猫と不死身の召喚兵
鳴尾蒴花
滅亡編
第一章
「ラダ街道の戦い」
神聖コルチェスター帝国大陸領の主要な街道であるラダ街道。帝国第二の都市ダカークから帝国の大陸領を東西に横断し、隣国の白百合共和国の都市ルーヌへと続く。
場所はダカークから東へ百二十キロほど、ルーヌからは西五十キロ、、白百合共和国との国境からは二十キロ程度、クレイトンという小さな村落だった。主産業は葡萄畑であり、村の真ん中を一本の小川が通り、その両岸にまばらに家屋が点在するばかりだった。
時刻は午後八時を回ったところ、降雨のためか七月にしてはやや肌寒い夜だった。その最中、この村は開闢以来といっても過言ではない数の人間が滞在していた。コルチェスター帝国陸軍の第三軍がここに司令部を置いたためである。
その人間の流動は激しかった。すでに日は暮れ行くばかりだと言うのに、兵たちは騒がしくも何かの用意をしていた。次から次へと街道の東、ダカークの方へと東へと流れていき、西からはそれと同じだけか、あるいはそれ以上の数の人間が流入してくる。村落に住む、生まれてこの方葡萄の世話以外をして来なかった農夫にも、この事象の原因はなんとなく察せられた。
敵が来るのである。
そもそもラダ街道は戦跡の宝庫だ。白百合共和国が王政を打倒する以前のゴール帝国の時代より、コルチェスター人とゴール人は争いを繰り返してきた。
コルチェスターの大陸領は、百五十年前にゴール帝国が革命によって倒され、その混乱に乗ずる形で進軍したコルチェスターにより実効支配されている土地であり、むろんクレイトンもそんな土地の一部だ。
では敵はゴール帝国の後継者たる白百合共和国軍か。捲土重来を企図しての侵攻か。
それを否定するのは、東側の村の入口より入ってくる人影の数だった。その数は数百人にもなる。クレイトンより東の街といえば白百合共和国領のラントンという街である。当然、人家もあるが数百人という人数はあまりにも多すぎる。
彼らは白百合共和国の住民だった。
東側の入口に強烈な光が差し込む。地上より十数メートルの高さより照らされる眩い光。そして何よりも鉄の擦れる音と、モーターの回転数が喧騒に包まれるクレイトンをさらに上書きしていく。
「これで全員か」
東の入口を見張る兵士は頭上高くを見上げ、声高く叫んだ。
地響きが鳴り止み、ついでモーターが回転する音が鳴り止んだ。代わりに、いつでも動き出せるように暖気を継続するアイドリングの音が響く。最後に鉄同士の擦れる音も鳴り止んだ。
「ああ、全員だ」
見張の兵士は探照灯に照らされた。さながらスポットライトに照らされるようであり、降る雨は流星のように尾を引いていく。
「ライトを切ってくれ。眩しくてかなわない」
見張の言葉を合図に探照灯は急速に眩さを失い、やがて所在を知らせる程度の明るさしかなかったが、それもゆっくりと消えていった。
露になったのは巨人の姿だった。
その巨人は鉄の外皮を持っていた。
その巨人はモーターの関節を持っていた。
その巨人は鉄の体を持っていた。
「ようやく楽になりますね、ビショップ大尉」
「避難民の護送は疲れるぜ。何せこいつの身長は十八.二メートル。人間の十倍だぜ。うっかり踏み潰しちゃあ、整備班に怒られちまうし、何より目覚めが悪い」
巨人の腹の中では声が鳴り響く。そこにあるのは胃酸に満たされた胃袋ではなく、直角に切り立ったシートがタンデム式に縦に二列座っていた。
それが、巨人は母の揺籠より産み落とされた生物などではなく、鋳溶かされ、叩かれて鍛え上げられた鋼鉄で形取られた兵器である証左であった。
巨大人型兵器、この世界の普通名詞では鉄騎という名で呼ばれていた。彼らの乗る鉄騎は二脚鉄騎リヴェンジという名の兵器である。
「嫌なこと言わないでくださいよ、大尉」
「嫌なことになってから言って欲しかったのか、カニンガム少尉」
「……。ところで命令は更新されましたか?」
「いいや、別命あるまで待機だ」
前席に座るのは操縦手であるウィンストン・ビショップ大尉、後席に座るのは砲手であるヒュー・カニンガム少尉であり、この鉄の巨人は彼らの手によって操作されている。
カニンガムは目の前のコンソールに手を置いて、ガンカメラを操作した。彼らと同様の巨人は視界の中で三騎、雨の中佇んでいた。ほかブリーフィングでは四騎が滞在していると彼らは聞いていた。
カチリとコクピットの中で音が鳴る。
「何の音だ?」
「電気ケトルですよ。到着が近かったので準備をしておきました」
カニンガムはそう言うと、箱型の電気ケトルと紅茶セットを手早く用意し始める。
「素晴らしい。君は将来出世するよ」
「出世といえば、そろそろ少佐になられると聞きましたよ」
「耳が早いな」
「敵を八騎撃破、生物兵器を三体撃破した帝国第七位のエース、キルスコアで言えば白百合共和国の残存部隊の第二位エース、不死身のルフェーヴルに並ぶ、将来有望なエースの一人だとか」
「まあな。ルフェーヴルってやつはすぐに抜いてやるさ。何せ俺の戦歴はコルチェスター軍の参戦後すぐだから一ヶ月程度、ルフェーヴルは四ヶ月前の副都オーリーン防衛戦から参加してるらしいからな。一ヶ月で八騎と四ヶ月で八騎とじゃあ、格は俺の方が圧倒的に上さ。すぐに第一位エースの逃げ足シャルルだって追い抜いてやらあ」
ビショップの勇猛果敢な口調と共に、湯気が上がり紅茶の香りが部屋に充満する。
「きっと、追い抜けますよ。ビショップ大尉なら。そろそろ紅茶もいけそうです。砂糖はどうされます?」
「三個で頼む」
「了解です」
「ミルクはないのか」
「ここにはないですね。取ってきましょうか」
「別命あるまで待機だ。持ち場を離れちゃいかん」
「お茶請け、欲しかったのですがね」
「鉄騎の中で紅茶が飲めるだけで充分さ」
ビショップは出てきた紅茶を口に含んだ。紅茶の香りが鼻腔をくすぐり、飢えていた舌には甘味が優しく広がる。
「それにしても、なんたって我々は今もここで待機をしているのですかね。この辺りはもうコルチェスターの勢力圏じゃないですか」
紅茶で気分が落ち着いたのか、カニンガムの言葉は愚痴を多分に含んだものになる。
「今はまだ、コルチェスターの勢力圏だな」
「まさか、我が国が負けるとでも?」
「まさか。だが大陸領は分からんな」
「敵は、それほどまでに強いのですか」
カニンガムは、その言葉に少なからずショックを受けていた。
「陸はな。そもそもコルチェスターは海洋国家だ。陸での戦いは一段劣るし、そもそも上は白百合の戦力をあてにしての宣戦布告だったはずだ」
「じゃあこの戦いの終わりは」
「我が国は大陸領を失陥するも、海軍力で遥かに優位を保つため本島には上陸できず千日手。それまでにどれだけの数の屍を積むかの話さ」
「なら、死んだ奴らはどうなるんです」
「どうもならねえよ。それが戦争だ」
「そう、ですか」
カニンガムは打ち拉がれていた。ビショップの言は事実だと認識していたためである。
「若いな」
「大尉も、それほど変わらないじゃないですか」
「その席に座るのは二人目なのさ。前はパウエルという男が座っていた」
「……」
「それが戦争ということさ」
彼らはしばらく沈黙し、外板を叩く雨の音が強くなっていることに気づいた。それから雨音に身を委ねる時間が訪れる。空になったティーカップは収納の中へと押し込まれる。
その頃になっても、避難民たちは未だ手続きが終わらないのか、彼らは雨に打たれながら順番を待っていた。
「あの人たちも大変だな」
カニンガムがポツリと溢すと、ビショップは眉を顰めた。
「大変さ。俺たちの目を盗んで、何をしてやろうかって企んでる。だが俺たちの目があるからそれをできねえでいる」
「どういう意味です?」
「どういう意味って、そりゃお前……」
鉄騎の収音装置が轟音を拾った。
「な、なんです今の」
「敵さ」
「そんな、ここはもう大陸領なんですよ」
「俺たちが後生大事に連れてきたろ」
「えっ?」
「敵国、フェルクス連邦の生物兵器、強化人狼だよ」
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