5年10年30年
全員が黙々と冊子を読み込んでいる。プレゼンは後半戦、必要な元素の最後の一つ、窒素の確保に関してだ。
窒素は2段階に分かれる。まずは鉱物としての採取だ。
「海鳥…とは?」
「生物に関してはまだ勉学に励んでいる最中ですのですぐに思いつかなかったのです。特徴としては、主に海洋に生息し、繁殖のときだけ陸に戻る鳥類です。その糞が堆積したものが窒素を多く含みます。」
「それはアルバロですな。海で魚をはみ、冬になると陸に上がり繁殖する。」
「ということは、もしかしてサスティン高原が堆積地になっていると?」
「要素を聞く限りその可能性が高いですな。」
父と宰相の話によれば、かなり大柄なある鳥類がこの世界には生息している。その生息域は海辺で、漁師が取る魚をかすめ取っていくらしい。アルバロと呼ばれるそれは、漁業の最盛期には空を埋め尽くすほど現れるとか。そして、冬になると大陸のある一帯に一斉に繁殖のため飛び立つ。その地がサスティン高原という。
サスティン高原は、王国西部にある法国との国境地帯付近にある高原で、冬になるとアルバロによって地面が埋め尽くされるという。しかも1年を通して降雨は少ない。これらの特徴により同地は荒れ地で、肥沃な土地である王国で農作ができない地帯のひとつだった。
「あの一帯は、記録に残る限り1000年以上はアルバロの繁殖地なはずだ。」
「それは素晴らしい!グアノが豊富に存在する可能性が格段に上がります。」
私は思わず喜んだ。正に窒素質グアノが存在するためだけにあるような土地が、王国に存在するのだ。この国は運が良すぎるな。
「陛下、これは早急に試掘を行うべきでしょう。」
「ああ。標本を持ってこさせよう。その見分けは、フランができるかい?」
「問題なく。英知を授かっておりますので。」
いいえ、神の眼を使います。それが一番確実だもの。
何はともあれ、窒素の最初の供給は問題なく行われそうだ。しかも採取地候補はかなりの優良候補。埋蔵量が多ければ、窒素の獲得における”第二段階”も、非常に余裕が生まれる。
「窒素の最初の確保に目途が付いたのは安心しました。窒素の確保における、次の計画に時間的余裕が生まれますので。」
「余裕が無かったのか?」
「というより、窒素の生成は、先ほどのカリウムとは比較にならないほど大規模な装置が必要になるのです。詳細は冊子の次頁をお読みください。」
私の言葉に、全員が冊子をめくった。そして、黙った。黙りこくった。
この世界でハーバーボッシュ法を確立するために。この世界の技術を総動員した化け物を作り出そうとしているのだ。
まず、空気中の窒素と、アンモニア生成に必要な水素を集める。そこからして装置が必要だ。窒素は冷却による酸素との分離、水素は水を電気分解。そこで採取した気体の窒素と水素を集め、1対3で混合させる。
次に、その気体を装置に送り、圧力をかける。300気圧だ。さらに、500度の高温にさらす。装置内には触媒となる酸化鉄を仕込み、反応を促進させる。
気体状のアンモニアが生成できれば、あとは冷却装置に入れて完成だ。
アンモニアを元に、窒素が豊富に含まれた肥料を生産できる。
さて。言うは易いがなんとやら。
先ほどのカリウムとは比較にならないとは言ったが、自分でも複雑で大規模すぎると思う。しかも、この世界には産業革命なんてものはない。だから、足りない部分は魔法でカバーする魂胆だ。神の御業だろなんとかしてくれ。
「…すまん、私は理解が追いつかん。」
「私もです。農業とは全く非なる話で…」
父とフレディは根を上げた。残る宰相も思案は続けているが、大変そうだ。
ただ、一応は全ての計画を発表した。ここで、一区切りつけるために私はまとめにはいる。
「さて、とりあえずは新たな肥料事業に必要な要素は全てとなります。これからは質疑応答、及び議論を行いましょう。」
私は努めて柔和な雰囲気で全員に宣言した。が、各々が多様な苦悶の表情を浮かべている。
が、ここで一人が手を上げた。宰相だ。私は頷きで返答し、その続きを待った。
「…王女殿下。まず、カリウムに関してです。植物灰を利用した形態は、やはり推奨されませんか?」
「無尽蔵であると認識されると、推奨されません。ですが、カリ岩塩の精製が行えるようになるまで等の期限付きで、尚且つ森林資源を管理できるのであれば…選択肢としてはありです。」
「そうですな…あと、窒素製造に関する部分では、どの程度の人員を想定していますかな?」
「そうですね…”魔法の使い方次第”ですが、従来の様式では、1日当たり30人程度を見積もっています。」
「…冷却と雷電、それに火炎を使える魔法士を30人…ですか?」
「はい。」
「うーん…ちなみに、肥料が生産開始できたとして…収量の増加はどの程度を見込んでいますか?」
「今日を起点にして、5年後に肥料供給を開始し、10年後に王国全土に普及したと仮定すると…100年後には10倍です。」
「ほう…」
宰相は再び思考に潜った。宰相の質問で、意図はある程度読み取れた。彼が懸念しているのは、やはり工場の大規模さだ。工房レベルの話なら露知らず、この規模の造物を作り出せるには技術者も職人もいない。つまり、実用化の目途が立てられないのだ。
だが、利益はある。なにせ100年後に今の10倍の作物が流通する可能性があるのだ。
宰相は父が頼りにしているだけあって頭が切れる。今もなお、唯一この事業の実現性を考え続けているようだ。
しばらくして、宰相はまた質問を投げかけてきた。
「では王女殿下。こう仮定します。必要な元素をまず調達が容易な方法で用意して、肥料生産を開始。それに並行して、提案された方法での元素生成を研究開発したとします。その場合、全てが実用化されるまでにどの程度を見込んでいますか?」
「それならば…リン生産施設は5年、カリウム生産施設は10年、窒素生産施設は30年を見込みます。」
宰相の想定は、つまりリンはそのまま骨粉生成で、カリウムは植物灰を代用、窒素はグアノを利用するところから始めるというものだ。現実的に考えれば、すでに容易な方法があるものを選択するのが理にかなっている。
現時点で考えを続けているのは宰相だけだ。つまり、この場は宰相の意向で動く可能性がある。だからこそ、私は”希望的な観測”を伝えた。どう出る?
「…国王陛下。まずは肥料生産に尽力しましょう。その後、技術が確立されてから切り替えても損はありません。」
「そうか…」
勝ったようだ。肥料工業がこの世界に誕生した瞬間である。
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