「ラダ街道の戦い」2
かつて、白百合共和国の東側に位置する国家があった。名はアレマニア帝国。効率的な官僚主義と近代的な軍制を武器に急速に強大化し、覇権国家である白百合共和国とコルチェスター帝国の両国を相手に宣戦布告を行った。
そして、最期は民衆によって倒された。戦線の拡大と政府の失策に伴い急速に食糧事情が悪化、帝国は民衆の手によって倒され、アレマニアの支配領域はコルチェスターと白百合の両国によって解体されていった。
それが四半世紀前のことである。
今その地にある国家の名は━━
「な、なんですかそれは」
「フェルクス連邦の生物兵器さ。人間に化けることができる巨大な狼だ」
「それって」
「そうだ、俺たちが守っていたのは避難民じゃねえ、避難民に紛れた強化人狼から、俺たちの国を守るためにいたんだよ」
ビショップの反応は迅速だった。仮にも彼はコルチェスターが誇るエース、それも撃破数第七位とトップクラスのエースの実力が如実に表れていた。
「カニンガム、10時の方向、距離四百五十!」
「り、了解です」
「狼はキルスコアに入らねえんだがなあ!」
本来、本業であるはずの火器管制手よりも先に敵を見つけ、その大まかな距離すらも導き出したのだから、驚異的と言える。
とは言え、射撃は彼の本文ではない。
カニンガムの手がコンソールに叩きつけられて、直ちに接続されていく。コンソール上に青い線が走り、同時に鉄騎の左腕が動き出す。
「照準完了」
「よし、撃て」
左腕に懸架された主砲は38口径6インチ砲が火を噴いた。雨の中、紅蓮の炎が花開く。
砲弾が撃ち放たれ、甲高く短い飛翔音の後、照準の中にいた人狼は胸を貫かれ、そこを起点として袈裟懸けに体がちぎれ飛んだ。
避難民の中には突然の衝撃に人々は薙ぎ倒され、また耳から血を流すものさえもいた。その人々の上を巨大な金属の塊である薬莢が落ちていく。
それを受け止めたのは細身な男だった。あの砲撃の中、倒れ伏す周囲の人々の中で、その男だけが微動だにせず立っていたのである。
持ち前の神経質さが表情を形作るかのような男だった。それに反して、熱された薬莢が手のひらを焼いても表情は一切変わらない。ただその目は据わり、呼吸は浅く、どこか思い詰めた表情で鉄騎を見上げていた。
「総員変身命令!」
男は声を張り上げた。声は裏返り、大した迫力もない。だが、砲撃の後に訪れた静寂の中ではよく響く。
顔面蒼白の男たちがよろよろと立ち上がる。その瞬間、男たちの肉体はグニャリと曲がり、歪に膨れ上がっていく。
服を破って尚成長を続ける体は、もはや人体とは言えず肉腫から足が生えているようであった。
次の瞬間には肉腫も弾け飛び、筋繊維と真っ白な毛が次々と形成されていった。
全身を覆う真っ白な毛、裂けた口から並ぶナイフのような牙、狼の後脚に類人猿を想起させる巨大な体格の上半身、直立二足歩行する狼、人狼である。
現れたのは三体、身長は目測にして十三〜十五メートルとばらつきがあった。
彼らは三騎の鉄騎の懐へと飛び込んだ。ここまで、砲撃から十秒あまり、ビショップの僚騎たちは情報収集に勤めていた。
人間は危機的状況に陥った時、思考は加速する。体感時間は伸び、状況の整理を始める。だが、反応速度はそれに応じて鈍化する。
「馬鹿が。獣如きに何ができる!」
この中で、唯一鈍化していない人間が、ビショップという男だった。僚騎たちは無防備に
ビショップの叫び声を聞きながら、アンダーソンは現れた人狼の一体に照準を合わせた。
いかに強化された人狼と言えど、生物である以上、鉄騎には敵わない。
「撃て、カニンガム!」
「了解です」
(待てよ)
射撃の瞬間、ビショップの駆るリヴェンジが体勢を崩す。
「大尉?!」
カニンガムは急制動に体のバランスを崩しながら悲鳴を上げた。だがモニターに目を移した瞬間、絶句する。
「照準完了次第第二射を。狙いは目の前のコイツ以外」
アンダーソンのモニターは左肩の火器管制用のカメラが映る。そのそばに突き立っていたのは赤い色の光剣だった。
「こっ、これは、鉄騎用の実体魔力剣……!」
単分子ソード。モース硬度十一、刃の薄さは分子一つ分、いかなる魔法も鉄も切り裂く魔法の剣だ。
鉄騎が有する巨大な魔力エンジンがあって初めて行使可能な魔法武装。それを握るのは生物の範疇に収まるはずの、人狼に過ぎなかった。
「人狼が魔法をっ! いやそれよりも、コイツっ、どこから」
「人狼は四体いたのさ。人狼の武器はその神出鬼没さだ。鉄騎には装甲も火力も敵わねえから、大した敵じゃあなかったんだが」
ビショップは頭部カメラ同軸機銃を発射する。至近距離で幾度となく銃口から溢れ出す連続する発砲炎が、人狼と鉄騎を明るく照らす。
その刹那、半透明に光る壁が展開される。実体防護魔法だった。機銃弾は空中で見えない壁に阻まれて、空薬莢と共に銃弾が転がっていく。
だが、人狼の魔力はその物量を前にあまりにも無力だった。半透明の壁は穴が開き、そこから無数の弾丸が撃ち込まれた。
発砲炎が狼の顔を照らす度、ポツポツと穴が増えていき、そこから血が迸る。至近距離だったからか、リヴェンジの集音装置はそれを余すことなく拾っていた。
肉の裂ける音、骨が砕ける音、声にならないか細い悲鳴。この世の地獄とも言うべき音がカニンガムとビショップの耳に響いた。
「驚いている暇はねえぜ、獣を撃ち殺せ!」
前席からの発破に、カニンガムは照準を定める。
その先では、狼たちの凶刃に斃れ行く僚騎たちの姿があった。
「クソっ、よくも!」
「カニンガム、落ち着け。撃つな!」
ビショップの静止は、彼らしく迅速で、しかしカニンガムの射撃指令を出す信号と比べればあまりにも遅かった。
6インチ砲はカニンガムの指示に正確に答えた。砲口から砲弾を押し出すための紅蓮の炎がマグマのように溢れ出す。人狼の防護魔法など紙を割くように突き破る大口径の砲弾だった。
すでに沈黙して動かない僚騎たちの骸を、紅蓮の炎が明るく照らす。だが、必殺のはずの一撃は突如現れた光の壁にあえなく遮られて爆発を起こす。
「くそっ」
「なっ!」
黒煙が晴れるより先に、狼たちの巨体が三方向に分かれてリヴェンジへと接近する。
正確に言えば、リヴェンジたちは死んでいない。死んだのはコクピットに乗る操縦手と火器管制手のみである。人間で言えば脳死状態であった。
脳死状態でも人は整理反応を示すように、この脳死のリヴェンジは、自らに接近する砲弾をセンサー類で直ちにタッチし、それを防ぐための防護魔法を不随意に展開したのである。
リヴェンジは後ずさる。
だがそれを敏捷性で遥かに勝る人狼が許すはずがなかった。
白煙を突き破るようにして三体の人狼は駆け出した。それに呼応して頭部の同軸機銃がパパッ、パパッと閃いた。
ビショップの目の前にある計器の中の、機銃の残弾数を示すアナログカウンターが、引金を引くたびにカチカチカチと減少していく
(残弾数はそれぞれ二十一。もう一発も無駄にできねえな。くそっ、一匹も仕留められなかった!)
「装填まだか!」
「すっ、すみません!」
ビショップはその答えを知っていた。知らないはずがなかった。誰だって最初は操縦手ではなく火器管制手から始める。彼の軍歴はリヴェンジの火器管制手から始まった。彼の頭には、体感として主砲の装填時間は頭に入っている。
彼のモニターの中で、人狼が跳躍する。
リヴェンジは後退りをやめた。覚悟が決まったのである。
(一手、二手、三手……見えたっ!)
「左腕の制御は俺がもらうぜ」
「は、はいっ。ですが装填はまだ……」
「いいから!」
「ゆっ、ユーハブコントロール!」
リヴェンジの主砲を懸架していた左腕の動きが急速に人間味を帯びる。それまでは上下左右とゆっくり機械的に、しかし正確に動いていたが、今の動きは俊敏で粗雑だった。
通常、主砲を懸架する左腕の操作は操縦手ではなく火器管制手の管轄である。だが、このような近接戦闘が見込まれる際は、しばしば操縦手の操作が行われた。
既に人狼は目の前に迫っていた。自動的に展開される防護魔法を、人狼たちの単分子ソードが切り裂いた。魔力が実体化して形成された光刃は、赤く尾を引き彗星のような軌跡を残す。
砲弾は出ない。そして、主砲の動きも向けるだけにはとどまらなかった。さながら中世の騎士が持つランスのように、突進する人狼目掛けて突き出したのである。
人狼も、この攻撃には対応できなかった。辛うじて防護魔法のみ展開したものの、主砲の砲身という一つの金属塊が突き出され、しかも人狼の武器である敏捷性も、相対速度という形をとって自らに牙を剥いたのである。
骨の砕ける音と、鉄のひしゃげる音が混じる。人狼は致命傷だった。そしてまた、リヴェンジの左手首もまた致命傷を負った。
人狼と鉄騎、二つの大質量が衝突した衝撃は左前腕部に集中し、暴れ回る衝撃波がその悉くを破壊した。
だが戦場は止まらない。隣で戦友が脳漿を散らしていても、留まる兵士などいない。第二第三の赤い光刃もまた、雨夜の中において留まることなく軌跡を描き続けた。
一閃、コクピット目掛けて吸い込まれるように放たれる一撃。第二の光刃とコクピットを守る断念防御用の胸部装甲との距離が近づく。
限りなく相対距離がゼロに近づいた時、両者の間に青い光が灯る。リヴェンジの右腕、展開された鋏のようなサブアームの先端部が重なった時、閃光と共に光刃が形成されたのである。人狼の恐ろしい形相と、鉄騎の無機質な鉄仮面が青く照らされた。
両者の巨体が交錯する。リヴェンジの背後を赤い光が照らした。遅れて、人狼の背を突き破った青い光刃がその切っ先を覗かせた。
赤い光と青い光を背負った両者はしばし静止し、人狼は苦悶の表情を浮かべた。
避けた頬から多量の血が飛び出し、無機質なリヴェンジの表層を赤く濡らしていく。
リヴェンジ背後に突き抜けていた人狼の腕が力なく下がっていく。
その刃は何者をも切り裂いてはいなかった。コクピットに突き立つ、その瞬間にリヴェンジは右肘で軌道を逸らしていたのである。
まさに神業的技巧だった。
「す、すごい……!」
「惚けるなよカニンガム!」
次の瞬間、衝撃が走った。
途端、カニンガムの視界が赤い光で染まる。
「ぐっ……うう……」
「大尉、大丈夫ですか!」
「……っ、ああ、平気だ。そっちは」
「こっちはなんともありません!」
それが、敵の人狼の単分子ソードなのだとカニンガムが理解するのに、何十分の一秒の時間を要した。
あと十センチズレていれば、カニンガムの足はビショップの側にあっただろう。
「そいつあ、ツイてるな。コンソールは?」
「……生きてます」
「こっちはダメだぜ、カニンガム。八時の方向に敵の人狼がいる。機銃は一挺二一発、狼なら殺せる。やれるか?」
「はいっ」
「……ユーハブ、コントロール」
「アイハブコントロール!」
叫ぶと同時にひび割れたモニターの中に必死の形相の人狼が大写になった。人狼は見られていることに気づくと、トドメを指すべく単分子ソードを引き抜こうとしたが、それよりも早く頭部カメラの同軸機銃が火を吹いた。
カチンと乾いた音が響いた。弾切れの音だった。コクピットを赤く照らしていた光刃が消失する。
モニターの先では、四つ五つと穴の空いた人狼の顔が大写しになっていた。
「やりましたよ大尉……うわっ!」
リヴェンジは急速にバランス感覚を失っていった。もたれかかる人狼にバランスを崩したのである。
「大尉、大丈夫ですか!」
声をかけた途端、リヴェンジが仰向けになって倒れる。全身に強い衝撃を受け、カニンガムの意識はそこで途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます