第三章 メルリカ

     1

 大型戦艦から宇宙へ向けて射出された小さなカプセルは、一見滑稽にも見えるが、いま全体を占める雰囲気は実に粛々としたものだった。


 タグザムティア軍の旗艦テオ・リュー・フィルクの外壁の上は、数千の兵士たちにより埋め尽くされていた。彼らを保護する力場の外は、激しい風が吹いている。

 射出と同時にその数千人の右腕が一斉に前方へ突き出され、胸の高さに上がる。右拳を引き戻すように、左胸に当てる。敬礼の意を示す動作だ。

 周囲を囲む戦闘艦シル・カル内のすべてのスクリーンが、それを映し出している。


 ギヴェイ元元帥の亡骸を収めたカプセルは、引力の影響を全く受けず、ただ風に揺られながら、ゆっくりと、ゆっくりと宇宙を目指して上昇していく。死亡した惑星での宇宙葬は、タグザムティア独特の習慣である。たとえ地上で死んだ者だろうと、宇宙に上げて葬るのである。戦闘で死ぬ事、そして死んだ地で眠る事、それは彼らの本懐とするところだ。だが、彼らは敵に対する様々な汚れの気持ちが強く、死んだ場所から真上、そのまま宇宙へと上げる習慣が生まれた。勿論厳かにかつ盛大に儀式が執り行われるのは上部の人間だけであり、運良く死骸の回収された一般の兵士たちは、全作戦終了後にまとめて宇宙に葬られる。


 一人の少女がいる。長いブロンドの髪の毛を上げて縛り、さっぱりとまとめている。少女兵の物を間に合わせで改造したような服は、それでもかなり大きいらしくぶかぶかとしている。顔は幼さを多分に残しているが、柔弱さは微塵も感じられず、不気味なほどに落ち着いていた。これから軍部を支配する事になる覚悟が、そうさせているのだろうか。と、側近の一人は横目で少女メルリカ・カ・レ・ムを見遣りながら考えていた。しかし、時折彼女の姿を見る事はあったが、このいきなりの変貌ぶりは異様であった。数年前まで一般兵士達に混じってふざけて遊んでいたという話ではないか。元気で、とても優しい少女。会う前からそう聞いていたし、会ってからもそう感じていた。魂の根底に寂しさがあるようで、思わずその笑顔を全力で守ってやりたくなる……


 自分の祖父が死んだのだ。以前の彼女ならば泣き崩れていただろう。何かが彼女を強く変えたのか? いや、彼女の顔に悲しみをこらえている様子はうかがえない。……彼女は悲しみを感じていない。いかなる感情も、そこに読みとる事が出来ない。ただ、ショックに感覚が麻痺してしまっているだけなのだろうか。……そうに違い無い。……側近は、そう考える事で自己の感情を欺瞞させた。


 何だ……今のは……。側近は、それを見のがさなかった。彼女の、その変化を……


 メルリカの瞳がうるみ、そして涙が頬を伝った。


 側近は驚いた。側近の目には、彼女が突如流した自身の涙に驚いているように見えた。何か恐ろしい秘密を知ってしまったような気がして、側近はそのことを自身の胸の中だけにしまっておくことを決心した。



     2

 眩しい……

 薄目を開けると真っ白な光が鋭い凶器となって、網膜や脳を刺激する。

 ここはどこだろう……

 光に目を慣らしながら、考えた。

 この重力は……少なくとも、アロ・イーグの中じゃない。

 だんだんと視界がはっきりしてくる。地球人の、木材で建築した居住空間のようである。

 窓から、陽光が漏れてきていた 。


「気がついたみたいだね」


 低い女の声。地味な服装は木の壁、調度品にとけ込んでおり、声をかけられて初めてそこにいる事に気づいた。小太りした中年の女だ。仕事の邪魔にならぬようにか、長い髪を後ろで無造作に束ねている。


「ここは……」


 狭い部屋のぐるりを見回す。ドアの向こうから、見知った顔が覗いていた。身長のかなり離れた二人の少年達だ。二人は興味深々の顔付きを隠そうとせず、物陰からじっと少女の顔を見つめていた。今、赤毛の少女は部屋の壁際にいくつかある寝台の一つに寝かされていた。赤毛の少女は、またあらかめて女の顔に視線を向けた。


「あたしゃ、あれらの母親だよ」


 女は笑う。


 視覚に続き、触覚が戻って来た。何やら全身が締め付けられている感じがする。体をうまく動かせず、確認する事は出来ないが、包帯が全身のあちこちに巻いてあるようだ。以前、物資のない場所での戦闘中、このような原始的な手当を受けた事がある。鈍かった感覚がだんだんと蘇ってくると、下半身にどうにも無視出来ない不快な感触が襲ってきた。それが気になっているらしい事に気がついたのか、女が小さな声で耳打ちする。


「あんた、今、生理中だろう。……処置しといたから。しかし本当に驚いたね。宇宙人だって聞いてたから、どんな姿かと思ってたけど、何から何まで地球人と同じなんだから。何から何までね」


 赤毛の少女は、自分の頬をその髪の毛よりもっと赤く染め、うつむいてしまった。


 扉の向こうにいるエイジとタクは、何があったのだろうと顔を見合わせている。最初のほうがよく聞き取れなかったようだ。


「あんた、名前は何ていうの」


 女……エイジとタクの母親、キョウコ・シデが訊く。その問いの結果にエイジは非常な興味を覚えた。単にキョウコは、名前が分からないと扱い辛いと思っただけなのだろうが。


 少女は目を閉じた。数秒の沈黙の後、目を開き、続いて口を開い た。


「ルキロ・エ・ル」


 ルキロエル……扉の向こうで、エイジは心に呟いた。どこの国の名前でもないな、と当たり前の事を思う。彼等が聞いた話が真実であるならば、彼女は異星人なのだ。

 ふと気づいてみると、彼の足は部屋の中へと数歩入ってしまっていた。もともと彼とタクとの部屋なのだが、しばらく入るなと母キョウコに云われていたのだ。慌てて後ずさりして出て行こうとしたが、キョウコにもう別に入っても問題ないといわれ、拍子抜けしたようにそのまま壁によりかかった。


「どこが姓で、どこが名なの」


 再びキョウコが問う。観念したのか、少女……ルキロ・エ・ルの答えは早い。


「ルキロと呼べばいい。……あとはそれぞれ、型番と位だから」


「型番に、位だって……」


 エイジが隣のタクに話している。徹底的に人間が管理されている惑星なのだろうか。


 窓から空が見える。

 暗雲が一面を多い、その隙間から見える空は赤い。一度慣れてしまうともう眩しさなどまったく感じない弱々しい光だった。

 遠くに見える丘から、全長六、七十メートルほどの船が一隻浮上するのが見えた。


「キュー・ジ・ヴィ……いけない。回収の時間が……」


 ルキロは悲鳴めいた高い叫び声を出し、慌てて上体を起こそうとするが、全身に針で突き刺すような激痛を感じた。大きな悲鳴は上がらず、呼気として口から漏れるだけだったが、その顔の表情から苦痛の度合いを簡単に窺い知る事が出来る。

 タグザムティアの輸送艦キュー・ジ・ヴィと、ライスカイスの輸送艦ガ・ガーヌが上へ下へ飛び、それぞれの陸戦用有人式人型戦闘兵器であるジーン・ウーズィとギ・グルーグとを回収していた。ここ数日間にわたった戦闘がようやく終了したのである。


「無茶だよ。全身打撲の酷い怪我してんだから。医者にはもう帰ってもらったけど、肋にもひびが入っているってさ」キョウコは骨太のごつい手でルキロの柔らかそうなを肩を軽く押さえつけ、横たわらせ、乱れたシーツをかけなおした。「うちの息子が迷惑かけたらしいね。……でも、そっちだって、何もしていないこの星を侵略に来たんだから、文句いわれる筋合いはないけどね」


「シンリャク?」


 ルキロは激痛を堪えながらも、触覚ではなく聴覚からの情報に眉をひそめた。それを知ってか知らずか、キョウコの口調が少々厳しくなる。


「まあ、あたし達は別に特別いい生活してたわけでも何でもないし。頭の連中がどう変わろうと、あたしらには何が変わるもんでもないだろうし……だから、それだけなら、息子との件でどっこいどっこいでもいいんだけど……こっちは、亭主まで同じような目にあわされているんだよ。あんたらが勝手に始めた意味のない戦いのせいで……まあ、ただの一兵卒にいってもしかたない事かも知れないけど。とにかく、あたし達があんたを許す許さないは、あんたの考え次第だよ。戦い、殺しを楽しむような人間なら、戦争を起こす者の加担者だ。一般市民を平気で殺せるような人間は許せないよ」


 ルキロはキョウコの顔を見つめ、時折口を開きかけた。だが、キョウコは有無を云わさぬ口調で、ルキロがなかなか口をはさむことが出来ない。


「でも……」


 エイジがルキロと母に近寄る。


 ルキロの上半身は、裸の上に包帯を巻き、寝間着を引っかけただけだ。あらためてそれに気付いたのかルキロはシーツや服をたぐりよせて露出した肌を隠した。


「戦いが起きた以上は、勧告にしたがって、逃げていればよかったのに、おれが余計な事をしようと考えたのが、もともとの原因だったのだし……」


 「地球を汚すな」あの巨人の中で、そう叫んでいたルキロの声が忘れられない。よそではどうなのか知らないが、自分は彼女らの側から直接の被害を受けた事はないし。と、無意識にルキロを庇ってしまった言い訳をエイジは後からいろいろと考えていた。


「確かに何で逃げなかったのかは腹立たしいけど、もとのもとって云うのなら宇宙人が侵略に来た事が原因でしょう。貧しいけど平和に暮らしているところに、勝手に武器持って攻撃して来て。……出ていって欲しい、平和な暮らしを返せ、と抗議をするのは当然の事じゃないの。そんな人間を邪魔だからと攻撃するなんて畜生以下の最低な行為だよ」


「黙れっ」


 異星人の少女は叫んだ。うまく声が出せず、少し裏返ってしまった。だが、滑稽さは微塵もなく、むしろその小さな唇から発せられる高く鋭い声に、エイジは畏縮してしまった。

 ルキロは急激に動こうとし、再び生皮をはがれるかのような激痛に全身を襲われた。呻きながらも、ゆっくりと上半身を起こした。荒く呼吸をしながら、キョウコの顔を睨む。


「地球人は愚かな種族だ。生物の大半を死滅させ、自らの母星を汚染させ、自らをも貶めた。ゼロから再開した地球人は、いずれ科学水準は戻るだろうが、精神は何も変わっていない。今度は宇宙で同じ事を繰り返すだろう。絶対的に必要なのは現段階からの優秀な者による統治。宇宙の平和のためには、地球は我々の力を知る必要がある。逆らえない事を学ぶ必要がある」


「よくそんな台詞がスラスラ出てくるね。教本じゃなくて、あんたの意見を吐いてみなよ。……あんたの星はそんなに優秀なのかい。誰と比較して、何がどう優秀だって云うのさ」


 戦争の大義名分を、間髪おかずに冷やかされ、ルキロは痙攣したように唇を動かした。怒涛の言葉の攻撃を浴びせてやりたいのだが、何も言葉が出てこないのだ。やがて、ゆっくりと云った。


「……少なくとも、自分らの星で……殺し合いはしない」


「だから、ひとの星に来てやるんだね。自分らは可愛いものね」


 ルキロはまた激昂しかかった。が、急に力が抜けたように、項垂れる。


「確かに、今度の戦いは……掲げる大儀の……云ってる事の論法があまりに滅裂としすぎている。それは分かっていた。……地球を統治してもなんの益もないし、ライスカイスとの戦いは昔からの事だけど、わざわざこんなところまできて行う必要はないし……」


 涙を流すところまで地球人と同じなんだな……。エイジはルキロの目に涙がにじむのを見た。ルキロは、その視線に気づき慌てて手で目元を覆った。

 今までのきつい眼差しは負傷しこのような境遇になった故の防御反応だったのか……もう、彼女の目には攻撃的な光は宿ってはいなかった。



     3

 ギヴェイの遺言により、彼の孫娘であるメルリカは地球に滞在している間、元帥の代行を務める事になった。補佐付きとはいえ、いつまでも務められるはずもなく、母星に帰った後にあらためて次の元帥が選ばれる事になる。昔の地球には王族など能力の有無に関わらず世襲により子孫がその地位を継ぐことが出来る制度があったらしいが、タグザムティアには有史以来そのような法的な制度はない。せいぜい自営業を息子に継がせる程度だ。それだけに、亡くなった元帥の孫というだけの理由で幼い少女が代行を務めるなど、たとえ一日だけであったとしても、本来起こりえないことである。だが不思議なことにその点に疑問を投げるような報道記事は、現在も未来もまったく出てくる事はなかったのである。

 取り決めにより今回の戦闘地域は昔大国のあったこの大陸となった。しかし、メルリカ元帥代理は地球全土に探査隊を派遣していた。輝く未来のためにも、惑星の探索は有益だ。今回の遠征は戦争が目的で、しかもライスカイスとの取り決めにより行動可能な範囲が限定されている。だがそれは軍事力を持つ者に対しての取り決めであり、武装さえしていなければ軍に随行してきた民間探査艇とでもしておけば、どうとでも通る。だが今回は、普段とは明らかに異なる雰囲気を周囲の人間に感じさせていた。指揮する者が幼い少女であることを差し引いても、やはり何かが奇妙だ。彼らの疑問は、次の会話を耳に入れていたならばさらに深まった事だろうが、そこは密室で当事者以外は誰もその声を聞くことは出来なかった。


「……でも、もっとも重要なのは、今いるこの大陸。それは間違いない」


 狭い部屋の中、メルリカは両手で頭を抱え、目を閉じていた。


「見えますか」


 傍にケギル特殊補佐官が立ち、自分より遥かに背の小さな少女を見下ろしていた。


「映像の断片がね。うまく処理されている。残されているのはこの断片と、わずかな既存情報だけ。複雑なパズルのようだけども、わたしはそれらをまず一つ解き、この星である事を突き止めた、この大陸であることを突き止めた」


 探査隊のもたらした地球に関しての情報によると、ここ数百年において歴史は完全に失われており、口伝として諸処に話が残されているに過ぎない。蒐集編纂する気概のある者も、現れてはいないようだ。技術力もかなり低下している。技術不足を補おうにも、資源が絶対的に不足している。材木は豊富だが、地下の鉱脈などはすでに掘りつくされて枯渇している。科学を研究しようにも、自然から資源が得られぬ状態だし、技術向上により将来恩恵をこうむる事になるはずの市民たちからも、何も協力を得る事が出来ない。それらの悪循環により技術レベルはさらなる低下を招いていく。


「おかげで誰にも知られていないのは助かりましたが、それは彼らの情報操作が行き届いていた結果でしょうな」


「だと思うけれど……でも、何のために」


「さて。今の我々の戦い同様、ゲームを挑んで来ておるのかも知れませんな。情報は封じて、隠しておいてやる。ただし早急にパズルを解かねば、公開してしまうぞ、と。繰り返しますが、誰にも知られていないのは幸いでしたが、それだけに自らの手で探し出さねばなりません」


「最初からそう考えていたから、今回の地球行きを考えたのでしょう? わたしたちは」


「ええ」

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