。


「ごめんなさい、逃げちゃった…。

皆さんにも申し訳ないことしちゃって、ほんと、最低だ…」


顔を見れない。


「ううん、みんな怒ってないし、むしろ心配してた。僕も心配してる。ねぇ、よるの」


アオは優しい声で語りかけるように言葉を発する。


「何か抱え込んでいるなら話してほしい。よるのが話したくなかったら無理には聞かない。でも、力になりたい。僕にできることは話を聞いてあげることくらいかもしれないけど。知りたいんだ、よるののこと」


暖かい光で心が包まれているような気がした。

いつまでも逃げてばかりだった自分を、こうやって追いかけてきてくれる人がいる。

この人にはちゃんと話したい、と思った。

一瞬の静寂。

アオは夜乃の言葉を待っている。

深呼吸して、心を落ち着かせた。



「ボクは、転生者なんだ」


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