第3話 友達
目を開けると夜空が広がっている。
キラキラと輝く星も、冷気を感じるような冷たい漆黒の空も、全てがわたしのために存在している。
世界がわたしを包み込む。
この感覚はやっぱりたまらない。
時刻は午前10時00分。
現実世界の柔らかい光など一切届かずに、宵闇の世界の月だけが夜乃を照らしていた。
昨日は帰ってきてからMMDワールドを堪能し、この夜の世界でゆっくりしていたらいつのまにか眠っていたようだ。
HMDをつけたまま眠ることを「VR睡眠」と呼ぶ。
略してV睡と言われるこの行為は、実際のところ眠りが浅くなり、疲れが取れるどころかむしろ疲れが増してしまう。
だが、フレンドと一緒に眠ればいつでも修学旅行の夜のような気分を味わえるし、朝起きた瞬間に隣で眠る美少女アバターやイケメンアバターの寝顔を拝める、という何事にも変えられない魅力があるためVRユーザーに人気があり、中には毎日V睡しないと落ち着かない、などといった猛者も現れたくらいだ。
「HPが減少する代わりにMPが大回復する魔の行為」である。
もちろん夜乃には一緒に眠るフレンドはいないためその感覚は皆無ではあるが。
ただ、夜乃は起きたその瞬間から普段現実では目にできないような景色を見られるV睡がお気に入りだった。
夜景が見える高級ホテルの最上階スイートルーム。淡いパステルカラーとハートの装飾が可愛い夢女子部屋。桜の花弁が舞い散る日本庭園が望める縁側。常夏のビーチに佇むコテージ。
どの世界も目覚めた瞬間に自分を迎え入れてくれる。
すっかりとその魅力に取り憑かれた夜乃は次の日が休日である日などは欠かさずV睡をしていた。
いや、次の日が平日でもたまにV睡をしているので、夜乃も立派なV睡ヘビーユーザーの域に片足を突っ込んでいる。
しかし昨日はHMDをつけたまま寝落ちしてしまっただけで、意図してV睡をしたわけではなかった。
HMDを外して充電する。
いつもV睡をする時は充電しながら眠りにつくのだが、昨日はいつのまにか眠ってしまっていたので充電残量は10%を切っていた。
床に転がっていた両手のコントローラーを拾いPCの側に置く。
「待ってみたんだけどな…」
アオは昨日もログインしていなかった。
♢♢♢
食パンをトースターで温めてからバターを塗る。
カットしたドライフルーツをヨーグルトに入れて、ドリップバッグのコーヒー粉にお湯を注いだ。
簡単な朝食を摂りながら考える。
…連絡、してみようかな。
待ってばかりではダメだ。
自分から関係を断とうとしたのに向こうから連絡が来るのをただ待っていていいわけがない。
行動を起こさなければ何も変わらないのは自分でも分かっている。
ただ何の用事もないのに連絡するのも気が引けたので、何かしら連絡をする理由を考えた。
やはりダンスのことを聞いてみるのが一番だろうか。
「…っ」
ディスコードアプリを開いたが、そこで手が止まる。
こんなわたしごときが連絡していいのだろうか。
アオは優しいからその場では何も言わなかっただけで、この間のわたしの発言できっと傷付けてしまったんだ。
今更連絡しても嫌われるだけではないのか。
いや、そもそももうすでに嫌われているのかもしれない。
自分から話しかける勇気が出なかった。
他人を遠ざけておきながら向こうから連絡してきてほしい、なんて思ってしまっている。
そんな虫のいい話があるはずがない。
わたしはひどく独善的で、自己中心的で、わがままで、独りよがりで、自分勝手だ。
気がつけばこのように育ってしまった性格を今更変えようとしても不可能に近い。
「連絡する理由」を探していたつもりが、いつの間にか「DMを送らなくてもいい理由」を探していた。
そうだ。きっとアオだってわたしから連絡をもらっても困るだけだ。
ネガティブな方向へ自己解決する。
これで良いんだ、と自分の心に言い聞かせる。
心が脳にこれで良いと伝達し、無理やり自分を納得させた。
♢♢♢
「原田さん、何か悩んでます??」
バイトの休憩時間、茅野が唐突に口を開いた。
「え、どうして…」
「や、あたしの勘ですけど、原田さん、なんか今日元気ないなーって。仕事中もなんかずっと心ここに在らずっていうか。昨日なんかありました?」
そんなに態度に出てただろうか。
普通にしているつもりでもわかる人にはわかってしまうらしい。
「いや、なんでもないですよ」
「そうですか?まあ、無理に聞き出すような野暮なことはしないですけど…。でも、あたしで良ければ全然相談とか乗るっていうか!なんだろ、推しが困っていたら助けてあげたいっていうか…。
ひょっとしてあんまり楽しくありません?この仕事」
「いやいや、そんなことは全然!むしろ店長も茅野さんも優しいし、ほんとにここで働けて良かったって思ってます」
仕事に関しては本当にここに来ることができて良かったと思っている。
この店が昔からずっと愛されて来たおかげだろうか、一人一人のお客さんとのやりとりも心地良い。
「なんでも話してくださいよ。嫌じゃなければ…ですけど」
茅野はこちらを伺うような目で見る。
優しい子だな、と夜乃は思った。
「えっと…仕事のことじゃなくてプライベートのことで…。そもそも仕事中にプライベートのこと考えてる時点で失礼ですよね…ごめんなさい」
「いーえ、なんにも!プライベートが充実してないと仕事に身が入らないのは当然ですから!
聞かせてください、原田さんのこと」
ちらっと茅野を見る。
茅野は屈託のない笑顔でこちらを見返していた。
ほんとに小さなことでも、この人になら話せる気がした。
「実は…」
夜乃は重かった口を開いた。
「えっと、ずっと会いたいって思ってる友達がいるけど、ついキツい言葉を言ってしまったせいでなかなかその友達に連絡する踏ん切りがつかなくて、そしてその友達からも連絡が来なくてやきもきしてる…ってことですか?」
「ま、まあ、そんな感じ…ですかね…?」
アオとのことをかいつまんで話した。
VRのことは説明するのが難しかったので、あくまでもリアルでの出来事、ということにしておいたが無事に伝わったようだ。
「ひとことで言わせてもらえば、その方が羨ましいです!!!」
「いや、あの、茅野さんの主観じゃなくて、もっと客観的な意見が欲しいんですけど…」
「だって!原田さんにそんなに想ってもらえるなんてもう勝ち組じゃないですか!
というか、その人だってきっと連絡待ってると思いますよ!だから原田さんが悩むより先に連絡しちゃえば解決です!」
「それは茅野さんだからですよ。わたしから関わらないでほしいって言っちゃったのに、やっぱりなしっていうのはおこがましすぎると思っちゃうんですよね…」
「ごめん、って原田さん一回謝ってるじゃないですか!きっともうそこでこの話は終わってるんです。どうせその人が連絡してこないのも単純に忙しいとかそういう理由ですよ。
してみましょうよこっちから!それでもダメだったらあたしが代わりに原田さんの友達になりますから!というか、なってください!」
「もしかしてただわたしと友達になりたいだけでは…?」
「はい!そうです!」
即答された。
最初から茅野の狙いはこれだったのか。
なんか真面目に考えすぎていたのが馬鹿みたいに思えてくる。
でもやっぱり悪い気はしなかった。
それに、純粋な仔犬みたいな目で見つめてくる茅野を見ているとなぜか動悸が早くなってくる。
…うん、普通に美人なんだよなこの人。
こんな綺麗な人から友達になってほしい、なんて夜乃は言われたことがなかったのだ。
単純に嬉しい。
むしろ自分の方から友達になってほしいとお願いしたいくらいだ。
「わたしで良ければ、茅野さんと友達になりたい…です…」
気がつけばそう口走っていた。
最後の方は恥ずかしさのあまりほとんど発声できていなかったのではないだろうか。
くすぐったさで思わず下を向いてしまう。
面と向かって友達になってほしいなどと言うなんて自分の人生では起こり得ないイベントのはずだ。
おそるおそる茅野の方を見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。
「お、推しにそんな風に言ってもらえるなんて… !!めちゃくちゃ嬉しいですー!!録音しておけば良かった!!!!もう1回言ってください!!」
「やめて!恥ずかしい!!」
ほんとに録音しかねないので強く断った。
茅野はそれでも嬉しそうだ。
「えへへ、めちゃ嬉しいです…。あ、というか今さらですけどタメなので敬語じゃなくていいですよ!」
「え?あ、うん…じゃあさっそくタメで…。
えっと…桃葉さんって呼べばいい?」
いきなり下の名前で呼ぶのは失礼だろうか。
呼んでしまってからそう思って軽く後悔したが、むしろ茅野は飛び上がりそうなくらい喜び始めたので夜乃の心配は杞憂に終わったようだ。
「今日あたし死ぬのかな?!尊死しそう!今まで生きてて良かった…。あたしも!あたしも呼び方変えていい?えと、原田さんだからハラちゃんとか!あ、やっぱあだ名にしようかな?」
「桃葉さんの好きなように呼んでいいよ」
そう言うと桃葉はしばらく考え始めた。
ずっと独り言を言っている。
「どうしようかな、シャケハラミコハクメシも捨てがたい…」
などと真剣に呟いている。
「わたし鮭おにぎりなの?やだよ、長いし。
どこかの龍みたいな名前すぎるから却下」
思わずツッコんでしまった。
え、軽くディスられてる?
推しの扱い雑になりすぎじゃない?
「さっきなんでもいいって言ったのに!
まあさすがに冗談だけど!」
「冗談に聞こえないマジなトーンやめてね?」
「あはは、ごめん!」
桃葉はぺろっと舌を出していたずらっぽく笑う。
綺麗という言葉が似合う顔立ちなのに、あどけなさが残る仕草の一つ一つが可愛らしい。
その笑顔をぼんやり眺めていると、カフェの入り口のドアが開き、客が入ってきた。
「いらっしゃいませ〜!!こちらの席へどうぞ〜!」
桃葉の反応速度はすさまじく、すぐに仕事モードへと切り替わっていた。
さっきまで冗談を言って笑っていた姿とは別人で相変わらず夜乃は感心してしまう。
客が来たので休憩は終わりだ。
笑顔で接客している桃葉を横目に、夜乃も仕事モードへ切り替えた。
♢♢♢
「一緒に帰ろ!」
バイト終わり、桃葉に声を掛けられる。
桃葉は地下鉄で通勤しているため、駅までは一緒に歩いて帰れるだろう。
夜乃ももう少し桃葉と話したかったのでありがたい誘いだった。
いいよ、と返答して帰り支度をする桃葉を待った。
2人で並んで夜道を歩く。
海を照らす灯台のように、優しい光を放つ月が辺りを照らしている。
最後に友達と呼べる人と肩を並べて歩いたのは中学生の時くらいだっただろうか。
緊張なのか嬉しさなのかよく分からない感情で無意識に頬が紅潮する。
冷たい夜風が気持ちいい。
隣を歩く桃葉はカフェを出てからずっとごきげんな様子で鼻歌を歌っていたが、突然思い出したかのように口を開いた。
「あ!そーいえば仕事中ずっと考えてたんだ!あだ名!えっとね、色々候補はあったんだけどつっきーってどうかな?」
空に浮かぶ月を指差しながら桃葉が言う。
「ありがと、嬉しい。なんのひねりもないけど鮭おにぎりより100倍マシだよ」
「個人的にはしゃけも気に入ってたけどね!でもやっぱりつっきーがいちばんあたしの中でしっくりきた!」
「しゃけってもはや原型留めてないじゃん」
「たしかに!つっきーツッコミするどい!」
そう言って桃葉はころころと笑う。
つられて夜乃も自然と笑みが溢れる。
他愛もないやり取りが心地よかった。
「そうだ!連絡してみようよ!その友達に!つっきーが考えすぎてるだけで、案外すぐ返信くるかもよ!」
そういえばアオとのことを相談していたんだった。
桃葉の勢いに流されてすっかり忘れてしまっていた。
「そうだね…。なんか自分でも考えすぎてた気がしてきたし。とりあえず『元気?』くらい聞いてみようかな」
こうなれば勢いだ。
帰って1人になったらきっとまた送るのを躊躇ってしまうだろう。
ディスコードアプリを開き、アオに「元気?」とだけ短い文を送る。
返信を待つ時間が怖いのですぐにiPhoneをカバンにしまった。
「うんうん、それでいいのだよ〜!でもつっきーがそんなに会いたいって思う人ってどんな人なんだろ〜。あ、もしかして好きな人?」
唐突にそんなことを言うので、びっくりして固まってしまう。
桃葉の方を見るとニヤニヤしながらこっちを見返していた。
好き?
わたしはアオのことが好きなんだろうか。
気がつけばアオのことを考えている自分がいるのは確かだ。
興味が尽きないのは何故かを考えることもある。
ただ、この感情は好きという一言では片付けられない気がした。
説明しようとしても説明できない。
自分でもどう思っているのか分からないのだ。
「ううん、会いたいとは思うけど好き、とかではないと思う…」
曖昧に答えたはずなのに桃葉は納得した様子だった。
「もうその返しは好きって言ってるようなもんだよ!」
「まだ数回しか会ったことないのにそんな感情抱かないよ普通」
「つっきーちゃんよ。回数じゃないのだよ。それに何回か会わないと好きにならないなら一目惚れって言葉は生まれてないと思わない?」
それは確かにそうだ。
一目惚れしたってことだろうか。
…いや、それはないと断言できる。
いくらわたしでも美少女アバターに一目惚れするはずがない。
「んー、とにかく説明が難しいけど、好きとは違うの」
「頑なだなぁ。とりあえず進展あったら教えてね!」
「まずは返信がちゃんと来てくれることを祈っててよね」
「それはあたしが保証しよう!!」
胸を張って自信満々に答える桃葉が可笑しくて、今日何度目か分からない笑みが溢れた。
桃葉には人を自然と笑顔にする不思議な魅力があるみたいだ。
駅前で桃葉と別れて1人帰路に着く。
1人になったのを見計らったようにiPhoneが鳴った。
アオからの返信が届く。
【よるの!久しぶり!元気だよ!最近ちょっと忙しくて全然ログインできなかった!ごめん!でもよるのが連絡してきてくれて嬉しい!
よるのは今日VRChatする?よるのがログインするなら僕もするかな!】
本当に考えすぎていたのが馬鹿みたいだ。
自分の勝手な思い込みで決めつけていた。
嫌われているのだと。
考えすぎた結果、考えるのを放棄してただ臆病になっていただけだ。
全部桃葉の言うとおりだった。
…すごいな、あの子は。
今日友達になった子の顔を思い浮かべる。
わたしにはもったいないくらい素敵な人だ。
現実でも、VRでも、素敵な人はたくさんいるのだ。
【元気そうで良かった!うん!今まだ外にいるけど、帰ったらインするよ!】
仮想世界の友達に返信する。
返信するとまたすぐに返事が届いた。
【遅くまでお疲れ様!帰り道気をつけてね!】
向き合わなければ。
臆病な弱い自分と。
過去に拒絶されたからといって全てが同じな訳がない。
周りを信じる努力をしなければ何も変わらない。
【ありがとう!急いで帰るね!】
そう短く返信してiPhoneをしまった。
再び夜道を歩く。
鼓動が加速するように、一歩一歩が軽やかに加速する。
道がキラキラして見えるのは星が瞬いているからだろうか。
はやく、会いたい。
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