第1話 高揚

HMDを外して汗を拭う。

たった数分のやりとりなのにものすごい濃密な時間だった。

そもそもVRで人と会うことのない夜乃にとっては慣れないことだったので長く感じただけだったのかも知れないが。


「全然知らない人と踊る約束しちゃった…」


バーチャルならではのことだ。

性別も年齢も、どこに住んでるかだってわからない他人と同じ時間に同じ場所で繋がることができる。

本来あるべきVRChatの姿に帰結したに過ぎない。


「そもそもわたしダンスなんてやったことないし…!

てかよくよく考えたらフルトラ機器持ってないからできないじゃんか…。

今度アオに会ったらやっぱり断ろう」


思い出したかのようにおなかがすいてきたので、冷凍ごはんをチンして、レトルトカレーをかけて食べた。

時刻は2時を回っている。

…やば!寝なきゃ!明日の仕事に間に合わなくなる!


……………。


「そっか、わたし無職になったんだった」


乾いた笑いが込み上げて全部どうでも良くなった。


「もういいや、寝よ」


目まぐるしい1日を終え、夜乃はまたベッドに吸い込まれた。




          ♢♢♢


月に手を伸ばす。


届かない。


それから覚えていない。

がむしゃらに伸ばすが届かない。


もう、届かない。


何かを叫ぼうと思った。

固まった右手を必死に伸ばして、滲む視界の中、動かずに佇む月に向かって、ただ何かを。


そうだ。

まだその名を口にしていない。

でも今なら言える。


誰も居ない空間に左手を差し出した。



          ♢♢♢



「つまんないだよ、君の音楽」


「待って…っ!!!」


目を開けると左手が伸びていた。

無意識に鼓動が速くなる。

また同じ夢。

もう何度見たか数え切れない。

手を伸ばしたところで目が覚めた。


「はぁ…」


ため息をついて起き上がる。

昨日の疲れがどっと出ていた。


「気分転換に買い物でも行くかぁ」


顔を洗って下着を替える。

適当にアイメイクを済ませてマスクをつけた。

コロナ時代のおかげでメイク手抜きでも外出できるようになったのはひそかに嬉しい。

いや、世の女の子はちゃんとしててわたしだけやってないだけなのかも。


家を出る直前、ピロンとiPhoneが音を立てた。

通知?誰だろうか。

まさかの職場だったりして。

表示を見るとアオからのディスコードの通知だった。

そういえば昨日交換したんだった。


【やほー!よるの!今日さ、21時くらいからここ行こうよ〜!】


簡単な文の後にはワールドのURLがついていた。


「MMD Dance World?」


名前だけは知っている。

というのもVRChatには人気のワールドを検索する機能があって、だいたいその上位にいつもあるワールドだ。

フルトラでもないし、そもそもわたしには無縁のワールドだったのでノーマークだった。


「昨日はテンション上がっちゃって、ついやるって言ったけどやっぱりわたしには無理だよ。

そもそもまず生きることに精一杯なんだから」


そうだ。わたしは現実の整理で忙しいのだ。

ダンスなんてやってる暇ないよ。

そっと通知を閉じ、外に出た。



          ♢♢♢


日の光が眩しい。

真夏の太陽が肌を焦がす。


「あっつ…」


外に出て数分後、夜乃は外出したことを後悔した。


「こんな平日の昼間に外出ることなかったから気がつかなかったけど、めちゃくちゃあつい…

帰りたい…」


でもダメだ。

今はずっとあの部屋に引きこもっていたらダメになる。

そのために外に出たのだ。


スーパーで食材を買って、貯金してたお金を口座から下ろした。

これでしばらくはもつだろう。

ふいにiPhoneがまた鳴った。

アオからだ。


【おーい、無視??行こうよー!!】


…しつこい。

今はそれどころじゃないのだ。

電源を落としてため息をついた。


帰宅途中でカフェバイト募集の張り紙を見つけ立ち止まった。

生きるためにはお金がいる。

少しずつでいいから稼がなければ。

募集先に向かおうとしたが、足が動かなかった。

また同じことを繰り返すような気がしたからだ。

結局わたしみたいな底辺の人間は、この社会には不適合なんだ。

自己嫌悪モード。

楽して稼げるとは思っていない。

でも、命を、人生を、自分をすり減らしてまで得たお金で何を得られるんだろう。

この世界のシステムは残酷すぎる。


…もう傷つくのやだよ。


夜乃は静かにその場を後にした。



家に着いてiPhoneの電源をつけるとものすごい数の通知音が鳴った。

全部アオからだった。

さすがにしつこすぎる。

すぐさま、PCを立ち上げ、ボイスチェンジャーの電源をON、ディスコードでアオに電話をかけた。


『あ〜!よるの!全然連絡来ないから心配したんだけど!!』


「ちょっと!あなためちゃくちゃしつこい!

ボクはあなたと違って暇じゃないの!

今生きるのに精一杯なんだから!

ボクの現実にまで手を出さないで!!」


半ギレ状態で捲し立てる。


『いや、たしかにいきなり連絡しすぎて悪かったって思ってるよ…。でも昨日はあんなに楽しそうにしてたのに一切連絡ないから心配になっちゃったんだよ』


一瞬アオの声色が低くなった気がした。

でもそれも一瞬で、次の瞬間にはまたいつもの調子に戻っていた。


『だいたいVR、バーチャルリアリティだって立派な現実だよ。“仮想現実”なんだから』


「そんなの屁理屈…っ」


そうだ。わたしは昨日こっちこそがわたしの現実だと言っていたはずだ。

結局どちらの現実にも居場所がないだけじゃないのか。


…っ

違う…!


VRの世界に、わたしだけの世界に踏み込んできたのはアオだ。

だから嫌だったんだ。

この世のだいたいの問題は人間関係。

現実の処理ですら大変なのに、仮想現実ですら「また」居場所がなくなるのか。

勝手にわたしの世界に踏み込まないで…!

仮想現実の世界くらい、1人にさせてよ!


「もうボクにかかわらないで」


一方的に電話を切った。



わたしはもう人としてダメなんだろうな。

あのとき言うべき言葉はあれではないのは確かだ。

言葉にしなきゃ伝わらないって言うけど、その言葉すら操れない人はどうしたらいいのだろう。

結局わたしは自分のことしか考えていない。

自分が傷つくのが怖くて、人を傷つけている自分などこの世から消えてしまえばいいのに。


ポーンと音が鳴った。

PCのディスコードにメッセージが来ていた。


【さっきはごめん。よるののこと考えずに勝手に喋りすぎた。ごめんね。

でも昨日はほんとに楽しかったんだ。

ちょっとしか話せてないけど、僕はもっとよるのと仲良くなりたいって思ったし、一緒にたくさんの音楽を聴いて、踊りたいって思った。

これで本当に最後にするから、嫌じゃなかったら最後にさっき送ったURLのワールドにきてほしい。デスクトップモードでいいから。

21時30分。待ってる】


気を遣わせてる。

こんな謝る価値もないやつになんでこんなに優しくしてくれるのだろう。この人は。

情けなさでまた涙が込み上げたが、我慢した。

…ちゃんと謝罪して、もう関わるのはやめよう。

わたしはひとりでVR空間に居たいんだ。

早めにお風呂に入って夕飯を済ませ、アオに会いに世界にダイブした。



          ♢♢♢


21時30分、約束の時間に「VRChat」を起動した。

今回はHMDをつけていない。

夜乃の目にはゲーミングPCのモニターとキーボードとマウスが映っていた。

目の前のモニターに見慣れたホーム画面が表示される。

没入感は減るが、VR機器がなくても遊べるのが「VRChat」の魅力でもある。


フレンドの今いる場所を探す。

アオはオンライン状態だったがプライベートインスタンス、いわゆる「invite only」の状態だった。

こちらからそのワールドに入れてよ、とリクエストを送らなければ入ることもできない。

おそるおそるrequest inviteを送る。

すぐに、招待が来る。

勇気を出して、チェックマークを押した。

そのままアオのいる世界に一瞬で移動する。


例のMMDワールドにアオは立っていた。



「ごめん、ね」


アオの顔を見るや否やすぐに謝罪した。

たどたどしかったけどなんとか声を絞り出した。


「ううん、こちらこそごめんね。調子に乗りすぎてました。来てくれると思わなかったから嬉しい」


「そんな、ボクのほうこそ…!

アオにたくさん酷いことを言った…」


「いや、僕がそもそも馴れ馴れしすぎた。

ごめん」


謝罪合戦。

埒が開かない。

アオもそれを察したのか話題を変えた。


「あ、ちゃんとデスクトップでモードで来てくれたんだね。

さっそくこっち来てみてよ!」


アオに誘われるまま着いていくと、目の前には曲名がたくさん書かれたパネル、その右手側の床には何やらスイッチみたいなものがある。

奥にあるのは特設ステージだろうか。

さすがダンス用に作られたワールドなだけあって、作り込みが丁寧だった。


「そういえば、よるのってMMDってわかる?」


全然わからなかった。え、なんか意味あるの?


夜乃がだまっていると、


「やっぱり!どうせフルトラッキングじゃないと意味ないとか思ってたんでしょ。

まあゆくゆくはそうだけど、このワールドはダンスの最初にうってつけ!「見るだけ」だからね!」


とアオは言った。


「何それ、踊らないの?」


「MMDワールドは、すでに3Dモデルのアニメーションが組み込まれてるんだ。

だから曲を選ぶだけで、その曲の振り付けを自動でアバターが踊ってくれるよ!」


そんな世界があったのか。知らなかった。

わたしが勝手に嫌煙してただけで、人気の理由はちゃんとあるのだ。


夜乃が感心していると、「ほら、はやく曲えらんでみなよ!」とアオが薦める。

曲を選んだら先ほどの床のスイッチまで誘導される。

アオはクスクス笑いながらフリルリボンを直して、「見てみなよ、ダンスの世界!」と言った。

スタートボタンを押すと、



目の前の画面いっぱいにキレッキレで踊る自分の姿が映し出された。



ダンス経験など全くない。

そんな動きが出来るわけがない。

でも、確かにわたしのアバターはそこで踊っていたのだ。

視点は第三者視点に自動で切り替わった。

今、呆然と立ち尽くすわたしの目の前で、わたしが踊っている。

カメラワークが切り替わり、まるでアーティストのMVみたいだ。


どくん。

胸が鳴った。

実体のないアバターには無いはずの心音が確かに聴こえた。

夜乃は目の前の自分の演舞を目に焼き付けた。



「すごいでしょ〜!

色んな曲が選べるし、2人で一緒に踊らせたりすることもできるんだよ〜!」


「すごい…」


ほんとになんでもある魔法の世界だ。

知らなかった。こんな世界があったこと。


「もちろんMMDは組み込まれたアニメーションだから決まった動きしかできないんだけど、でも、自分のアバターが、綺麗な世界で踊ってるの見るとワクワクしない?自分もそんなふうに踊ってみたいって思わない?」


「うん…うん…!」


「やっぱりよるのならそう言うと思った!

だってずっと目キラキラさせてるんだもん!

音に合わせてノるのって最高に気持ちいいんだよ!」


「アバターなんだから目はキラキラしないでしょ」


「そういうふうに見えるの!アバターはこの世界ではよるのの分身。中からちゃんと思いが伝わってるよ。

言わなくてもわかる。音楽は世界の共通語だよ。よるのは音を楽しんでる」


この人はほんとうに、なんでこんなに発する言葉が色付いているんだろう。





「今日はありがとね。よるのにたくさん興味持ってもらえて嬉しい〜」


「こちらこそありがとう。ほんとに楽しかった!」


あの後何曲か一緒にMMDで踊り、アオからダンスについて色々聞いた。

どうやらアオはVRChatの中のダンスグループに所属していて、さらにインストラクターもやっているらしい。

先生なのに、こんなThe 初心者を相手にしてていいのだろうか。

そんなことを問うと、


「もちろん!誰だって最初は初心者!

初心を忘れたらそれはもうダンスじゃないからね。僕もいつだって始めたての頃を思い出してるよ」


とアオは言った。


「グループレッスンもやってるからぜひ来てみてよ!

無料だよ〜!今ならなんと無料で色んな先生からレッスン受けられるよ〜」


アオは可愛い顔を少しだけ悪い顔にして見せた。

アニメーションオーバーライド。

コントローラーひとつでアバターの表情が切り替わる。

でも本当にリアルでもそんな顔をしているような気がした。


「絶対行く!」


「あはは、言ってること180度変わってて面白い〜!!絶対来てね!」


「ちょ、ごめんって!」


「じゃあおやすみ〜!」


そのままアオはログアウトした。

自分が恥ずかしい。

流されやすい自分の性格を呪った。


  

          ♢♢♢


PCの電源を落とすと、目の前の真っ暗なモニターには放心状態の自分の顔が映し出された。

すごい世界だ。ほんとうに。

先ほどまで現実世界で感じていた息苦しさはいつのまにか和らいでいた。


仮想現実の世界で、どこの誰かも知らないアオに出会った。

ゲームとは違い、確かにわたしの目の前で熱を帯びたダンスを披露してくれた。

ふとアオの言葉を思い出す。


『だいたいVR、バーチャルリアリティだって立派な現実だよ。“仮想現実”なんだから』


その通りだ。

見ず知らずの他人に出会い、そこにはわたしの知らない色々な世界がある。

そこから自分の世界が広がる。

現実世界と何も変わらない。


どちらの世界もわたしの「現実」なのだ。


現に、先ほどアバターが鳴らした心音が今も聴こえる。

わたしの胸を今も熱く打っている。


どくん。


と現実世界の自分の心臓が確かに跳ねた。






                 

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