第二章 カイ
1
丸太を積んで固定しただけの単純な壁で、調度品もほとんどない。殺風景な部屋である。だが今誰が部屋に入って来ても、部屋の造りなど微塵も気にとめることはないだろう。ここを出た後に、果たしてどんな模様の部屋であったのかも全く覚えていないだろう。部屋の真ん中、ある一点があまりにグロテスクで衝撃的であったから。恐怖に顔を歪めた形相の、不気味な死骸の山が築かれていたから。
安物回路に内蔵された電子音のように軽い音であったが、その都度に放たれる、凝縮された青い光弾は男たちの額を的確に撃ち抜き、永遠の無へと送りこんでいく。
男たちはすでに手足を撃ち抜かれ、酷い怪我を負っており、身動きのままならない状態になっていた。ただがむしゃらに助けを求めるだけの、哀れな男たちの頭部を、一発、また一発と青い光弾が貫いていく。虐殺、そう表現しても大袈裟ではない光景だった。焼け焦げた血の匂いが室内に広がっていた。
残るはただ一人。彼も右足と右手の筋を撃ち抜かれており、その部分はえぐられたかのように蒸発して消失している。血と肉とが熱に焦げて癒着している。
連続した射撃に温かくなった銃口が、男の額に押しつけられた。
エズワー・デンは、六人の仲間を目の前で殺され、足の激痛も忘れるほどの恐怖にかられていた。今まさに自分にも同じ運命が襲いかかろうとしているのだ。自分の心臓の音をはっきりと聞くことができた。
目の前に、死神が立っていた。革製のような光沢を放つ真っ黒なスーツ、真っ黒なヘルメットをかぶった人影。真直ぐとデンの額へと伸びた左手には、銀色の正方形の箱に握りをつけたような無骨な形の機器が鈍く光り輝いている。これが、彼らの銃なのである。その銃の凶悪なまでの破壊力をデンは嫌というほどに見せ付けられていた。何しろ、分厚い鉄板に隠れて身を護ろうとした仲間の一人を、その鉄板ごと貫いてしまったのだから。
デンはなんとか自分の喉の奥から言葉を搾り出すことが出来た。まだ言葉というものを忘れていなかった事に驚く冷静な自分もいた。
「わかった。一時間以内に用意するよ。だが地球の物なんかで間に合うのかい」
また、軽い銃声。デンのこめかみから血が流れる。
「余計な事は云わなくていい」
くぐもった声がヘルメットの奥から聞こえる。抑揚の全くない、若い男の声だった。
デンは足を引きずりながら、出ていった。苦痛をこらえる呻き声が、一歩ごとに漏れる。だんだんと小さくなっていく。
黒いスーツの男は、銃を腰のホルスターに納めると、ヘルメットに手をかけ、ぬいだ。
透けるほどに色の白い、きめ細かい肌の男であった。造り物めいた、半透明の青い髪の毛が、窓から差し込む淡い陽光を浴びて輝いた。髪だけではなく、存在の全てが、誰かの造作物のようであった。高名な芸術家の彫刻のようであった。見た目は、二十歳前後であろうか。眉目の秀麗なその顔には、何の表情も浮かんではいなかった。
男は、右手の甲、手袋にある小さな装置を口元に近づけた。
「カイだ。明日の回収地点は確認した。それまで、地上でジーン・ウーズィの首を稼ぐ」
カイ、と名乗った男は、通信を終えると山小屋の外へ出た。
なだらかな傾斜地になっており、辺り一面を針葉樹に囲まれている。
目の前に、茶色の鎧に身を包んだ巨人が跪いていた。木々の隙間から漏れる太陽の光を受け、鈍い輝きを放っている。全体的に流線型の装甲は、様々な攻撃をすべるように受け流してしまうだろう。薄暗い場所ならば、土や木々の色に完全に溶け込んでしまうであろう黒みがかった茶色のカラーリングが施されている。
ギ・グルーグと呼ばれるこの機体に乗って、カイは戦ってきた。だが、機体に無茶をさせすぎて回路がショートしてしまった。通常の動作に問題のない程度ものではあったが、戦いの場では何が起こるか分からない。修理を行っておこう、とギ・グルーグの外へ出たところ、デンたちに狙われたのである。
周囲を取り囲む木々は、全てを見ていた。近くに一件ポツンと建っていた山小屋から、男たちが出てきた。七人いた。近寄って来る。彼等は何やら理解の出来ない台詞を云いながら(恐らく翻訳機の性能の問題ではないだろう)歩み寄り、不意に隠し持っていた銃でカイを狙った。だが、一人は銃を持った腕を蹴り折られ、一人は青い光弾で銃と腕とを落とされ……あっという間に全員とも戦闘不能に陥れられた。カイは、それでも情け容赦なく一人一人の頭部を狙いとどめを刺していったのである。
たまたま最後に残ったデンには、とどめを刺さず、生きる権利を与えてやる代償に回路修復に使えそうなパーツを要求した。
酒盛りでもしていたのだろうか。食い散らかした跡。焚き火の跡。カイはそこに焼け残った本を見つけ、少し興味を覚え、手に取った。黒い皮カバーの本である。
小屋へと戻る。中は簡素極まりなかった。物資の乏しい時代だというだけではなく、デンたちが食べられる物を食らい尽くし、燃やせる物を燃やし尽くしてしまった結果であった。もちろんまだ部屋の中央には死体の山が築かれている。
カイは手にした本を開いてみる。
二九七二年 九月十九日
彼らの戦闘は、この付近でも絶え間なく続いている。
彼等は我々と同じ姿をしているが、中身は悪魔の化身に違い無い。なんでも、この大陸に、二千機ずつをつぎ込んでの、正々堂々とした星と星との戦いなのだそうな。
疲弊しきり、全世界中の政府が無力化し、科学的にも衰退し、物質はなくなり、大地のほとんどが汚染され、我々は免疫を持っているが人類の大半を死滅させた死の風が常に吹く……その地球を守り、正しく復興させるため、地球を外部から統治するのだそうだ。低級な生物は、脳を別に持たなければ進化できない。単細胞生物から脱することが出来ない。ああ、我々にとって実に有り難い行為だ。その統治権利をどちらが有するかを決するための戦争なんだそうな。本当に本当に有り難いことだ。汝らに光あれ、だ。
たしかに、いろいろな大罪をおかしてきたのではあろう。だが、科学文明が滅び、闇に怯えねばならない暗黒の時代を向かえたことで、我々も学んだのだ。つまらぬ者もまだ多くいるが、種全体として精神は浄化され、向上したはずなのだ。(せめてこの程度はどうどうと発言出来なければ、そもそも我々の歴史はあまりに悲しすぎるではないか)
政府の無力化も結構なことではないか。くどいようだが暗黒の時代を向かえることで、精神的に無垢で純然とした光の時代も来たとも云えるのだ。ところが、奴らは我々の精神を暗黒の状態に引き落とそうとしているのだ。一体、何度輪廻しても許されぬ罪などというものを、いつ我々
まだ燃え残った部分はかなりあるのだが、文章はここで終わっている。ペンを持っている最中にデンたちに乗り込まれたのだろうか。そして、撃たれ、切り刻まれ、この近くで永久に眠っているのだろうか。文章の途切れているその頁には、大量の血がかかっている。
カイは、本を投げ捨てた。どのみち、彼には何と書いてあるのかなど、全くわからない。生命体の意志を読みとり、相手に意志を伝えるだけの翻訳機に、文字の解読など不可能であった。
話に聞いていた地球の紙というものを初めて見たのでつい手に取ってみただけで、他意はない。
2
デンが戻るのは早かった。頼まれた部品ではなく、武装して自動車に乗った十人近くの仲間を引き連れてきた。カイが撃ち抜いた彼の右太股には包帯が巻かれている。薬のせいかそれとも過度の興奮のせいか、もう全然苦痛を感じてはおらぬ様子で、カイを罵る言葉を吐いている。
カイが全く無防備な様子で小屋の中から出てくるのを見ると、怒りと、その後に襲い来るであろう快楽を想像し、奇怪な笑みを浮かべた。
「いいかてめえら、あの痩せぎすのくそ野郎を……」
横を向き、他の男達を見回して叫ぼうとした瞬間、デンの左側頭部に小さな穴があき、同時に右側頭部から血と脳しょうが吹き出た。血と皮膚が蒸発し、音をたてる。小さな穴から一瞬湯気が立ち上る。予期もせずいきなり降りかかってきた赤黒いシャワーに、驚いた運転席の男が大きく口を開け、絶叫した。その口の中が青く輝いたと見えた刹那、その光はその男の首を突き破り、後部席にいた大男の胸板を貫いた。大男は奇声を発し、車から転げ落ちた。男はそのまま永遠に動くことはなかった。
カイは銃を手にしていた。一瞬で三匹を屠殺したカイは、さらに二回引き金を引いた。結果を確かめもせず、小屋の中に身を躍らせた。閉まった扉に銃弾の雨霰。樫製とはいえ所詮木製である。瞬時に蜂の巣のような無数の穴があく。だがもうその先にカイはいない。
カイは小窓から目をやる。小さな爆弾らしき物を持った男が、それを投げようと手を振り上げた。カイはその爆弾めがけて銃を撃つ。正確な狙いだ。男が手にしていた物が爆発し、すぐ隣にいた男をも巻き込んだ。四肢が千切れ乱れ飛ぶ気味の悪い光景が続く。わずか数秒で七人の仲間が地獄に叩き込まれる様を見て、残った三人は逃げ出そうと、慌ててハンドルを握りなおす。カイはゆっくりと銃を手にした腕をあげた。確かめるように一発ずつ、三回撃った。
カイは悠々と銃のエネルギーカートリッジ交換を始めた。
その時である。地球人をあなどるあまり警戒心が鈍っていたのだろうか。小屋の中、奥の扉の向こうに気配と物音を察知した時にはもう遅かった。火薬が爆発する小さな音が響いた。扉に穴があき、飛び出した何かがカイの腹部を突き抜けた。カイの腹と背から血が流れた。無地の木の壁がカイが背にしていたところ赤く染まった。
火薬を爆発させて、金属の弾を飛ばす。原始的かつ有効な殺傷兵器だ。カイは、自分がその銃弾に腹部を貫かれ、負傷したことを体を襲う激痛により認識した。だが、彼の表情は相変わらずであった。痛覚などたかが脳に送られる情報の一つだ。そう云わんばかりである。
撃ち抜かれた瞬間、彼はもう反撃に移っていた。低く跳躍し、一瞬で扉へと迫る。扉を蹴った。何か柔らかいものを一緒に蹴飛ばす感触。扉が開く。そこは地下室への階段になっていた。扉と壁の間に挟まっているのは、まだ十歳にも満たない幼い子供であった。カイが押えている扉に身体の自由を奪われ、右手に持った銃をカイに向けることが出来ない。
「悪魔め。父ちゃん達のカタキ」
カイを睨み付けた。小屋の持ち主の子供だ。デン達から隠れ、母親と一緒に地下室に潜んでいたのだ。地下室にも当然魔の手は伸びたが、母親の機転により、この子だけ死角へと隠れ、難を逃れていたのである。連れ去られた母親がどうなったのかは、子供には分かるまい。すでに何日も過ぎているのだろう。げっそりとやつれており、目だけが幼い子供とは思えぬ殺気をはらんで輝いていた。自分の体力精神力が限界に近づいていた頃、運良く愚かな傭兵たちが仲間割れを起こして殺し合い、一人きりになった。そう思い、出てきたのだろう。
カイは子供を静かな表情で見つめた。すでにカイの腹部からの流血は止まっており、服の上からでは分からないが、損傷が治癒し始めてさえいたのである。
カイは、子供の額に銃口を当てた。引き金を引いた。三発、撃った。床に叩き付けたトマトのように、頭部は砕け、飛び散った。
「銃さえ向けなければ、おれは敵ではなかったのにな」
血の池の中に立ち、呟いた。
常人ならば間違い無く吐き気を催すであろうほどに完全に原形を失った頭部。……なぜ二発も無駄弾を使ってしまったのだろうか。カイはそれだけを考えていた。
3
約五千メートルの高度に、超大なその姿は浮いていた。テオ・リュー・フィルク。タグザムティア軍の二千メートル級超大型戦艦である。紡錘形で、中央に艦橋らしき突起が見えるだけの単純な形状であるが、常軌を逸脱した巨体が、その無個性を必要以上に補っていた。汚染されたドス黒い雲の遥か上空は、燦々とした陽光が輝いていた。それに反射して輝く白銀の機体は、現在の編成軍をまとめる旗艦としての威厳を十分に備えていた。
テオ・リュー・フィルクの周りを、シル・カルと云う名称の黒鉄色の戦闘艦が七隻、囲んでいる。こちらは、全長一千メートルほど。タグザムティアの戦闘艦としては平凡な数値である。地球の英字である「U」に似た形をしており、船体の横幅だけで比較するならばテオ・リュー・フィルクと対等のボリュームを有している。ただし前述したように、真ん中がざっくりと切り込まれたような形状になっている。二隻をつなぎ合わせたようにも見える。
それらは気球のように、海上に浮かぶ船のように、静かに風の中に浮いていた。ただ微かな動力炉の駆動音だけが漏れ、風に溶けていった。
星座の中に見える小宇宙のように、遙か彼方にも同様に戦艦の群が見えた。ライスカイス軍の戦艦であった。「取り決め」により、距離は一定に保たれ、決して戦艦同士で争う事はなかったが、雲の下では、空中、地上を問わず、壮絶な命の奪い合いが行われていた。
テオ・リュー・フィルクの、通路にある窓から、一人の少女が遙か下で行われている戦いを見つめていた。窓と云っても、外壁のカメラが捉えた映像を内側の壁に投影しているだけである。この船には、地球で呼ぶ感覚での「窓」は存在しない。
少女、メルリカはまだ小さな女の子だ。淡いブロンドの髪の毛が腰に届いている。元気に笑えばさぞかし可愛らしいのだろうが、彼女の顔は憂いに覆われ暗く沈んでいるように見えた。
「なんでみんな仲良くできないんだろうね」
討伐、制裁……理由を造り出しては戦ってばかりいる。
少女は思わず嘆息まじりに呟くと、地球のクマに似た動物のぬいぐるみを、ぎゅっと抱きしめた。
汚れた分厚い雲が船と地上との間にある。本来ならそれに阻まれ、戦いの様子を見る事など出来ない。だがコンピュータの特殊処理により、「窓」は雲の下の様子を人間の目で直接見る以上の鮮明さで映し出していた。遙か遠方まで連なる山々。湖。平野。小さな町など、様々なものを窓は映し出す。その上空で、鋼の巨人が戦っていた。刀で互いを壊し合い、銃で互いの命を奪い合い、無数の巨人が宙で死のダンスを舞っている。
ギヴェイ元帥は軍部内では位人身を極めた存在である。自らの率いる軍に次々と勝利の果実をもたらし、カリスマ的立場を不動のものとしていた。名声実力共に一流の男だ。だが、政治面に関しては微塵ほどの発言権もない。メルリカはギヴェイ元帥の孫娘だ。正規に登録された軍人ではないし、まだ成人もしていない。自分が誰かに意図的に痛めつけられた経験などはないし、他人をそのような目に合わせたこともない。精神的にも肉体的にも極めて平穏無事に過ごして来た。野蛮な世界とは完全に無縁の場所に身を置く存在だった。
彼女、メルリカは銃後の保護者を気取って戦争を讃美する他の連中と違い、徹底的な戦争反対論者だった。偉大な人間が祖父にいる事実への幼稚な反発心が起こした感情なのかも知れない。由縁はともあれ、現在は自分の精神がそう育った偶然に素直に感謝している。
延々と続くベルトウェイを移動中、二レクツル(レクツル:タグザムティアの距離単位の一つ。彼らの換算によると一レクツル=一.一八九メートル)毎にある小さな窓が、戦士たちの戦いを、そしてその壮絶な死に様を映し出していく。
ベルトウェイの上を、様々な者が行き来する。メルリカがその身を乗せているのは船尾へと向かうベルトである。反対側、船首へ向かうベルトの上に、祖父の姿を見た。他の兵同様黒と銀の服を着ているが、胸には猛禽をモチーフにしたような階級章。その階級章は、タグザムティア軍にはただ一つしかないものであった。肉体はまっすぐだったが、顔を見ればかなりの老齢であることが分かる。まるでシワの中に顔が存在しているかのようだ。
ギヴェイ元帥は補佐の男と並び、護衛の兵士たちに囲まれていた。移動中ですら、何やら多忙そうな様子で、声をかける事すら出来なかった。
ギヴェイ元帥。今回の奇妙な遠征の発案者である。
4
元帥は、応接用の部屋で、椅子に座っていた。反対側には、背広を着た男たちが何人か座っている。地球人である。外交官や、色々な使節の人間などだ。
タグザムティアの人間と、地球の人間とは驚くほどに外観が似通っている。実際、外見上での差違が全くないのだ。地球の者がそれを話題にすると、
「発達していった知的生物が、このような形になることは、当然のことではないのかね?」
と、元帥は逆に不思議がっていた。
そして、話は本題へと入った。室内のボイスレコーダーが音声を記録していく。
「なぜ我々の住む地球が襲われなければならないのですか」
「別に襲ってはいない」
「流れ弾に当たったり、町が燃やされたり、かなりの被害にあっています。住民たちが怯えています。なんの権利があって、地球を奪おうというのですか」
「権利ではない。義務だ」
「今、義務とおっしゃいましたね。それは一体誰のどんな義務ですか」
「地球はどこにあるのかね」
「どことは。……宇宙……ですか」
「そう、宇宙だ。辺境ではあるが、宇宙に地球はある。地球は地球同士で勝手に汚し合うから、他に迷惑はかけないから、ほうっておいてくれ。勝手に、好きなようにさせておいてくれ。このような言い分を持つ者がいたら、どう思うかね」
「……」
「地球は、代表となる生物の魂を早く上の次元へと昇華させねば、宇宙の害となる」
「そんなことは……」
「実際、過去にあったではないか。都合よく忘れているのかね。宇宙は全ての星を見ているのだよ。君たちの暦でいう、『西暦二三七八年』ある惑星の権利を巡り、二つの争う勢力が戦争を起こし、挙げ句の果てには惑星を粉微塵に破壊してしまった。『西暦二四〇二年』ある惑星上で発見された宇宙史上でも珍しい新種の生物を、狂った宗教がらみの科学者たちの抗争で、死滅に追いやった。(中略)『西暦二四八五年』宇宙空間で、地球人にとってかつてない規模の艦隊戦が起こり、その砲撃による重力場の変動が、十二の天体を持つある星系のうちの、四つの惑星の地軸を狂わせた。これが、その星だけでなく、星系そのものにどのような恐ろしい影響を与えるか、云うまでもないだろう」
「しかし……もう、わたしたちにそんな力はない」
「それもまた一つの罪なのだよ。あれほどまでの恐るべき力を持ちながら、己を御そうとする努力をまったく行わず、結局、その力で自らを滅ぼしてしまった。自分たちを操れない者が、『進化する力』を持つことは、大いなる罪でしかないのだよ。ならば最初から、君たちは『動物』でいればよかったのだ。我々の手が差し伸べられるまで」
結局、地球人たちは、一言たりとも反撃の言を吐く事が出来なかった。後にまた新たな論客が送り込まれる事になるのだろうが、それもどうなる事か。……とにかく彼らは何をする事もなく地上へと戻ることになり、キュー・ジ・ヴィと呼ばれる輸送船に乗り込んだ。有人式人型戦闘兵器エクシュールを運ぶ事を主な目的として建造された船である。エクシュールを十機ほど搭載する事が可能だが、今はみな出撃しており、ガランドウの状態だった。だが、地球人たちは貸し切り飛行を楽しむわけにはいかなかった。広いのは格納庫だけで、部屋はすべて狭く、汚れていた。彼らは兵士が仮眠をするための小さな部屋に全員一緒くたに詰め込まれ、窮屈な思いをみなで共有していた。
激しい攻防が繰り広げられている閃光の中を、船はゆっくりと真下へ降下していく。
「すぐそばで戦ってるじゃないか。本当に大丈夫なのかよ」
「取り決めで、大丈夫なんだとさ」
「紳士のつもりかねぇ。それだったら、最初からゲーム盤で勝負をつけてくれよな」
みな口々に文句を云い始める。監視の兵が睨んでいたが、彼らなど別に怖くはなかった。あの元帥の、冷たく不気味な……そう、まるで機械のような表情に比べればどうと云う事はない。
5
ギヴェイ元帥は地球人達を地上へと運ぶ輸送船を見送った後、突然に血を吐いて倒れた。ケギル特殊補佐官が抱き起こそうとするが、元帥はその手を振り払った。
「かまわんでもよい。お前が忠誠を誓ったのは、この肉体にではあるまい」
元帥はシワの中から口を選び出して、小さく開いた。弱々しい囁きが漏れる。
「はい。……と云うことは……しかし、まだ早いのでは」
「いや。もう、これも保たぬよ」
ケギルはまた頷いた。そうだった。それを予期していたからこそ、彼は……
6
メルリカは軍人ではないが、さすがにあわただしく駆け回る軍人達の中にあって、気疲れをしたのか、自室に戻るや否や柔らかい布団のしかれた寝台へと倒れ込んだ。
「はやく……帰りたいな」
母親に会いたい。と、彼女が買い与えてくれたぬいぐるみを、再びぎゅっと抱きしめた。
タグザムティア社会の地位に関しては世襲と云う制度はない。だが、ギヴェイ元帥の息子(メルリカの父)が、次の元帥になる事は確実と云われていた。軍部での実績、人望ともに申し分のない存在であったし、皇帝の信任も厚かったからだ。しかし、ある戦闘宙域への移動中、兵士になりすまして潜り込んでいた敵対組織の者の攻撃により、爆死した。現在は、候補と噂されている数人が、見えないところで醜い引っ張り合いをしている。
メルリカは、今よりもっと小さな頃は、新米兵士のいる教練所の宿舎に入り込んで悪戯をしたり、それどころか仲良くなった兵士から銃の扱いかたを習うなど、奇行の目立つ、兵士達の間での有名人だった。……ただ、その時は戦争の悲惨さを何も知らなかった。そして知っていく。学んでいく。見知った顔の、仲の良い人間たちが死んでいく。笑って出て行った者が、翌日に死体となって戻ってくる。
レクズという名の彼女と一番仲が良かった男がいた。彼女が「おじさん」と云えば、まずこのレクズを指していた。彼はエクシュールの操縦に関して抜群の腕前を持っており、歴戦の勇者と云っても過言ではない存在だった。普段はとても優しく、人を笑わせる冗談ばかり云っていた。メルリカは彼が大好きだった。そんな彼も、宇宙で、仲間を助けるために死んだ。
なぜ今回に限って、祖父は自分などを、このような辺境の惑星まで連れてきたのだろう。大きな枕に顎を埋め、考えていると、ブザーの音が部屋の中に響いた。メルリカはすぐさま跳ね起きた。立ち上がり、すぐそばの壁にあるボタンを押し、ドアの開閉を操作する。
通路には、元帥と数人の男が立っていた。
「おじいさま」
今頃何の用だろう。メルリカは訝しいと思いながらも、笑顔をつくった。だが、もとから感情豊かとは云い難かった祖父の、いつも以上の冷たい表情に、メルリカの笑顔も凍りついた。元帥は肉体が衰弱しているのか、立っているのもやっとに見えた。足下がふらふらとして頼りない。危なくなると後ろの男たちが手を伸ばし支えた。
「涙こそ出ぬがな」老人が閉ざしていた口を、不意に開いた。「わしのような者でも……良心は痛むのだよ。我が孫娘メルリカよ」
元帥の横に立っていた若い男。ケギル特殊補佐官が、右手を上げた。真直ぐにメルリカの顔へと伸びたその手には、短銃が握られていた。それは黒く無気味な光沢を放っていた。
運命の神は、目を見開き立ちすくむ幼い少女に、その鋭い鎌を振り下ろした。
7
それはまるで、熱湯から立ち昇る湯気のように見えた。澄んだ湖面に反射する映像に突如、石を投じたかのように、一瞬、空気に波紋が見え、揺らめき広がった。次の瞬間には、眼前のゾ・ヴィム編隊はその大半が消滅していた。
気配を察知して逃げた機もいた。中途半端な逃げ方をした者に一番無惨な運命が訪れた。鋭利な刃物で果実を切ったかのように、機体は断面を見せていた。ある機体は、真ん中から縦にすっぱりと断たれていた。つい今まで中で操縦をしていた、人体標本のようになった人間の切断面から、熱したチーズのようにどろりと臓物がこぼれた。火花を散らしていた機体が一斉に爆発を起こした。水に浮くよりも軽く、さも当然のように空に存在していたそれらの機体は、突如として地表から伸びた重力と云う名の巨大な手に掴まれ、煙を噴きながら落下していった。
果たして複数の機体を一瞬にして破壊した兵器はどのようなものなのか。原理を大雑把に説明すると、異なるエネルギーによる二つの力場をレーザーに強引に同調させて飛ばし、力場形状差分によって分子を引き潰してしまう兵器、となる。だが熱湯に溶けて蒸気と混ざって大気に霧散してゆくそのようなイメージを見た者に与えるため、その兵器は「昇華子粒砲」と呼ばれている。
タグザムティア軍の、有人式人型戦闘兵器アロ・イーグは、空戦の主役とも云える存在であり、その機体を強化したレ・アロ・イーグは隊長機として乗られることが多い。レ・アロ・イーグに備えつけられた昇華子粒砲は、エネルギー装填完了まであまりにも時間がかかりすぎると云う欠点さえなければ、そして故障さえ少なければ、今ライスカイス軍のゾ・ヴィムに対して威力を示したように、空中格闘戦においてはまさに無敵の兵器であった。が、通例に漏れず、リーアック隊タゲン隊長の操るレ・アロ・イーグの昇華子粒砲も、二発目を放った時点で調子がおかしくなった。
タゲンは舌打ちするものの、まったくおしみなく、昇華子粒砲を敵機へと投げつけ、砲に内蔵されていた小型の爆弾を爆発させた。昇華子粒砲のエネルギーを作り出す駆動系心臓部は、一つ一つのパーツがバリアーで護られており、それらがさらに厚い金属の装甲に覆われている。攻撃を受けても爆発しないように強固に対策してあるのだ。だが、心臓部に直付けされた爆弾は、それらを跡形無く吹き飛ばす。制御のできない、解放されたエネルギーは、直径三十レクツルほどの真っ白な円状空間を造りだし、その中の物すべてを消失させた。
「無」となった暗黒の空間に、どっと空気が流れ込む。周囲のエクシュール全てが、風に引っ張られる。それもほんの一瞬のことだ。
「まったく、相変わらず豪快だねえ、おれたちの隊長さんは」
リーアック隊所属のツーが、のんびりと軽口を叩く。そのにやけた表情とは裏腹に、彼の操縦するアロ・イーグは、ゾ・ヴィムの群に斬り込み、刀を振り回し、攪乱させていく。
隊長機のそばに、同じくタゲンの部下リーアック隊所属のウェルの乗るアロ・イーグの姿。両手に構えたライフル銃が、ツーが作り出した一瞬の混乱を利用し、敵の動力部を確実に撃ち抜いていく。爆発が起きると、地球の重力の存在を突然に思い出しでもしたかのように、そのゾ・ヴィムは落下していく。
「あまり離れるなよ、ツー」
とかく勝手な行動をとりがちなツーに、ウェルは注意を促す。隊長があまりチームワークを重要視しないので、どうしても自分がその役に回らざるをえない。遙か年輩の人間を注意するのは好きじゃないが、仕方がない。
タグザムティア軍のアロ・イーグも、ライスカイス軍のゾ・ヴィムも、酸素の薄い高度を、縦横無尽に飛び回っている。水の中の魚のように。背中のランドセルのような部分や、腹部、脚などから、炎が吹き出していたが、それはごく少量であり、素人目に見ても、それは姿勢制御のためのもので浮力を生み出すものではない事が分かる。
空を飛ぶ技術を完全に失った地球人にとって、超重量の機械を空高くに飛ばすと云うだけでも信じられない事だ。そのうえ機体からは炎がほとんど出ていないのだ。それを疑問に思った地球の使者に案内人は快く答えた。浮力そのものは重力を制御する装置で作り出している。彼らにとっては別段秘密でも何でもない初歩の科学だ。
「またせたね、タゲン」
低い女の声と共にアロ・イーグが上空より降下してくる。タゲン機の前で静止する。タゲン機操縦席の副画面に女の顔が映る。まだ若く、黒髪は長い。少し吊り上ったきつい雰囲気の目が印象的であった。
「ノウヤン、直ったのか」
「ああ。同調プログラムのちょっとした破損だったよ。整備士のヘボさ。あんなヤツ使うから、ルキロがぶっ壊れそうなぼろいウーズィで出なけりゃならなくなっちまうんだ」
「心配か、ルキロが」
と、タゲンが笑う。
「まあ、妹みたいなもんだから。……あの娘、かなり癖のある操縦するし……全然学んでいない機体で、大丈夫かどうか。……まあウェルほどびくびくと心配はしてないけどね」
「お、おれは別にそんな……」
ウェルからの通信が割り込んだ。端麗だがどこか朴訥とした青年の顔が、それぞれの操縦席内副画面に映る。
「そろそろ始まる頃だぞ」
ツーは、右側の副画面の一つに、テレビ映像を映し出した。
「おい、戦闘中だぞ」
ウェルがまた口を酸っぱくする。
「まあまあ。……もうこの近くにはいないじゃんよ、敵」
画面には、ライスカイスの人間特有の、病的な(彼等の主観では)ほどに青ざめた顔が映っていた。ツーは、画面のその男に、銃を真似た指の形を作り、撃つ仕草をする。
ライスカイス側の地球のテレビ放送用電波を利用した演説である。話している内容は、タグザムティアのギヴェイ元帥が訪れた地球人使者達に伝えていた事とさほど変わらない。
「さて、もうそろそろかな……」
画面が乱れた。押し潰したように映像がひしゃげ、真っ白に光ったかと思うと、真っ暗になり何も映らなくなった。数秒後、また映像が表示されるが、幕の合間に主役は交代していた。
ブロンドの髪の毛を結い上げ、軍服を着こなしたその姿は非常に美しい、凛々しいものではあったが、どこと一言で名状のし難い違和感があった。それは、全てが奇妙だったからである。画面に映っているのは、少女になったばかりのような、幼い女の子だったのである。
ツーは絶句した。
「割り込み電波で演説するってのは聞いてたけど……。おい、みんな見てみろよ」
本来、そこに映るのは老齢にさしかかった元帥の顔であるはずだった。
「地球の皆さま、はじめまして」
少女がその小さな口を開く。声も、顔と変わらずまだ幼さから完全に脱しきれてはいない。
ツーは予期せぬ出来事にあっけにとられている。口はだらしなく半開きになっていた。タゲンもノウヤン、ウェルも同様に驚きを隠せない表情でただ画面を見つめるばかりであった。
少女は微笑んでいたが、そこからは得体の知れぬ冷たさしか感じられなかった。
「わたくしは、タグザムティア軍元帥代行メルリカ・カ・レ・ムともうします」
「にゃにい! ゲンスイダイコウだあ?」
ツーは叫んだ。自動索敵装置の状態を全開に切り替えてから、あらためてテレビ映像をメインスクリーンに映してみる。非常に鮮明に拡大されたメルリカの顔からも、やはり、どんな表情すら読みとることができなかった。整った、冷徹そうな顔がただ大きくなっただけだった。
「おい、聞いてくれ」
メルリカのよどみのない美しい声に、タゲンの野太い声が重なった。
「今入った情報だが、ギヴェイ元帥が亡くなったらしいぞ」
「うへえっ」ツーは大袈裟に体をのけぞらせながら叫んだ。彼を知らない人間には、単にふざけているようにしか見えない。「こんな辺境の惑星で、死んじゃったのか。……それにしても、あのお嬢ちゃん変わりすぎだよ。本当に……レクズや、ルキロとよく遊んでた、あのお嬢ちゃんなのか……」
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