「ラダ街道の戦い」6

 ルフェーヴル小尉は吐血した。


 たった今まで戦場にあったパトリエ歩兵鉄騎のコクピットは、不思議な静けさが訪れていた。


 カサカサに乾いた唇がひどく痙攣していた。

 呼吸はない。できるはずがなかった。

 パトリエ歩兵鉄騎の脇腹から突き刺さった単分子ソードの鋒が彼の脇腹から先を貫き、横隔膜を引き裂き、肺も大きく傷つけていた。

 大量の血液と、切断された筋肉では支えられなくなった内臓が空気中に放り出されていた。

 は見る見るうちに血に染まり、狭いコクピットの中は鉄の匂いが充満する。死ぬことは明白だった。


 ルフェーヴルは自らの体の傷を確かめるよりも先に後席へと振り返った。後席は空で、ルフェーヴルは言葉こそなかったがその狼狽ぶりは自然に現れていた。


 ナオ、と猫が鳴く。


 そこでようやく、ルフェーヴルの視線は定まった。彼はその口から血を流しながら、瞳孔が開きつつある目で猫を見ていた。申し訳なさそうに三度口を動かした。


「ごめん」


 ぐらりと騎体が傾く。ルフェーヴルと同期していた鉄騎も急速に脱落しているのである。

 膝立ちとなり、ルフェーヴルは重力に引かれるままモニターに頭を打ち付けた。額が割れて真紅の血が数滴垂れて、モニターを赤く彩り、やがて川となる。


 血を失うにつれて脱力感がルフェーヴルの体を支配する。急速に死滅していく脳細胞の中で思考は散逸するばかりだった。だらりと力なく肢体は投げ出され、瞳は開かれたまま動かず瞳孔が開かれていくばかりだった。

 死因は失血死なのか、窒息死なのか。不死身と言われた男に訪れた死は、そのどちらかも判別しない漫然としたものだった。


 猫は恨みがましく一つ鳴いた。重力の方向が変わったのである。猫の体を固定するシートベルトなど鉄騎にはなかった。

 猫はしなやかに肢体を動かしてルフェーヴルの肩へ移り、その頬に爪を立てた。


 まるで時が遡るかのようだった。


 異変は、モニター上を流れていた血の川だった。

 重力やモニターの目に見えない凹凸に従って川を描いていた血が、重力に逆らい始めた。川を開拓していた最初の血液が上流の血を飲み込みながら、血は川を遡上したのである。

 血液の塊は血の川全てを飲み込むと、次に空中に手を伸ばすように伸張し始める。

 収束した血は空中で血球となり、それが割れた額に付着し染み込んでいく。それが乾いた後の彼の額には、ただ一面の綺麗な肌色があるのみだった。


 額だけではなかった。

 破れた腹からはみ出す内臓も、耐え難い臭気を放っていた血の池も、まるでそれそのものが意志を持ったかのように、ルフェーヴルの体へとそれらが回帰する。


「ぐっ……」


 ルフェーヴルの眉間に皺が寄り、次いで瞳が収縮をはじめた。その最中で眩しそうに顔を顰めながら上体を起こす。

 時が戻ったわけではない。猫は未だ彼の頬に爪を立てたままであり、何よりコクピットには切断された痕が残っていた。


「ごめん、油断した」


 ルフェーヴルは猫に手を伸ばすと、猫はそれを嫌がるようにして座席へと戻った。


「無事でよかったよ、ネコちゃん」


 弛緩し、倒れ伏したパトリエの騎体に緊張が走る。


「良かった。操縦系統は無事だ。モニターも生きてる。よし、大丈夫だ。この警告は……右脚の駆動系か」


 貴重な一騎だったのに、と呟くと同時に上体を起こす。


「撃て」


 ルフェーヴルの号令と同時に火砲が火を噴いた。撃ち出された砲弾がアドラーの人体で言うところの下腿部から腰にかけてを撃ち抜いた。


「次は……」


 ルフェーヴルの耳が駆動音を捉えた。

 そして反射的に左足を半歩逸らす。


「今度こそ!」


 メクレンブルク騎の奇襲だった。単分子ソードが光の軌跡を描いて、再度ルフェーヴル騎に迫る。


 その突撃は、極めて基本に充実な型であった。アドラー小型鉄騎は魔力軌道を使う手前、突きの形ではなく薙ぎ払うことを基本とする。

 無論先程ルフェーヴルを突き殺した突撃のように例外もある。特に一刻の猶予を競う時であれば、刀身が最も早く到達するその姿勢を取ることもあり、またそもそもアドラー以前の鉄騎ではこちらの姿勢での突撃が主流であり、古参の兵士でもこちらを好む者も少なからずいた。

 この姿勢の変化はアドラーという鉄騎の特性だった。通常の鉄騎に比べて火力に劣り、代わりにはるかに速度という点で優れているアドラーは火砲よりも白兵戦に重きを置いた戦術に変化していった。


 その中で発達した戦術が「霞斬」。

 魔力軌道に伴う速力の優位は、通常の突撃では、刺した対象との衝突を避けるために回避やブレーキ、あるいは対象と衝突することで突進の運動エネルギーを殺してしまう事になる。

 霞斬は横を駆け抜けすれ違いざまに単分子ソードを一閃してパイロットを殺傷する先述だった。この方式は突撃に比べて斬撃の対象への突入がやや遅くなるがアドラーの機動力では問題になるものではないとされた。

 そのデメリットに比して、アドラーは運動エネルギーを損なわずに一撃離脱、あるいは次の鉄騎に襲い掛かることをも可能となるというメリットの方が大きいと上層部は判断したのである。


 開戦劈頭時、オーリーン防衛に関する戦闘で白百合軍のデモクラティー歩兵鉄騎十四が、フェルクス連邦軍のアドラー小型鉄騎八とが交戦した。

 結果は白百合軍の歩兵鉄騎が全滅に対し、アドラーの損害は撃破されたのが一騎、小破二騎と大勝した。

 この時最も戦果を上げたのが、霞斬により五騎を撃破し、共同撃破二を記録したオルデンブルク少佐と、その僚騎を務め四騎撃破と共同撃破二を記録したメクレンブルク中尉であった。


 今や少佐になった男には、その強烈な成功体験が脳裏に焼き付いていた。

 単分子ソードは切れ味鋭く、鉄騎の体をまるでバターのように容易く切り裂いてしまう。当然機械の力で振るわれるそれは、操縦者へのフィードバックは皆無に等しい。

 手応えなき成功体験は、彼に強烈な中毒性を植え付けていた。


 メクレンブルク騎は最大の回転数で突撃する。単分子ソードは展開しない。彼の目に映る三騎のパトリエは、三つの首級に見えていた。

 魔力残量に心許ない今は、少しでも単分子ソードの展開を抑えて魔力消費を抑えるためだった。


「ごめんネコちゃん、踏ん張って!」


 ルフェーヴルは叫んだ。

 ちょうどメクレンブルク騎のアームが駆動し、単分子ソードを展開するための端子が組み合わさろうとしたところだった。


「まずはひとぉつ!」


 パトリエの左腕より懸架された火砲が躍動する。

 火砲は火を噴かなかった。轟音を撒き散らすこともなかった。数百発の砲弾を投射することを運命づけられた鉄塊は、ただこの時のみは長大な一つの鉄の塊としての役割だけが求められた。


 それは、さながら騎兵の突撃を迎え撃つ重装歩兵を彷彿とさせた。長大な19センチ砲の穂先がアドラー小型鉄騎の右腕を捉えたのである。


 駆動部故に脆弱な構造部をこの槍は寸分違わず貫いていた。結果アドラーは単分子ソードを展開できなかったばかりか、その一撃で腕を破壊されてバランスを大きく崩した。

 片輪のみでの走行となったアドラー小型鉄騎は制御を失った。


 一方パトリエもまた、無事では済まなかった。懸架されていた19センチ砲は衝突時の衝撃で脱落し、固定されていた左腕前腕部は脱落した砲身と運命を共にした。

 本調子ではない状態で軸足になった右足の関節は完全に潰れて棒切れ同然となり、パトリエ歩兵鉄騎は機動力を失った。


 人の手を離れた巨大な鉄の塊が衝突する。

 その衝突の威力たるや、双方の鉄騎は衝突部を中心に大きく損壊し、パトリエは後方へ大きく吹き飛ばされ、アドラーに至っては空中へと投げ出されていた。


 二十トン超の鉄の塊が放物線を描く様は壮観ですらあった。重力に引かれた鉄騎の騎体は受け身を取ることすらままならず、地面に叩きつけられた時には手足が脱落した。


 このアドラー小型鉄騎が、この小さな村落を巡った戦いの中で最後の落伍者となった。

 これら一連の騒動が終わった時、雨は既に止み、この小さな村落での長い夜は明けようとしていた。

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