第四章 ヘンジャナイ

     1


 ルキロは木の筒を口にくわえ、反対側の先端を竈の中に入れると、大きく息を吹いた。窯の中の木片が燃え上がり、ちりちりとはぜる音を立てる。木炭を作っているのだ。古来より人類に利用されてきた燃料の一つだ。エイジの話だと石油、太陽熱、水力、木炭などの燃料源が等しく重要視されているらしい。ルキロの感覚では、どれもエネルギーとしては非力で役にたたないものばかりだ。ただ、市民の生活を見て、この程度の燃料で十分に間に合うのだろうなとも思う。よくよく考えてみれば、低レベルの技術と云っても、何一つ自分では作り出せない物、理解出来ない物ばかりだ。科学技術は歴史の積み重ねであり、科学技術の高さは個人の知識や能力の高さを示すものではない。このような場所で、あらためてそのような事に気づかされる等、思ってもいなかった。

 ルキロは右腕の袖で額を流れる汗をぬぐった。竈の中は千度を超える高温だ。汗がいくらでも出てくる。顔は煤にまみれており、透けるようにさらさらとして綺麗な赤色だった髪の毛も、光沢がなくなり、ところどころ焦げ縮れてしまっている。キョウコのお古の作業服を着させてもらっている。綻びを繕った後が随所に見られる。二人の体格差がかなりあるため、服の布地がかなり余って垂れている。動きにくそうな部分は、縛ってしまっている。


 毎日、くたくたになるまで働く。適度な疲労は心地よい眠りや健康をもたらすし、何よりルキロにとっては体を動かす事が楽しくてならなかった。戦闘訓練では嫌と云うほどに格闘の練習をさせられたが、実際の任務は常にエクシュールの暗い操縦席の中。すっかり慣れてはいたが、実際にこうして外で仕事をしてみると、エクシュールが精神に伝えてくる肉体感触よりも、直接自分が風に触れている感覚の方が数段気持ちが良い。

 炭焼きはエイジの父トウジの仕事で、ルキロは彼の体調が戻るまでここで働く事になっている。あまりに回復が長引くようであれば、一人地球に取り残されるのも嫌なので約束を破棄せざるを得ないが、トウジの順調な回復ぶりを見ると、とりあえずは心配なさそうだ。





 ルキロはキョウコと口論をしたあの日、タグザムティア側、自分達側の非を認めると、少々の照れを残しながらも潔く謝った。勿論タグザムティアの正義は微塵も疑ってはいない。しかしながら、他者の命を奪っていくのが戦争だと云うのに、この星が戦地となった理由を矛盾なく説明出来ない事は如何なものか。説明責任を果たしていない点に関しては戦争を起こした側に非があるように思ったから。

 怪我で数日はまともに動けまい。「地球人を見下している傲慢な気持ち」を持ったまま彼らの世話になるのはとても辛い事だったが、謝ってみると拍子抜けする程に気分がすっと軽くなった。戦地での緊張がほぐれ、地球人と打ち解けてくると、ルキロは実に明るく活発な仕草を見せた。彼女はエイジ達を驚かす程に早い回復を見せ、わずか三日後にはもう不自由なく動けるようになっていた。次に開始される戦闘の終了時に、自分も回収してもらおう、エクシュールが大破してしまったので地球人から身を隠して一人で救助を待っていた、とでも云っておけばいい。


 回収される日までは、トウジの仕事を手伝うことにした。熱線を間近に受けたトウジは、意識こそはっきりしているものの、まだ自由に動ける状態ではない。自分がやったわけではないが、やはり知った顔になってしまうと、巻き込んだ責任を感じてしまう。エイジ、キョウコ、それと椅子に座った状態のトウジに教えて貰いながら、ルキロは木々の伐採、乾燥作業、薪割等を覚えていった。その華奢そうな小さな体の、どこにそんな体力があるのかと皆を驚かせる程に、仕事に家事にと実によく働いた。


「ルキロ、休憩だよ。ご飯にしよう」


 エイジが、斧で割ったばかりの薪を竈のそばに置く。煤で真っ黒になったルキロの顔を見て声を出して笑った。ルキロは立ち上がると頬を少し膨らませてエイジの頭を小突いた。


「もうくたくただよ。……それでは、行こうか。今日のお昼は、わたしも少し手伝ったんだよ」


 淡く赤い陽光に、少女の屈託のない笑顔が照らされる。


「だからさっき、母さんと何かしてたのか。果たしてどんなもんが出て来るのか、心配だなあ」


「ひどいなその言葉は。……この星は、わたしの知ってる野菜と形も味も似ているのが沢山あったから、それを使って得意料理を作ったのだから心配は不要だ」


「ごめん。植物や動物ってさ、やっぱりこことまったく違うの?」


「同じようなものだよ。タグザムティアに限らず、知的生命体のいる星の自然の風景はね。宇宙の塵に同じような条件が加わって恒星惑星が出来て、恒星からの距離が同じような惑星に生物が誕生して行くわけだから、当然でしょう。離れてはいても全て同じ物質空間での出来事なんだから……と、学校の先生が云っていた」


「そんなもんなのか。……あともう一つ聞きたいんだけど」探求心旺盛な彼はルキロに質問ばかりしている。「宇宙船。凄い遠くから来たわけだろ。やっぱり、あれ、ワープ航法やら何やらで一瞬で来ちゃうの? A点とB点をくっつけてっ……とかなんとか」


 ルキロは首を横に振る。


「じゃ、何だろ。別の世界を通ってくる。……分かった、魔法だ」


「正解は、ただ凄い速度を出すだけ、だよ。他にどういう技術があるのか知らないけど、タグザムティアでは星間移動にはそうした技術を使っている」


「えっ、だって、それだと、光以上の速度は無理じゃない」


「光は確かに光以上にはなれないけど、宇宙船は光じゃないからね」


「どういう事?」


「例えば……端から端まで光速で何年もかかるとんでもなく長い棒があるとするね。その棒の先を、指でちょんと押す」


 少女は身ぶり手ぶりを交える。


「ふむ」


 生徒は腕を組んで眉間に皺を寄せている。


「さて、その反対側の端が動くのは、指でちょんと押したのと同時でしょうか。それとも、何年もかかってしまうのでしょうか」


「わからん。……同時……な気がする」


「ならば、その巨大な棒の上で、同じような仕掛けを用意して、また同じ事をして、そのまた上で……」


「なんか、限りなく速度を出せそうな気がしてきた」


「まあ、そんな事は絶対に不可能なんだけどね」


 ルキロは笑った。


「なんだよ、そりゃ」


「わたしにも、よくわからないんだよ。わたしは単なる軍の一兵卒で、技術者じゃないんだから。ただ、基本の基本はそういう事なんだって。……あとはね、重力場の隙間をぬって進むって事かな」


「宇宙にも重力ってあるんだ」


「力場は存在する。大きな天体から離れたところにだって、様々な力は働いているよ」


「考えてみれば当たり前だな、潮の満ち干きなんかそうだもんな……あ、こっちはただの引力か」


「同じでしょ。重力は惑星規模だと単なる引力として働くし、星雲規模だと……なんて云ったか忘れたけど、何らかの働きがあって、超高速移動の際には、それが単なる障壁になってしまう。だから、それを取り除くための技術が必要なんだよ。なんだか自分で何を云ってんだか分かんなくなってきた」


「お前ら、問答しとる間に、スープ冷めちまうぞ」


 窓からエイジの父親が顔を出していた。


「トウジさん、一人で立ち上がって、大丈夫なの」


 ルキロが近寄り、庇うように手をさし伸ばす。


「お、心配してくれるのか、ルキロちゃん。嬉しいねえ」


 ヒゲ面の大男のくせに、とても軽い口調である。意識が戻って、初めてルキロを見た時からもうこのような態度であった。だから彼は、この家でルキロになつかれるのも一番早かった。



     2

 エイジにとってささやかな自慢なのだが、彼の家には自動車がある。軽トラックだ。燃料が高価なのが難点だが、とにかく今日は自由にトラックを動かせる日だ。作った炭を荷台に乗せ、麓の町に行き、取引相手にそれを渡すのだ。空いた荷台に買い込んだ食料や雑貨を詰め込んで帰って来る予定だ。車はかつて少しだけ運転させてもらった事はあるが、自分だけで全て行うのは初めてだ。父がまだ不自由な体なので仕方がない。いつもは助手席に乗っていたが、今日そこに座り同道するのはルキロだった。


「どうした、エイジ」


 ルキロを前にして無言で突っ立っているエイジを見て、トウジが声をかける。


「い、いや、何でもないよ」


 ルキロはよそ行きの軽装だ。これもまたキョウコから貰った簡素な服だが、作業用のドロまみれの格好しか見ていなかっただけに、エイジにはとても輝いてみえたのだ。それに、ルキロはもともと顔の造作が小さな花のように可愛らしい。女性にほとんど免疫のないエイジが魅了されてしまうのも無理からぬ事ではあった。


「惚れたな」


 トウジがぼそりと云う。まさにドンピシャリである。


「そんなんじゃないよ」


「前つきあってた娘はどうしたんだ」


「あれだって、そんなんじゃない。……おれが一方的にいいなって思ってただけで……しかも、彼氏がいたんだよ」


「そうか。それじゃルキロちゃん地球に引き止めて、求婚でもしろ」


「なんでそうなるんだよ。云ってること、支離滅裂だぞ。全く意味がわかんねえ」


 脱力感がエイジを襲う。


「だってすげー役に立つし。お前なんかと違って、すげえ楽しそうに働くだろ」


「確かに……楽しそうに働くよなあ」


 一週間とたたぬうちにエイジの頭の中の大半を彼女の存在が占めてしまったのは、その躍動感のある動きや笑顔が原因のようだった。


「二人で何こそこそ話してんの。あやしいな」


 ルキロはトラックの横に立ち、二人に疑惑の眼差しを向けていたが、すぐその表情は笑みに変わった。助手席側のドアを開け、一足先に乗り込む。エイジもすぐにドアを開ける。


「なんでもない。仕事の話だよ。さあ、行こうか」


 エンジンをかけると同時にトラックは激しく揺れた。マフラーからはもうもうと黒い煙が吹き出た。乗っている二人の体も激しく振動し、舌を噛んでしまいそう。トラックが走り出すと、その路面の悪さも手伝って揺れはさらに酷くなり、さながら暴れ馬に乗っているようだった。


「わ、何これは。随分と揺れるなあ」


「自動車はこういうもんなの。昔は違ったんだろうけどさ。タイヤが無かったらしいし」


「それが普通じゃないの? まあ何事も経験だ」


「ねえ、ルキロ。本当に、もうすぐ帰っちゃうの」


「何、急にそんな事。……いつまでも、ここにいたって仕方ないでしょう。もうじきにまた戦いが始まるはずだから、その回収時にね。こんなところ密告でもされたら処罰ものだけど、そしたら地球人の捕虜になってたってウソでもつくよ」


 慣れない激しい揺れと戦いながらも少女の表情や口調はのんびりと楽し気だった。何やら手に紙切れのような物を持ち、見つめていた。紙なのか布なのか、または全く別の物質なのかは分からないが、あきらかに写真のようであった。人間の姿が写っている。エイジは訊ねた。ルキロはそれをエイジの目の高さに上げ、運転中でも見やすいようにしてあげる。軍服らしい格好の数人の男女の姿が写っていた。


「楽しそうな写真だね」


 ルキロが両側の男二人と肩を組んではしゃいでいる。その前には肌の黒い大柄な男と、ライフルのような長銃を持った男がしゃがんでいる。写真の端には、そんな撮影に加わりたくないと捻くれているような、しかしどことなく楽し気な様子の長身の女。


「ルキロのいた小隊?」


「リーアック隊って云うんだ」


「へえ、どんなチームなの」


「空中戦適応能力の高い者を集めた少数精鋭の部隊だよ。アロ・イーグっていう、空中戦闘用のエクシュールで戦うんだ。宇宙戦ではまた別のエクシュールを使ったりもするね。だから、本当は地上戦用であるウーズィは苦手なんだ」


 それでも獅子奮迅の働きをしていたのだが。


「エクシュールって何?」


「あれ、教えてなかったっけ。エイジって何でもかんでも質問してくるから、わたしも何を教えたか覚えてらんないよ。エクシュールはね、有人式人型戦闘兵器って事。ザゥエ・ジオ・ネギュ・フファヴィを縮めた言葉。おんなじ人型でも、今戦っているライスカイスでは、エクシュールじゃなくてディオって呼んでいるみたいだけどね。まあ、星が違うし、別の兵器なんだから当然なんだけど」


「ふ~ん。あれ、何でそのザウなんとかってのが、縮めてエクシュールになるんだ」


「あとで綴り書いて説明してあげるよ」


「いや、いいよ。ますますわからなくなりそうだ。で、ルキロが乗ってた、そのエクシュールっての、緑色の、あれがアロ・イーグなのか」


「あれはジーン・ウーズィ。陸戦用だ」


「そういや云ってたな、ウーズィって。でも空中戦部隊なんだろ。なんで、陸戦用なんかに」


「冗談にもならない話なんだけどね。わたし用にカスタマイズしてあったアロ・イーグの調子が、急に悪くなってしまったんだ……おかげでホントに酷い目にあった」


「酷い目って、何機もを同時に相手して、凄い戦いをしてたじゃないか」


「えへへ。リーアック隊は優秀な人材の集まりなんですよ。……でも、わたしなんかまだまだの下っ端なんだけどね、ほんと凄いんだから、他のみんなは」


 またあの生活に戻れる。風に髪をなびかせながら話すルキロの顔は幸せそうだった。だが、不意にその表情にかげりが見えた。再び写真に目をやった。ルキロと肩を組んでいる男の一人レクズ、彼はルキロの命を助けるために自らの命を犠牲にした。彼との記憶を忘れるわけではないが、この悲しみだけはこの風に流してしまいたかった。

 ……彼が自分の命と引き替えにしようとする価値などが、自分にあったのだろうか。レクズが喜んでくれるようにしっかりと生きていこう、と心を決めたはずだったのに……地球では自分の馬鹿さ加減を思い知らされて……


「ルキロ、何だか、表情暗いよ。悲しい事でも思い出したの」


「悲しい事? 違う……悲しい事なんかじゃないよ」


 そう、思い出してみれば、レクズとの思い出は楽しい事ばかりだった。ルキロは今度はレクズとの過去を語り始めた。ルキロの顔に笑みが戻った。





「……そしたら、レクズったら、どこに隠れてたと思う? 砂の中に潜ってたんだけど、禿頭だから太陽でピカピカ光っててさあ……」


 ルキロは一人で腹をかかえて可笑しそうに話している。エイジはルキロのその微笑みに微笑んだ。


「……そう云えば、メルリカに最近全然会ってないなあ」


「今話してた、元帥の孫娘とかって」


「うん。……レクズが死んでから……わたしを避けだして……というか、自分の家抜け出して出かける事も全くなくなってしまったみたい。戦争に関係する人間がみんな怖くなってしまったんだろうね。それが今回はこっちに来ているって聞いて、どういう心境の変化だろうって思ってた。もしかしたら、こっそりと会いに来てくれるんじゃないかって、ちょっと期待してたんだけど」


「来なかったのか。……あ、そう云えば、そのメルリカって名前、聞き覚えがあるぞ」


「え、どうして。何でエイジがあの娘の事知ってるの」


「友達の家が金持ちで、なんとテレビを持っているのさ。そいつから聞いたんだ。地球のテレビの電波使って、地球は管理されねばならない云々とか演説してたんだよ。……元帥が死んだからってんで……」


「亡くなった? ギヴェイ元帥が」


「代理で、そのメルリカって娘が喋ってたらしいよ」


「……そうか。それじゃ、抜け出すどこじゃないか。……でも軍人でも何でもなくて、ただ祖父に同行して来ただけなのに、代行を務めるなんて妙だな。……メルリカ、おどおどした様子だったんじゃない? 無理矢理喋らされて」


「見てないからよく分からないけど、堂々としていたらしいよ」


「え? 変だな。あのメルリカが」


 ベツニヘンジャナイヨ


「何? 今の声」


 まるで鼓膜を通さず、音声を感じる脳組織に直接刺激を送られたかのよう。それほどはっきりと、その感覚は音として、声としてルキロに認識された。それなのに、それがどんな声なのか、男か女か、人間が発したものかも全く分からない。ただ、愉快か不愉快かと問われれば、間違いなく不愉快の部類に属する声であった。


「え、声なんか聞こえないぜ」


 やはりエイジには聞こえていないんだ。何かがいる。見られている? どこに……。わたしの中? わたしの中に何かが……

 ルキロは頭を抱えた。残響がいつまでも消えない。逆にどんどん大きくなっていく。たまらない不快感。頭の中に獣が入り込んで、頭蓋の内側から爪を立てている……


「大丈夫か? 頭が痛いの?」


 運転中のエイジが、心配そうにルキロの顔を覗き込む。


「平気。何ともないよ。……ただ、ちょっと頭痛が……」


 またルキロは鋭い悲鳴をあげた。首の後ろに鋭い痛みを感じた。キリを深々と突き刺され、抉られたかのような堪え難い激痛。ルキロはまるで発狂したかのように絶叫をし、暴れはじめた。

 エイジは慌ててトラックを停止させた。


「ルキロ」


 エイジの声に反応するかのようにルキロが動いた。エイジの方に身を乗り出し、彼の足元へと手を伸ばした。そこには一度も使った事の無い護身用の銃が取り付けられていた。ルキロはその銃を素早く抜き取ると、自分の頭に当てた。何が起きているのかさっぱり分からないエイジであったが、ほとんど反射的な行動で、その銃身を横から叩いて、銃口をルキロの頭からそらした。ルキロは躊躇なく引き金を引いたが、目的を遂行するには一瞬だけ遅かった。彼女を貫いたのは鉛弾が空気を切り裂く際に生じた衝撃だけだった。

 エイジの叫びも彼女は全く正気に戻る様子を見せず狂乱した表情のまま、また銃を自分に向けようとする。軍人として鍛えているせいなのか、それとも何か特別な精神状態となっているためか、とにかくルキロの腕力は非常に強く、とても銃をもぎとる事が出来ない。ならば、とエイジは引き金に添えられたルキロの人さし指を押さえ、銃を空に向けて撃った。

 すぐに全弾を撃ち尽くした。エイジが安心したのもつかの間、ルキロは銃を捨てて、獣のように吼えながら、彼の首に手をかけて、力を込めてきた。ルキロの小さく柔らかな手が自身の筋力により壊れてしまうのではないか。それほどに凄まじい力が躊躇もなくエイジの首にかけられようとしていた。だが、エイジは首の肉に完全に指がめり込む前に強引に身をよじってルキロの手を振りほどいた、するとルキロは、攻撃的な表情だったのが今度は逆に怯えたような表情となりエイジから逃げようとした。トラックのドアを上手く開けられず、窓から這い出た。バランスを崩し、受け身も取らずに不自然な体制のまま地面に落ちる。すぐさま起き上がると、脚の筋でも傷めたのかびっこをひきながら森の中へ入って行こうとする。

 エイジはルキロを追おうと、車から降りた。だが追うまでもなく、ルキロは突如倒れ、全く動かなくなった。エイジは恐る恐る近寄ってみる。どうやら気を失っているようだった。恐怖と苦痛とに歪んだ形相は、少しだけやわらいだが、悪夢でも見ているのが時折表情が痙攣する。彼女を抱き上げたエイジは、生命には別状なさそうなのを確認し、少しだけ安堵の表情を浮かべた。


「大丈夫だから」


 そして、力強く抱きしめた。



     3

 タグザムティアの超大な旗艦であるテオ・リュー・フィルクを、七隻の戦艦シル・カルが護るように囲んでいる。護るようにと云っても、数十キロの向こう上空にいるライスカイス軍船団との間にこれといった緊張もなく、なれ合いの戦争を小馬鹿にしている者すら内部に多かった。ましてや今回はその色が強いためなおさらである。


 シル・カルの外観はどの機体も違いはないが、内部人員の構成割合が若干異なっており、差別化が図られている。ある一隻は、通信兵の割合が他と比べて高かった。演劇を行うホールのような、広大な空間の中、千五百人近くの通信兵がびっしりとつまっている。その空間の七割近くを女性が占めている。暗号解読、変換、送信、傍受、そしてそれらを行うプログラムの開発検証。彼等彼女等の仕事である。


 レクン・ニュ・ヤという短い黒髪の少女も、そんな通信兵の一人だ。


 今回の戦いは、人々が考えているように、まさにルールに乗っ取ったゲームであり、諜報戦に必死になる意味はない。せいぜい、元帥代行が飛ばした探査機、それからの信号を残さずに拾っておけばいい。仕事の無意味さに、だれた空気が場に充満していた。

 レクンは、そんな中にあって一人真面目な表情で、顔にかけたゴーグルディスプレイの情報を睨んでいた。手元のツマミを回す。耳に当てているゴーグル脇のスピーカーから、ノイズのような音が聞こえており、ツマミを回すことによりそれが変化していく。だが音の高さが変化するだけで、ただの雑音に変わりはなかった。彼女はある信号を必死で探していた。その信号が、絶対に発信されていない事を願いながら。


 彼女の背中に男の声が投げかけられた。レクンはスピーカーからの音に集中しており、二度目の呼び掛けで初めて気付き、びくりと肩を震わせた。振り返り、ゴーグルを外した。

 長身、赤茶けた髪の毛の青年が立っていた。リーアック隊の一人、ウェルである。

 突然のウェルの訪れに、レクンは明らかに動揺していた。何も言葉が浮かばない。ウェルと見つめ合った。ウェルの表情が少し変化する。普段のレクンならば、ウェルの顔を見た途端、元気に話し掛けてくるのに……


「ルキロから、まだ連絡はないのかな」


 ウェルの言葉に、またレクンは身を震わせた。怯えのような、怒りのような……悲しみのような、複雑な表情を浮かべた少女の姿がそこにあった。


「どうした。何かあったのか」


 レクンとウェルとはもともと全然知らない間柄だったが、レクンがやたらと話し掛けてくるため、いつしかウェルも通信兵に用がある時はレクンに声をかけるようになっていた。


「……なんでも……ないです」


 レクンの声はどこか力ない。


「そうか。で、ルキロは」


「まだ、何も。……あの……そんなに、あの娘が気になりますか」


「当たり前だろ。……まあ、親が決めた事ではあるけど。それに、同じ隊の仲間だろう」


「……」


「君は彼女と同期だったよね。そういえば、ぼくは彼女の子供の頃とか全然知らないなあ。どんな娘だったの」


「どんなって……。あの、いま忙しいですから、ちょっと……」


「あ、そう。邪魔したね。じゃあまた」


「すみません」


 レクンは頭を下げた。




 


「ルキロからの連絡、まだないってさ」


 すぐそばで腕を組んで待っていたノウヤンに歩み寄り、話し掛けた。


「聞こえてたよ」


 にべもない反応。


 ノウヤンは長身の女性で、黒の髪が腰まで届いている。地なのかどうか、少し怒ったような表情を浮かべている。


「しかし、レクン、なんか様子が変だったなあ。いてててて……鼻をつまむな」


「鈍感だねえ。この女心の分からん坊やめ」


「な、何がだよ」


「もうレクンが可愛そうだから、あまり近寄らないほうがいいよ」


「?」



     4

「そうだよ、カイ、ぼくが思うのはね……」


 タ・ト・カイはライスカイスの人間である。ライスカイスは単純な空間距離で地球から数千光年も離れた惑星であり、タグザムティアと同星系に属している。


「……違う違う。……それだとそもそも君の……」


 カイの生まれ育った居住区域は、成人男性の九割以上を軍人職が占めている。軍人、または軍人となるべき人間のための生活エリアであり、彼等の生活のためにその他一部の職が存在するにすぎない。


 基本的にライスカイスの人間は、感情に左右される事なく仕事をこなす。他星に自らを輸出する事業が成り立っているほどである。だが、生まれてくる子供の脳に欠陥が見つかる割合が非常に高い。大半は軽度なもので生まれたその場で治療されるが、それすら不可能な場合は人間扱いすらされずに処分される。


「あー。……そうじゃないんだがなあ」


 まれに、生まれた時は健常であった者が、大きくなってから発症する例もある。さすがに簡単に処分というわけにはいかず、よほど重度の障害でなければ、放っておかれるし、就労する事も可能ではあるが、あくまで本来は存在すべきでない者、「異端」として扱われた。いま、カイの目の前にいるトキ・ワ・キーレンもその「異端」の一人である。彼等の種族は基本的には男女ともにほっそりとした長身で、地球人などの価値観からすると驚くほどにみな容姿端麗なのだが、キーレンは鼻が赤く大きく、唇は異様にぶ厚く、肉体はかなり肥満している。腕は太いが詰まっているのは筋肉ではなくただの脂肪で、一歩を踏む度に腹の肉と一緒にだらしなく揺れる。運動能力も、反射神経も鈍く、ディオを操縦しての戦闘どころか、援護の砲撃手としての役割すらもこなせそうと思われない。


 彼は自分を異端と認識しているのか、やたらと感情と云うものを気にする。理屈っぽく、議論が大好きだ。もっとも、議論とは返してくる相手がいるから成り立つものであり、もっぱら彼は押し付けの講演専門だった。


「友よ、そもそも心とはなんだ」


 キーレンは大袈裟に両手を広げてみせる。


「心は心だろう。他にどう云える」


 カイはにべもない反応を見せる。


「心があると云う事はだね、つまり生きているって事さ」


「当たり前だ」


「なぜ君たちは飛び跳ねて喜んだり、泣いたり出来ないのかなあ」


「そんな無意味な事は、下等な生物だけにさせておけばいい」


「違うんだなあ。笑ったり泣いたりは高等な生物でないとできないよ」


「科学的に高等な反応だろうと下等な反応だろうと、くだらん行為に違いはない」


「そう云うのを否定しちゃったらさ、生きている意味ないじゃない。ただ楽に生きたいんだったらさ、死んでいれば、楽だよォ。ぼくはまっぴらだけどね」


 と云うとキーレンは、ひゃっひゃっと下品に笑った。


「もういいだろう。おれは行くぞ。グルーグの調整がある」


 彼等は幼少の頃、同じ居住塔で暮らしていた幼馴染みである。だから、キーレンはカイによく話し掛けてくる。カイも渋々と相手をしていたが、最近苦痛になってきた。




 カイが立ち去ったその後も、キーレンは一人で話をしていた。芝居のように大袈裟な口調、手ぶりで。


「聞くがよい、市民よ!」


 壁面の真っ黒なスクリーンに、緑色で数行の文字があらわれた。


「……なになに、グド監査官が呼んでいる? ……彼は最近よくぼくに話し掛けてくるなあ。ぼくの思想に胸うたれたのかしら。ひゃっひゃっ」


 ついに共感者を得たりと勝手な妄想の世界に浸りながら、キーレンは飛び跳ねるように部屋を出た。だが……

 そのキーレンは、二度と戻って来る事はなかったのである。



     5

「……キロ……ルキロ……」


 深い海の底から、その声が水面に波紋を作るのが見えた。ルキロの意識はその波紋を目指し浮上を始めた。


「……った、目が覚めたよ、ドクター」


 ルキロは薄暗い部屋の、汚れた堅いベッドに寝かされていた。服装は出てきた時のままだが、袖がまくられ、腕には点滴の針が刺さっていた。心配そうに見つめるエイジのそばに、見知らぬ、眼鏡をかけた中年の男が立っていた。男は、いたるところ薄茶に変色した古びた白衣を着ている。


「エイジ……ここはどこなの。なんでわたしはこんなところにいるの。……この人は?」


 ルキロは状態を起こすと、不安そうにあたりを見回した。


「ここは麓の町だよ。こちらはよく世話になるお医者さんでリーゼムさん」


「リーゼムです」


 長身の、がっちりとした体躯に相応しい低い声だった。目元の雰囲気は笑っているわけでもないのに柔らかく、威厳と愛嬌とを兼ね備えた顔の造作であった。


「前にルキロが怪我で意識を失ってた時も、リーゼムさんが来てくれて、ルキロや父さんの事を診てもらってたんだよ」


「そうだったんだ」ルキロはリーゼムの顔に視線を向けて、「ルキロです。気付かない間に、何度もお世話になってしまって……」


「ただ趣味でやってるだけなんだから、別に気にしないでいいよ」


「おい、君が云う台詞じゃないよ、エイジ君。……それで、具合はどうかな、お嬢さん」


 エイジの茶々をやんわりかわすと、リーゼムはあらためて赤毛の少女へと視線を向ける。


「どうって、わたし、自分がどうなったのか、全然……ただ、なんだろ……なんだかとてもすっきりした気分。……わたしに、何をしたの?」


 医者は問いかけに即答しなかった。


「もうしばらく横になっていたまえ。もっとよくなったら、隣の部屋で話そう」


 ルキロはその言葉に従い、横たわった。目覚めたばかりだというのに、目を閉じると、すぐに睡魔が襲ってきた。ルキロはそれに逆らわなかった。



     6

「コンピュータの暴走、だと思うのだが」


 リーゼムは淡々と推測を述べる。


「コンピュータの……暴走。そんなの聞いた事がない」


 ルキロは不安と驚きの表情を隠す事ができなかった。


「何? コンピュータって? ルキロと何か関係が……え、まさか」


 エイジは記憶の糸を手繰り、驚愕した。


「地球でも昔はそうだっただろう。歴史研究家のエイジ君」


「あの、体の中に埋められた……何だっけ」


「樹脂コンピュータと呼ばれる物さ。最初は、マイクロチップを拒否反応を示さぬように本人の細胞と同じ情報でコーティングして埋め込んでいた。最終的には、コンピュータそのものをある特殊な樹脂で作ってしまった。従来のコンピュータが『石』であった事を考えれば、『樹脂』であってもおかしくはない。そう考えたある技術者が生み出したものだ。それは精神、肉体に様々な影響を及ぼす。当初は人を治療するための純然たる医療目的に利用されていたが、結局軍人のオモチャにされ、人々の怒りに触れ、消滅した」


「そういや聞いた事がある。……それと、同じ物が」


 エイジは小さく呟く。


「ああ。しかし驚いた。その樹脂を体に完全に吸収させる……つまり、消去してしまうと云う薬があるんだが、ちょっと彼女には悪いがその薬を注射してみたんだ」


「人体実験かよ、リーゼムさん」


「大丈夫大丈夫。体内の成分分泌率を少し変えるだけの薬だから。あくまで異物除去を行うのは自分自身の肉体だ。……で、そうしたら、薬の効果はテキメンだ。悪夢から解放されたのか、心拍数もすぐ正常値になったよ」


「でも、そんな無茶して……体は大丈夫なの、ルキロ。……ルキロ?」


 さきほどの異変が、体内に埋め込まれていた樹脂コンピュータの為だと分かっても、まだ、ルキロの表情から困惑の文字は消えなかった。


「平気だよ。……何ともない。……でも……薬で素子がなくなったのなら……何で……わたし……言葉が、わかるの? どうして二人とも、わたし達と同じ言語をしゃべっているの?」



     7

「なんと、樹脂コンピュータが翻訳装置のような役割もしていたとは。だが、結局そんなものは必要なかった。……どっちがどっちの真似しているのか知らないけど、偶然とは考えにくいな」


 ドクターリーゼムが腕組みする。


「昔、なんらかの接触があった」


 現在の状況から回答を推測すると、どうしても非個性的なものにしかならない。エイジは、ルキロが素子と呼んだ樹脂コンピュータ、それによる自身への影響がどう云うものなのか想像してみる。翻訳と云うのは、吹き替えのように誰かの声が重なって聞こえてくるのだろうか、それとも声ではなく五感として捉えられない情報を直接脳が受け取るのだろうか。


「まあ、それはそうだろうな、エイジ君。……非常に安っぽいドラマみたいだが」


「それが、地球がこんなに退廃してしまった事に関係あるかも知れないね」


「ちょっと話が飛びすぎるが、何かしら関係があるのかも知れないな。……それとだ」リーゼムは、ルキロに視線をやる。「今回の件で、地球への先発隊がすでにいろいろ調査しているわけだろう」


「勿論。地球に向かう途中、収集したデータをうんと勉強させられた。地理、気候、人種、文化、歴史」


 ルキロは答えた。


「今現在の事情を探るために、先発隊が派遣されたわけだが、我々も知らないような、ずっと昔の地球の歴史も、君たちは知っているんだろう」


「航行可能な宙域は、ほとんど監視しているはずだから、ある程度は……」


「それなら、言語が同じ事を知らないわけがあるか?」


 その言葉はルキロの胸を鋭く抉った。


 確かにおかしな話だ。最終的に首の素子が簡易的な翻訳をしてくれるとは云え、どの言語体系に属するのか、またどう云った文字を書くのか、その程度の講義は必ず行われる。今回、それが一切なかった。


 いったい誰が何を隠しているのだろうか。


 ルキロの脳裏にさらにふとした疑問がわいた。


「……地球に、エクシュールみたいな機械はないの?」


「エクシュールとは?」


「あの機械の巨人だよ。緑色の方に、ルキロは乗ってたんだ」


 エイジが補足する。


「見たことも聞いたこともないな。地球では戦争にそのような兵器が使われた事は一度もないはず。でも、地球にはかなり塗りつぶされた歴史があるから、何とも云えないがね。樹脂コンピュータに代表されるような情報処理技術の高速化や大容量化に関しては格段の進歩をとげた事は間違いない事実だが」


「近くに、軍事用研究施設で有名なところはないの?」


 ルキロは、この大陸が戦闘の舞台となっている事も、偶然ではないと考えていた。


「変な事に興味を持つんだな。近くには無いげと、この大陸内ならば……ええと、その昔、カナダと呼ばれる国があって……現在では完全に荒廃してしまっているが昔はそこに、凄い都市が存在していたんだ」


「どんな」とエイジも興味深そうに尋ねる。


「単純に云うと、研究のためだけの都市だ。様々な科学技術が生み出されていく都市。西暦二千年代において世界の医学や科学は、常にそこを中心として発展していったそうな。民間だったのかどうか知らないけど、主な兵器もそのあたりでかなり開発されていたと聞く。わたしが知っているのは、そのくらいだな」


「その都市は、どの辺にあるの? どう行けばいいの?」


 ドクターは地図を見せてくれた。手帳に印刷された小さな世界地図で、かなり汚れており、文字は完全に読めなくなっていた。彼は地図の一点を指さした。ルキロとエイジは覗き込んだ。


「ここが現在地だ。地図上では……ここから……ここ、北西にまっすぐ……山間や荒地の地形を無視して直線ならば約二千五百キロ」

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