第二章
「さらば我が灰色の青春」
「さてね。今回のテストについての解説はここまでですが、何か質問はありませんか。……ないならよろしい。ここまでの予定でしたが、まだまだ時間が余っていますし、多少キリが悪くても次の授業の範囲をやっちゃいましょうか」
えー、と悲鳴じみた声がクラス全体に響く。宮守は視線を躍らせた。
エアコン下の女子が一人。ブランケットを羽織りながらもスカートの裾の高さはギリギリを責めている。
続いてその彼氏。二年生ながら我が校サッカー部のエースで、我が校史上初の快挙である全国高校選手権の予選Aブロック三回戦進出は彼の豪脚が牽引したらしい。
続いてその彼と同じサッカー部連中。いずれもさっぱりとしていて気のいい連中である。
そしてそんな彼らと付かず離れずの距離を保つ女子たち。
総勢十名。総勢三七名の民意は彼らによって表明されている。
「そろそろ夏休みですし、内容は触り程度で行きますから。さ、教科書を開いて。一七八ページです」
だが彼らの声は届く事はない。ここは教室、法を犯さない限り、イニシアチブは教師にある。
今日も一日、生徒の声は強権によって踏み潰されていく。
宮守はその顛末を見届けると、途端に興味を失って手元に意識を移した。
「フランス革命ですね。これは、近代史を語る上では欠かせない重大な事件の一つでして、まだ皆さんには関係がありませんが、投票という手段をもって国民一人一人が政治に参加できるような仕組はこの革命の中で育まれたものが源流となっています。と言うと、聞こえはいいかもしれませんがね」
教師の声と、エアコンの動作音、窓越しに伝わる蝉の声、紙を引っ掻くほどに潰れていくシャーペンの音。
彼の頭が処理する情報はただそれだけだった。
「ではね、君たちに質問なんですがね」
宮守の肩には俄に緊張が走る。この授業で初めて面を上げて、気取られないようにそうっと様子を伺う。
視線と視線が邂逅した。宮守はこの授業で初めて教師の顔を見た。定年間近で、品のいいスーツに身を包んだ銀縁眼鏡の教師だった。彼は年齢に似合わぬ子供のような悪戯じみた笑みを浮かべて宮守と目を合わせていた。
当てられる、と思い身が竦む。
「早瀬くん」
「は、はいっ!」
教師はノールックで別の男子生徒を当てた。彼は当てられると思っていなかった模様で勢いよく居住まいを正す。そこまでは良かったが、その表紙に机の下で広げていた文庫本が彼の足元に落ちた。
早瀬は宮守の級友である。当然、宮守にはその文庫本の中身がライトノベルであることを知っていた。
「大丈夫ですよ、別に取って食いはしませんから。ただ、今は世界史の授業ですからね。授業に不要な本は机の中にしまっておいて下さいね」
教師は柔和な表情を崩さずに言った。
「す、すみません!」
「では質問です、早瀬くん。大丈夫、教科書は要りません。では問います。革命と反乱、君はどう違うと思いますか?」
「え、革命と、反乱ですか」
「ええそうです。高校生ですから、どちらも聞いた事はあるでしょう。どちらも同じく何らかの不満を抱いたものが、超法規的に血と暴力をもって現状変更を図ることです。しかしながらこれらは同じ文章の中で登場する事はあまり見たことがないでしょう? これらの違いは一体なんだと思います?」
早瀬はしばし考え込んだ。
「高潔な指導者、ですか」
唸るように捻り出した答えがそれであった。
思わず聞き入っていた宮守は、級友に届くはずもないのに首肯する。
「いい答えですね。歴史的事実として、特にこれから扱うフランスの第二革命では、山岳派という集団がロベスピエールという指導者が活躍しますし、このフランス革命の末期にはナポレオーネ・ブオナパルテ、あるいはナポレオン・ボナパルトという男が皇帝の座についています。皆さんもナポレオンくらいは聞いたことがあるでしょう」
早瀬は先生の解説を聞いて満足げな表情で着席し、文庫本を拾って鞄の中へとしまう。
「高潔かどうかはさておき、指導者は革命には不可欠な存在です。ですが指導者があっても反乱に終わるものは多いです。例えば、後漢末期━━皆さんは去年の中国史など思い出したくもないかもしれませんがね。黄巾の乱では太平道の張角という宗教的指導者の元、民衆が反乱を起こしましたが、後漢はこれを征伐し、結局革命に至ることはありませんでした。つまるところ指導者は革命に至るための必要な条件であって、革命と反乱の区別点ではないということです」
ここでチャイムが鳴る。
「おや。時間ですか。では出来るだけ手短に、革命と反乱の違いだけ申し上げましょう。あ、高山先生、すみません。ご迷惑をおかけしております」
世界史の教師は、宮守らの担任の教師が姿を現したのを見て軽く会釈する。
「ズバリ、両者の違いは名前です。革命と反乱、両者を隔てるのは名前でしかない」
早瀬は下手なトンチを聞かされたかのように眉を顰めた。
「今、名前だけかと思った人もいるでしょう。しかしながら、どちらも血と暴力をもって現状変更を企てたことである事には違いないのです。そしてその後の政体によって肯定的に受け止められるものが革命、そうでないものが反乱と名づけられるのです。フランス革命は多くの暴力を肯定し、そしてその側面に触れられるのはジャコバン派による恐怖政治だけであり、革命そのものの暴力性について触れられる事は少ないからです。そして史学科に進学でもしない限り、その価値観が変わる機会は失われてしまうのです」
教室の中の学生たちや、その担任までもが神妙な面持ちで聞き入っている。だが内心を言えば気にしない者が半数、この「演説」の中に混じった思想を感じ取り、苦虫を噛み潰したような心持ちのものがもう半数のうちの半数程度である。担任の高山はここに属した。
「ここで言っておきたいのは、私はフランス王家による王権神授説を絶対王政を支持するものではありません。私の今日における生活は、フランス革命の中における人権宣言とその亜流によって担保されているためです。はっきり言って我々の立場から言えば正しいことをしたのもまた事実です。ですが、正しさは手段を浄化する事は決してないのです」
しかしながらこの教室にはただ一人、熱心にその「演説」を聞く者があった。
「先ほど私は革命と反乱とは、名前が違うと言いました。より正確には、後の世の歴史家、政治家たちが浄化するために名付けられた暴動を革命、それに至れなかったものを反乱と言うのです。この事は、しっかりと肝に銘じなさい。そして進学時にこの甘言を発言する者がいたらそっと距離を取りなさい。……これにて、今学期の私の授業は終了です。夏休み後にまた。高山先生、失礼いたしました」
宮守は上げていた視線を下げ、自らの手元にある、本日放課後が〆切の課題に視線を落とした。
「ああそれから。しっかりと夏休みの宿題はコツコツとやるのですよ。休み明け、私の授業で内職をする者がいないことを祈っています」
老教師は最後にそれを言い残すと、のそのそと退室していった。
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