「ラダ街道の戦い」5
──時はやや遡る
クレイトンの北部より接近する騎馬中隊がいた。
遠雷のように響く砲声を耳にしながら、周囲を注意深く警戒しながら進む。
望遠鏡の向こう側に広がったのは鉄騎と狼の死体が転がる広場だった。
「集落内に鉄騎は」
「おりません」
「確かか」
「鉄騎を隠せるほどの建物がありませんから」
「総員下馬」
中隊長の合図で一斉に騎兵たちは馬から降りていく。馬も慣れたもので、嗎の一つもなく、兵の誘導に従って一箇所に纏められていた。
「犬八匹に対して鉄騎四騎から五騎、すげえな。俺たち兵士が命を張らなくても済む日は近いかもな」
「私語は慎め。橋を確保する」
馬というと、既に市井の間ですらも時代錯誤な代物とされていた存在だった。機関銃の発達や、物流の機械化などに伴い、直ちに機動車などに代替すべきである、という要求は、度々現場からも上層部の予算案でも浮上する。
馬とは非効率的な兵器であったためである。競馬場と広い敷地を要求し、しかも機械とは異なり、動かずとも草を食む。
それ故に、直ちにこの非効率的な兵器を廃止せよとみな声高に叫ぶのである。
軍馬という兵器は、それでもなお生き残っていたのである。
急激な軍事化・機械化を遂げる昨今の時代において、鉄や燃料を要求しない機動力は軍部にとってあまりにも魅力的だった。
浮かせた重工業のリソースで戦艦や鉄騎といった直接戦力を拡充する方が政治的にも軍事的にも効率が良かった。
恐竜的進化を遂げる兵器の間隙を埋めるためならば、応急処置としてこの非効率な手段に甘んじる。
この時代の軍馬とは、そういう位置付けの兵器だったのである。
騎兵による突撃は今時行われない。現に騎兵たちは馬を降り、カービンを手に周囲を警戒する。
こうなっては、騎兵も最早普通の歩兵と変わらない。しかしそれこそがこの戦いにおいては重要だったのである。
「総員着剣」
規模にして二個中隊、武装は馬上での取り回しを考慮したカービンではあるが、人体相手では十分だった。当然、彼らの相手は歩兵である。
遠く、砲撃の音が鳴り響く。だがその遠雷のような音は、より周囲の静寂を際立たせるだけだった。
こういった静寂の中では、留具と銃が接触する擦過音すらも耳につく。焦燥感に手もとが狂ってまったかのような錯覚と戦いながら、騎兵たちは着剣作業を終えた。
「前進」
口を横一文字に結んだ兵たちはぬかるんだ地面を踏みしめながら進む。夏ではあったが、降り続ける雨が体を濡らし、薄着で行動するには底冷えのする夜だった。
彼らの耳は静寂しか捉えない。それは全くもって妙な話であった。反対側、即ち集落の南よりやってきた中隊と合流し、ほどなくして二個中隊ほどの規模となる。
「橋は」
「無傷です。工作の痕跡もありません」
「よし、いいぞ。手筈通り第一小隊は南西、第四小隊は北西、第二小隊は後方、つまり橋の東側を警戒しろ」
彼らにとって幸運だったのは、橋を破壊するほどの余裕もないほどコルチェスター軍の混乱ぶりであった。
そもそも、この行軍速度は異常とも言えた。コルチェスター側としては、橋の確保は不可能と思い込んでいた。
それこそ、思慮の端にも浮かばなかったのである。
客観的に見れば拙い、あるいは無能と言っても差し支えないが、それは連邦軍の電撃的な速度を示している。
この頃の彼らは混乱した避難民の後方移送を決定し、その編成割り振りを行う途中、後手の後手のさらに後手にようやく決着を見た頃だった。
そこへ鉄騎襲来の報告が舞い込んだのである。彼らの混乱具合は、この時後方への報告からも伺える。
『我、連邦軍の襲撃を受けつつあり。戦力は鉄騎四十騎以上。麾下の鉄騎部隊は奇襲により全滅、至急援軍を寄越されたし』
集落のほぼ中央に位置する橋が占拠され、警備兵が交戦中という報告が入ったのもこの時である。
「何としても死守しろ!」
程なくして、橋を占拠していた騎兵中隊は警備兵達に発見されたのである。
双方、共に建物を盾に陣取っての銃撃戦が行われた。場当たり的な不意遭遇戦だった。一人、また一人と斃れていく。
しかしながらその数と勢いは時が進むにつれて緩慢となり、持久戦へと移行しつつあった。
「本部はなんと」
「なんとしても奪還せよ、としか!」
警備兵を率いる少尉は、すぐ頭上を掠めた敵の弾丸に、より姿勢を低くしながら怒鳴る。
「火力が少しばかり足りんな。機関銃は!」
「強化人狼の警戒のために全てが市民の監視に投入されています」
「どの程度で来る」
「もうすぐ来るとは……」
「すまねえ、待たせた!」
「来たな!」
やって来たのは姿勢を低くしながら、二人がかりで運び込まれた機関銃だった。
「総員着剣!」
少尉の声に被せるようにして、機関銃が咆哮する。それまで火点でしかなかった銃撃が線となって牙を剥く。
察しのいい一部の兵士はすんでのところで体を引っ込めるも、大抵の兵士はそれに気付くことすら叶わず、あるいは撃ち抜かれたことにすら気づかず薙ぎ払われていく。
かつて隆盛を誇った戦場の王者は、今この場において復活する。
「突撃!」
警備兵達は合図と共に建物から飛び出し突撃する。絶対的な火力の優位を根拠とした早期決着。少人数故に、その突撃は極めて静かで、対峙していた騎兵たちはその迫力に気圧された。
この急激に変化しつつある戦場において、それは致命的であった。
文字通り、死に物狂いで殺到する兵たちは、発砲し、あるいは銃剣で突き殺す。銃床で動かなくなるまでひたすらに殴打をする者もいた。
文字通りの乱戦、しかしながら趨勢はすでに決していた。
死体だらけの建物の影にて、警備兵を率いていた少尉は血塗れで立ち上がる部下たちを見回す。
充足感に満ちた顔だった。
その顔が土煙によって飲み込まれ、薙ぎ倒されていく。彼だけではない。彼の部下たちもまたその土煙へと飲み込まれていった。
「ま、まだいたのか……!」
機銃手たちは絶望の表情を隠さずにそれを見上げていた。
フェルクス連邦軍主力小型鉄騎、アドラーである。頭部の7.9ミリ機銃が火を噴き、守備兵たちを薙ぎ払ったのである。
「こっ、こいつらどこから!」
「いいから撤退だ! てっ」
撤退を始めた彼らはやはり同軸の3.7センチ砲が火を噴いた。砲弾は彼ら目掛けて飛翔し、彼らの中央で炸裂する。
「司令部、応答せよ! 司令部、司令部!」
生き残った通信兵が受話器を怒鳴りつけるが返事はない。彼は気配に振り返ったその瞬間、抱えていた電話箱ごと踏みしめられた。
現れた鉄騎は警戒のためか周囲を見回した。
アドラー小型鉄騎が二騎、さらに村落の外れから二騎だった。
フェルナー中尉率いるA小隊は無線封鎖の甲斐もあり、完全に奇襲に成功していた。
『村落内に鉄騎なし!』
集音装置が砲弾の飛翔音を拾う。彼らは反射的に身を屈めるも、その音はすぐさまこちらに向いたものではないことに気づく。
『クソっ、後続を呼ばれてたか。狙われてるのは少佐だな。よし、総員、火力の元を叩け、魔力軌道は展開するな』
彼らの頭上を照らすようにして、砲火が曇天の空を貫く。重砲から派手に放たれる爆炎を頼りに四騎の小型鉄騎は夜に紛れて接近する。
その炎は夜の闇を塗り潰し、そして己の視界すらも奪う。その隙を狙っての襲撃だった。
「よし、いいぞ!」
メクレンブルクはレルツァーの報告を聞く前に駆け出した。居場所などとうに知られている。魔力軌道を展開し、誘蛾灯のように砲撃を誘う。
「レルツァー! 奴らで最後だ。A小隊に遅れを取るな!」
爆炎を光源にして、パトリエの射線から外れた位置から接近するフェルナー小隊の姿をメクレンブルク騎も視認した。彼らを援護するための目眩しの砲撃を撃つ。スラローム走行であるが故に狙いはほとんど付けてはいない。
メクレンブルクはその突撃を自棄に見せかけていた。否、正確には自棄に見せかけていると自らを思い込ませていた。
魔力障壁は切っているのである。元より関係ないとは言え、メクレンブルクにかかるプレッシャーは計り知れないものだった。
メクレンブルク騎の騎体が僅かに揺らぐ。
敵からの第二射、二発の弾丸がメクレンブルクの斜め前を通過する。
軍隊とは即ち群体である。
彼の未来視じみた挙動は、そこに起因する。彼の頬は紅潮し、その目は生気に満ちている。戦場という極限の環境下、敵に明確に読み勝ったという事実に彼は興奮を禁じ得なかった。
彼は興奮冷めやらぬ様子で突進する。
「少佐! 直線運動は控えてください、敵に蜂の巣にされてしまう!」
「その心配はないさ、シュナウファー」
「あっ!」
彼のモニターの先で12.8センチ砲が火を噴いた。続け様に二発、光の壁に阻まれて空中で炸裂する。
「そうか、騎兵直協のA小隊!」
「ああ。だが今はまだ4対4だ。すぐに加勢してやらんと確実に勝てない。シュナウファー、すぐ撃てるようにしておけ」
A小隊は、彼らの目にて完全に奇襲を成功したように見えた。見落としがあったとするならば、メクレンブルクにただ一つ。
彼は、飛翔してきた砲弾の数を認識できていなかった。当然の話である。これを知覚するには、鉄騎に搭載されている光学機器の性能と、それから搭載している操縦手の動体視力の双方が不足していた。
飛翔してきた砲弾は二発。そして、A小隊がパトリエ鉄騎の防護魔法を破るために二発。砲口径は違えど、お互いに残した火砲の数は同じであり、そしてそれが最適となるタイミングで火力を解放する瞬間を狙っているのも同じだった。
両者の戦いはそのタイミングによって決したのである。
轟音が二つ、ほぼ同時に鳴り響く。爆炎の光によって、逆光に照らされる鉄騎のシルエットが浮かび上がった。鉄騎としては規格外の巨砲である19センチ砲の威力を前に、防護魔法は薄氷のように砕け散るばかりだった。
一騎は左肩を撃ち砕かれ、そしてもう一騎はその火力を一身に引き受けた。内部で生じた爆炎は、更なる爆発の圧力に押されるままに逃げ場を求め、比較的内側からの衝撃に対して脆弱な作りとなっているコクピットの出入り口、即ち鉄騎の後背部より噴出した。
メクレンブルクは後部のシュナウファーへと怒鳴るようにして命令を下す。
「くそっ、シュナウファー撃て。連中め、こっちの火力を削ぎやがった!」
彼に顔には先ほどまでの優越感は消え失せ、苦渋に歪んですらいた。
その中でシュナウファーはメクレンブルクの迫力に気圧されることなくよく応えた。
すぐさま放たれた12.8センチ砲は吸い込まれるようにしてパトリエ歩兵鉄騎の胸元に命中する。
対鉄騎用としては貫通力不足を露呈する12.8センチ砲も、防護魔法のない鉄騎を撃ち抜くには十分であった。
数秒前にアドラー小型鉄騎が辿った運命が、パトリエでも再現される。メクレンブルクとシュナウファー双方の執念による戦果だった。
遅れたレルツァーの砲弾は復旧した防護魔法の壁に阻まれる。虚空に生じた黒煙を振り切って、パトリエ歩兵鉄騎は姿を現す。
その瞬間を見逃していたメクレンブルクには、鈍重なパトリエが咄嗟に姿を表したように見えた。
そしてその意表は彼の部下たるA小隊の面々にとっても突かれていた。
彼らは無論、見逃したわけではない。開戦以来常に前線にあり続けた精強たるフェルクス連邦軍の一員の名は伊達ではなかった。
しかし彼らとて人間である。人間は、その本質において思考する生物である。想定外の出来事において、勘ではなく事態の把握を優先する。
故に彼らは硬直した。
パトリエ歩兵鉄騎は鈍重ながらも突進し、防護魔法を単分子ソードで切り裂いた。
ちょうど彼らの思考が遮二無二動かなければと判断を下した時であった。
その代償にまず一騎が切り裂かれる。A小隊の隊長騎であった。パトリエの単分子ソードは夜に白い軌跡を描きながらアドラー小型鉄騎の首元に音もなく突き立てられ、そして拳を振りかぶるようにして首元から右腕にかけてを切り裂かれる。
パトリエは切り裂いた相手の小型鉄騎を蹴り倒し、続け様にパトリエの左腕に保持されたカノン砲が前衛の傍らに向いた。
その砲口の先では小隊長の僚騎を務めていたアドラー小型鉄騎がパトリエに応戦しようと単分子ソードを構えていた。
これはフェルクス連邦軍野戦教範の対鉄騎接近戦の項目に従ったものだった。
『単分子ソードを展開した敵と退治した際には、相手に間合いに入られないよう自らも単分子ソードを展開し威嚇せよ』
この教範通りの行動を企図したアドラーの操縦手は至近距離での砲撃など選択肢にも及ばなかった。
彼らは歴戦ではあったが、それは常に彼我の戦力差が機動力、戦力その他において優勢にあった環境下で育まれたものである。
敗退に次ぐ敗退、絶望的な戦力差で敗走を続けた中を生き残った共和国軍の操縦手との差が今ここに如実に現れる。
夜の闇にこの戦いで幾度目とも分からぬ砲火が夜を貫いた。至近距離では外しようもなく、パトリエの砲撃は防護魔法ごとアドラー小型鉄騎の喉元を食い破り、その威力で騎体は押し倒される。
鬼神が如きパトリエは、単騎で二騎を薙ぎ倒し、気づけばA小隊のアドラーは全滅となっていた。
惜しむらくは、パトリエの鈍重さであった。本国白百合共和国は陥落し新たな部品の生産は途絶えていた事は、特にその鈍重さに拍車をかけていたのである。
もしも万全な状態であったなら。悔やんでも遅い。最善を尽くしてもなお、現実というものには届かないことがある。それを冷酷に突きつけるのが戦争というものだった。
パトリエの真横からアドラーが襲いかかる。それは、一番最初の砲撃で撃ち倒したはずの鉄騎であった。
火砲を保持する左腕は脱落し、また頭部も激しく損傷してカメラが剥き出しになっていた。だが、右腕の単分子ソードも足も無事であった。
単分子ソードはパトリエの防護魔法を切り裂いて、そのまま脇腹からコクピットへと突き立てられた。パトリエは操縦手のシグナルがロストした時特有の緊張が走った。
やがてその緊張もゆっくりと弛緩し、脱力した鬼神パトリエは力なく倒れ行く。
後続のパトリエは咄嗟に傷だらけのアドラーに砲を向けた。
その瞬間、一等星を隠すような光が地上に走った。
メクレンブルク騎の照明弾である。それは単に目眩しという意味と、そしてさらに一つ、後方にて橋を確保する騎兵中隊へ作戦の失敗を知らせる符号でもあった。最早作戦の継続は不可能だと判断したのである。フェルクス連邦軍はこの戦いにおいて鉄騎九、強化人狼八、騎兵多数の被害を出していた。
「レルツァー、あのバカ野郎は誰だ!」
『A小隊のスション少尉騎かと思われます!』
「あのバカは絶対に生かして返せ、我が連邦鉄騎乗りの財産だ! 行くぞレルツァー、奴の撤退を援護する!」
メクレンブルクとレルツァーの鉄騎が双方から挟み込むようにして砲撃をしながら突進する。残る後衛のパトリエ二騎も砲撃ができないスション騎ではなく、突進しながら砲撃する両騎をより大きな脅威として認めて対峙する。
その隙にスション騎は撤退を開始した。それを確認し、突進していた両騎も撤退を開始する。
その瞬間、スション騎の脚部が何者かによって撃ち抜かれた。
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